乙6期 中西義男さん5 ― 2014年10月18日 10時13分51秒
【家でのエピソード編】
今回の話は弟さんにうかがった話です。
クロちゃんこと中西義男さんは大正9年5月27日、大阪生まれ。
この日は・・・・
海軍記念日
です!
海軍に入って飛行機乗りになりたかったクロちゃん。
クロちゃんの下が、妹さん2人。家に男子一人では入れなかったそうです。
そこへ、先日お目にかかった弟さんが昭和8年に生まれたものだから、心置きなく海軍に入ったそうです(乙6期は10年6月入隊)。
今回の話は弟さんにうかがった話です。
クロちゃんこと中西義男さんは大正9年5月27日、大阪生まれ。
この日は・・・・
海軍記念日
です!
海軍に入って飛行機乗りになりたかったクロちゃん。
クロちゃんの下が、妹さん2人。家に男子一人では入れなかったそうです。
そこへ、先日お目にかかった弟さんが昭和8年に生まれたものだから、心置きなく海軍に入ったそうです(乙6期は10年6月入隊)。

クロちゃんと弟さん。
この写真、好き。
弟さんもセーラー服♪
弟さんをやさしく抱き寄せているクロちゃんの大きな手と、お兄さんの手をつかむ弟さんの小さな手がなんともいえません。
クロちゃんは予科練の帰省時に幼い弟さんをカフェに連れて行っていたそうです。
いまでいう不良でしょうかね(笑)
軍服を着崩しているこんな写真もありました。
この写真、好き。
弟さんもセーラー服♪
弟さんをやさしく抱き寄せているクロちゃんの大きな手と、お兄さんの手をつかむ弟さんの小さな手がなんともいえません。
クロちゃんは予科練の帰省時に幼い弟さんをカフェに連れて行っていたそうです。
いまでいう不良でしょうかね(笑)
軍服を着崩しているこんな写真もありました。

これ、上着の前をはだけているだけじゃありません。
中のシャツまでがばーっと開けています。だいぶはじけています(笑)
また、弟さんが記憶されていることとして、クロちゃん、どうも不時着水の経験があるらしく、家でチャートを広げてその話をしてくれたそうです。フカ避けの褌を垂らして泳いだとか。
クロちゃんは運動は得意だったそうで、もちろん泳ぎも達者だったそうです。
あるときは、攻撃から戻ってきたら自分の機体に60数か所の弾痕があり、その機体は廃機になりどこかに展示されることになったとか何とかって、おもしろおかしく話してくれたそうです。
60何発も撃たれたときはきっと生きた心地はしなかったんでしょうが、幼い弟さんに話すときは冗談交じりに語って聞かせたんだろうなと思います。
松ちゃんが手記に書いていたクロちゃん像。
そういうおちゃらけた一面もある一方で、弟さんに対しては「自分に代わる中西家の跡継ぎ」という態度でも接していたそうです。
こんな話もしてくださいました。
あるときお父さんが丼物屋をはじめられたんだとか。
お店の手伝いをさせられたクロちゃんの妹さん二人は、年頃だったせいか接客業がいやでいやでたまらかったと。
でもいくらお父さんに直訴しても聞いてくれない。
そこで二人は長男のクロちゃんに訴えたそうです。
すると、クロちゃん・・・・
「我々飛行機乗りと同じ空を飛ぶ鳥(鶏→親子丼か)を殺して食べる商売はやめてほしい」
お父さんはクロちゃんのこの一言でキッパリとお店をやめられたそうです。
さすがクロちゃん!
クロちゃんの戦死公報も見せてもらいました。
日付は18年11月23日。
戦死したのが18年6月16日なので、約5か月経っています。
大変聞きにくいことだったのですが、弟さんに、
「戦死の公報が届くまで、まったく知らなかったのですか?」
と聞いてみました。
すると、
「みんなうすうす気づいていた」
と。
クロちゃんは戦地からもマメに手紙を書く人だったらしいです。
その手紙があるときを境にぱったり来なくなった――。
それで家の人たちは「何かあったのでは」と感じていたそうです。
遺品目録と遺品も家に届いたそうです。
いままで、遺品目録は見たことがありましたが(山崎市郎平さん、石川茂さん)、実際に遺品が戦地から返ってきたという方はわたしは初めてでした。
クロちゃんの形見の士官の一種軍装は、戦後のモノがない時期には弟さんが着ていたそうです。
中のシャツまでがばーっと開けています。だいぶはじけています(笑)
また、弟さんが記憶されていることとして、クロちゃん、どうも不時着水の経験があるらしく、家でチャートを広げてその話をしてくれたそうです。フカ避けの褌を垂らして泳いだとか。
クロちゃんは運動は得意だったそうで、もちろん泳ぎも達者だったそうです。
あるときは、攻撃から戻ってきたら自分の機体に60数か所の弾痕があり、その機体は廃機になりどこかに展示されることになったとか何とかって、おもしろおかしく話してくれたそうです。
60何発も撃たれたときはきっと生きた心地はしなかったんでしょうが、幼い弟さんに話すときは冗談交じりに語って聞かせたんだろうなと思います。
松ちゃんが手記に書いていたクロちゃん像。
そういうおちゃらけた一面もある一方で、弟さんに対しては「自分に代わる中西家の跡継ぎ」という態度でも接していたそうです。
こんな話もしてくださいました。
あるときお父さんが丼物屋をはじめられたんだとか。
お店の手伝いをさせられたクロちゃんの妹さん二人は、年頃だったせいか接客業がいやでいやでたまらかったと。
でもいくらお父さんに直訴しても聞いてくれない。
そこで二人は長男のクロちゃんに訴えたそうです。
すると、クロちゃん・・・・
「我々飛行機乗りと同じ空を飛ぶ鳥(鶏→親子丼か)を殺して食べる商売はやめてほしい」
お父さんはクロちゃんのこの一言でキッパリとお店をやめられたそうです。
さすがクロちゃん!
クロちゃんの戦死公報も見せてもらいました。
日付は18年11月23日。
戦死したのが18年6月16日なので、約5か月経っています。
大変聞きにくいことだったのですが、弟さんに、
「戦死の公報が届くまで、まったく知らなかったのですか?」
と聞いてみました。
すると、
「みんなうすうす気づいていた」
と。
クロちゃんは戦地からもマメに手紙を書く人だったらしいです。
その手紙があるときを境にぱったり来なくなった――。
それで家の人たちは「何かあったのでは」と感じていたそうです。
遺品目録と遺品も家に届いたそうです。
いままで、遺品目録は見たことがありましたが(山崎市郎平さん、石川茂さん)、実際に遺品が戦地から返ってきたという方はわたしは初めてでした。
クロちゃんの形見の士官の一種軍装は、戦後のモノがない時期には弟さんが着ていたそうです。
※画像はご遺族ご提供
道頓堀ジャズボート ― 2014年10月18日 18時56分03秒
今日は午後からミナミに行って来ました♪
道頓堀ジャズボートに乗ろうと思って(*´▽`*)
みなさん、わたしがジャズ聞くなんて知らなかったでしょう!?
わたしも知りませんでした!(・∀・)
んなことあるわけないでしょー。
今日はジャズを聞きながらの道頓堀クルーズを楽しみにしていきました。
ところが。
乗船場に行ってみたら、このボート、トイレなしで40分クルーズとか。
道頓堀ジャズボートに乗ろうと思って(*´▽`*)
みなさん、わたしがジャズ聞くなんて知らなかったでしょう!?
わたしも知りませんでした!(・∀・)
んなことあるわけないでしょー。
今日はジャズを聞きながらの道頓堀クルーズを楽しみにしていきました。
ところが。
乗船場に行ってみたら、このボート、トイレなしで40分クルーズとか。
「うわあああああ!!!! ムリムリ(ヾノ・∀・`)」
でも、どうしても聞きたい!!(>_<)
しかたがないので、道頓堀沿いの遊歩道をついて歩きました(爆)

