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加藤兄弟のお兄さん2022年09月14日 20時39分56秒

加藤兄弟(ふたご)のお兄さんの方(海造さん)、という意味ではなく、加藤兄弟(ふたご)の上のお兄さん、という意味です。

おふたりには4つ年上のお兄さんがいました。
陸軍に行かれたようですが、20年に戦死されています。



お兄さんがいることは把握していたのですが、アルバムにお兄さんの写真があるのか、あるとしたらどれがお兄さんなのか、わたしはわかっていませんでした。


アルバム台紙にお兄さんの写真が貼ってあったらしい書き込みはありましたが、そこに貼られた写真は明らかにお兄さんではなく。

逆に、「お兄さんでは?」と思う写真が貼ってある箇所もあったのですが、台紙の書き込みは友人であることを示す書き込み。

まあ、どちらも書き込みと写真が一致していない(あとで貼り替えている)ことは明らかでした。




数日前、偶然のことからお兄さんの写真がわかりました。
「お兄さんでは?」と思っていた写真でした。
この右の人が加藤兄弟のお兄さん、「賲」(保の下に貝)さんです。
ネットで調べたら「たもつ」と読むようですが、実際の読み方はわかりません。

台紙では、この写真に一番近いところに「竹馬ノ戦友豊田君 北浦」と書き込まれていたのですが、貼り直しの痕跡があったので一致していない可能性があるだろうとは思っていました。


どうしてこれがお兄さんの写真とわかったかというと、↑この写真の所有者とは別の知人が「賲」さんの名前が書かれた写真を所有していたからです。

ビックリでしょう(^^;)

「知人」が複数出てくるので、わたしに加藤兄弟のアルバムを見せてくれた知人をAさん、上に書いた「別の知人」をBさんとしましょう。

わたしはAさんともBさんとも知り合いですが、AさんとBさんはたぶん直接の知り合いではありません。
わたしはAさんにBさんのお名前を伝えていないし、BさんにもAさんのお名前を伝えていないので、もしかしたら知り合いの可能性もあるかもしれませんが、おそらくおふたりに接点はないのでは?と思っています。





・わたしは加藤兄弟のお兄さんの名前が賲であることは把握していたが、顔を知らなかった
・Bさんは賲と書かれた写真を所有していたが、賲さんが何者かご存じなかった
→偶然、お兄さんの話になって突き合せた結果、賲さんの顔と名前が一致したと。

Bさん所有の「賲」と書かれた写真を見せてもらったところ、たしかに上の写真の右の人でした。

わたしはわかった瞬間はなんか感動しました。




加藤兄弟(ふたご)の兄・海造さんが19年6月、弟・陸造さんが11月に相次いで戦死した後、賲兄さんも20年5月、陸軍で戦死。
戦死時の階級なのか戦死後の階級なのか不明なのですが「曹長」だったみたいです。

1年ほどの間に3人の子どもを亡くしてしまったご両親の悲嘆はいかばかりだったか。


※画像は知人Aさんご提供

飛練の七つボタン2022年09月08日 16時28分03秒

↑最近、気になって気になってしかたがなかったこと。

わたしは「予科練の乙9期生のことを調べている」とヒトには言っているんですが。
乙9期というのは昭和13年6月に予科練に入隊、15年11月末で予科練を卒業、飛練に進み、16年10月末で飛練を巣立って一人前の搭乗員になったクラスです。
なので、17年11月に予科練に導入されたという予科練の代名詞「七つボタン」にはまったく縁のないクラスです。

なので、七つボタンの軍服に関してはほぼ無知です。


ちょっと前に、
「予科練にふたごの搭乗員がいる」
という話を書いたことがあるんですが、おぼえていますか?

かれら、お顔がそっくりでわたしは見分けがつきません(^^;)

で、何とか階級章や軍服などから見分けがつかないだろうかといろいろ見て行くうちに、七つボタンの軍服の知識ナシではダメだ、ということに気づきました。

双子の兄弟は、乙15期の加藤海造(かいぞう)さんと、丙4期の加藤陸造さんです。
海造さんがお兄さんで、陸造さんが弟さんです。
大正13年6月生まれ。

見せてもらったアルバムは兄の海造さんの記名があるのですが、貼ってある写真の中には明らかに弟・陸造さんと思われる写真もありました。

たとえばこれなんですけどね。


整備の階級章(3等整備兵)をつけています。

乙飛の海造さんはこの階級章をつけることはないので(乙飛・甲飛は最初から航空(飛行)兵)、これは丙飛の陸造さんと。



アルバムには七つボタン姿の写真もありました。
たとえばこれですが。


予科練に七つボタンが導入されたのは昭和17年11月1日ということのようですが。
乙15は15年12月1日に予科練に入隊しています。ということはその時点では従来のジョンベラということです。
予科練卒業が17年12月1日。
海造さんは予科練の最後の一ヶ月が七つボタンだったことになります。

