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伊四○○潜と晴嵐 その後2008年01月20日 11時29分49秒

晴嵐 トレース
昨日、伊四○○と晴嵐の本を見かけた、とブログに書いたところ、さっそく深井さんからコメントで関連動画を紹介していただき、また、MIさんからメールで関連記事を紹介していただきました。なにわ会HPに掲載してある吉峰さんの戦記、吉峰さんが亡くなったときの名村英俊さんからの追悼文、また、深井さんから教えてもらった動画にも登場されていた矢田次夫さんの戦記「第一潜水隊」です。

伊四○○というのはただの潜水艦ではなく、晴嵐という特殊攻撃機を3機も搭載できる「潜水空母」ともいうべき巨大な潜水艦だったのですね。
120㍍強の潜水艦なんて、すごいですよ。50㍍プールを縦に2つ並べたよりさらに大きいんですから。
これぞ、日本海軍の最終兵器だったのでしょうか。
でも、結局その力を発揮することなく終わったようです。

立ち読みしたときはよく読んでいなかったのですが、終戦直前にウルシーに向かった伊四○○、伊四○一(晴嵐合計6機)は特攻隊だったようです。

自分と一緒に死んでくれ、ということになるのですから、吉峰大尉は伊四○○晴嵐隊の特攻隊長として、部下との心のつながりに腐心されたようです。
ところが、出撃予定数時間前に、幸い終戦が知らされ、ギリギリで出撃せずにすんだようです。
命はないものとして訓練に励み、出撃するつもりでいた搭乗員たちのそのときの心中は想像も出来ませんが・・・・。

特攻出撃するはずだった晴嵐は翼を折りたたんだまま海中に投棄され、伊四○○潜も日本に戻り米軍に引き渡されました。

吉峰さんは平成17年11月12日に亡くなられたそうです。
その半年前に、晴嵐でペアを組んでいた操縦員の高橋一雄少尉が亡くなられていることは単なる偶然なのでしょうか。
「一緒に死のう」
口に出さずともそう思っていたはずのお二人。いまごろ、天国でお酒を飲み交わしておられるのでしょうか。