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宮崎海軍航空基地2007年11月10日 19時47分51秒

宮崎海軍航空隊跡
宮崎に海軍の基地があったことは、最近まで知りませんでした。

最近といってもここ数年ですね。
「桜花」という特攻機をご存知ですか? 人一人がやっと乗り込めるぐらいの大きさの火薬つき飛行機です。飛行機といっても自分で自在に操縦できる飛行機ではありません。一式陸攻という大型の爆撃機に抱かれて戦場まで運んでもらい切り離され、ほとんど滑空状態で敵艦に体当たりするという「人間爆弾」です。
その関連の本で、桜花部隊が宮崎基地に一時期展開していたという話を読んで、
「いまの空港の場所に海軍基地があったのか!」
と初めて知ったわけです。

ただ、そのときはそれだけで終わっていたのですが、今年の初めに、ある海軍中尉が「銀河」という陸上爆撃機に乗って、宮崎基地から特攻出撃していったということを本を読んで知り、4月に初めてその場所に行ってみました。

空港周辺にはまったく案内看板もなく、わたしは市役所の人から地図をもらっていたおかげでやっと辿り着けました。
目的を持っていかなければまず行かない場所で、わたしたちが行ったときも、他に訪れている人はいませんでした。
寂しいといえば寂しいのかも知れませんが、静かでいい場所といえばそうなのかもしれません。と、いっても、目の前を旅客機が行き来するのですが・・・・。

基地跡の一角には慰霊碑が建っています。
宮崎出身の航空関係の戦死者や、宮崎基地関連の戦死者、特攻戦死者の名前が刻まれた石碑も並んでいます。
わたしをここに導いてくれた深井良海軍中尉(戦死後少佐)の名前も、一緒に出撃した隊員たちとともに刻まれていました。

あなたたちのことは忘れません・・・・。
たいそうなことではないはずです。
この人たちが、60余年前、自分の命をなげうってこの国を守ってくれた、ということを忘れずにいましょう。

メールアドレス2007年11月11日 17時31分24秒

何でも捨てていた赤ちゃん春海
↑これは何かというと、床に転がっているものは何でもゴミ箱に捨てていた頃の赤ちゃん春海です。
この「善行」のせいで、わたしはPHSを捨てられました。それを機にPHSから携帯に変えました。

ところで、皆さん、迷惑メール撃退のためにメールアドレスには工夫を凝らしていることと思いますが・・・・。

昨日いただいた深井さんのコメントにメールアドレスの話が出ています。迷惑メールが多くてメアドを変更されたんですね。これを読んだときはすぐにピンと来なかったのです。本当に単純に、
「そうかー、深井さんは食べ過ぎてぶー太くんになったことをアドレスに盛り込んだのかぁ」
と思っただけでした。夜、メアドの登録変更をしていて、初めて意味がわかりました。遅すぎる、って?

深井さんは、意味がわかれば笑えるメアドですが、戦史研究家のJさんは見ただけでとてもロマンティックなメアドを使っています。
ガイ子さんのメアドは漢字変換したらいいのかな?

他に、名前+誕生日とか、自分と子供の名前とか、ペットの名前とか、よく見かけますよね。
中には意味不明のメアドの人もいたり・・・・。

わたしが家庭教師をしていた子(♂現在高校生)は、自分の名前と彼女の名前をくっつけたメールアドレスを使っています。親や友人にも教えているアドレスだと思うのですが、恥ずかしくないのかなあ(o^^o)
「くそっー! 高校生、青春まっただ中、羨ましいぜ!」
と思ったので、連絡が来たときすぐに、
「別れたらメアド変更のお知らせをみんなにしないといけないなあ」
といじわるばあさん的な返信したところ、
「そんなこと言わないでくださいよお」
と泣き顔のメールが来て、ますますわたしを悔しがらせたのでした。

帰ってこんね?2007年11月12日 10時19分59秒

航空自衛隊新田原基地
昨日の夜、ばあばから電話があり、
「12月に帰ってこんね」
とのお誘い。
春海が小学校に上がる前にもう一度は帰りたいと思っていたのですが、もう、一ヶ月もないなあ・・・・。急過ぎるなあ・・・・。

