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予科練戦没者慰霊祭2016年05月30日 17時17分36秒

昨日は予科練戦没者慰霊祭に参列してきました。
今年で2度目です。



土浦に泊まって、同宿の方々と車で移動しました。



余裕をもって到着したので、先に隣接する予科練平和記念館の見学。

去年の夏に来たときにはまだ見れなかった零戦の模型です。
わたしは飛行機のことはわからないので、
「ほー」
と言いながら写真を撮っただけでしたが、わかる方々はどーたらこーたらいろいろ言われていました(^^;)

予科練平和記念館の企画展は吉田一さんの写真展をやっていました。
ちょっとしたスペースに、2~30枚ぐらいあったか? ラバウルの写真でした。
台南空も251空もありました。陸攻隊もありました。
7月31日まで。



慰霊祭会場の横の雄翔館にも行きました。




今年の慰霊祭は49回目なんだそうです。




自衛隊の全面協力で。
音楽隊演奏。



慰霊飛行。


海自の航空学生の方々も来られていました。
予科練生みたいでした。


今年のご遺族の代表あいさつは乙6期の佐々木孝さんの甥御さんでした。
佐々木孝さん、35空艦爆隊の。

わたし、前日の夜に、佐々木さんのご遺族のお一人(若い方)とじっくり話をする機会を持てました。
その方、数年前に実際に台湾の事故現場に分け入られたそうなんです。
そのとき撮って来られた画像を見せていただいたり、出会った人たちのことを話していただいたりしていたので、甥御さんのあいさつも一段と胸に迫ってくるものがありました。


佐々木さんのことを知ったのは、1年半前ぐらいに、山岸昌司さんの姪御さんがたまたまメールで「ご遺族の方と連絡が取れたんですよ」と話題にされたのがきっかけです。
Kさんからもらっていた35空の整備長の手記に佐々木さんのお名前が出ていて――「あ、9期の村田さんや和田さんの事故と同じときに亡くなっているんだ・・・・」
――こうして慰霊祭で実際にご遺族の方々から話が聞けたり、写真を見せていただいたり・・・・。本当に縁って不思議だなと思います。

不思議――とひとことで片づけてはいけないのかもしれないですね。間に入ってくださる方々がいらっしゃるからこそです。





慰霊祭の後は体育館に移動して食事会が行われました。

これも座席指定されていて、ご遺族の方々とは離れ離れだったのですが、なんとか、なんとかひと目だけでもと探しまわったら、藤本久夫さん(10期)の息子さんや井原大三さん(9期)ご遺族の方々と会え、再会を喜びました。

慰霊祭に来られていたのにごあいさつできなかった方々がいて、それだけが心残りです。

詳細はまた順不同になりますがアップします。

山岸教員の日記122016年05月14日 12時43分25秒

山岸さんの日記シリーズ、ずいぶん飛んじゃっていますね。
久しぶりにいきます。

16年4月です。

4月1日
夜間飛行行われしが風不良のため取止めとなる

4月2日
夜間飛行あり


4月4日
航法にて日立 烏山を廻る
二ヶ〇〇に一機の指導機にて●●切ない
日立にて前〇〇をやり放し後〇〇を待つ
約2分後●●る●後〇〇が来た頃は前〇〇は●●に行ったか解らない

(○○は伏字、●判読不能)

4月6日
〇六〇〇訓練終了


これも夜間訓練なんですかね?

練習生の訓練はもちろんやっているのですが、教員だけで何かやっていることもあり、その判別がつきにくいです。


4月8日
阿部 本日より飛行始む
一寸した目の充血で大部後れてしまった
今日より俺も大ひに張り切らずばなるまい
午後落下傘畳




阿部健さん、いつの間にか飛行止めになっていたようです。
目の充血ですって。結膜炎か何かでしょうか。
阿部さんが復帰したことで張り切り宣言している山岸教員、ほほえましいです。
やっぱり自分の受け持ちは全員一緒に卒業させたいでしょうからね。

こういう教員の気持ち、当時かれらにちゃんと伝わっていたのかなア?


※画像は山岸さんご遺族ご提供

新しい肩書2016年05月13日 20時53分56秒

またしても肩書を増やそうとしとります。


海軍搭乗員下宿研究家

海軍搭乗員救命胴衣股間紐研究家

海軍搭乗員宴会研究家



いま、自称しているのはこの肩書です。

最近、気になって、熱中して調べていることがあります。
「調べている」というとエラそうですね。
いままでと同様、たぶん、ほとんどの人にとってはどーでもいいことだと思います。


自分がうれしいだけのことなんですが、今日、思いがけない副産物が。

類例を探していたら、山岸教員を発見しちゃいました!!


