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もしも西澤さんに「お掃除しろよ♪」と言われたら2010年06月05日 10時55分27秒

先日、イオンモールの帰り、いつものようにバスに乗って帰ってきました。

ママの後ろの席には、2歳ぐらいの男児と母親。もうひとり大人の女性、おばあちゃんかな?

男児「どこで降りるのー? 降りる準備しないとー」
ママ「このおバスは終点の駅まで行くから、最後まで乗ってていいんだよー」

おバス”って(笑)

わたしはつい笑ってしまったのですが、育児経験のあるみなさん、”おバス”って使います?

”お車”は、子供相手ではなく、大人相手(特に立場の上下がある場合)に使うこともあると思いますが、子供相手に”おバス”とか”おタクシー”って使わないですよねー(^o^)
丁寧なお母さんだー。

子供相手にだけ”お○○”ってのは使うといえば使います。
春海が子供の頃は”お靴”とか”おトイレ”って言っていた記憶が。
”おくち”、”おめめ”、”おはな”、”おみみ”、”おてて”とかー。
いまはもう使わないですけど。



ところで、話は変わりますが、あの巻き舌のヒゲの大男、海軍の最強撃墜王・西澤廣義飛曹長も、”お○○”愛用者です。

西澤1飛曹


予科練時代の先生によると、”お掃除”とか”お目玉”とか”お行儀”とか、そういう単語を作文に使っていたそうです。

似合わねーーーーー!!!!!

とか言っちゃダメですよ。
あの人は見かけによらずお茶目さんなんですから。

予科練の作文に使っているということは、彼にとってこのことばはかなり日常的用語、何の違和感もなくふつうに使っていた、と思われます。

先任になっても搭乗員たちの前で、使っていたとしたら・・・・。
説教中に下を向いて笑いをこらえている山崎兵曹や遠藤兵曹らの姿が浮かんできそうです。
たぶん、
「先任、大人の男は”お掃除”なんてことば、使いませんよ」
と指摘してあげる勇気のある搭乗員はいなかったのでは。

飛曹長になっても、
「海軍は清潔第一! お掃除は念入りに!」
なーんて、部下の前で訓示していたかも!?

予科練の先生の分析によると、「お母さん子」だったのでは、ということですが、たしかに冒頭のバスの母子のように、”お○○”は母親から子供に伝わるような気がします。
きっと、お母さんに、
「廣義! ちゃんとお部屋のお掃除しなさい!」
とかって言われていたんでしょうね~。

ズボラ主婦のママも、西澤さんに巻き舌で、
「ママさん、ちゃんと毎日お掃除しろよ♪ しないとお目玉だぞ(^o^)」
と言われたら、毎日しちゃいます!!ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

歴史街道7月号『零戦とラバウル航空隊』2010年06月05日 19時54分14秒

今日のプログのメインは、春海のプールネタのはずでした。       →またあとで

夜7時過ぎに帰宅してメールをチェックしたところ、Fさんからメールが2通。

来た順に開いてみたところ・・・・1通目は、兵学校出身の大尉さんたちに聞いてきて下さったいろんなお話の件。

2通目。1通目の数分後に出されていたので、エラーでも出て同じ内容を再送されたのかな?と思って開いてみたところ・・・・

「さっき書き忘れました。今月の歴史街道はラバウルのエースの特集みたいですよ・・・・」

えええっ!?!?!?!?!?

知らなかったぞなーーーーー!!!!

すぐにネットで確認したところ、歴史街道7月号は6月5日発売、『零戦とラバウル航空隊』。
しかも、表紙の誰だかよくわからないカッコイイ搭乗員(イラスト)には鼻の下にちょぼヒゲがはえている!?
ポーズもどこかで見たようなポーズ!!

ママは晩ごはんの用意そっちのけで本屋へダッシュ。。。。。。。ヘ( ^^)ノ

歴史街道7月号

内容は・・・・みなさん、ご自身でご確認を。

一つ、どうしても言いたい!