じゃあ、陸造さんは?
陸造さんは丙4予科練時代(16年5月1日~9月30日)は七つボタンの軍服はまだ導入されていません。



七つボタンって予科練の代名詞なので、わたしはてっきり予科練だけかと思っていたのですが。
他の人の写真も色々と見ていたら、
「いや待て、飛練も七つボタンで写っているぞ」


ホントにそうなのか?
いろいろ探して、これを見つけました!
K上飛曹にいただいた冊子。

辛子明太子伍長さんが書いた予科練・海軍航空隊に関する簡単なイラスト説明パンフです。
K上飛曹も協力されたとかで、出版直後にいただきました。

この冊子の中に七つボタンの説明ページがあり、そこに、
『この制服は予科練と、本科にあたる飛行練習生の両方が着用しました』
と書いてありました。

「これこれ! この情報が欲しかった!!」


そういう目で見たら、なるほどすっきりしました。


これは藤本速雄さん(丙13)の写真。
第二十九期飛行練習生修業記念。

わたし、この写真、ずっと大村での戦闘機の修業記念かと思っていました。
大村時代の教官・教員だった坂井三郎さんやホリブンが見当たらないので、おかしいなとは思っていたんですよ(^^;)
昨日、七つボタンの件で見返していて、
「これ、百里原やん」
って気づきました。背景が浅川さんの百里原写真と同じ建物でした(窓の形状、換気口の位置、配管の位置など)。
知人Hさん情報によると17年11月から18年4月まで百里原で中練やっているみたいです。
練習生は七つボタン。



これは久保さん(乙10)の大村教員時代の飛練29期(乙15)修業記念写真(たぶん攻撃機)。

こちらは海造さんの飛練29期大分戦闘機の修業記念写真。

ジョンベラやんな(^^;)

ここで引っかかっていたのですが、昨日の夜、やっと理解できました。

「飛練も七つボタン」、これが基本でしょう。

じゃあ、なぜ久保さんと海造さんの写真の練習生たちはジョンベラなのか。

これは海造さんです。

ジョンベラの理由はたぶんこれ、特技章。

つまり、この修業写真は飛練の最後の最後の日であり、一人前の搭乗員(特技章持ち)のスタートの日でもあるわけです。

この撮影直前までは七つボタンだったのでしょう。
特技章のついたジョンベラを着て、無事飛練を巣立っていく、その記念写真です。

久保さんの方の練習生たちも特技章をつけています。

藤本速雄さんの方は中練の修業記念写真なので、まだまだ飛練の中ほどです。
このあと各実用機に分かれて仕上げの訓練が待っています。
なので七つボタンのまま、特技章はまだもらっていません。

ということがやっと昨日の夜理解できました。
遅いっちゅーの(+o+)




これは藤本久夫さん(乙10)が教員をしていた時の飛練修業写真。
どこで何期かは不明です。
1枚物で裏書もなかったです。


これも藤本久夫さん。
どこで何期かは不明。

藤本さんの経歴的には大井空か出水空じゃないかと思うんですが・・・・。
これらは七つボタンなので中練の修業記念写真なのでしょうね。



上に出した久保さんの飛練29期(乙15)と一緒に貼られていた練習生とのペア写真。
修業の日に撮られたんですね。
練習生たちは特技章をつけています。昨日気づきました。
この日で教員、練習生はおわかれです。


久保さんの大村・飛練30期。
「丙」の書き込みがあります。
実用機なので、このあとはもう実施部隊です。みんな特技章のついたジョンベラ。


久保さん、大村・飛練31期。
乙16って書き込みがあります。これは練習生たち、下士官に任官しています。
乙15・飛練29期の海造さんは大分を卒業して1ヶ月ぐらいはまだ兵階級でジョンベラだったんですけど、乙16のこの人たちは飛練中に下士官に任官しているってことですかね。
飛練中に下士官に任官した場合はどうなるんでしょうね?
七つボタンに下士官の階級章をつけるんでしょうか。それとも七つボタンはやめて下士官の軍服になるんでしょうか。また新たな課題ができたぞー( ;∀;)


