乙9期 植木愛雄さん ― 2017年02月28日 19時28分32秒
福岡県出身。
偵察、水上機。
ある筋からの情報によると「ちかお」さんとお読みするようです。
が、あっているのかどうかわかりません。
【氏名入り班写真】
偵察、水上機。
ある筋からの情報によると「ちかお」さんとお読みするようです。
が、あっているのかどうかわかりません。
【氏名入り班写真】
1学年時は13班。
【東京行軍】
【東京行軍】
【操偵検査】
【2学年時班写真】
萩谷さんと同じ班でした。霞ヶ浦海軍航空隊。
【何か軍事演習?】
10期生のお顔も見えます。
9期は植木さんの2学年時班メンバーが写っています。
【鈴鹿飛練】
9期は植木さんの2学年時班メンバーが写っています。
【鈴鹿飛練】
【博多飛練】
16年10月31日
その後、神川丸へ。
島田清守さんの日記
その後、神川丸へ。
島田清守さんの日記
昭和十六年十月三十一日
三ヶ年半ノ螢雪ノ功無シカラズシテ愈々卒業
ヲ迎ヘタ。我等ノ感激ハ一入デ有ッタ。
午前八時三十分卒業式
直チニ退隊。 入隊以来共ニ学ビテ来タ同期生
ト別レルノモ決別ノ情ニ堪ヘナカッタ。同期生諸兄
乙種九期ノ名誉ニ掛ケテ頑張レ。別レタ…別レ…
植木ト玉屋デ写真ヲ撮ル。植木モ頑張レ
「神川丸」デ……
十一時四十五分博多発、出水ニ向フ。
これです。
三ヶ年半ノ螢雪ノ功無シカラズシテ愈々卒業
ヲ迎ヘタ。我等ノ感激ハ一入デ有ッタ。
午前八時三十分卒業式
直チニ退隊。 入隊以来共ニ学ビテ来タ同期生
ト別レルノモ決別ノ情ニ堪ヘナカッタ。同期生諸兄
乙種九期ノ名誉ニ掛ケテ頑張レ。別レタ…別レ…
植木ト玉屋デ写真ヲ撮ル。植木モ頑張レ
「神川丸」デ……
十一時四十五分博多発、出水ニ向フ。
これです。
わたしは現物は見る時間がありませんでした。
Yさんが撮って送ってくれた画像です。
Yさんが撮って送ってくれた画像です。
たぶん16年10月31日の博多空卒業が、この日記帳の1ページ目です。
練習生を卒業し、一人前の搭乗員として巣立ちました。
ここから実施部隊(蒼龍)に着任、真珠湾、ウィーク島攻撃、内地帰還・・・・と続いて行く内容に。
練習生を卒業し、一人前の搭乗員として巣立ちました。
ここから実施部隊(蒼龍)に着任、真珠湾、ウィーク島攻撃、内地帰還・・・・と続いて行く内容に。
16年10月31日、博多飛練の卒業記念集合写真。
これは朝なんですね。
島田さんの遺品の中に、植木さんからの手紙が2通、残っていました。
1通目。
これは朝なんですね。
島田さんの遺品の中に、植木さんからの手紙が2通、残っていました。
1通目。
封筒の日付けは「11-19」ですが、便箋の日付けは「十一月十六日 夜」。
この手紙は便箋4枚にわたって書かれていました。
読んで、ちょっとウルッときてしまいました。やはり同期生愛は強い。
この手紙は便箋4枚にわたって書かれていました。
読んで、ちょっとウルッときてしまいました。やはり同期生愛は強い。
植木さんの手紙の内容に関しては別に記事を設けようと思っています。
今日はちょっとだけ。
島田さんが日記に書いている16年10月31日のことを、植木さんも手紙に書いています。
あの日、君等と別れる時はなんだか実に言、又書き盡せない様
な気持で心中一杯になって思ふことも実際に充分言へない
様な有様だった。
帽子を振って博多駅に居る君等が見えん様になるまで見守って
ゐた。別れるのは実に嫌だった。然しどうせ一回は何時はこうなるべき
ときが来るんだ■のだと思はれる。
これを読むと、どうも、卒業式後に植木さんと島田さんは玉屋で写真を撮り、その後、一緒に博多駅に行った、と。
「君等」と書いているので、博多駅に着いた時点では他の同期生も合流したのではないかと想像します。たとえば、蒼龍に一緒に配属になった佐々木隆寿さんとか。それとも玉屋にも一緒に行っているのか?
