木原兄弟 ― 2016年05月10日 08時36分08秒
先日ご連絡いただいたのは木原辰雄さんのご遺族の方でした。
福岡県出身、中攻操縦。
17年2月20日、4空、ニューギニア沖の敵空母攻撃で戦死。
福岡県出身、中攻操縦。
17年2月20日、4空、ニューギニア沖の敵空母攻撃で戦死。

これは予科練卒業時の雄飛の松の班写真から。
1学年時は13班(38分隊)、2学年時は羽藤さんや池田さん、石川さんと同じ班、3学年時も羽藤さん石川さんと同じ班、飛練は谷田部、その後中攻専修――ということで、けっこう手元にある写真に写っていました。
1学年時は13班(38分隊)、2学年時は羽藤さんや池田さん、石川さんと同じ班、3学年時も羽藤さん石川さんと同じ班、飛練は谷田部、その後中攻専修――ということで、けっこう手元にある写真に写っていました。
ご連絡いただいたきっかけなんですが。
その方はすでに地元を離れられているのですが、熊本の地震のあと、ご実家のお墓の様子を見に行かれたそうなんです。そこで戦死した辰雄さんとご兄弟の武雄さんのお墓参りをして・・・・。その後にこのブログを見つけたと書かれていました。
武雄さん。
海軍の搭乗員で、特攻で亡くなったと書かれていました。
ふつうに予科練生のことを調べているだけでは家族関係はまずわかりません。
『九期生名簿』には代表でご遺族の方1名、続柄とお名前が書いてあるんですが、それ以外の方はわかりません。
辰雄さんに搭乗員の兄弟がいたことは今回初めて知りました。
20年3月21日 菊水部隊 銀河隊 出水基地発進 九州東方機動部隊攻撃
762空攻撃406飛行隊
木原武雄飛長(操縦・特乙1)
朝比奈登1飛曹(偵察・乙17)
角田利男2飛曹(電信・甲12)
0625~0800にかけ、出水からK406の雷装銀河が5機出撃し、全機未帰還です。
そのうちの1機が木原武雄さん操縦の銀河でした。
ご兄弟の生年月日はわからないのですが、辰雄さんの方は9期の採用条件から大正12年12月以前に生まれていることはたしか。
特乙1期の武雄さんの方ですが、Kさんから採用時の要項のようなものは「予科練外史に載っていますよ」と教えてもらいました。
はっきりわからなかったのですが、Kさんのご意見をいただきながらいろいろ検討した結果、特乙1期生が大正12年より前に生まれていることはありえないだろうと。(たぶんですが)大正14生まれが最年長ではないか、ということに落ち着きました。
特乙1期生は18年4月採用なんです。
ということは、武雄さんは兄・辰雄さんの戦死後に海軍を志したということに。
送り出したご家族の気持ちはいかばかりであったか・・・・。
※画像は9期生ご遺族ご提供
向島兄弟 ― 2016年05月10日 09時54分09秒
10期の向島クロちゃんこと、向島重徳さんも弟さんが海軍の搭乗員です。

向島クロちゃん、予科練時代。
ご兄弟で艦爆操縦員で、吉野泰貴『流星戦記』によると、弟さんの明さん(乙15)は503空で19年4月30日、トラック島から機動部隊攻撃に出撃し未帰還。
重徳さんの方は、20年7月25日第7御楯隊第一次流星隊(K5)の隊長機操縦員として木更津基地から出撃し特攻戦死されています。
同じ10期の西兼淳夫さん。
ご兄弟で艦爆操縦員で、吉野泰貴『流星戦記』によると、弟さんの明さん(乙15)は503空で19年4月30日、トラック島から機動部隊攻撃に出撃し未帰還。
重徳さんの方は、20年7月25日第7御楯隊第一次流星隊(K5)の隊長機操縦員として木更津基地から出撃し特攻戦死されています。
同じ10期の西兼淳夫さん。

飛練時代。
戦闘303の分隊士で、20年6月7日、鹿児島(九州南方洋上?)で戦死されています。
この方の弟さんではないかと思う人を宮崎基地の特攻名簿で見つけました。
特乙2期の西兼登二さん。
20年4月16日、宮崎基地発進の第6銀河隊で特攻戦死されています。
淳夫さんと登二さんがご兄弟だと書かれたものを見たわけではないですが、特攻名簿に書かれた登二さんのご住所が、淳夫さんのご実家と同じ住所でした。
親戚で同じ家に籍を置いていた可能性も捨てきれませんが・・・・ご兄弟なのではないかと思っています。乙10期と特乙2期なので、おそらく淳夫さんが兄で、登二さんが弟さんでしょう。
ご兄弟で・・・・というのは当時は決してめずらしいことではなかったとは思います。
航空隊ではなくとも、9期の萩谷幾久男さんも弟さんが海軍の整備で戦死されています。
去年、愛媛でお参りにいった墓地には、戦死された4兄弟のお墓が並んでいました。
※画像は久保さんご提供
戦闘303の分隊士で、20年6月7日、鹿児島(九州南方洋上?)で戦死されています。
この方の弟さんではないかと思う人を宮崎基地の特攻名簿で見つけました。
特乙2期の西兼登二さん。
20年4月16日、宮崎基地発進の第6銀河隊で特攻戦死されています。
淳夫さんと登二さんがご兄弟だと書かれたものを見たわけではないですが、特攻名簿に書かれた登二さんのご住所が、淳夫さんのご実家と同じ住所でした。
親戚で同じ家に籍を置いていた可能性も捨てきれませんが・・・・ご兄弟なのではないかと思っています。乙10期と特乙2期なので、おそらく淳夫さんが兄で、登二さんが弟さんでしょう。
ご兄弟で・・・・というのは当時は決してめずらしいことではなかったとは思います。
航空隊ではなくとも、9期の萩谷幾久男さんも弟さんが海軍の整備で戦死されています。
去年、愛媛でお参りにいった墓地には、戦死された4兄弟のお墓が並んでいました。
※画像は久保さんご提供