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台南空 水津三夫1飛2009年09月14日 21時23分25秒

坂井さんの『大空のサムライ』の中で、B25に体当たりして戦死した、として登場。

『7月も終ろうとしていた頃のことであった。わが笹井中隊は、その日、ブナ泊地上空の哨戒任務についていた』

たしかに7月の終わりごろ、笹井中隊は数回にわたりブナ泊地の船団上空哨戒任務についています。

坂井さんによると・・・・。
哨戒を交代してラエが見えるところまで戻ってきたところ、基地が爆撃を受けているのを目の当たりにします。
B25の6機編隊が来襲していたのです。
そのうち、基地から零戦隊も飛び上がってきました。

そのうちの1機が、坂井さんの見ている前で敵機に体当たりを決行しました。
やられた敵機はプロペラと右の方向舵を失ってひっくりかえり、一緒に飛んでいた僚機に背中合わせに乗っかってしまったというのです。そのまま、2機、もつれるようにして一緒に海に落ちてしまったのだとか。

しかし、一撃で2機を屠った殊勲のその味方零戦も海に突っ込んでしまいました。
それが水津1飛だったというのです。

『かれはラエ基地では一番経験の浅い搭乗員で、ほかの先輩たちが、毎日毎日、空戦に出撃していくのを、いつも見送る組の一人であった。彼は彼なりに、俺も一人前の戦闘機乗りなのに、どうして連れて行ってくれないのか、それが不満でならなかった。だから迎撃戦は早いものがちなので、いつもその機会を狙っていたのだ。そして、「俺はどえらいことをやるのだ」といつも口癖のように言っていた』

要するに、水津1飛はいわゆる“ジャク”であり、食卓番、基地の上空哨戒程度の任務しか与えられず、そんな搭乗員生活に不平不満を持っていた―ということですよね?

水津1飛の名誉のために、どうしても書いておきたい!
水津1飛はたしかに階級はまだ兵、(生年は知りませんが)若い搭乗員かもしれません。でも、決して経験の浅いジャク搭乗員ではありません。

山口県出身。
操練54期出身(台南空の操練同期※に山崎市郎平3飛曹、岡野博3飛曹、山本健一郎1飛)。

2月2日、千歳空時代、ラバウル基地上空哨戒。
2月4日、ラバウル基地上空哨戒。

3月20日、4空時代にはラバウル基地上空哨戒中に、機銃故障のため撃墜にはいたらなかったものの、来襲したB17と空戦をやっています。
3月21日にも、ブナカナウ基地上空哨戒中にB17、2機と空戦をやっています(撃墜するにいたらず)。
4月6日には吉野飛曹長に率いられて5機でモレスビー攻撃。協同撃墜を記録しています。
4月10日には河合大尉指揮6機でモレスビー攻撃。協同撃墜3機。

まあ、ここらへんまではまだ台南空本隊はラバウルに来ていないので、坂井さんが水津1飛の戦歴を知らないのも無理はないかとも思いますが。

5月6日、モレスビー攻撃では指揮官・中島正飛行隊長の3番機として出撃(残念ながら、「天候不良引返ス」)。
5月7日、敵機動部隊攻撃。やはり指揮官中島飛行隊長の3番機。
5月8日、モレスビー攻撃。中島飛行隊長3番機。
5月9日、モレスビー攻撃。中島飛行隊長3番機。
5月10のモレスビー攻撃では第2中隊第1小隊山口馨中尉の3番機として出撃し、P39、2機撃墜(うち1機不確実)。
5月11日、ホーン島攻撃の中攻隊掩護。第2小隊長吉野俐飛曹長の3番機。

5月14日のモレスビー攻撃にいたっては、第2中隊第1小隊長笹井醇一中尉、2番機坂井三郎1飛曹、3番機水津1飛という編制。
坂井さんは同じ小隊でモレスビー攻撃に行っているのです。
5月17日、モレスビー攻撃。笹井中隊、中尉直率小隊の3番機。
5月18日、モレスビー攻撃。笹井中隊、第2小隊坂井小隊の2番機として出撃。
5月26日、モレスビー攻撃。笹井中隊、中尉直率小隊の3番機。
5月27日、モレスビー攻撃。笹井中隊、中尉直率小隊の3番機。スピットファイア1機撃墜。

このあとしばらく編制表に名前が出てきません。次に登場は6月24日。
ラバウル基地に来襲したB17、1機を追撃、逃げられる。
7月4日、モレスビー攻撃。笹井中隊、中尉直率3番機。

水津1飛、編制表に名前が出てくるのは、この日が最後です。
どうしたのかわからなかったのですが、『日本海軍戦闘機隊』によると、この日―つまり17年7月4日―戦死したことになっています。
このモレスビー攻撃は被害としては大破1機のみで、行方不明も自爆戦死もありません。笹井中隊にいたっては「空戦セズ」です。

4日、行動調書では、ほかに基地上空哨戒任務や急な敵機来襲に対する邀撃任務はありません。

ママが探せる範囲では見当たりませんが、正式に「17年7月4日戦死」で、水津1飛は2階級特進しているらしいです。

坂井さんが見た体当たりは7月の終わり頃の話ではなく、7月4日のことのようです。

この体当たり、出番のないジャク搭乗員が、「どえらいことをやってやる」と血気にはやってやったことではない、と思います・・・・。


※「操練同期なのに、なぜ階級が違うのか」と疑問に感じられる方もおられるかもしれませんが、操練は予科練の乙飛甲飛とは違い、搭乗員になる前の前歴がある方がほとんどです。水兵、機関兵、整備兵など様々。そこでどれだけの期間過ごされたかによって、階級も違ってきます。ちなみに水津1飛は14年海軍に入っています。機関兵出身とのことです。山崎さん12年、岡野さん13年、山本さん14年入団。

(水津1飛の出身情報などは高知の知人の方にご教示いただきました)

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