で、先に博多駅を出発したのは植木さんたち。行先は佐世保。
※手紙に、この日午後6時に飛行艇(大型機講習)の連中(石塚、金成、斎藤、永田正、井上常、藤井、福島、菊地、石田、皆川)と一緒に佐世保に到着したと書いています。
博多駅で植木さんたちを見送った後、島田さんたちが11時45分発(午前か午後かは保留)の汽車に乗って出水に向かった――
ということなのでしょうね。
今日はちょっとだけ。
島田さんが日記に書いている16年10月31日のことを、植木さんも手紙に書いています。
あの日、君等と別れる時はなんだか実に言、又書き盡せない様
な気持で心中一杯になって思ふことも実際に充分言へない
様な有様だった。
帽子を振って博多駅に居る君等が見えん様になるまで見守って
ゐた。別れるのは実に嫌だった。然しどうせ一回は何時はこうなるべき
ときが来るんだ■のだと思はれる。
これを読むと、どうも、卒業式後に植木さんと島田さんは玉屋で写真を撮り、その後、一緒に博多駅に行った、と。
「君等」と書いているので、博多駅に着いた時点では他の同期生も合流したのではないかと想像します。たとえば、蒼龍に一緒に配属になった佐々木隆寿さんとか。それとも玉屋にも一緒に行っているのか?
で、先に博多駅を出発したのは植木さんたち。行先は佐世保。
※手紙に、この日午後6時に飛行艇(大型機講習)の連中(石塚、金成、斎藤、永田正、井上常、藤井、福島、菊地、石田、皆川)と一緒に佐世保に到着したと書いています。
博多駅で植木さんたちを見送った後、島田さんたちが11時45分発(午前か午後かは保留)の汽車に乗って出水に向かった――
ということなのでしょうね。
植木さんのこの手紙の最後の便箋、4枚目にこんなことが書かれていました。
玉屋で卒業の日撮ったのが出来て来てゐるので
二種あったので二枚俺れが戴いて二枚入れて置く様にする。
有難う。
残念ながら、卒業直後に玉屋で撮ったという植木さんと島田さんの写真は、島田さんの遺品の中には見当たりませんでした。
2通目。
日付けは封筒、便箋ともに11月21日。
なんだか読んで切なくなる手紙でした。
この手紙に、
飛行機に乗る時は君から戴いた首巻をしてゐる
君と二人でゐる気でやってゐる
という文がありました。
「首巻」が何を指しているのかちょっとわかりません。
ふつうの絹のマフラーのことなのか、
なんだか読んで切なくなる手紙でした。
この手紙に、
飛行機に乗る時は君から戴いた首巻をしてゐる
君と二人でゐる気でやってゐる
という文がありました。
「首巻」が何を指しているのかちょっとわかりません。
ふつうの絹のマフラーのことなのか、
※雄翔館
はたまた鶴見さんがしているような毛糸の襟巻のことなのか。
はたまた鶴見さんがしているような毛糸の襟巻のことなのか。
でも、どちらかでしょう。
それを首に巻いて飛行機に乗り、「君と二人でいる気でやっている」って、もう、泣きそうになりました。
植木さんのその後。
神川丸のあと呉空、452空、横須賀空、521空、121空。
「横須賀空」は第11期特修科練習生(偵察)です(18年8月~19年2月29日)。
田中三也さんの手記に掲載されている特練11期の集合写真に植木さんも写っています。
おもいで
「細いがなかなかの負けず嫌い。口惜しくなると引っ掻く癖があったよ」
「入隊時同班。君は小柄で声もやさしく大人しかったが、しかし負けん気の持ち主だったね」
「土浦で同班だったと思う。日頃無口で目立たなかったな。何かの時は額に皺を寄せて反発したね」
19年8月2日 121空 テニアン島玉砕
※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供
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