せっかく予科練・飛練は七つボタンのかっこいい軍服をゲットしたのに、飛練卒業時に兵階級だったら結局ジョンベラは着用しないといけないってことですね。





なんかややこしいですね。
9期(飛練10期)の頃と全然違うから。   ←言い訳

9期の頃ってまだ兵階級は航空隊名が入ったペンネントをつけていました。
たとえば「横須賀海軍航空隊」とか「霞ヶ浦海軍航空隊」といったものです。
これがあるおかげである程度の撮影時期の絞り込みができます。
さらにそこに階級章や善行章などを加えてけっこうな狭い期間に絞れるんです。

しかし、乙15ぐらいの時期になるとペンネントが途中から「大日本帝国海軍」に統一され、どこの航空隊所属かわからなくなるし、さらに途中から軍服が七つボタンになるので、予科練と飛練の見分けすらつかなくなります。
七つボタンの、予科練と飛練の見分け方とかあるんだろうか?


上にちょっと書いているのですが、陸造さんは予科練時代は七つボタンの着用はありません。
が、飛練卒業が遅れたのか、飛練の最後の方は七つボタン導入後の時期にかぶっているんですよ。
ということは「七つボタン=海造さん」とも言えないわけで。
陸造さんは飛練卒業までは整備科の階級章をつけているはずです。
しかし、古い丸形の階級章だったら整備科の階級章は一目瞭然なのですが(上の二種ジョンベラの写真)、17年11月に導入された盾形の階級章だと白黒写真では飛行科なのか整備科なのかよくわからないんですよね・・・・。
※階級章の桜の部分の色で科の区別(↓わたし加工)
飛行科

整備科

仕事が雑でスイマセン(汗)






ふたりの所属航空隊、進級状況の一覧表を作ってそれとにらめっこしながら、どの写真がどちらなのか鋭意検討中です。

なんかもろもろややこしいことがあって道のりは困難です。





ところで。
ふつうふたごって、一卵性でいくら似ていると言っても周りの人は見分けがつきますよね。
前にも書きましたが、高校時代、同じクラスに一卵性のふたご男子がいましたが、似ているけど見分けはつきました。

加藤兄弟も、実際周辺にいた人たちは見分けがついたんだろうな、とは思うんです。

が、写真を見る限りでは、わたしは見分けがつきません。

が、じつはこのふたり、一緒にいたら見分けがつくんです!

ということが最近になってわかりました。





ちょっと前に、海原会のフェイスブックに、ホームページにスマホ版ができました、みたいなお知らせが出ていました。
で、ちょうどそのときスマホで見ていたので、どれどれ、とクリックしてみたのです。

そしたらこの画面が出てきてビックリ仰天!
※「お知らせ・更新情報」の「双子の予科練さん」をクリックしてください

今年の4月におふたりの遺品展をしていたらしいのです。

ここに出ている画像の右下におふたりが並んだ写真が出ているでしょう?
わたしの手元にはない写真で、初めて見ました。貴重なツーショット。
おふたり、体格に違いがありました。
海原会の人に詳細を尋ねてみたところ、この画像は陸造さんの海軍入団の際の記念写真ということでした。
左の人物の方が、右の人物より7、8センチほどは背が高いように見えます。
肝心の、どちらが海造さんでどちらが陸造さんかはわからんのですが(^^;)

なので、ふたり一緒にいれば、背が高い方が〇造さん、みたいな感じで見分けはつくんでしょう。

もしかしたら、声でわかるかもしれないですしね。
あと、歯並びでもわかるかも。わたしの手元に笑っている写真があるのですが、歯並びがちょっと特徴的かも。ふたりとも同じ歯並びの可能性もありますけどね(^^;)

動いている状態で見たら見分けはつくのかもなあとは思うのですが、写真しかないのでそれで見分けないとしかたがないのですが、うーん、わからん(T_T)
でも、何とか軍服・階級章からアプローチしてみたいと思っています。


※画像は乙10期生ご遺族、久保さん、藤本さん、知人ご提供

台南空写真 追記12022年08月07日 09時58分33秒

昨日出した、この写真に関する投稿ですが。



さっそく反応があったので追記です。
さらなる情報提供を期待して「追記1」になっています(^^;)

山下貞雄さんに関することです。
「写真 大空のサムライに山下貞雄さんの写真が載っている」
という超貴重情報でした。

わたしもその本、持っていますぜ(笑) →山下さん、見ていなかった



わたしが昨日「山下さんでは?」と言っていたのはこの人↓です。
3列目の左から3人目。

書籍の写真なのでここには出せませんが、それを見ると、3列目の中央付近にいる「氏名不詳」さんにも似ているような気が(^^;)