実はおいしい「餌」が用意してあったのです。
「12月2日に航空祭があるよ」
とのこと。

実家は2年前の台風で軒まで川の水に浸かり全壊。すべてを失って(両親、犬2、猫2、車2のみ無事)引っ越した先が、航空自衛隊の隣町なのです。
朝早くから雷のような爆音が響く中で生活をしています。
じいじはあとから基地の近くに引っ越したくせに、あまりうるさいと苦情の電話を入れるらしい・・・・。それで少しは静かになるらしい・・・・。困った周辺住民だ。
そのくせ、航空祭には出かけていこうって言うのだから、どうなんでせう?
こういううるさい周辺住民懐柔には「航空祭」ってのは効果的なんでしょうかね。

というかね、小学校2年まで暮らしていた町(じいじの田舎)も、基地の対岸でかなりの騒音でした。小学校の窓ガラスが二重窓だったことは鮮明に覚えています。
戦闘機の爆音には慣れているはずなのに。なのにいまさら文句も何もねえ・・・・。

まあ、とにかく、ぶーたれながらも航空祭に行きたいというわがまま住民のひとりがうちのじいじなのです。
で、それに乗っかって一緒に行っちゃおうかなあ、というのが、ぱぱまま一家なのでした。でも、ぱぱは仕事かな?
もう少し考えてみます。

長靴とレインブーツ2007年11月12日 20時06分06秒

うみにんの足をつかんだまま寝る赤ちゃん春海
数日前、ベルメゾンでおしゃれなレインブーツを買いました。
ダークグリーンの、ちょっと長めの長靴です。

今日、春海の幼稚園のお迎えの時に雨が降っていたので、喜んで履いていきました。
ところが・・・・。
上にジャージを羽織っていったのが間違いでした。
スーパースター(高校の時流行っていたんだよっ!)の黒いジャージに、ジーンズ、長靴、ビニ傘姿のわたしはどこからどう見ても、発掘調査に行こうとしている土方のおばちゃん。
せっかくのおしゃれなレインブーツが台無しでいっ!!

帰り、わたしたちの前を歩くお母さんと園児。
よく見ると、お母さんの足下はわたしと全く同じ長・・・・いえ、レインブーツじゃないですか。
そのお母さんは細身のニットのワンピースにスパッツをはいて、わたしと同じ長・・・・いえ、レインブーツをかっこよく履きこなしていたのです。

わたしゃあ、恥ずかしくて近づけませんでしたよっ!
ずっと距離を保って歩いていました。
もう恥ずかしくて幼稚園には履いていけないよっ!

『台湾沖航空戦』2007年11月13日 19時33分27秒

お気に入りの海軍珈琲
神野正美『台湾沖航空戦』を読みました。
夏に『梓特別攻撃隊』を読んでから、『空母瑞鶴』『台湾沖航空戦』と、立て続けに神野さんの本を読んでいるのですが。

いやあ・・・・どの本もすごいです。
共通するのは、生き残りの軍人さんや、亡くなられた方のご遺族にたくさん取材をされ、生々しい話がてんこ盛り、というところです。
写真も豊富で、その人の面影を偲びながら本を読むことができます。写真があるとやはり印象に残りやすいですね。
生き残った戦友に語られる軍人さんはとても生き生きとして、ちょっとした知り合いのような気持ちになってくるから不思議です。

実際、戦場におられた方の話も出てくるので、そのあまりの生々しさに、それが夢に出てくるからやっかいです。
『空母瑞鶴』を読んだときは、なぜかわたしは戦場の海に浮かんでいました。
瑞鶴が沈没して多くの乗組員が海に投げ出されました。その体験をたっくさん読んで、あまりに頭にこびりついていたのでしょう。夢の中では自分が大勢の人と一緒に救助を待って浮かんでいました。
『台湾沖航空戦』を読み終わった昨日の夜は、なぜか、上官の指導の下、艦船雷撃のお勉強をして、理解しているかどうかの試験を受けている夢でした。(本にはそんなシーンはありませんでしたよ!)

いままで戦争の本を読んでも、夢に出てきたことなんかなかったのに、続けざまにこれです。
いままで読んでいた戦記物は、体験者が語っていても、一つの出来事を一人の人が語る、というパターンでした。
でも、神野さんの本は、一つの出来事を何人もの人が違った立場で語っているのです。
たとえば、助けた人、助けられた人、それを横で見ていた人、という感じで、違う人が、違う立場で一つのことを語っている。それがすごくおもしろいです。
「これでもか!」という多角的追体験が「夢」という形になって出てくるんでしょうかねえ・・・・?

で、『台湾沖航空戦』を読んだ感想は、ここには書ききれないので、また日を改めて書きます。