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落下傘2008年08月30日 11時01分24秒

ネットのニュースを見ていたら、ニューギニアのジャングルで落下傘にぶらさかったままの航空兵の遺体が発見されたとか何とかって記事を見つけました。

どこの国の軍人さんかまでは書いていなかったけど。

当時、日本海軍の戦闘機隊は落下傘を積んでいなかった、という話が残っています。
敵地で戦闘をやって、落下傘降下して、捕虜になることをおそれた、ということでしょうか。
坂井三郎さんだったか、「落下傘バッグを座布団代りに座席に敷いていたので、おしっこがしみこんで中身は使用不可だったろう」みたいなことを書いていたような・・・・。
でも、他のところで、落下傘はときどきバッグから出して伸ばして、畳み直して、きちんと維持管理していた、というような話を読んだような気も・・・・(ちょっと記憶が曖昧)
隊によって違ったのかもしれないですね。人によって違ったのかもしれない。

ホリブンは17年、18年初頭、まだまだ新米の2飛曹で、ちょうどこの遺体が発見されたあたりで作戦に参加していました。
かれも落下傘不携帯派で、味方上空の哨戒時ですらしていなかったのですが、あるとき、司令から、
「今日は味方上空だから落下傘をつけなさい」
と言われ、出撃前に慌ててつけます。
その日、ホリブンは敵機と空戦の末、被弾、落下傘降下で命拾いをします。

見つかった航空兵が日本の人だったらいやだ・・・・。
特定されてしまうとますますいやだ・・・・。

戦争なので、出撃すれば戻ってこれない可能性はあります。
「自爆戦死」と書かれてあるのを見ると、それを見ただけで涙が出そうになるのですが、ママは「行方不明」とか「未帰還」として処理されている人―仲間に最期を確認されていない、ということです―のことも、「自爆戦死」以上にたまりません。

なんだか複雑な言葉なんですよね。いろんな想像を掻き立てられる・・・・。
どこかに不時着して救助されないまま死んじゃったんじゃないかとか、必死で帰ろうとしたのに燃料切れで海に・・・・とか。
その一方で、「死んだ」ということが実感として伝わってこない言葉。もしかしたらどこかで生きているんじゃないか、って。

報告書に「行方不明」「未帰還」と書かれて処理されている搭乗員たちの中にも、この今回見つかった人のような最期を遂げた人もいるのかもしれない・・・・。

今回見つかった人は、どこの軍人さんかわかりませんが、かれは落下傘降下したということは、少なくとも飛び出した時点で「生きたい」という意思があったわけで・・・・。

最期がわからない、ということで救われていた部分ってあるのでしょうか。もし、目の前に突きつけられたら。生きたいと思いながら木にぶら下がったまま死んでしまったと突きつけられたら・・・・。どこのだれかわからないけど、つらいなあ・・・・。

以上、あくまでママ個人の感情で、ご遺族の方はどんなに悲惨であっても知りたいと思われるかもしれないですが。

どこの軍人さんだったとしても、お疲れ様でした、合掌・・・・。