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『海軍戦記』の中の台南空戦闘機隊・追記2008年10月02日 09時09分39秒

昨日書いた『海軍戦記』に登場する17年6月16日(ママ調べ)の台南空戦闘機隊の話。続きです。

画像として紹介した部分は、坂井さんから西澤さんまでが一画面に入る部分で止めたので、この画面の直前と直後のシーンのことをちょっと。

このシーンは坂井さんのほうから西澤さんのほうに向ってカメラが動いていきます。
昨日画像として出したトレースでは切れていますが、坂井さんのさらに右側にもう一人、顔がよくわかる状態で搭乗員が映っています。編制表から判断するとこれは米川正吉兵曹っぽいです。
移動中の96陸攻が片肺になって、重量物を投棄しつくした時、
「わたしが飛びおります」
と言った人です(『大空のサムライ』)。

カメラが西澤さんのほうに流れて行き、トレースした場面よりさらに進むと、西澤さんの向こうに袖に士官の階級章をつけているっぽい搭乗員が映ります。顔も見えています。たぶん、これが栗原克美中尉だと思われます。
栗原中尉の顔、わたしは知らないので、はっきりは断言できませんが。

昨日、「飛曹長の袖章をしているから山下佐平飛曹長でしょう」と推測した笹井中尉の向こうの人ですが、『日本海軍戦闘機隊』のエース列伝にご本人の顔写真が出ていました。顔から判断しても、たぶん、山下飛曹長で間違いないと思います。

えー、悲しいお知らせです・・・・。
昨日、ブログを書いたときは気付かなかったのですが、編制表に名前があるメンバーで、しかも、戦果をあげている一人が、この映像の3、4時間後に亡くなっています・・・・。
坂井さんの3番機・日高武一郎一飛です。
午前中のモレスビー攻撃では「特」の評価をもらい、士気も上がっていたはずの台南空戦闘機隊。お昼ごはんもすませ、飛行場で待機していたのではないでしょうか。
1315、B-26、10機が来襲し、戦闘機20機が邀撃に上がります。ワードフント岬付近で護衛についてきたと思われるP-39約10機と交戦。このとき、日高一飛は行方不明になってしまいました。

もう一度映像を見直してみたのですが、搭乗員整列で映っているのは坂井さんの2番機、米川兵曹まで。日高一飛は映像的には米川兵曹のさらに右側にいるはずなのですが映っていませんでした。

戦果報告時は、1機撃墜して、きっと誇らしげにそこに立っていたはず・・・・。なんか、悲しいです・・・・。

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