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かぞくわり2019年11月01日 17時58分55秒

↑スマホの料金プランではなく、映画のタイトルです。






懺悔します!

寝てしまって話がわかりませんでした( ;∀;)

いや、話がわからなくなって寝てしまったのか!?( ;∀;)



ただ、二上山だけは堪能してきました。
最近、二上山の形で、だいたいどの方角から見た二上山かわかるようになってきました。




映画館を出たところにパンフレットの特売会場が設けられていたので足を止めかけたのですが、

「お買い上げの方、監督がサインをします」

と係の人が呼び掛けているのが聞こえ、ふと見ると長テーブルの端でパンフ?を広げて何か書きこんでいる男性がいまして、

「もしかして、監督!?(゚Д゚;)」

あまりのバツの悪さに(←自分の内面の問題)、逃げるようにその場を立ち去ったのでありました。





何かを考えさすような作品はわたしには向いていないのかもと自己嫌悪・・・・。






自己嫌悪に陥ってもやることはやるのです(笑)


丙2期 谷川澄男さん2019年11月01日 22時50分40秒

今年の初め、ある会合で零戦Tシャツ屋さんと二人で受付に座りました。

そのとき、Tシャツ屋さんが、

「実は丙2の谷川澄男さんの息子さんと知り合いまして。谷川さんの写真を送ってもらったんですが、見ますか? 知っている人とか写っていませんか?」
と印刷した写真を見せてくださいました。

山陽丸の搭乗員の集合写真でした。


「あ、森健次さん!」

9期の森健次さん(偵察)が写っていました。


他にもあるということだったので、ぜひその息子さんを紹介してください、とお願いしました。
すぐに仲介してくださって、息子さんと直接連絡が取れるようになりました。

ビックリしたのですが、谷川さんの息子さん、Yさんともお知り合いだったんですよ(^^;)
狭いです(笑)












谷川さんは昭和14年に佐世保海兵団入団。
15年11月に丙2期、土浦海軍航空隊。
16年1月、飛練12期、鹿島海軍航空隊。
16年7月、実用機、博多海軍航空隊。
16年12月、飛練卒業。


呉空を経て17年2月、山陽丸へ。



ソロモンで任務に就いていたのですが(零式観測機操縦員)、昭和18年1月31日、敵機と交戦して被弾・空中火災。
脱出して海に浮いているところを鵯(ひよどり 水雷艇)に救助され、病院船氷川丸で内地に後送。

戦闘詳報
『一月三十一日 二飛曹谷川澄男敵機ト交戦戦傷(顔面右前膊左右下肢等二度熱傷右大腿同下腿爆弾々片創)』

結局、傷が悪化して右足を失うのですが、その後も海軍に残り義足で搭乗任務を続けられたようです。



息子さんによると、足を失ってからの話はあまりされなかったそう。











山陽丸時代。
十七年七月 ジャハ スラバヤ基地ニ於イテ 山陽丸総員

これは以前出した写真です。
何人かお顔がわかる人が写っていました。

古寺慶三さん(8期)

今田敏男さん(10期)

今城金嘉さん(7期)

森健次さん(9期)

谷川さん




昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニテ


中列右端、谷川さん。







昭和十七年十二月 ソロモン ショートランド第一基地ニ於テ 山陽丸搭乗員一同


中列右端、谷川さん。

集合写真で見るとかなり大柄な方です。



おもしろい写真、いっぱいあるんですよ。
昭和17年12月のショートランド基地だそうです。
過酷な戦の合間のひとこま。楽しそうです。
いかんせん、谷川さん以外がどなたかわからない・・・・(泣)




見知った方が写っているスナップ写真もありました。
山陽丸の人たちだろうと思うんですが。
谷川さんは写っていないかな。他もどなただかちょっと・・・・。

でも、左端の人。
10期の今田敏男さんだよなー、って見つけて喜んだのでした。

裸だったり、サンダルが転がっていたり、いまから飛行機に乗るような格好でもないです。
オフかな?
ひと仕事終えたところかな?



これまた完全オフの搭乗員たち。これは”入浴中”というくくりでいいんでしょうか。”水遊び”?
谷川さんはいないようにあります。


しかし、今田敏男さんがいるのです!
注目は髪型です!
これがうわさに聞いた「基本坊主、頭頂部だけ伸ばす」っていう、彼の地で流行っていたという髪型でしょうか!?
初めて見ました。
モヒってますよね!?

と思いながら上の写真を見ると、あっちも頭頂部だけ伸びているかも?





見せていただいた谷川さんの写真の中に山陽丸の搭載機の編隊飛行中の写真がありました。
P‐55号機。



P‐?号機。

零式観測機一一型。P‐56号機。



零式水上偵察機一一型。


わたしは飛行機のことはわからんので、Yさんにご教示いただきました。

尾翼に「P‐」って機番号が入っています。ネットで山陽丸の飛行機を検索するとプラモデルが出てきて、記号が違っていたのでYさんに聞いてみました。17年後半以降は「P‐」を使っていたそうです。

ちなみにこの機体は尾翼に「ZⅡ‐56」が入っています。これが17年前半まで使っていた記号だそうです。わたしがネットで見たプラモの記号はこれでした。
機体の色も違いますね、「へえ~」でした。
上の「P‐56」号機と同じ零観なんですかね? 調べていないんです、ひとりごとです。


