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ホリブン、恥を忍ぶ2009年09月03日 12時14分32秒

一ツ瀬川
加藤さんの『皇統護持作戦』、ここでも何回か取り上げてきましたが、いまだに触れていなかった一節があります。杉安時代の話です。紹介します。

『当地は農業林業中心の僻地だけに娯楽としては少なく、村の青年団主催の素人芝居が各所で催され其の「リーダー」 には後口家の幹部が指導者として、我々は役者として狩り出され芝居の 〔父帰る〕 〔破れた鏡〕 寸劇の 〔平林〕等随分恥を忍んで努力したが、之が土地の人々の好感と親密感を生み出してくれた思い出がある。』

ずっと読んでくださっている方はおわかりだと思いますが、あまり読んでおられない方のために、ちょっと解説を加えます。

これは終戦直後、343空の大村哲哉さん(兵72期・大尉)、加藤種男さん(機53期・大尉)、ホリブン(乙飛10期・飛曹長)の3人が行在所計画の密命を受け、杉安潜伏。そのときのできごとを記した部分の一節です。
れっきとした史実であり、ママが勝手に作った話ではありませんので。

ですから、加藤さんが「我々」と書いているのは、大村さん、加藤さん、ホリブンの3人、ということです。

宮崎に帰っている間、毎朝、宮崎日々新聞に目を通していました。
2日目か3日目の紙面に、1947年の田舎芝居、という集合写真が掲載されていました。
芝居に出演した青年たちの集合写真だったのですが、みな、役の扮装をしたままでした。
若い男性もいましたが、顔面には派手におしろいを塗り、目の周りを濃くして、まるでチャプリンの顔のようになっていました。

コレを見たとき、あの加藤さんの一節が・・・・。
『随分恥を忍んで努力した・・・・』
もしかして、ホリブンたち海軍航空隊の猛者連もこんな扮装をさせられて芝居をしたのかな?

たしかに、こんな格好をして芝居をしたら「土地の人の好感と親近感」は得られるだろうなあ・・・・と思いました。
ぜひ見たかった!!
杉安の田舎芝居の写真は残っていないのかなあ。

何度も言いますが、ホリブンは物静かな人だったらしいです。
もともと騒ぐのが好き♪って搭乗員なら仮装演芸会もノリノリでしょうが、ホリブン、いったいどんな気持ちで田舎芝居に参加していたんでしょうね(^_^;)。聞いてみたかったなあ。
先任搭乗員、分隊士など責任の重い仕事をしていたので、やらねばならぬと覚悟を決めたら進んでやったとは思いますが・・・・。


画像は、3人が潜伏していた杉安・和田旅館の北側あたりから、ホリブンが鰻をとったという一ツ瀬川を写したものです。
(対岸の茂みの向こうに和田旅館のあった集落があります)

ただし、あの当時とかなり様相が違うそうです。
戦後、この上流にダムができて、水量が減ったんだとか。
これ↑でもずいぶん水が多いように感じますが、ホリブンがいた頃はもっとあったようです。
鰻、どうやってとったんだろう??

わたしは魚はダメですが、もしホリブンが、
「腹を空かせているママさんのために、おれが川でとってきたよ」
と言ってくれたら・・・・(*^^*)

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