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乙9期 萩谷幾久男さん2015年02月09日 20時02分44秒

スイマセン、お顔がわからないのですが。

「はぎや」と読むそうです。



9期生の中には、海軍の大きな事件に関わって戦死した人が何人かいます。

谷村博明さん・・・・18年4月18日、山本長官が空中視察・戦死した際の2番機(宇垣さん搭乗機・一式陸攻)の機長で偵察員。助かった人もいますが谷村さんは戦死です。

西谷芳数さん・・・・19年3月31日、パラオからダバオに向っていて行方不明になった古賀長官搭乗機(二式飛行艇)の電信員。

遠藤秋章さん・・・・20年8月15日。玉音放送のあとで大分から沖縄に出撃した宇垣長官搭乗機(彗星)の偵察員。



そして、これも海軍にとっては悲劇的な事件だったと思うのですが、北千島における陸軍戦闘機・隼による海軍96陸攻撃墜事件。

19年7月24日。
北千島に飛来した五十一航戦首席参謀・板谷茂少佐搭乗の96陸攻を、隼が米軍機と見誤り撃墜した事件です。陸攻の搭乗員は全員戦死。

この事件を初めて知ったのは渡辺洋二さんの『重い飛行機雲』「さいはて邀撃戦」(文春文庫)でした。
96陸攻の搭乗員は板谷少佐以外記載されていません。

なので、まさかここに9期生が関わっているとは思っていませんでした。


ヒトから聞いたんですよね。
このとき撃墜された96陸攻に萩谷さんが乗っていて戦死されていることを。
たしかに萩谷さんの戦死日は19年7月24日、場所は占守島です。

ただ、聞いて知った、というだけで、資料や活字で確かめる機会がありませんでした。

それに、萩谷さんは艦攻の偵察員のはず。
どうして96陸攻に?
というのがあり半信半疑でした。

去年、艦攻操縦員の大澤昇次さんと文通していて、ハッと、
「もしかして、大澤さんは萩谷さんと同じ飛行隊(553空攻撃252)だったのでは? 何かご存じなのでは?」
と気づき、尋ねてお返事をいただいていました。

お返事というのは、隊誌の記録と萩谷さんのこと少々。

隊誌にはそのとき同乗していて戦死した搭乗員名が書かれていました。
板谷茂主席参謀
山本茂大尉(指揮官)
鞘野宗夫飛曹長(主操)
萩谷幾久男上飛曹
松浦吾郎上飛曹
鍋田昌男1飛曹(偵察員)
鶴田忠正2飛曹
東岡房太郎2飛曹(電信員)
三浦昌保飛長(副操)
丸下勝太郎整曹長(機上整備)
あとお一人いるらしいのですが、お名前不明だそうです。

配置を書いていない人が攻撃252の便乗者のようです。萩谷さんも。


この事件のとき、大澤さんは交替して北海道美幌基地に戻って来ていたらしく、「萩谷さんの戦死事件は知りませんでした」とのことでした。

『萩谷さんは背は私よりちょっと低く、少し背ボンコ(猫背、新潟の方言のようです)、ズングリ格好だったように記憶しているのですが・・・・』

大澤さんが送ってくださった『記録攻撃二五二飛行隊』にも、「さいはて邀撃戦」にも96陸攻が撃墜されたときの生々しい様子が描かれています。
あの中に萩谷さんがいたかと思うと胸が痛いです。




萩谷さんは真珠湾攻撃に赤城艦攻隊の電信員として参加しています。
真珠湾攻撃から帰って来てお兄さんに宛てて書いた手紙が雄翔館にあります。
文面から誇らしげな様子が伝わってきます。


萩谷さんは、翔鶴で南太平洋海戦にも参加していて、山岸昌司さんの艦攻(電信員・村上守司さん)の最期を見届けた人でもあります。



おもいで
「宇都木教班長「オイ、オギヤ」「チガイマス、ハギヤです」ぎょろ目で見返していたっけ。「ウンダ、ウンダ」俺とは同班でいつも一緒に怒鳴られていたなー」

「隣の班だったが、いつも人気者だった。怒ってる教班長も途中で笑い出したっけ」

「同県人。明るいよいヤツだった。飄々としたところもあったね」




19年7月24日   553空 占守島



画像を添えてこちらに書き直しています。

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