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『ラバウルの撃墜王』零戦22型 西澤廣義搭乗機2009年09月19日 17時47分48秒

『ラバウルの撃墜王』零戦22型 西澤廣義搭乗機
2009年8月19日に1/100の零戦22型のことを書いたところ、通りすがりの方からチョー嬉しい情報をいただきました。

http://papamama.asablo.jp/blog/2009/08/19/4524150

童友社から、251空の零戦22型「UI-106号機」(1/100)のプロペラ回転するヤツが出ているよー、って話です。

ママはすぐにも、
「ほしーーー!!」
と思い、サイトを調べたところ、本体価格が1500円ほど、送料が1000円ほどかかることが判明しました。

「ちょっと考えよう・・・・(-_-)」
そう思い宮崎へ。
帰ってきてからはいつも商品名を書いたメモを持ち歩き、取り扱っていそうなおもちゃ屋に行った時には注文するつもりでいました。

今日、久しぶりにいつもプラモを買うおもちゃ屋に行きました。
(ここはママ1人では行けない場所です。車でパパに連れて行ってもらわなければ行けない場所です)

ここは取り寄せしてくれるだろうと思い、店内をひとまわりしたあとレジに注文に行きました。
女性店員が対応してくれ、注文書の準備を始めたところ、男性店員が「何? 何?」と寄ってきました。
ママのメモを見て、レジから出ていきました。
戻ってきた時、その男性店員の手には↑この西澤機の箱が!!
「これでしょうか?」
「これです!!(>_<)」

やったーーー!!
取り寄せてもらわなくても、店頭にあったようです(いちおう、探したんだけどなー)。
1260円でした\(^_^)/

この106号機は緑の迷彩塗装ですが、ママ的には灰色(?)塗装のままでよかったんだけど・・・・(^_^;)

箱の側面に西澤さんの説明があったので紹介しておきます。

『№6「ラバウルの撃墜王」 零戦22型:西澤廣義搭乗機
西澤廣義は、大正9年1月、長野県の山村に生まれました。高等小学校卒業後、製糸工場に勤めましたが、空への憧れが強く、予科練募集のポスターを見て応募、合格し、航空兵としての道をスタートさせました。昭和11年6月、乙種飛行予科練習生第7期に採用され、昭和16年10月には千歳航空隊に配属されました。翌年2月にはラバウルに進出し、九六艦戦で初撃墜を記録しました。4月には台南航空隊に配属され、ここで坂井三郎に鍛えられ、太田敏夫と共に台南空の三羽烏と呼ばれるほどの実力をつけていったのです。上官、部下からの信頼は絶大で、草鹿司令長官から武功抜群と記された軍刀を授与されました。また、ある空戦で帰りが遅れた時、草鹿長官は西澤を心配して飛行場で長時間待ち続けたというエピソードも伝えられています。昭和19年10月には、関行男大尉率いる最初の神風特攻隊を掩護する任務を務めました。そして翌日、輸送機で帰還する途中F6Fの攻撃に遭い最期を遂げてしまったのです。総撃墜数は明確ではありませんが、87機は確実とされています。モデルは、鉄板敷きの滑走路で発進を待つ西澤機をイメージしています』

「坂井三郎に鍛えられ」・・・・?
「坂井三郎に鍛えられ」・・・・?
「坂井三郎に鍛えられ」・・・・?

ああ????(゜o゜)

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