8年後の盆まねき ― 2019年11月15日 09時40分36秒
先日、以前から交流のあった9期の森田守さんのご遺族の親戚の方からメールをいただきました。
その方は徳島空の白菊特攻隊の慰霊顕彰活動をされています。
戦史研究家の菅原完さんが書いた白菊特攻隊の記事が雑誌『丸』(9月号、10月号)に掲載されたとかで、コピーを送ってくださいました。
「あー、菅原完さんかぁ」
あの人のことを思い出しました。
富安俊助中尉。
13期予備学生出身のかたで、特攻出撃しエンタープライズに突入して戦死されています。
富安中尉機がエンタープライズに突入した零戦であるということを突き止めて記事にされていたのが菅原さんでした。
2011年の暮れに知人の戦史研究家Jさんから富安陽子さんの『盆まねき』という児童書をすすめられて読み深く心に刺さりました。
陽子さんは富安中尉の姪御さんです。特攻で亡くなった俊助さんを思い続ける家族のことをどちらかというとふわっとしたタッチで児童書という形で書いています。
この本や菅原さんの記事のことは2012年1月にブログに書いています。
そのときのブログの冒頭に、わたしは、
『戦史研究家のJさんにすすめられて読んだのです。Jさんもある人からすすめられて読んだそうです。そのある人も、また人からすすめられて読んだそうです。
要するに、口コミというか、読んだ人がことごとく感動して、次々に人にすすめていき、わたしが読むことになった・・・・というわけです。
ですから、いま、わたしは、直接すすめてくれたJさんだけではなく、Jさん以前に「この本、いいよ」とすすめてくれたすべての人に感謝しています。
もちろん、作者の富安陽子さんにも。』
要するに、口コミというか、読んだ人がことごとく感動して、次々に人にすすめていき、わたしが読むことになった・・・・というわけです。
ですから、いま、わたしは、直接すすめてくれたJさんだけではなく、Jさん以前に「この本、いいよ」とすすめてくれたすべての人に感謝しています。
もちろん、作者の富安陽子さんにも。』
と書いています。
白菊の記事を送ってもらい菅原さんと富安中尉のことを思い出したので、森田さんの親戚の方に、
「菅原さんの富安中尉の記事を以前に読んだことがあります」
とお話をしたところ、どうもそのわたしの発言が菅原さんご本人に伝わったようで、
「どうして富安中尉のことを知っているのだろうか?」
といぶかられたらしく(^^;)
「戦史研究家のJさんからすすめられて『盆まねき』を読んだんです」
とお返事しました。
その後、ご親戚の方の仲介を経て、わたしのところに菅原さんからメールが来ました。
Jさんに『盆まねき』すすめたのは雑誌編集者のS氏。わたしはここまでは把握していました。S氏にもすすめた人がいるってこともわかっていました。菅原さんと話してみてわかったのは、S氏にすすめたのが菅原さんだったってこと!(・∀・)
つまり、
菅原さん→S氏→Jさん→わたし
と『盆まねき』が伝わって来たと(^^;)
そして8年経って、菅原さんとわたしのラインがつながったと。
「線」だったのが「輪」になった、とひとりでよろこんでしまいました(*´ω`)
もちろん菅原さんには直接「ありがとうございました」とお礼を言いました。8年かかりましたが(笑)
いつも書いていますが、亡くなった人がご縁でいま生きている人間がつながっていく――
お導きとしか思えないようなことがたびたび起こります。