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西澤さんの軍刀22014年06月18日 14時41分21秒

ご遺族の方が庭に埋めた西澤さんの軍刀。
       ※実名に戻っている点はスルーしてください(;^ω^)


武田信行さんの『最強撃墜王』のあとがきに、ご遺族の方のお話としてこんな話が出てきます。
『「軍刀を三本ね、えーっと、草鹿司令長官からもらった軍刀とあとの二本をね、うちのおばさんが、日本が負けて米軍が上陸してくるから、そんなものは隠さなく ちゃいけないと言って、木の根っこに埋めたんだそうです。どの木のここんとこって埋めといたんだって。油紙にくるんで。それであとで掘ってみたところが、 なくなっていたんだって」』

これを読んだときに、
「この軍刀はなぜ西澤家にあったんだろう?」
という疑問が真っ先に頭に浮かびました。


一度武田さんにも聞いたような気もするのですが、以前のメールが手元にないので、そのときの正確なやり取りが出てきません。
とにかく、上の疑問は解決しなかった、と記憶しています。


で、今回、せっかくの機会なので、妹さんに”庭に埋めた軍刀”のことを尋ねてみました。

あとがきには「三本」と書かれていますが、妹さんは「二本」と言われました。
※ここらヘンは機会があればほかの方にも確認したい

ただ、わたしは妹さんに「二本」と言われて、
「あー」
妙に納得。

というのも、わたしが見た西澤さんの写真に写っていた刀は、2本だったからです。
3本だとすると、「もう1本はどんな刀かな?」と。

必ずしも、西澤さんの所持刀全部、写真に写っていない可能性もありますが、「2本」と言われて、
(あー、あの刀とあの刀だな)
とすぐにピンときました。

妹さんは最初に、
「これぐらいのねえ・・・・」
と指で30センチほどを示されました。

たぶん、海軍士官が腰に吊る短剣だなと思いました。

手許の写真で1枚だけ、飛曹長の西澤さんが一種軍装姿で、腰に短剣を吊っている写真があります。
たぶん、それだろう、と。

これ。
鞘の先端だけ見えています。
わたしが見た中では、これが唯一西澤さんの短剣が写っている写真。




「もう1本は長いの」

”もう1本”は飛曹長進級時に撮ったという飛行服の写真で手にしている、あの軍刀だろうと思います。


で、ずっと以前からの疑問。

「どうしてその軍刀がご実家にあったのですか? フィリピンから遺品として送り返されてきたのですか?」

「本人が帰省したときに、家に置いて行ったの」


ということでした。

それがいったいいつの帰省時の話なのかはわからないのですが、とにかく比島に進出する前に、実家に帰って来て軍刀2本を置いて行った、と。


海軍の搭乗員は戦地に行くとき、軍刀をどうしていたのかな?
と思ったので、K上飛曹に聞いてみました。
みんな戦地に行くときは持って行かなかったんじゃないか、と言われていました。邪魔だと。
K上飛曹は落下傘のバッグに身の回りのモノだけ詰めて持って行ったそうです。一種軍装も二種軍装も持っていかなかったと。



※画像は武田信行氏ご提供