立ち位置的には1飛曹の山下さんが立っている場所としてまったく不自然ではありません。
むしろこちらの方が「なるほど」な立ち位置です。

しかし、もともと山下さんと言っていた方も似ていると思うんです・・・・。


うーん、わからない・・・・orz



8月3日~6日までの間に写れる可能性の高い搭乗員の中でお顔がわからない松田3飛曹、かれのお顔がわかってから判断することにします。

台南空17年8月4日集合写真 2022年2022年08月06日 13時08分49秒

※訂正しています、赤字。  20220809

台南空の17年8月4日撮影と言われている戦闘機隊集合写真。
4日でなかったとしても3~7日の間に撮られたことは間違いないんだろうと思います。
(編制表とにらめっこした結果)

ということは、撮影されてちょうど80年ということですね。


※今回は丙3本田秀正さんご遺族所有写真


何度か、この写真に誰が写っているのか追及にチャレンジしていて、全体としては2014年6月19日が最新版で、その後、2020年6月4日、7月11日に台南空の丙3期に関してちょっと書いています。
たぶん、この写真に関してはこれ以降書いていないんじゃないかと。


今日は現時点での認識を書いておこうかと思います。
いままで不明だった方々↓。
もとにした画像は、※以外は知人Mさん、Oさんご提供写真など(直接ではなくネットにアップしていた写真を参考にした方もいます)

松木進2飛曹(甲4)
松木さんはわたしがお顔を把握しています。



山下貞雄1飛曹(操34)
※『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の22航戦司令部付戦闘機隊の集合写真の山下さんを参考にしました。
22航戦司写真の山下さんがご本人なら、台南空写真でいままで「山下貞雄1飛曹」と言われていた人は違うのではと思います。

前にKさんからご教示いただいたんですが、7月に鹿屋空から台南空に転勤になった人が複数いて、山下さんはそのうちの一人です。Kさんがいろいろ調べてくださった結果、着任日が全員一緒ではないのではないかという話もあり、転勤者の中で誰が写っていて誰が写っていないのか。





鈴木正之助2飛曹(操39)
知人がお顔を知っていました。
『写真・大空のサムライ』などではこの人が山下さんとなっているのですが、鈴木さんでは?





徳重宣男2飛曹(操42)
この方も知人がお顔を知っていました。





氏名不詳
この人の候補なんですが、わたしが写っていてもおかしくないと考えているのは「山河登特務少尉」(乙1)、「柿本円次2飛曹(操47)」、「松田武雄3飛曹(操56)」なんですが、特に松田さんは「写っているはず」ぐらいの思いでいます。
が、松田さんのお顔がわからない(T_T)
山河さんと柿本さんはお顔、把握しています。この人ではないですよね。
山河さんはいるとしたらイス列ですね(いない)。
柿本さんは時期が微妙。




一木利之2飛曹
※一木さんはわたしの手元にある写真(複数)を参考にしました。
台南空時代

飛曹長時代

わたし、一木さんにお話聞いているんですよねえ。
なんでこの写真に写っているかいないか、写っているとしたらどこか聞かなかったんだろう?orz





西浦国松2飛曹
西浦さん、わたしはお顔を把握しているのですが・・・・。
お顔全体はこの人が西浦さんに似ていると思うのですが、目がね(^^;)
西浦さん、目は細めで、どっちかというと、上に挙げた「氏名不詳」という方の目元の方が似ています。ただ、氏名不詳さんは顔の形、下半分のパーツが西浦さんとは違うような? 耳あてのせいかな?
ちなみに西浦さん、体格は「長身」の部類と思います。

西浦さんに関しては、今後、認識が変わる可能性はあります。

西浦さんは急病でもないかぎり写っていると思うんですけどね。








山下さんはわからないのですが、上に挙げた残りの人たちは前後の編制表から「写っているはず」とわたしが思っている人たちです。





あと柿本円次さん(操47)と伊藤勲さん(乙10)が写っているのかいないのかビミョーなところかな。
台南空の乙10期を書いたときに、集合写真のこの人↓が伊藤さんでは?と書いているんですが。
鹿屋空からの転勤日によっては写っていないのかなあ????