「教員!! こんなところにおられたんですか!!」


4年ほど前に、デジカメで撮影させていただいた谷水竹雄さんのアルバムの中の一枚に写っていました。
「山岸教員だよなあ?」と思いつつ・・・・
デジカメで撮った画像なので↑、もひとつよくわかりませんでした。


息子さんにお願いしたらすぐにスキャンした画像を送ってきてくださいました。

やっぱり山岸教員でした。


ご遺族の方も、

「初めて見る写真」

と喜んでくださっていました。




何を調べているかは、ある程度まとまったらまたここに書きます。

2種軍装のクロちゃん2016年05月06日 16時22分58秒

先日、知人所有の豊田耕作さんのアルバムに貼られていた中西義男さん(乙6、艦爆操)が写った写真。

あの写真と、クロちゃん部分をトリミングした写真を弟さんに送ったところ、お電話をいただき、いろいろとお話をしてくださいました。
この写真、初めてご覧になられたそうで、とても喜ばれていました。


弟さんにとって、この姿のクロちゃんはすごく印象に残っているんだとか。

クロちゃんの教員時代、家族で岩国に面会に行かれたことがあるそうなのですが、クロちゃんはこの格好で自転車に乗って駅まで迎えに来てくれたそうです。

道々、すれ違う兵隊さんたちがみなクロちゃんに敬礼して行くので、兄貴、かっこいいな~、と思ったそうです。

この写真のクロちゃんの階級章、善行章、あと弟さんからうかがったクロちゃんの履歴から察するに、この写真の撮影時期はおそらく16年の夏だと思われます。



毎日新聞に、クロちゃんのことが出ています。



※画像はM氏ご提供

戦闘機搭乗員のアルバムにあの人が!?2016年04月25日 20時29分41秒

昨日、知人のMさんが見せてくれたアルバム。

操練出身の戦闘機搭乗員・豊田耕作さんのアルバムでした。
豊田さんのアルバムと聞いて、
「実施部隊の写真はありましたか!?」
って聞いてしまいました。

というのも、豊田さん、わたしの手元にある251空集合写真に写っているんです。
2枚、写っています。2枚とも、なぜか西澤さんのとなり(^^;)

というわけで、もしかしたら、豊田さんのアルバムに251空の写真があるかも・・・・と期待して聞いてしまいました。

結論から言うと、ありませんでした。
わたしが見た感じ。

操練時代の写真や、戦前の教員時代の写真が多かったように思いました。
あ、印象ですよ。


持ち主のMさんが、
「どなたか、ご存じの方写っていませんか?」
と言われるので、そのつもりで見ていたのですが、ある1枚を見たとき、

「ん?」

となりました。




左から2人目が豊田さんご本人。


「ん?」となったのは、


二種軍装の↓この人です。


「なんかクロちゃんに似ている」

ぶっちゃけますと、現地で現物で見ても、よー見えんのですわ(汗)

「申し訳ないんですが、これ、スキャンしたのを見せてもらえませんか?」


とりあえず、その場でスマホで撮らせてもらって、拡大して見ました。

やっぱり、クロちゃんに似ている・・・・ような気がする。


家に帰ってきて、Mさんから送ってもらったデジタル画像を拡大して見ました。

じっくり見比べた結果、乙6期のクロちゃんこと中西義男さん(艦爆操、18年6月16日 ソロモン)と判断しました。

豊田さん、岩国で教員をされたとかで。

クロちゃんも、岩国で教員やっとります。



ということはですよ。

クロちゃんの岩国時代の写真にも豊田さんが写っとるんじゃないだろうか?



写っていました。
操練51期の集合写真。
クロちゃんは3列目の右から6人目。
豊田さんは椅子列の左端です。

集合写真の立ち位置から判断すると、豊田さんの方が先任のようです。
この写真のクロちゃん、3空曹の階級章をつけています。豊田さんの方はよく見えません。
同期の山岸昌司さんの履歴によると、乙6期は15年5月1日に2空曹に進級しているので、それ以前である、と。

冒頭の写真は、クロちゃんとおぼしき人が善行章2線をつけているので、16年6月1日以降。とすれば、階級は1飛曹か(階級章はよく見えない)。

同じ写真の右端の人。

クロちゃんが個人写真を持っていました。

これ以外にも、一緒に上陸しているときに撮ったらしい写真もありました。

クロちゃんの同期生かなと思っていたのですが、教員仲間なんですね。
あ、同期で教員仲間の可能性もありますが。

豊田さんの写真にもクロちゃんの写真にも書き込みがなかったのでどなたなのかはわかりません。



いやー、しかし、昨日はびっくりしました。
まさか、操練出身で戦闘機の豊田さんのアルバムに予科練出身で艦爆操縦員のクロちゃんの写真が貼ってあるとは思いもしませんでした。


あと、先週は、9期生のご遺族の方からもご連絡をいただきました。
最近、なかったんで。
さっそく張り切って検索でその人の写真を集めました。
集めた、という気がしないですよね。お名前を入れてクリックするだけでパッと出てくるんですから。
その人、特別なものがあるんです。
海軍葬の写真。同じ時に同じ鎮守府所属の方が戦死されているのですが、そのご遺族の方が保管されていた祭壇の写真に、今回連絡をくださった方の大おじさんの遺影も飾られているのがわかります。
あと、『空の少年兵』にもうつっているんですよね。
ご遺族の方はどちらもご覧になられていないということなので、一緒に送ります。


※画像はMさん、中西義男さんご遺族ご提供