期長 ― 2014年12月31日 16時44分48秒
「きちょう」
うちのPCでは変換しても熟語としては出てきません。
ホリブンの「機長」は出ますけどね(^^;)
久保さんからいただいた手紙に、武田さんのことが「武田期長」と書かれてありました。
うちのPCでは変換しても熟語としては出てきません。
ホリブンの「機長」は出ますけどね(^^;)
久保さんからいただいた手紙に、武田さんのことが「武田期長」と書かれてありました。
武田さんのこと、「期長」って呼んでいたそうです。
「武田期長、なんかかっこいいーーーー!(・∀・)」
貴重情報、ありがとうございます!!(*´▽`*)
期長って、たぶんその期の中で最先任者って意味ですよね。
集団ごとにいるのかな?
久保さんの書き方では、武田さんが期長なのは「9期生だったから」って書き方なので、おそらくこれは成績ではなく、先任順位の高い人がなるんだと思います。階級とか入隊年とか。
飛練16期陸上機操縦専修班はほとんどが乙10期生。
9期の河合さんと武田さんのお顔が見えるけど、河合さんはなぜか進級が遅れたようで武田さんより1階級下になってしまっているので、飛練16期陸上機操縦の最先任者は武田さんです。
なので武田期長。
当然、実用機(艦攻)に進んでからも武田さんは武田期長だったのでしょう。
ということは飛練10期谷田部の練習機教程の期長はこの人か。
どなたかわからんのですが、1空の9期生の中に、一人だけ3空曹の人がまじっています。
8期生じゃないかと想像しているのですが、どなたかわかりません。
この人は中攻操縦専修に進みますが、実用機に進んでからは3飛曹(16年6月名称変更)が他にも2人いるので、どの人が最先任者、期長かわかりません。
ところで。
操練54期の山崎市郎平さんも同期の吉田一平さんから「期長」と呼ばれています。
操練54期には山崎さんより先任者がいるので、おそらく「操練54期戦闘機班」の最先任者が12志の山崎さんだったのではと思っています。
修業時の集合写真を見ても、みながジョンベラなのに、山崎さんは下士官の軍服を着ています。
16年夏かな?
8期生じゃないかと想像しているのですが、どなたかわかりません。
この人は中攻操縦専修に進みますが、実用機に進んでからは3飛曹(16年6月名称変更)が他にも2人いるので、どの人が最先任者、期長かわかりません。
ところで。
操練54期の山崎市郎平さんも同期の吉田一平さんから「期長」と呼ばれています。
操練54期には山崎さんより先任者がいるので、おそらく「操練54期戦闘機班」の最先任者が12志の山崎さんだったのではと思っています。
修業時の集合写真を見ても、みながジョンベラなのに、山崎さんは下士官の軍服を着ています。
16年夏かな?
山崎さん
残念ながら操練時代の出せる写真がないので。
※画像は山崎さん、9期生ご遺族、久保さんご提供
残念ながら操練時代の出せる写真がないので。
※画像は山崎さん、9期生ご遺族、久保さんご提供
今日のおやつ ― 2014年12月03日 18時56分35秒
ガーナチョコレートのたい焼き♪
一時期たい焼きブームありましたよねー。
うちの近所にもたい焼き屋ができて行列ができていたことがありました。
待ち時間15分とか20分とか。
あっという間に廃れて、お店もなくなりましたけどね。
今日買ったたい焼き屋は細々と長くやっているんじゃないかな?
