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千浩荘 その後・・・・2008年05月17日 07時54分48秒

中国四川の大地震のニュースを繰り返していますが、あれを見るたびに阪神大震災を思い出します。

阪神大震災当時はママはもう今の県に住んでいて、周囲に人的物的被害はありませんでした。

わが思い出の千浩荘ですが、幸い倒壊は免れたものの、再起不能なダメージを受けたらしく、
「取り壊されるらしい」
ということは直後から聞いていました。
その後、どうなったのか知らなかったのですが、5年ぐらい前(春海がまだベビーカー時代)、千浩荘があった場所に行ってみました。
そこには新築の一軒家が建っていました。
1世帯が住むようなスペースに20世帯ぐらいが住んでいたんだなあ・・・・。

交流があったのはお隣のWさん、2階のHさん、管理人さん一家(管理人のおばあちゃんとその旦那さんが2部屋占有していた)ぐらいで、あとは顔を知っている程度、もしくは会ったこともないという人たちでしたが、みな、どこかへ散っていったのでしょうね。

わたしが小学校2年まで住んでいた父の実家の離れは、本家の総領息子のふがいなさから人手に渡ったり取りかえりしたりを繰り返しているうちに更地になってしまっているし、小学校3年から浪人時代まで暮らした家は3年前の台風で水没して全壊。大学時代の4年を楽しんだ千浩荘は阪神大震災でダメージを受けて取り壊されてしまいました。

卒業して数か月住んだオンボロ長屋があるのですが、あそこももうないだろうなあ・・・・。
わたしが住んだ時点で(15年ほど前です)、窓にガラスが入っていなくて段ボール張りだったし、トイレも水槽に手を突っ込んで浮ボールを穴にはめないと水漏れするようなトイレだったし。だいたい、玄関の外鍵が南京錠だったんですよねえ。中からは棒を突っ込んで「施錠」していたのですが。
また、今度、この長屋のことも書きますかあ!

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