武田信行さんが西澤さんと鴛渕さんのことを書いている文章があるのですが、またしても、鴛渕さんのラバウル台南空説を唱えられている(゜_゜)
武田さんが、「鴛渕さんラバウル台南空説(ずっと病気で伏せっていた説)」にこだわる根拠が載っていました。

西澤さんの実家のアルバムの中に、鴛渕さんがラバウルの病院らしきところで撮ったと思われる写真があるんだそうです。

どうも、武田さんはコレをご覧になって、「鴛渕さんラバウル台南空説(ずっと病気で伏せっていた説)」を唱えられているようなのですが。

すいません、本当にすいません、わたしは別に武田さんに何かあるわけじゃないですよ、ないですが、ここは言わせてください。

鴛渕さんがラバウルの病院に入院していたのは17年の台南空時代ではなく、18年の251空時代です。
証拠はあります。

当時、ラバウルの582空主計中尉だった守屋清さんが『回想のラバウル航空隊』という手記の中に、
『私が入院したとき、となりのベッドに二五一空の鴛淵孝大尉がマラリアで入院していた』
と書かれています。(ママ注・鴛渕さんはこの時点では中尉)
「私が入院したとき」というのは、18年8月30日のできごとのよう・・・・。

この頃の251空勤怠表(ママ手製)を見てみると、鴛渕さんは7月21日の搭乗を最後に、8月いっぱい、まったく搭乗がありません。
守屋さんの記述と何等の矛盾はありません。
(次に鴛渕さんの名前が行動調書に出てくるのは253空の10月2日。ちょっと長いですね・・・・)

他の記事でも鴛渕さんの台南空着任は17年7月15日と日付まで書いて断言されている方がおられるのですがー。うーん(-_-)・・・・なぜ?


まあ、それはそれで置いておいて。

この雑誌の一番の\(^_^)/モノは、鴛渕さんの写真。
ママ、初めて見た写真です。
デッキチェアに腰掛けて、カメラの方を見返っている感じ。
ほっぺがたこ焼きみたいになってるwwwwwwww(○^ ^○)

それと、慰問文を読む西澤さんの写真。
これは『最強撃墜王』にも載っていたのですが、不鮮明でよくわからなかったのです。今回はものすごく鮮明で、西澤さんの素敵すぎる笑顔(横顔)にママ、トロトロ~~(^。^)~
(※部下の立場で)

ヒゲがあっても全然OKな笑顔です(*^^*)

ところで、この写真に一緒に写っている2人は、キャプションに書かれている時期から、251空搭乗員のようですが、この2人も西澤さんに負けず劣らず笑顔が素敵♪ 誰だろう?

春海、初めて飛び込んだでござる、の巻2010年06月05日 21時58分19秒

今日は本格的スイミング・週3土曜日の初授業(5月に振り替えで受けた同じクラスです)。

人数が少ないのがいいですね~。

今日も少なかったです。
特修(1級卒業済み)~5級までいるのだと思うのですが、それで10人ぐらい。
2グループ(特修とそれ以外)に分けて、2コースで練習しました。

板キック6本
クロール(クイックターンあり)4本
プルブイ背泳ぎ4本
プルブイ平泳ぎ4本
背泳ぎ6本
平泳ぎ6本
背泳ぎ→平泳ぎ クイックターン練習3回
バタフライ14本

最後に、生徒を2列に並ばせ、飛び込みつきクロール競争させました。

そのとき、コーチが、
「飛び込み初めての人!?」
って聞いたらしいんです。
春海、
「はいっ!」
って手を挙げていました。手を挙げたのは春海ひとりでした。

その場で軽く、飛び込むときの腕の位置などを指導。本当に軽く、です。
「腕はこうやってね」
と、自分でポーズして見せていました。

「そんなんで春海ができるわけねーーーー!!!(>_<)」
と思ったのですが、春海、果敢に初飛び込みに挑戦。

もちろん、腕の位置はコーチが教えた位置(耳の後ろ?)とはまったく違う状態で、ふわっと。
飛び込んだというより、宙に浮いた?
そのまま垂直に汚く落下。
腹打ちにすらなりませんでした。
肥だめに落ちたときの弥太郎もこうだったのでは、という落ちっぷり。

そして、同じ場所からプカーっと浮いてきてクロールをしはじめました。

親は見学席で腹を抱えて笑いましたが、イト○ンの生徒たちは笑わずに我慢できたようです。さすがだ。

ターンといい、飛び込みスタートといい、まだまだやめといたほうがいいね。


春海、初めて飛び込む

※パパに見せたら、
「違う」
と言われたので、マンガ(?)書き直しました。なので5日に出していた絵と違います。