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あの人のネーミングセンスに関して2010年04月13日 09時18分06秒

たちあがれ日本

これが政党の名前らしいですね。
政党名に関しては特にこんな名前にしないといけないという決まりはないそうですが。

東京都知事が命名したらしいですね。

政策とか理念以前に、口に出したくない政党名っていかがなもんでしょうか。
他の人はどうかわかりませんが、ママは、これを口に出して言うのは、こっぱずかしい。

たとえば、
「たちあがれ日本、支持する~?」
とか、
「今度の選挙、たちあがれ日本に入れようね」
とか、口に出して言うことにどうしても違和感を感じます。


以前、この人がプロデュース?した特攻隊の映画も、友人との会話や映画館の窓口で、とても口に出して言えないようなタイトルでした。
ママは前売り券を買って見に行ったので、口に出さずに済みましたが。

人の名前でも、モノの名前でも、名付け親の”熱い思い”を込めればいいってもんじゃないような気がするのですが・・・・。
名前であるからには、他人に読んで(呼んで)もらわないといけないわけで。
そこらへん、考えてくれているのかなあ?

かくいうママもプログにへんてこりんなタイトルつけてしまっています(^_^)ゞ

ママもこれ、自分で口に出して言えません。
たとえば、人にプログを紹介する時、一番簡単なのはタイトルを伝えて検索してもらうことです。
「『ひねもすのたりのたりのたり』で検索して下さい」
これ、言ったことありません。いつも、
「たぶん『西澤飛曹長』とか『堀飛曹長』で出てくると思います。出てきた中で一番ミーハーなブログがうちのブログです」
と案内しています。
本人が言いにくいブログタイトルってどんなやねんっ(-.-#)

「ひねもすのたり」だと語呂はいいけど、すでにタイトルにつけている人がいるんじゃないか、「ひねもすのたりのたり」だとそのまんまやし。というわけで3つくっつけたのですが。
言いにくいですよねー(-_-)

ところで、ママはアクセス解析をつけています。
来訪者の方がどんな検索ワードでこのブログに来られているか、時々みています。

この前、おもしろいのがありました。
「海軍ひねもす物語」

なんか雨倉孝之さんの本のパクリみたいなタイトル。
どこのどなたさんが考えてくれたタイトルかわからないのですが、よっぽどママのつけたタイトルが憶えにくかったか気に入らなかったかしたのでしょうか。
でも、語呂もいいし、ママがつけているタイトルより数段センスがいい!!

「これ! いただきだーーーー!!(^O^)」

と一瞬思ったのですが、春海のことも書いているのでやっぱ「海軍」が入るとまずいよなー、海軍を期待して見に来た人をがっかりさせるよなー(-_-)と真剣に悩んだ末、断念しました。

【西澤廣義の肉声】8 最後の肉声2010年04月13日 15時25分47秒

<猪口力平・中島正『神風特別攻撃隊の記録』>

  電報の処理や明日の作業準備で遅くなり、午後十時過ぎになって、私は夜食を食べに階下の食堂におりていった。従兵を呼んで夜食を命じたところ、夜食がないという。聞いてみると、日頃見慣れない飛曹長がやって来て、「飛行長の夜食を出せ」と、私の夜食を持っていってしまったのだという。飛行長の夜食を無断で食う飛曹長は一体だれだろう!私はちょっととまどったが、ハタと気がついた。
  あの西沢の奴だな、俺の夜食を分捕ったのは!
 敷島隊の戦果をもたらした西沢飛曹長の顔を、私はすぐ思い起こした。私は笑いながら責任を感じている従兵に、
「心配せんでもいい」と言いのこして、階段を上がっていった。
 西沢飛曹長は私の夜食を分捕ってしまったが、しかし私は、もっとよい贈り物をもらっていたのである。それは、彼を長とする今日の敷島隊の援護戦闘機隊員の乗ってきた零戦三機を、そのままセブでもらうことにしたからである。



日付がありませんが、昭和19年10月25日夜の話です。

猪口さんと中島さんの共著ですが、この引用部分の「私」は当時の201空飛行長・中島正少佐(兵58)。
西澤さんにとっては台南空時代の飛行隊長、”親分”みたいな人でしょう。

わたしはこの本は読んでいません。
(引用は伊沢泰助「同期生エース西沢の風貌」 七期雄飛会『予科練の翼』から)

ですから上記の記述の前後(特に”後”)がどうなっているかは知りませんが、
「あの西沢の奴だな、俺の夜食を分捕ったのは!」
というのは中島さんの憶測に過ぎません。
しかし、中島さん的にはどうやら「事実化」している模様です。
『西沢飛曹長は私の夜食を分捕ってしまったが』←確定

もしかしたら、中島さんは、西澤さんに”上官の持ち物にチャレンジする”性癖があることを知っていたのかもしれません。

台南空時代には司令の煙草ギンバイにチャレンジしていた西澤さん。
あれから2年経って飛曹長になったいまも、飛行長・少佐である中島さんの夜食に果敢にチャレンジしていたということになります。
しかも、こっそりではなく、堂々と面を晒して従兵を脅しているところがまたかれらしい!!


中島さんの憶測が当たっていたと仮定すると、
「飛行長の夜食を出せ」
と、中島さんの従兵を巻き舌で脅した、顔の青白い見慣れないヒゲの大男の飛曹長というのは、西澤廣義飛曹長ということになり、19年10月25日夜時点でのこの発言以降の西澤さんの様子がまったく伝わっていないいま、このセリフが西澤さんの最後の肉声ということになります。
(ただし、聞いた中島さんも人づて)

翌26日、零戦を取り上げられた西澤さんたち直掩隊隊員3人(他に本多慎吾上飛曹、馬場良治飛長)と、なぜかセブにいた松本勝正上飛曹を乗せた輸送機は、マバラカットへ移動中、敵戦闘機に襲われ行方不明に・・・・。

日本海軍の最強撃墜王・西澤さんの最後の肉声が・・・・「飛行長の夜食を出せ」って・・・・


西澤廣義飛曹長