初房総半島 ― 2015年04月06日 07時57分08秒
昨日は、家に帰ったらすぐに詳細をアップしようと思っていたのですが、東京行きでは毎度のこと、体調崩して早々に寝ました(+_+)
帰りの新幹線ぐらいからくしゃみと涙が止まらなくなり・・・・。
起きたら快復していました。
というわけで!
今回、初房総半島!
いままで茨城に行くときに千葉県を通過(!?)したことはあったのですが、本格的に訪問したのは初めて、しかも房総半島( ̄▽ ̄)
そもそもは館山に誘われたのでした。
山岸昌司さんや大澤昇次さんたちが艦攻の実用機訓練をやったのが館山とかで。
9期生のころになると艦攻は宇佐で実用機をやっているのですが、3年ほど早い先輩たちは館山でやったようなんです。
で、そこに行こう、と。
大澤さんにその話をしたら、
「自分たちのころは沖ノ島という島が海の中にあって・・・・。戦後訪れたときにはその島が陸続きになっていて」
みたいな思い出話もしてくださり。
戦闘機のO上飛曹も341空時代に館山にいたことがあり、そこでの訓練の様子や女郎屋さんの話をしてくださったことがあり。
行く気満々だったのですが。
前日泊まらなければとても館山までは行けそうにないと悟り、わたしは同行を辞退しました(T_T)
「午後、木更津で合流します」
「館山」は看板だけ見て行った気分に(笑)
帰りの新幹線ぐらいからくしゃみと涙が止まらなくなり・・・・。
起きたら快復していました。
というわけで!
今回、初房総半島!
いままで茨城に行くときに千葉県を通過(!?)したことはあったのですが、本格的に訪問したのは初めて、しかも房総半島( ̄▽ ̄)
そもそもは館山に誘われたのでした。
山岸昌司さんや大澤昇次さんたちが艦攻の実用機訓練をやったのが館山とかで。
9期生のころになると艦攻は宇佐で実用機をやっているのですが、3年ほど早い先輩たちは館山でやったようなんです。
で、そこに行こう、と。
大澤さんにその話をしたら、
「自分たちのころは沖ノ島という島が海の中にあって・・・・。戦後訪れたときにはその島が陸続きになっていて」
みたいな思い出話もしてくださり。
戦闘機のO上飛曹も341空時代に館山にいたことがあり、そこでの訓練の様子や女郎屋さんの話をしてくださったことがあり。
行く気満々だったのですが。
前日泊まらなければとても館山までは行けそうにないと悟り、わたしは同行を辞退しました(T_T)
「午後、木更津で合流します」
「館山」は看板だけ見て行った気分に(笑)

「そーか、このまま行けば館山かー(T_T)」
心は館山。
朝4時半起きで家を出て、お昼ぐらいにようやく袖ヶ浦に到着。
そこで久しぶりにガストに行きました(^o^)

アボカドフェアをやっていたので、アボカドハンバーグ♪
腹ごしらえをすませて、2時待ち合わせの木更津の自衛隊へ。
ちょっと早いかな?とも思ったのですが、途中で寄りたい場所があったので。
高須写真館。
木更津駅のすぐ近くでした。
ご主人(ご隠居さん?)が対応しくてくださり、当時の話をしてくだいました。
飛練10期中攻操縦専修生たちが大型機の訓練をしていた昭和16年はまだ子どもだったようですが。
突然訪ねて行ったにもかかわらず、いろいろ戦争中のお話をしてくださいました。
ありがとうございました。
写真館を出たのが1時半ちょっと過ぎ。
「早いかな?」
と思いつつ、木更津の自衛隊へ。
ナビを見ながらウロウロしていたら隊門発見!

