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乙3期 徳永有さん2017年09月27日 21時22分06秒

この人のこと、前にも書いています。


南昌飛行場に着陸して、敵機を焼き討ちにした小野了さんのことを書いたときに、小野機が故障したと思ったのか、自らの危険を顧みず助けるために同じように敵飛行場に着陸してきた僚機の操縦員が徳永有さんだったのです。



さらに、この人、9期の適性検査のときの教員だったらしく、藤代護さんが戦後に書いた手記に、
『(操偵適性検査時の)私の教員は、支那事変で敵の飛行場に強行着陸して、格納庫内の敵機を拳銃で焼き討ちした先輩四期の徳永一等航空兵曹であった。太い眉毛に、炯々たる眼光、その底に慈愛に満ちた笑みがたたえられている偉丈夫であった』
と、書いています。

「先輩四期」と書いていますが、3期です。

これを読んだときに、藤代さんの適性検査15班集合写真に一緒に写っている教員が徳永さんなのかな?と思ったのですが、よく見ると「太い眉毛に炯々たる眼光」という感じの人ではありません。
藤代さんと一緒に班写真に写っている教員。



「はて?」

と思っていました。


※現時点では、たぶん15班の面倒を見ていたのは↑この教員。が、藤代さんが適性検査で同乗してもらったのが徳永教員――という意味だったのだろうと解釈しています。






最近、島田さんの日記の適性検査のところを読んだのですが。

ありました!!

徳永教員の記述!

それも適性検査時ではなく、終わってからの話です。
14年6月10日で適性検査終了、霞空に帰隊。その翌日が日曜日で「休業」。
その日の日記です。

『午後外出。百遣の徳永教員と土浦にて合い倶楽部にて色々の事を話を聞いた。矢張り先輩だけに何となく其の気持が違う。ああ我等乙種予科練は先輩がいるので心強い。大いにやろう!! 徳永教員、後輩の私達を待っていてください』
※百遣・・・・筑波航空隊百里ヶ原分遣隊


よほど感激した様子であります。



ちなみに島田さんが操偵検査時のグループ写真で一緒に写っている教員は徳永さんではありません。
でも、藤代さんの例もあるので、もしかしたら同乗してもらったのが徳永さんという可能性は捨てきれません。

まあ、個人的に会ったというより、何人か(分隊員か班員か)で徳永教員と会って話を聞いた、って感じなのでしょうか。
徳永教員は後輩と話をするために、一人でわざわざ百里から出てきてくれたっぽいですよね。



じ、じつはですね(汗)
前日6月10日の日記を撮影し損ねていて、その内容がわからないのです(+_+)
まったくわからないわけではなく、紙がかぶさっている部分がわからない、と。
この紙に気を取られて、本文を撮影し忘れていました(T_T)
また見せてもらいに行ってきます。ホンマに何度もすいません(;´Д`)

この紙は何かというとですね・・・・。
ここには先任教員である先輩・2期の小山内末吉1飛曹の話が書いてありました。
この紙のこともまた書きたいと思います。




で、この内容がよくわからない6月10日の日記なんですが。
よく見ると「(先)輩の三期生・・・・」とか、「(殊)勲甲」とか、書いてあるんです。
これって徳永さんのことじゃないのか?
なんて思ったんですが、推測にすぎません。
ハイ、ちゃんと確認してからもう一度書きます。




ふだん予科練生が接している予科練の教員(教班長)はいろんな分野の人がいます。
砲術の人だったり、整備科の人だったり、機関科の人だったり。もちろん航空科の人もいたみたいですが、多くなかったみたい。
島田さんの日記に、二十三分隊教班長の階級・氏名が記載された箇所がありました。
それを見ると、航空科の人って8人中1人でした。

が、適性検査に行ったら、そこの教員たちはみな航空科の人ですからね。
しかも、直接の乙飛も先輩もいて、それこそ、
「よし! 自分たちも!」
と、先輩の姿に将来の自分たちの姿を重ねたことでしょう。

そんな中の一人、歴戦の勇士・徳永兵曹。

見つけました。

わたしのフォルダーの中に徳永さんとはっきり書かれた写真がありました!
↑いまごろかっ!?


それを元に、当時百里ヶ原で適性検査を指導した教員の集合写真から徳永さんを探しました。




前列イス席の右端。
「太い眉毛に、炯々たる眼光」 まさに!

これは予科練生、憧れますわ(´Д`)




ちなみに、上の教員集合写真の小山内先任教員。
あ、どうしてこの人が小山内さんだとわかったかというと、何年か前に当時ここで教員をされていた原田要さん(後列左から2人目、戦闘機)に教員集合写真を見てもらい、覚えている人のお名前を書き込んでいただいたのです。徳永さんは記憶されていませんでしたが、小山内さんは記憶されていました。








あと、これも徳永さんじゃないのかなあ?

と思ったのが、
羽藤さんたち12班の教員さん。


テキトーに言っているんじゃなくて、いちおう、うちにある適性検査集合写真に写っている教員を全部ばらして、一人ずつ照合してから言っています。

ただ、気になるのは、12班と一緒に写っている教員は教員の腕章をしていないんですよね(^^;)
しかし、集合写真に写っている分隊士・分隊長の顔ぶれを見ても、この人に該当する人はいないようなので、やはり徳永教員なのではないか?と。




この人、その後、どうされたんだろうな?

と思って、ネットで検索してみました。

そしたら、女子アナしか出てこなくてですね!(^^;)

困ってしまって、いつものKさんに助けを求めました。





「台南空の陸偵隊で、17年8月2日 東部ニューギニアで戦死されています」

とのこと。


「例の台南空本にも出ていましたよ」

とまで教えてくださいました。


例の台南空本!


・・・・!
この本、何回も読みましたよ!( ゚Д゚)


言われて探したら書いてありました。

『話を8月2日朝に戻そう。この日、すらりとした二式陸偵の1機がラエを発進してポートモレスビーの偵察に向かったが、0900少しすぎにラエ基地にはこの徳永有(たもつ)飛曹長機から敵機に遭遇との緊急通信が入電した。彼はこれがようやく同機により3回目の実戦飛行だった(同じペアで7月28日と29日にも偵察飛行を実施)が、彼と偵察員の班目昇1飛曹と電信員の森下八郎1飛兵が未帰還となった』
※本にはこれが2式陸偵3回目で7月28日と29日、同じペアでと書かれていますが、行動調書を見るとそうではないようです。


この本によると、撃墜した側の記録が残っているそうです。





なんともことばがありません。

上に出した教員集合写真と9期12班の適性検査集合写真。
あれ、羽藤一志さんのアルバムに貼ってあったものです。
羽藤さん――台南空の戦闘機搭乗員です。17年9月13日、ガダルカナルで戦死。

8月初旬、同じ隊ですよ、徳永教員と羽藤さん。
きっと同日中にも徳永教員の戦死は羽藤さんの耳に入ったはず。
羽藤さんだけでなく、このとき台南空には大勢の9期生たちがいました。
かれらも島田さんと同じ様に、予科練の先輩であり、適性検査時に指導してくれた徳永教員のようになりたい、と憧れていたのではないか。

目の前で徳永さんを失った衝撃はいかばかりだったか。



※画像は9期生ご遺族ご提供

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