バンドメンバーは、ボートについて来る不審なオバハンにも手を振ってくれます(笑)

乗船しているお客さんたちはタンバリンやマラカス持って楽しそうだったな~(´・ω・`)
わたしも今度行くときはトイレのある会場の演奏を聞きに行こう~
せっかくミナミに行ったので。

お約束のグリコ!!
春海が似ていると評判の綾瀬はるかちゃんバージョンだ!!
※聞き流してください
人、多かったです~
今夜はもっと多くなるんやろうか?(笑)
そしてデンジャラスゾーンと化す道頓堀( ;∀;)
さて、帰るか。
と、戎橋筋を歩いて南下していたら、
春海が似ていると評判の綾瀬はるかちゃんバージョンだ!!
※聞き流してください
人、多かったです~
今夜はもっと多くなるんやろうか?(笑)
そしてデンジャラスゾーンと化す道頓堀( ;∀;)
さて、帰るか。
と、戎橋筋を歩いて南下していたら、

たまたま!!たまたまこんなお店がありました!!
決して検索して場所を調べたりはしていません!!
偶然、目の前にあったのです!!
並んでお買い上げ~( ̄▽ ̄)
決して検索して場所を調べたりはしていません!!
偶然、目の前にあったのです!!
並んでお買い上げ~( ̄▽ ̄)

家で出したとき、まだあったかかったです(*´▽`*)

めっちゃ久しぶりのりくろーおじさんのチーズケーキでした~(^o^)
というわけで、今日は芸術の秋を満喫した一日でした~♪
というわけで、今日は芸術の秋を満喫した一日でした~♪
親孝行な春海 ― 2014年10月18日 23時08分46秒
こういうくだらない思い付きに付き合ってくれるはーちゃん、大好きよ(笑)

パパが春海のことを「綾瀬はるかに似ている」とけっこう真顔で言うので、ママも本気出してコレ作ってみました(笑)
パパにプレゼントしたら、
「壁紙にするわっ!( ;∀;)」
って泣いて喜んでいました。
パパにプレゼントしたら、
「壁紙にするわっ!( ;∀;)」
って泣いて喜んでいました。