「あれー? 海自って書いてある!?(;^ω^)」
慌ててメール。
「今日見学するのは陸上自衛隊ですよね?」
「そうです!」
「ここじゃねー!( ̄Д ̄;)」
隊門の番兵さんに、恥を忍んで、
「陸上自衛隊の木更津駐屯地はどこですか?」
って聞いちゃいました。ナビあるのに!
聞かれ慣れているのか、
「ここを右に行ってもらって、この信号を含めて○個めの信号を右に・・・・」
と、手慣れた感じで案内。
せっかく間違えて来たので、記念に海自っぽいのを撮ってから退却~

こっちが陸自の木更津駐屯地。

ここで館山から戻って来た戦史研究家Yさんと山岸さんの姪御さんと合流~♪
あらかじめYさんが手配してくださっていた資料館の見学をしてきました。
千葉真一さんのお父さんが搭乗員だったとかで、関連資料がけっこう置いてありました。
搭乗員といっても、わたしが知っているような時代の人ではなく、戦史人物経歴研究Kさんぐらいしか知らないような時代の方でした(^^;) 大正ぐらいの搭乗員。草分け的な。
大竹典夫さんゆかりの品もありました。
屋外に迷彩カバーにおおわれた一式陸攻のプロペラも置いてありました。4翅の。
たしかふつうは3翅ですよね。
プロペラ自体は見えなかったので「カバーが陸自っぽい」と、そこに注目(笑)
この日はめっちゃくっちゃ強風でですね(;^ω^)
台風みたいでした。春海が飛んでいきそうになっていました(笑)
うちでは台風のときでもこんな風吹かないぞってぐらい強い風でした。
自衛隊の見学といえば若者のスカウトが定番ですが。
春海も、
「自衛隊、どう?」
って案内の人に誘われたそうです(爆)
畳の上での匍匐前進でひじが血まみれになるような弱兵に声をかけたらいけませんぜ(笑)
3時過ぎに見学終了して、Yさんたちは茂原に。
わたしも行きたかったんですが、ある事情で断念。
そしたらYさんが、
「よかったら、明日茂原ご案内しましょうか?」
と。
わたし、図々しいからそんなん言われたらおことばに甘えちゃいますよ!( ̄▽ ̄)
――って、翌日、Yさん、お休みのところを出てきてもらい、茂原を案内してもらったのでしたー!!(*´▽`*)
ドライブがてら、海軍話をしながら茂原へ。
「茂原」ももちろん魅力的には違いないですが、数時間Yさんを独占できて話を聞けるというのがこれまたなんとも(*^。^*)
Yさん、まるで「我が町」のようにサクサク案内してくださいました。
たぶん、自分一人で来ていたら掩体壕1つ見つけられなかったと思われます(^^;)
最初に行った掩体壕。

掩体壕2つ目。

こちらはちょっと遠くから見学。
茂原の掩体壕、変わってる!!( ̄▽ ̄)
って思いました。
松山の掩体壕は大小2つのかまぼこをくっつけたような形をしています。
茂原の掩体壕、変わってる!!( ̄▽ ̄)
って思いました。
松山の掩体壕は大小2つのかまぼこをくっつけたような形をしています。

「掩体壕」といえばこのイメージだったので、茂原の「ゆるやかにすぼまっていく形」は新鮮でした。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、茂原の1つ目の掩体壕は内部が奥に向ってこんな感じ。
松山は内部もかまぼこ2つ結合の形のままなんですよ。
松山は内部もかまぼこ2つ結合の形のままなんですよ。

ちなみに高知もかまぼこ大小2つ結合型です(図面によると)。
いろんなタイプがあるんですね、おもしろーい。
地域で違うんだろうか、年代で違うんだろうか?
そのあと滑走路あとの直線道路を走ってもらいました!!

「西澤さんもここを離着陸したに違いないっ!!\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄) ̄) ̄)))/」
わたしがあまりにもハイになったためか、Yさん、2回もここを走ってくださいました!!
動画、撮りましたよー!!\( ̄▽ ̄ )/
西澤さんになった気分!!
そのあとも搭乗員ゆかりの場所に連れて行ってもらいました。
こんなんは本にもネットにも出ていないだろうという場所ばかり。
Yさん、お休みのところ、ホントにホントにありがとうございました!
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