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BⅠ-312号機 もう1機の蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機2023年07月14日 23時31分00秒

蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機の金井昇1飛曹の真珠湾攻撃時の愛機はBⅠ-318号機と言われています。

ウェーク島攻撃時の写真が残っているとかで、よく図化されているものを見かけます。
プラモデルにもなっています。

(この写真の金井機は爆弾を吊っていないようにありますが、ウェーキ島攻撃時は爆弾を落とす前に敵機からの攻撃を受けているので、この写真はどういうことかな???? それ以前の哨戒時の撮影だろうか?)


ちなみに、わたしもずいぶん前に350分の1赤城艦載機のうちの1機を金井機にしてストラップを作ったことがありました。


先日、蒼龍艦攻隊水平爆撃隊のもう一人の嚮導機偵察員である藤波貫二1飛曹のお孫さんと金井機の話になって、
(そういえば、藤波さんの愛機の機番号はわかっているのかな?)
と疑問が沸き、藤波機操縦員の乙5期・大多和達也さんの手記『予科練一代』(光人社NF文庫)を見返してみました。

ありました!!

真珠湾攻撃出撃時の話に、
『私が愛機(BⅠ-312号)に駆け寄ると、機付きの江口二整曹が・・・・』
というくだりが。


おお、これこれ(^o^)


で、最近どはまりしているイラストレーターで藤波機を再現してみようと思い立ちました。

まず見たのは『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢/吉野泰貴)大日本絵画。
巻頭カラーページに真珠湾参加機の塗装図が出ているんです。塗装図は西川幸伸さんという方が描かれたみたいです。

佐藤機(金井昇1飛曹搭乗機のことですが、これ以降は機長の佐藤治尾飛曹長(操縦)のお名前をとって「佐藤機」という名称にします)は胴体後部に白縁のある青ラインを巻き、垂直尾翼には白縁のある赤い機番号が入っています。
こんな感じですね。
ホントは大きい絵は見せたくないんですが(笑)

ちなみに蒼龍は2航戦の「B」に1番艦の「Ⅰ」、ハイフンの後に3から始まる3ケタの数字が入っています。佐藤機は「BⅠ-318」です。

同じ本に、長井彊大尉機(長井大尉(操)、谷口惣一郎飛曹長(偵)、太田五郎1飛曹(電))の塗装も載っていました。雷撃隊隊長。
こんな感じで、胴体後部の帯にも機番号にも白縁はありません。
機番号の下の青い2本線は分隊長のしるしだそうです。
機番号はBⅠ-311で再現されています。実機写真があったようなことは書かれていなかったので、どなたかの証言でもあったのか、作者が推測して描いたのか、それはわたしにはわかりません。



ちょっと古いんですが、1992年発行の文林堂の『世界の傑作機 97艦上攻撃機』には佐藤機と山本貞雄中尉機(新谷潔1飛曹(操)、山本中尉(偵)、鈴木四郎3飛曹(電))の塗装図がありました。
こちらの考証協力は押尾一彦さん、作図野原茂さん。
佐藤機は『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』版と違い、機番号に白縁がありません。
しかし、一番上に出した画像(アレはトレースですが)が本当にウェーク島攻撃時の佐藤機であれば、尾翼の機番号は白っぽく見えるので白縁があった説の方が説得力があります。
たぶんベタ塗りの赤だったらあんな風に白く浮かんだように見えないと思うんですよね。
もしかしたら赤ではなく、もっと明るい色でベタ塗りしていたのかとも思えますが・・・・。


山本中尉機
山本さんは水平爆撃隊の第2中隊の中隊長です。
再現は「BⅠ-320」号機。
この人の2番機、この中隊の嚮導機が藤波機です。
本が違うので何とも言えませんが、中隊長機には機番号の下に青い線が1本入るってことなんでしょうね。



さて。
胴体後部の青ラインに白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?
垂直尾翼の機番号に白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?