さっき書くのを忘れました。
山崎さんですが市郎平→「イチロヘー」らしいのですが、本人はこの名前が子どものころから好きでなかったらしく。
「イチロヘー」と呼ぶと本人が嫌がるのでご両親は「イチロー」と呼ばれていたそうです。
山崎さんは戦友にも「イチローと呼んで」と言っています。
でも戦友は「イチロベー」って呼んでいたそうです(^^;)
あ、姓は「ヤマザキ」さんです。
濁るとか濁らないとか、ホント、聞かないとわからないですよね。
井原大三さんは「タイゾウ」さんかと思っていたら「ダイゾウ」さんらしいし。
『源田の剣』の髙木さんは「タカキ」さんだし。
たぶんひとりごと ― 2014年12月03日 09時36分43秒
ひとりごとなんですけどね。
先日ちょっとここに書いた「知○袋」に出ていた話題です。
山崎市郎平さんの名前の読みと、遠藤桝秋さんの出身地を質問している方がいたんですよね。
うん、まあ、この質問自体は特に何か引っかかったわけではありません。
もう解決している話ですが一応書いておくと、山崎さんの妹さんのお嬢さんや、ご実家(本家)の方々が「イチロヘーさん」と呼ばれていました。
妹さんは「お兄さん」か「兄さん」と呼ばれていたと記憶しているんですが・・・・。
先日ちょっとここに書いた「知○袋」に出ていた話題です。
山崎市郎平さんの名前の読みと、遠藤桝秋さんの出身地を質問している方がいたんですよね。
うん、まあ、この質問自体は特に何か引っかかったわけではありません。
もう解決している話ですが一応書いておくと、山崎さんの妹さんのお嬢さんや、ご実家(本家)の方々が「イチロヘーさん」と呼ばれていました。
妹さんは「お兄さん」か「兄さん」と呼ばれていたと記憶しているんですが・・・・。
余談ですが、妹さんは、
「わたしは母親似で、(お)兄さんは父親似だから、わたしは(お)兄さんとは似ていない」
と言われていました。
そんなことない、と思いました。
きょうだいでも似る似ないはたしかにありますからね。
おじ・甥(姪)でもそっくりな人もいますし。
これ書き出すと止まらなくなるのでやめておきます(笑)
遠藤さんの出身地に関しては、ある本に「福岡」と書かれている、いやまて「福島」と書かれたものもある、どっちだ、という質問だったのですが。
福島です。
武田さんが取材に行かれたので間違いありません。
「おもいで」で訛りをいじられている練習生が何人かいます。
遠藤さんは訛りに関してはまったくいじられていませんが、武田さんが取材に行かれたとき、あー、いや、なんでもない(;'∀')
※画像は武田信行氏ご提供
話がそれましたが、とにかく「知○袋」。
わたしが、
「なんだってっーーー!?∑(`□´/)/ 」
と驚愕したのは、その質問に寄せられた回答に書かれたあるひとことです。
兵籍番号が横志空
↑遠藤さんのね。
これに引っかかりました。
昨日はこれが気になって眠れませんでした。
※ウソ 熟睡した模様
いや、気になっているのは本当です。
実はわたしも遠藤さんの「横志空」時代の兵籍番号は知りません、遠藤さんだけじゃなくて、一人を除いて9期生ほとんどの航空兵時代の兵籍番号は知りません。
自分でもちょっと調べてみようという気になっています。。。。
つーても誰かに聞こうとしている気がする(笑)
ひとりごとですよ、これ、きっと・・・・。
※ウソ 熟睡した模様
いや、気になっているのは本当です。
実はわたしも遠藤さんの「横志空」時代の兵籍番号は知りません、遠藤さんだけじゃなくて、一人を除いて9期生ほとんどの航空兵時代の兵籍番号は知りません。
自分でもちょっと調べてみようという気になっています。。。。
つーても誰かに聞こうとしている気がする(笑)
ひとりごとですよ、これ、きっと・・・・。
面石箱 ― 2014年11月20日 22時10分37秒
これ、気になっていました。
昔の人は知っているのかな?
海軍の専門用語かな?
昔の人は知っているのかな?
海軍の専門用語かな?
ネットでも辞書でも調べてみたけど、ちょっとわかりませんでした。
何かというと、山崎市郎平さんと石川茂さんの遺品目録に書かれていた遺品の中の一つです。
山崎さんの場合、
「面石箱 一」
石川さんの場合、
石川さんの場合、
「面石入 個 一」
1個、2個と数えるものらしい。
たぶん「面石」というものを入れる入れもの(箱)なのだろう。
海軍の搭乗員は持っていたようだ。
うーん、何だろう?
