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マムシの銀太2017年02月03日 14時23分39秒

『”マムシの銀太”を自称し、抜群の操縦技量で知られた中攻隊の勇士である』


これは、『日本陸海軍航空英雄列伝』(光人社、押尾一彦・野原茂)の「小林銀太郎飛曹長」の項の冒頭の一文です。


小林飛曹長の写真が添えられています。

「秋桜(?)を手にする小林銀太郎飛曹長」

というキャプションがついています。うつむき加減の横顔で、花を見つめています。


「へえ、”マムシの銀太”に似つかわしくない写真・・・・」

と印象に残っていました。

この本によると大正8年生まれ。埼玉出身。昭和12年に海軍に入り、14年に操練44期を卒業して艦攻操縦員になったんだとか。
赤城勤務ののち、中攻操縦員に転科。
本には出撃記録も併記されていますが、本当に歴戦の勇士です。
雷撃に行って被弾、エンジン発火、片舷飛行のままスコールの中を基地に帰還、数えてみたら被弾80発におよんでいた・・・・ということもあったそうです。



秋桜(?)の小林飛曹長の写真、横顔でうつむいているので、お顔がよくわからないんです。


まあ、でも、”マムシの銀太”でわたしの中では勝手にイメージが出来ていました。
任侠やくざ映画に出てくるような・・・・何というか・・・・(^^;)











先日、島田清守さんの遺品を見せてもらいに行ったとき、小林銀太郎さんの写真があったのでビックリしました。
アルバムに貼られていました。

「海ノ荒鷲 小林銀太郎さん」というシールが左下に貼ってあり、これが小林銀太郎さんだということがわかりました。
階級章は2等航空兵か1等航空兵。


「なんか、イメージ(マムシの銀太)と違う・・・・」



歳は島田さんより2つ上ですが、同郷です。

島田さんの日記にも出てきます。14年3月12日。
小林様ヨリノ二度目ノ入隊以来ノ御便リダ。操縦練ヲ卒業シタ様ナ話ダ。全ク羨シイ。実施部隊デ最早九ヶ月デ一人前ノ飛行機搭乗員ダ。飛行機ノ操縦ハムヅカシイト書イテアッタ。モウ三回死ニソウナッタ(死にそうになった?)ト!! ダガヨク行ッタ。
(館山海軍航空隊第一分隊第四班)



この頃はまだ艦攻操縦員だった小林さん。
「実施部隊で最早九か月」と書いてありますが、操練44期生に採用されたのが13年6月らしいので、14年3月はそこからちょうど9ヶ月ですね。飛行機に乗り始めて9ヶ月・・・・ぐらいの意味で書いたのでしょうか。

やはり飛行機の操縦は命がけです。
「もう3回死にそうになった」
しかし、小林さんの戦歴を見るに、搭乗員になりたての「死にそうになった」と、雷撃行での「死にそうになった」とは別物だったのではないかと想像したり・・・・。


この手紙、とっても読んでみたいですが、先日の訪問時には小林さんからの手紙現物はなかったように思いました。


小林さんは無事に終戦を迎えられたそうです。


※画像は9期生ご遺族ご提供

島田清守さんのアルバム写真 作業服の同期生2017年02月03日 19時49分38秒

島田さんのアルバムに、作業服姿の同期生たちの写真がまとめて貼られていました。


暗い中で撮ってもらったので、スキャンに比べるとちょっと判別しづらいです。

添え書きなしです。

作業服なので階級章はついていません。
名札(学年がわかる)もちょっと見えないですね・・・・。
あと、決め手になるのは隊内帽ですか。隊内帽が写っている分は15年5月以降かな?

同じ趣の写真は同じときの撮影かも知れません。同じ校舎?の前で、さらに同じつっかえ棒の前で撮られている分とか・・・・。





植田竹治郎さんかな?
偵察専修、のち中攻搭乗員です。



国見新太郎さん
病気で卒業は11期と一緒に。のち、中攻偵察員。



藤井国男さん
偵察専修、のち飛行艇搭乗員。

この写真、なんか見たことあるなあ、と思ったら、藤原国雄さんのアルバムに貼られていた「サイン入り藤井さん写真」と同じもののようです。
こちらは斜めにカットしてあったんですね。
3学年の名札をつけています。



北村彰男さん
北村さんの写真は他にもありました。
リンク先に出してある飛行服の写真と、あと、高島巌さんと北村彰男さんのツーショット写真もありました。二人は島田さんとは1学年時同班(4班)です。
偵察専修、のち中攻搭乗員。



※2017年11月5日訂正
笠井繁雄さん
名札が読めました。

偵察専修、のち水上機搭乗員。



中尾鶴蔵さん
偵察専修、のち水上機搭乗員。



遠藤桝秋さん
のち、戦闘機搭乗員。
島田さんとは1学年時同組(1~4班、遠藤さん3班)です。
遠藤さんの写真があったの、ちょっと驚きました。

遠藤さんの写真、けっこうあるんですが、頭のてっぺんからつま先まで写っている写真って、初めて見たような気がします。
脚長いし、小顔やし。そりゃもてますわ。

何年も前に、「もう遠藤さんの写真はここには出ないです」とかなんとか書いたような気がするんですが、あれからも出し続けていますね(^^;) うれしい誤算。
島田さんのアルバムの中にもう1枚、遠藤さんの個人写真が貼ってありました。また今度。



アルバムの写真は交友関係がわかっておもしろいです。




※画像は9期生ご遺族ご提供

島田清守さんのアルバム写真 1学年4班2017年02月03日 21時38分30秒

アルバムに、1学年4班の集合写真がありました!


これも暗い中で撮ってもらったので、スキャンほどは撮れていません。


いままで、4班写真は入隊時の氏名入り班写真しかありませんでした。
11名。

いや、最低でも1班12名はいるんじゃないか?
どこにも写っていない山田一作さんが4班なんじゃないかと「推定」していました。


今回の集合写真で裏がとれました!

4班員の詳細は上のリンク元で見てください。


4班集合写真、前列左から、
横山孝さん

大石芳男さん

岸本正好さん

熊谷班長

北村彰男さん

山田一作さん

井上常夫さん


後列左から
杉本栄さん

島田清守さん

桑島武一さん

鶴見堅三さん

高島巌さん

藤島光夫さん

この写真、添え書きがあって氏名や出身地が書かれているのですが、写真では判読が困難です。
熊谷班長のことを「我等ノ班長(海軍一等整備兵曹)」と書いて、転勤(転出)の記念に撮ったようなことを記しているのか? また確認しに行きたいと思っています。
ここには撮影時期は書かれていないのではないか?
ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊のようです。
で、1学年時の班で写っているので、たぶん、14年3月~5月ごろの撮影ではないかと想像します。


熊谷班長のお顔、初めて認識しましたが、男前ですな~
9期生の「おもいで」に熊谷四班長が美男だと書かれていたので、ぜひご尊顔を拝したいと思っていました。念願かなってうれしいです。
今度から島田さんの日記のお小言も、この方がおっしゃっていると思い、心して聞きます。



添え書きがあると書きましたが、9期生名簿では兵庫の出身になっている高島さんと北村さんのことを「大阪」と書いています。興味深い。
たしかに、お二人の出身地を大阪と書いたものもあります(『予科練外史』)。本籍が兵庫で現住所は大阪だったのか。


※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供