山陽丸の戦闘詳報を見ると、あと九五水偵もあったみたいです。


ふだん陸上機を見慣れているとフロートの違和感が半端ないです。
こんなものつけていてよく飛べるな~、みたいな?(^^;)

こんな邪魔そうなものをつけて飛んで、さらに波のある水上で離着陸をしているからか、水上機から陸上機に転科した人は操縦がうまかったって、以前、零戦搭乗員の人に聞いたことがあります。





谷川さんの写真、興味深い写真がたっくさんあるんですが、どなたが写っているのかわからなくてですね(^^;)
わかるのが一番いいのですが、わからなくても今回みたいに出すかもしれません。
[丙飛]カテゴリもいるかな?(^^;)


※画像は谷川さんご家族ご提供。飛行機に関してはYさんご教示

今日のおやつ2019年11月02日 22時11分47秒

今日のおやつはパンプキンプリンのタルト♪


ホテルで、ひとりで、やっています(笑)




朝からバスツアーに参加していました。


28名+添乗員1名+解説員2名。


一泊二日です。


明日は山登りします。


詳細は帰ってから。






そういえばですね、ツアーに合流する直前に驚くことがありました。

先日、ホリブンの582空時代の写真を見せてもらった~♪

と書いたんですが、その写真に一緒に写っている人のご遺族の方から、
「何か情報はありませんか?」
という問い合わせメールが来たんです。

なぜこのタイミング!?

と、驚くとともにこのご縁を喜んだのでした。

きっと写真の持ち主の方も、仲介してくださった方も一緒に喜んでくださることと思います。

古墳を巡るバスツアー2019年11月03日 22時04分18秒

↑に参加してきました。


一泊二日で、古墳巡り&講演会&博物館&神社 みたいなバス旅行です。


職場の事務員さんが見つけてきはったツアーです。
一緒に参加しよう! ハイ! ってなって申し込んだのですが、数日前になって事務員さんが体調不良に陥ったため、一人で参加してきました。

お一人様、苦にならないんで(^^;)






今日は山登り(古墳)&石段登り(神社)して激疲れなので、また今度アップします。


山頂の古墳から


神社本殿から

バスツアー【1日目】12019年11月04日 10時26分09秒

雪野山と蒲生野の古墳を巡る旅

という1泊バスツアーに参加してきました。


そもそもわたしはトイレの無い場所が苦手で、バスは近場の路線バスかトイレのついた高速バスしか乗りません。
今回はウロウロする場所が町中で、どこにでもコンビニやガソリンスタンドがありそうだったので、もしものときは「降ろして!」と言えばどこでも降ろしてくれるだろうと思って参加しました。



1100、JR能登川駅集合。




集合時間の1時間半前に現地に行ってカフェに入ってのんびり過ごしました。




バスはまずJR米原駅で1000集合組を乗せてから能登川駅に来ました。


添乗員さん1名、市の埋蔵文化財担当者2名が付き添う、28名のツアーでした。
参加者の年齢層は高めでした。
わたしは絶対に平均年齢を下げていたと思う(笑)




最初の見学地は市の埋文センター。
一見古そうに見えますが、新しい建物だそうです。


1階に常設公開の展示がありました。
ちょっとだけです。
縄文から古代まで、このスペースだけ(^^;)

雪野山古墳石室のミニ復元もありました。




「もしかして、これを見るために立ち寄った?(;´・ω・)」

と思ったら、アッと驚く特別案内、2階の収蔵庫!

これはふだんは非公開ですよね。ツアー参加者は見学できました。


天井が高くて、棚もうえーの方まで入っていました。が、まだスカスカでこれからどんだけ発掘しても当分は埋まらないだろうというぐらいの巨大収蔵庫でした。


紐が張り巡らされているのはたぶん地震対策ですね。
わたしの職場も本棚に紐をかけて揺れで本が落ちて来ないようにしてあります(←わたしがした)。


下の展示よりこの収蔵庫の棚にポコッと置かれている土器類の方がわたし的には見ごたえあったですよ。


庭には横穴式石室の移築も。

埋文センターの横から  たぶん繖(きぬがさ)山。






埋文センターで配られた資料の袋の中に、おみやげらしき物品が入っていました。
雪野山古墳がいつの間にかキャラ化されていました!
しかも目つきが悪い!(笑)
2日目に登るのですが、たしかにこのキャラの人相通り凶悪な山でした・・・・


クリアファイル。


はにちゃんのキーホルダー。


次の行き先は、雪野山古墳のふもとの平田地区のコミュニティセンター。

発掘に参加された岡山大学の清家章先生の講演会があり、ツアーに組み込まれていました。


その前にお楽しみの昼食!!

コミュニティセンターにバスを止め、お店のマイクロバスに乗り換えて移動――だったのですが、マイクロバスに一度に乗りきらず、2組に分かれました。
わたしは2便目になったので、マイクロバスを待っている間、講演会場の見学。
まだ誰もいません。


会場後方に雪野山古墳竪穴式石室の実物大模型が展示されていたので、バスを待っている間見学しました。


見学している間に、清家先生と市の関係者の人たちが会場に来られ、下見をされていました。




バスが戻って来たので、昼食会場へ移動。
集落の中にある乙畔(おとくり)



万葉弁当をいただきました。

手前のマツタケみたいなのはサトイモです(笑)




乙畔の前から雪野山を望む。
中心より左の一番高いところです。






つづく