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【西澤廣義の肉声】8 最後の肉声2010年04月13日 15時25分47秒

<猪口力平・中島正『神風特別攻撃隊の記録』>

  電報の処理や明日の作業準備で遅くなり、午後十時過ぎになって、私は夜食を食べに階下の食堂におりていった。従兵を呼んで夜食を命じたところ、夜食がないという。聞いてみると、日頃見慣れない飛曹長がやって来て、「飛行長の夜食を出せ」と、私の夜食を持っていってしまったのだという。飛行長の夜食を無断で食う飛曹長は一体だれだろう!私はちょっととまどったが、ハタと気がついた。
  あの西沢の奴だな、俺の夜食を分捕ったのは!
 敷島隊の戦果をもたらした西沢飛曹長の顔を、私はすぐ思い起こした。私は笑いながら責任を感じている従兵に、
「心配せんでもいい」と言いのこして、階段を上がっていった。
 西沢飛曹長は私の夜食を分捕ってしまったが、しかし私は、もっとよい贈り物をもらっていたのである。それは、彼を長とする今日の敷島隊の援護戦闘機隊員の乗ってきた零戦三機を、そのままセブでもらうことにしたからである。



日付がありませんが、昭和19年10月25日夜の話です。

猪口さんと中島さんの共著ですが、この引用部分の「私」は当時の201空飛行長・中島正少佐(兵58)。
西澤さんにとっては台南空時代の飛行隊長、”親分”みたいな人でしょう。

わたしはこの本は読んでいません。
(引用は伊沢泰助「同期生エース西沢の風貌」 七期雄飛会『予科練の翼』から)

ですから上記の記述の前後(特に”後”)がどうなっているかは知りませんが、
「あの西沢の奴だな、俺の夜食を分捕ったのは!」
というのは中島さんの憶測に過ぎません。
しかし、中島さん的にはどうやら「事実化」している模様です。
『西沢飛曹長は私の夜食を分捕ってしまったが』←確定

もしかしたら、中島さんは、西澤さんに”上官の持ち物にチャレンジする”性癖があることを知っていたのかもしれません。

台南空時代には司令の煙草ギンバイにチャレンジしていた西澤さん。
あれから2年経って飛曹長になったいまも、飛行長・少佐である中島さんの夜食に果敢にチャレンジしていたということになります。
しかも、こっそりではなく、堂々と面を晒して従兵を脅しているところがまたかれらしい!!


中島さんの憶測が当たっていたと仮定すると、
「飛行長の夜食を出せ」
と、中島さんの従兵を巻き舌で脅した、顔の青白い見慣れないヒゲの大男の飛曹長というのは、西澤廣義飛曹長ということになり、19年10月25日夜時点でのこの発言以降の西澤さんの様子がまったく伝わっていないいま、このセリフが西澤さんの最後の肉声ということになります。
(ただし、聞いた中島さんも人づて)

翌26日、零戦を取り上げられた西澤さんたち直掩隊隊員3人(他に本多慎吾上飛曹、馬場良治飛長)と、なぜかセブにいた松本勝正上飛曹を乗せた輸送機は、マバラカットへ移動中、敵戦闘機に襲われ行方不明に・・・・。

日本海軍の最強撃墜王・西澤さんの最後の肉声が・・・・「飛行長の夜食を出せ」って・・・・


西澤廣義飛曹長


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