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宇佐に行ってきました3 宇佐市平和資料館2024年06月01日 11時08分42秒





宇佐には、操練出身搭乗員さんのお孫さんたちと織田さんに会いに行ってきたわけですが。

お孫さんたちとは10時半ごろに宇佐市平和資料館で待ち合わせしていました。
お孫さんたちは前の週にもここに来られていたんですが、初訪問のわたしのためにここで待ち合わせにしてくださいました。

宇佐市の平和ミュージアム担当者の方もここで合流、織田さんと一緒に説明してくださいました。




中、写真撮影OKだったのですが、織田さんの説明に聞き惚れていてあまり写真を撮っていないんですよ💦

中の様子はこちらのサイト(宇佐市平和資料館リニューアルのお知らせ)に出ていますのでどうぞ。


ほとんど撮っていない中で、飛びつくようにして撮ってきたのがコレ!!
「宇佐海軍航空隊」の文字が入ったペンネント!!
ひどい画像でスイマセン。
現地で確認せず、文字が撮れていないことに気づいたのは帰りのフェリーの中でしたorz


こんな感じで文字が入っているんですけどね。

「宇佐海軍航空隊」


「なんすか、これ!! 初めて見ました!!」
ペンネントというのは兵階級の人が軍帽に巻く帯です。
もともとは所属の艦や隊の名前が入っていたのですが、どうも昭和16年6月から防諜上の理由(らしいです)で、「大日本帝国海軍」に統一されてしまいました。

なので、9期生の兵時代のペンネントも「横須賀海軍航空隊」「霞ヶ浦海軍航空隊」「土浦海軍航空隊」「谷田部海軍航空隊」「筑波海軍航空隊」「鈴鹿海軍航空隊」はあるのですが、16年6月以降に初めて所属した隊の分は「大日本帝国海軍」のペンネントになっています。
艦攻操縦、艦爆操縦は16年6月から、偵察の一部は16年8月から宇佐海軍航空隊で訓練をやっているんですが、すでに「大日本帝国海軍」のペンネントに変わっているうえに、そもそも宇佐空時代の写真がわたしの手元に1枚もないので。
他クラスの宇佐時代の写真も、ペンネントに「宇佐海軍航空隊」の文字が入ったものを見た記憶がありませんでした。
久保さんのも「大日本帝国海軍」ですしね。

と思って、念のため確認を・・・・と、飛練16期の宇佐卒業時(17年3月)の集合写真を見てみたら・・・・。

「あっ!!(;゚Д゚)」

と驚く衝撃事実発見!!


なんと! 「宇佐海軍航空隊」と「大日本帝国海軍」のペンネントが混在していました!(;゚Д゚)
※緑が「宇佐海軍航空隊」、白が「大日本帝国海軍」
”混在”となると、何か傾向はあるのか?と思うのが当然。

艦爆13名中
「宇佐海軍航空隊」・・・・13名
「大日本帝国海軍」・・・・0
艦攻14名中(下士官の武田清さん除く)
「宇佐海軍航空隊」・・・・3名
「大日本帝国海軍」・・・・10名

傾向、出ましたー(^_^;)
おそらく艦爆専修生は「宇佐海軍航空隊」、艦攻専修生は「大日本帝国海軍」なのでしょう。
しかし、傾向から外れている人が3人いるのが気になります。
外れているのは艦攻専修の古沢嘉彦さん、古館甚平さん、加納清二さんです。3人は「大日本帝国海軍」が大多数の中で「宇佐海軍航空隊」をつけています。


この3人に共通点はあります。3人とも所属が横須賀鎮守府。
しかし、艦攻で横須賀はほかにも菊田寿雄さん遠藤勇次郎さんがいるのですが、お二人は「大日本帝国海軍」です。

何ですかねー?
結局わからないんですが。

「『大日本帝国海軍』ペンネントが足りなかった」とかなんでしょうか。

艦爆専修生と艦攻専修生を区別するためなら、古沢さん、古館さん、加納さんも「大日本帝国海軍」になるはずですしね。

かれらが宇佐空に辞令発令されたのは16年11月末。
完全に「大日本帝国海軍」に切り替わっていた時期と認識していましたが、宇佐空では依然「宇佐海軍航空隊」を貸与していたようです。


謎だ(;´・ω・)

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