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8月26日2008年08月26日 16時59分27秒

笹井醇一中尉(似てないけど・・・・)
今日、8月26日は「大空のサムライ」坂井三郎さんの誕生日であり、その坂井さんが尊敬してやまない笹井醇一中尉の命日であり、みなさんには全く関係のない話ですが、わたしの祖母(父方)の命日であり・・・・。

今日は笹井中尉の話。

大正7年2月13日生まれ。東京府立一中出身。
海軍兵学校67期。飛行学生35期、戦闘機。
飛行学生終了直後の16年11月から戦死する17年8月26日まで台南空所属。

坂井三郎さんが自分の手記『大空のサムライ』にこれでもかというぐらい笹井中尉のエピソードを書いています。
立派な指揮官であると同時に、優秀な戦闘機乗りであり、またかなり人間臭い人で、笹井中尉に憧れる人も多いようです(ママ調べ)。
笹井中尉のエピソードはとても一日では書ききれないので、機会があればおいおい書いていくということにして・・・・。

いや、実を言うと、笹井中尉のエピソード・人柄などに関して、ご命日の今日、
「何も書けねえー」
という状態です。
坂井さんがたくさん書いてくれているおかげで、そのうちどのエピソードを紹介してよいか、まったくわかりません。どれも笹井中尉の魅力いっぱいのエピソードばかりです(ママにとっては)。

坂井さんや西澤さんのようなアクの強い部下(ママ妄想)をよく使いこなしていたもんだと、それだけで尊敬です。
それが、また、技巧をこらして使いこなしていたというわけではなく、持って生まれた人間的魅力で自然と使いこなしていた感じがいいですね。

3月に戦史室に行ったとき、笹井中尉が未帰還になった17年8月26日の台南空の行動調書を見ました。
正直言うと、坂井さんも、西澤さんも、笹井中尉も、わたしの中では歴史上のヒーローみたいな感覚で、あまり実感のない人たちでした。
でも、行動調書の赤い「未帰還」という文字を見たとき、わーっと何か迫ってくるものがあって、何だろう・・・・?本当にいたんだ、というか、本当に亡くなったんだ、というか。初めて実感したというか・・・・。

今日は支離滅裂でもう書けないので、これぐらいにしておきます。

↑笹井中尉のイメージ画像。ファンの人にお叱りを受けるのではというぐらい似ていません、ごめんなさい。
この画像、以前は外套を着ているのかと思っていたのですが、よく見たら少尉の階級章がついた飛行服のようですね。飛行学生時代でしょうか。台南空時代の写真と比べると、かなり表情も子供っぽい。本当はもっとかわいい笹井中尉のはずだったのですが・・・・。


戦死後、2階級特進、少佐。

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