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歴史街道7月号『零戦とラバウル航空隊』2010年06月05日 19時54分14秒

今日のプログのメインは、春海のプールネタのはずでした。       →またあとで

夜7時過ぎに帰宅してメールをチェックしたところ、Fさんからメールが2通。

来た順に開いてみたところ・・・・1通目は、兵学校出身の大尉さんたちに聞いてきて下さったいろんなお話の件。

2通目。1通目の数分後に出されていたので、エラーでも出て同じ内容を再送されたのかな?と思って開いてみたところ・・・・

「さっき書き忘れました。今月の歴史街道はラバウルのエースの特集みたいですよ・・・・」

えええっ!?!?!?!?!?

知らなかったぞなーーーーー!!!!

すぐにネットで確認したところ、歴史街道7月号は6月5日発売、『零戦とラバウル航空隊』。
しかも、表紙の誰だかよくわからないカッコイイ搭乗員(イラスト)には鼻の下にちょぼヒゲがはえている!?
ポーズもどこかで見たようなポーズ!!

ママは晩ごはんの用意そっちのけで本屋へダッシュ。。。。。。。ヘ( ^^)ノ

歴史街道7月号

内容は・・・・みなさん、ご自身でご確認を。

一つ、どうしても言いたい!

武田信行さんが西澤さんと鴛渕さんのことを書いている文章があるのですが、またしても、鴛渕さんのラバウル台南空説を唱えられている(゜_゜)
武田さんが、「鴛渕さんラバウル台南空説(ずっと病気で伏せっていた説)」にこだわる根拠が載っていました。

西澤さんの実家のアルバムの中に、鴛渕さんがラバウルの病院らしきところで撮ったと思われる写真があるんだそうです。

どうも、武田さんはコレをご覧になって、「鴛渕さんラバウル台南空説(ずっと病気で伏せっていた説)」を唱えられているようなのですが。

すいません、本当にすいません、わたしは別に武田さんに何かあるわけじゃないですよ、ないですが、ここは言わせてください。

鴛渕さんがラバウルの病院に入院していたのは17年の台南空時代ではなく、18年の251空時代です。
証拠はあります。

当時、ラバウルの582空主計中尉だった守屋清さんが『回想のラバウル航空隊』という手記の中に、
『私が入院したとき、となりのベッドに二五一空の鴛淵孝大尉がマラリアで入院していた』
と書かれています。(ママ注・鴛渕さんはこの時点では中尉)
「私が入院したとき」というのは、18年8月30日のできごとのよう・・・・。

この頃の251空勤怠表(ママ手製)を見てみると、鴛渕さんは7月21日の搭乗を最後に、8月いっぱい、まったく搭乗がありません。
守屋さんの記述と何等の矛盾はありません。
(次に鴛渕さんの名前が行動調書に出てくるのは253空の10月2日。ちょっと長いですね・・・・)

他の記事でも鴛渕さんの台南空着任は17年7月15日と日付まで書いて断言されている方がおられるのですがー。うーん(-_-)・・・・なぜ?


まあ、それはそれで置いておいて。

この雑誌の一番の\(^_^)/モノは、鴛渕さんの写真。
ママ、初めて見た写真です。
デッキチェアに腰掛けて、カメラの方を見返っている感じ。
ほっぺがたこ焼きみたいになってるwwwwwwww(○^ ^○)

それと、慰問文を読む西澤さんの写真。
これは『最強撃墜王』にも載っていたのですが、不鮮明でよくわからなかったのです。今回はものすごく鮮明で、西澤さんの素敵すぎる笑顔(横顔)にママ、トロトロ~~(^。^)~
(※部下の立場で)

ヒゲがあっても全然OKな笑顔です(*^^*)

ところで、この写真に一緒に写っている2人は、キャプションに書かれている時期から、251空搭乗員のようですが、この2人も西澤さんに負けず劣らず笑顔が素敵♪ 誰だろう?

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