真珠湾攻撃時の他の艦の97艦攻の機番号写真も見たんですが、はっきり白縁だとわかる写真はないんですよね。
どちらかというと黄色っぽいベタ塗り?って感じの白っぽい機番号はありました。飛龍のBⅡ-307号機。けっこう機番号がはっきり見えているんですが白縁にも見えないし、赤のようにも見えないし。赤だとしたらずいぶん明るい赤なんじゃないか。白黒写真なので何とも言えないんですが。

『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』の塗装図の解説には佐藤機のBⅠ-318号機は尾翼の写真が残っていて「白フチ付の文字で描かれている」とはっきり書かれているので、まあ、佐藤機はそうなんだろうな、と思います。

もし、佐藤機だけ白フチ付だったとしたら、どういう違いがあるのか?
考えてみたのですが、
・12分隊の機番号は赤に白縁付き(佐藤機は12分隊)。11分隊は赤ベタ(長井機、山本機は11分隊)。
・嚮導機は赤に白縁付き(佐藤機)。嚮導機以外は赤ベタ(山本中尉機)。雷撃隊も赤ベタ(長井大尉機)。
これぐらいしか思いつきません。


青い帯に白縁があるとかないとかも実際そうなのか、そうだとしたらどういう違いがあるのか考えないといけないのですが、わたしが見た中では明らかに胴体後部の帯に白縁がついているのは赤城の淵田機(印度洋作戦時)だけで、他にはなかったんですよね。一番上の佐藤機と言われているBⅠ-318号機の写真もよく見ても白縁があるのかないのかわからないです。



結局、いろいろ考えてみたのだけれど実機写真がない以上どれも想像でしかなく、とにかく大多和さんが愛機と言われているBⅠ-312号機をいろんなバージョンで作ってみました。
(風防枠の迷彩はわたしには至難の業だったのでベタ塗りにしました)


※2307151107尾翼機番号の作り直しをしたので(Bの中の迷彩が出るようにした)、ここ以下、図を差し替えました。


青帯も機番号も白縁付き。





青帯も機番号も白縁なし。





青帯だけ白縁付き。





機番号だけ白縁付き。





このうちのどれかなんじゃないかな?(^^;)

ちょーいいかげんな結論でスイマセン。


コメント

_ おりおん ― 2023年07月15日 18時05分01秒

藤波貫二の孫です
この度は祖父の愛機をイラストで起こしてくださって感謝です
金井機のミニュチュアを先日偶然入手して
親戚一同盛り上がったお話はさせていただきましたが
このイラストのお陰で 祖父の機体番号まで知ることができて
親戚一同 盛り上がりを通り越して 『爆上がり』でした
ご尽力感謝いたします

_ mama ― 2023年07月15日 20時58分45秒

コメントありがとうございます!!
大多和さんが手記に書かれていたのでそうなんだろうと思います。実機の写真が残っているとなおよかったですけどね(^^;)
どなたかぜひ藤波機プラモデルにチャレンジしてください。
ご親戚の皆様にもよろしくお伝えください。

_ Gさま ― 2023年07月25日 16時41分48秒

はじめまして。いつも拝見しています。
さて、私もハワイ海戦から南太平洋海戦の頃の空母艦載機や搭乗員について勉強しています。中でもこの時代の白黒写真は粒子も荒く、あるいは橙色フィルターを装着したカメラで撮られた写真では、赤色が白く抜けて逆に緑色が黒く写ったりしています。また最近ネットで見たのですが、真珠湾第二波制空隊長の進藤三郎氏実家からハワイ海戦前の機体に関する資料が出てきたそうです。
その資料によると、水平爆撃嚮導機は機体の尾部を赤く塗る事になっていたそうです。私は初耳でした。
事実はどこにあるのでしょうか。さらに勉強していきたいと思います。
お邪魔致しました、失礼致します。

_ mama ― 2023年07月29日 15時38分44秒

Gさま
コメントありがとうございます!
嚮導機は尾部を赤く塗るですか? それは貴重情報ですね!
尾部を赤くと言われると淵田機をイメージしますが、あんな感じでしょうかね?
時間があれば藤波機もあんな感じのものも作ってみることにします。

_ Gさま ― 2023年07月31日 00時33分22秒

再度お邪魔させて下さい。
水平爆撃嚮導機は尾部を赤く塗るとの事について、私感(妄想)を語らせて下さい。
嚮導機尾部を資料通りに赤くした場合、おそらく淵田機のような塗り分けではなく、垂直尾翼だけのような気はしています。そして機番号は白なのではないかと。
あるいは、計画はしたが実際には赤く塗らなかったのではないかとも。本当に赤くしたのか疑問さえ感じます。
あくまでも私個人の妄想ですので右から左へ流して下さい。
お邪魔致しました。失礼致します。

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