最近、いろいろ教えてもらっている元艦攻操縦員の大澤昇次さんに聞いてみました。
「海軍では洗濯石けんに対し、体を洗う石けんを『面石けん』と呼んでいました。それでそれを入れる箱(セルロイド製)を面石箱と言ったのかもしれません。海軍の兵隊さんは皆このセルロイド製の石けん箱を持っていました」
なるほどー。
「海軍 石鹸箱」で検索したら出てきました。セルロイドの石鹸箱。
遺品目録 ― 2014年07月04日 18時23分17秒
「故海軍上等飛行兵曹山崎市郎平遺品明細目録」
まあ、なんというか、実はこれ、けっこうショックで。
写真も何枚も見たし、自分の中では「山崎さんはこんな人」という像がつかめているつもりでいたし、お墓参りにまで連れて行ってもらいました。
でも、これを見たときほど山崎さんの実体を感じたことがなかった・・・・。
ご実家で見せてもらった中には遺品目録の品はありませんでした。
手記とか、進級辞令とか、戦死後に海軍から送られてきた書類とか、債券類はきれいにファイルされていました。
いまだにこの遺品目録を見ると涙が出てきます。
文字だけなんですけどね。
これらのひとつひとつが、山崎さんが必要があって持っていたものなのでしょう。
時代のせいなのか、わたしが娑婆の人間のせいなのか、いったい何なのかわからない品もありますが。
逆に、ここにないものも気になります。
お守り――肌身離さず持っていたんだろうな・・・・とか。
煙草――たぶん、これも持って行っていたんだろうな。
去年は暑いのを覚悟して行きましたが、行ってみたら意外と過ごしやすい気候でした。
今年は大雪で大変だったみたいだけど、また行きたいなあ。
ちょうど去年のいまごろ、念願だった山崎さんのお墓参りに連れて行ってもらい、そのとき、ご実家にも寄らしてもらい、御仏壇にも手を合わせてきました。
そのときに見せていただいたものの中にありました。遺品目録。
戦地に何を持って行っていたのか、ひとめでわかります。
三枚にわたって山崎さんの私物が書きこまれています。
トランク、御賜煙草、貯金通帳、財布、現金、印判、万年筆、時計、筆入、鉛筆、ハサミ、小刷毛、小鏡、墨、写真入、半練、折揚子、筆、皮砥石、名刺、カミソリ、千人針、硯石、書道要訣、物理、日本全図、眼鏡、葉書入、葉書、書翰文、鉄道図、日記帳、沓下釣、写真、服刷毛、インク、便箋、煙草(ケース)、扇子、小手帳、カバン、洗面袋、折揚子入、面石箱、針箱、メリヤス上下、タオル、毛メリヤス、水泳帯、日ノ丸、マフラー、チヂミシャツ上下、襦袢、袴下、風呂敷、パンツ、褌、爪切、筆立、カラー袋、パス券入 ※旧字体は新字体に それ以外はそのまま
そのときに見せていただいたものの中にありました。遺品目録。
戦地に何を持って行っていたのか、ひとめでわかります。
三枚にわたって山崎さんの私物が書きこまれています。
トランク、御賜煙草、貯金通帳、財布、現金、印判、万年筆、時計、筆入、鉛筆、ハサミ、小刷毛、小鏡、墨、写真入、半練、折揚子、筆、皮砥石、名刺、カミソリ、千人針、硯石、書道要訣、物理、日本全図、眼鏡、葉書入、葉書、書翰文、鉄道図、日記帳、沓下釣、写真、服刷毛、インク、便箋、煙草(ケース)、扇子、小手帳、カバン、洗面袋、折揚子入、面石箱、針箱、メリヤス上下、タオル、毛メリヤス、水泳帯、日ノ丸、マフラー、チヂミシャツ上下、襦袢、袴下、風呂敷、パンツ、褌、爪切、筆立、カラー袋、パス券入 ※旧字体は新字体に それ以外はそのまま
山崎さん
※西澤さん所有
まあ、なんというか、実はこれ、けっこうショックで。
写真も何枚も見たし、自分の中では「山崎さんはこんな人」という像がつかめているつもりでいたし、お墓参りにまで連れて行ってもらいました。
でも、これを見たときほど山崎さんの実体を感じたことがなかった・・・・。
ご実家で見せてもらった中には遺品目録の品はありませんでした。
手記とか、進級辞令とか、戦死後に海軍から送られてきた書類とか、債券類はきれいにファイルされていました。
いまだにこの遺品目録を見ると涙が出てきます。
文字だけなんですけどね。
これらのひとつひとつが、山崎さんが必要があって持っていたものなのでしょう。
時代のせいなのか、わたしが娑婆の人間のせいなのか、いったい何なのかわからない品もありますが。
逆に、ここにないものも気になります。
お守り――肌身離さず持っていたんだろうな・・・・とか。
煙草――たぶん、これも持って行っていたんだろうな。
去年は暑いのを覚悟して行きましたが、行ってみたら意外と過ごしやすい気候でした。
今年は大雪で大変だったみたいだけど、また行きたいなあ。