伊藤さんはこの人↓
飛練16期の集合写真から








現時点での見解を出しておきます。※転載禁止でお願いします

黄色で氏名を書き込んでいる人たちはわたしの中ではほぼ確定です。
緑文字の人が「?」かもです。上にも書きましたが西浦さんと伊藤さんはお顔がわかっているけれど判断しきれない。本多さん、若杉さん、長尾さんはお顔がはっきり把握できておらずいろんな状況からの推定です。
山の中腹の2名は写っていてもおかしくないけれど、よくわからない2名です。松田(写真中には「武男」と書いていますが「武雄」)さんは「写っている」寄り、柿本さんは「いない」寄り。




中途半端な状態で出してしまっていますが、巷に出回っている同じ写真の氏名付けの中では一番近づけているんじゃないでしょうか。
少なくとも『写真 大空のサムライ』のキャプションよりは正確だと思います(^^;) 
あつかましくてスイマセン


とにかく全員ちゃんとしたい、という気持ちがあるので、「この人、違うよ」、「〇〇さん、お顔を知っているよ」という方がいたらぜひご一報ください。



※画像は本田秀正さんご遺族、久保さん、一木さん、武田さんご提供。
※Kさん、Mさん、Oさん、いろいろとご教示感謝

操練40期 堀口虎男さん 岡本光雄さん2022年06月23日 11時44分48秒

※2022060232009追記があります。

浅川さんの15空myカメラシリーズ。


浅川さんのmyカメラアルバムに貼ってあった写真です。注記は浅川さん。
九江飛行場ニ於テ 堀口

九江ニテ 四十期操練 岡本


これだけでも十分すごいのですが、浅川さんのmyカメラシリーズの何がすごいって、さらにこれのネガが残っているところです。

さらにさらにすごいのは、このネガから息子さんがお手製の機械を使ってポジ化してくださったことです。



アルバムに貼られている写真は撮影直後か、浅川さんご存命時に現像されたものでしょう。やはりそれなりに劣化が見られます。
しかし、ネガで残っていたものはほぼ劣化が見られず。息子さんがどんな技を使われたのか、まるで最近撮影したかのような出来栄えでポジ化してくださいました。




操練40期の堀口虎男さんと岡本光雄さん。
おふたりは操練の同期生ですが、階級が違うので入隊年が違うのでしょうかね。15空解散時の名簿では堀口さんが3空曹(3等航空兵曹)、岡本さんは2空(2等航空兵)。上の写真の救命胴衣の記名も「5岡本二空」になっています(5は5分隊を示すと思われる)。
15空開隊時の集合写真にはお二人とも写っていないので、途中で合流されたのでしょうか。


おふたりも飛行眼鏡が違いますね。
3空曹の堀口さんの方が古いタイプの飛行眼鏡を装着しています。
15~16年の鈴鹿空では教員が新タイプ、練習生が旧タイプだったので「新>旧」の序列でもあったのかと思っていましたが、このおふたりを見た感じでは15空では自分が好きなものを選べたのかもしれません。


13年明治節5分隊集合写真の堀口さんと岡本さん。

この写真、ホント、精細ですばらしいです。よくお顔がわかります。




さて。
このおふたり、操練40期出身なのですが、操練40期というのは浅川さんが霞空教員時代に担当したクラスです。


浅川さんの写真の中にありましたー!(・∀・)
飛行服バージョン





1種バージョン







これだけと思っていたらもう1枚ありました。
これ、浅川さんが教員で写っています。

浅川さんが担当した練習生たちと行軍でも行ったときの写真だろうな、ぐらいで見ていました。

あとになって練習生の中に岡本さんのお顔を見つけ、操練40期だとわかりました。
堀口さんがちょっとわからないんですがこれかなあ???

岡本さんは前から2列目?、左の方です。


で、場所が長らく不明だったのですが、今日、わかりました。
というのも、
後ろの門柱に取り付けてあるゾウさんに気づいたからです(笑)


先日、日光東照宮を特集した番組をたまたま見ていました。
東照宮にゾウさんがいるという話。

「あ! もしかして!」
検索したら出てきました。
日光東照宮 表門
で検索してみてください。
これは白黒ですが、現在の様子、めっちゃカラフルですよ。昭和12年頃もこんな状態だったかどうかはわかりませんが、のちに修復したとしても元の状態に近づけているはずなので、何らかの彩色はされていたのでしょう。
ド派手ですね~(笑)

じつはわたし、寺社巡りが好きで関東の寺社もいくつか行っているのですが、日光東照宮には行ったことがありません。

いつか日光江戸村とセットで行ってみたい。

で、表門の石段に立って写真撮らなきゃ。




(追記)
堀口虎男さん  鹿児島出身  戦後病没

岡本光雄さん  鳥取出身  14年6月17日  第2聯合航空隊司令部附  戦死


※画像は浅川さんご家族ご提供、Kさんご教示