Google
WWWを検索 ひねもすを検索

埼玉県出身者集合写真2022年05月11日 15時00分59秒

蒼龍12分隊はつづけていますが、ちょっと置いておいて、こちらの写真。
9期、島田清守さんの遺品の中にありました。

前から3列目の中ほどに乙10期の鈴木善三郎さんと田中武三さん、4列目の左から2人目に島田清守さんが写っていることから、
「埼玉県関連だろうな」
とは思っていました。

島田清守さん

鈴木善三郎さん

田中武三さん





6年近く経っておおよそわかったような気がするので、忘れないうちに書いておきます。


この写真、めっちゃレアかもしれません。

いやー、他府県も撮っているのかもしれませんが、わたしは見たことがないです。

どこがレア?

「乙と甲、一緒に写っている!!(;゚Д゚)」






島田さんの階級章が2等航空兵(2空)、乙10のおふたりが3等航空兵(3空)の階級章をつけています。
ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
「8期も写っているのかな?」
と思い、卒アル写真を見せていただいたときに探したのですがわかりませんでした。

最大の問題は1等航空兵の階級章の人や善行章付きの人が写っていること。

「なんでや?」

と、ずっと疑問でした。

島田さんが2空のときに乙飛で1空や善行章付きの学年はいませんからね。
※8期は卒業(14年9月1日)と同時に1空に進級





最近、甲4期の個人写真を見せていただく機会があったのでこの写真と照合してみたところ・・・・。

いるし、いるし(^^;)

※甲4は操偵、消息など取り組んでいないので氏名だけ
木村安三さん

渋谷忠作さん

青木豊二郎さん
(豊三郎という記載もあり)

新井嘉年男さん
蒼龍艦攻隊11分隊から、島田さん転出後(17年1月)に12分隊に移ったと思われる人です。

林正一さん

金子正さん



1等航空兵の一部は甲4の人たちでした。


写っているのが確実になったクラスで、階級から時期を推定してみました。
斜線の網かけの部分が条件に合う期間です。
14年8月1日~15年12月31日までの間に撮られたものでしょう。
が、軍服が1種なので夏季を除きます。8期が卒業した9月1日はまだ2種軍装でこの写真撮影時にはやはり8期はいなかったもよう。
なので、9月~に限定可かな。


いや、待て待て。
この時期だと、他にも在隊しているクラスがあるだろう。




というわけで、結論版。


乙飛だと11期も在隊、甲飛だと甲3と甲5も在隊ということで。


※追記
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん

甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん

甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん





甲5は期間途中の14年10月1日入隊なので、それ以前に撮られていたら甲5は不在ということになります。


兵階級の人に書き込みをしたバージョンも出しておきます。※下士官はおそらく教員

1空の階級章が見えている人が6名、あるいは1空か2空かわからない人(飛行機がクロスしているのは見えるが桜があるかないかは見えない)が2名、善行章や階級章・特技章などから予科練生ではないと思われる人が6名、袖がまったく見えない人8名。


埼玉出身乙飛甲飛生ですが、乙9が1名、乙10が2名、乙11が5名、甲3が8名、甲4が6名、甲5が2名です。わたしの数え方が間違っていなければ。

このうち、乙9・乙10・甲4は全員わかっているので、あとわからないのは乙11の5名、甲3の8名、甲5の2名。


1空の階級章が見えている6名は全員甲3の人なのでしょう。

1空か2空かわからない人が2名いますね。
「さすがに甲飛がいくら進級が早いといっても14年10月1日に入隊した甲5が年内に2空にはならなんやろ」

と思って、甲4の進級日を調べたら、

14年4月1日  4等航空兵(入隊)
14年5月1日  3等航空兵
14年5月16日 2等航空兵
14年6月1日  1等航空兵

「なっとるし!?(;゚Д゚)」

入隊後2ヶ月で1等航空兵になっていますよ!
乙飛、激おこですよ!

ちなみに乙9、
13年6月1日  4等航空兵(入隊)
13年9月1日  3等航空兵
14年6月1日  2等航空兵
15年6月1日  1等航空兵(これでも8期より早い)

思い出しました、甲3もこのスピードで進級していてびっくりしたことを。
甲5の実際の進級日は調べていませんが、同じような感じだったのでしょうか。

というわけで、もし、甲5入隊後に撮られた写真であれば、1空か2空かわからないお二人は甲3か甲5の人なのでしょう。

袖が見えず、予科練生かそうでないのかわからない人が8名います。
ここにおそらく乙11の5名+甲3か甲5の残りの不明者2名が含まれているということでしょうかね。
※全員いると仮定して




もし、甲5が入隊する前に撮られた物であれば、1空か2空かわからない2名は2名とも甲3の人で、予科練生かそうでないのかわからない8名は乙11の5名と他科の兵3名ということになりますかね。



甲5が写っているのかいないのか(撮影時期に関わる問題)、白根好雄さんと駒崎文雄さんのお顔がわかれば解決する話です。もし、おふたりのどちらかでもお顔をご存じの方がいればご一報いただければ<(_ _)>


というわけでですね。
確実に乙9・10、甲4は写っています。おそらく甲3も写っています。
うちにある予科練関係の写真で県別集合写真に乙と甲が一緒に写っているの、これ1枚だけなんです。
おまけに他科の兵の人も写っています。何の集合写真でしょうね?
霞空本隊の埼玉県出身者も含んでいるとしたら、少なすぎる気がします。
予科練教育に携わっていた兵の方でしょうかね? 教員の助手みたいな? 特技章をつけている人がいるので、それはありえるな、と思っているのですが・・・・。

とりあえず、今日はここまで。


※画像は9期生ご遺族ご提供、甲4情報はOさんご提供
進級状況もろもろはKさんや甲4ご遺族の方ご提供資料、『予科練外史』(倉町秋次)参照

愛媛県出身乙8期生2022年01月12日 23時29分43秒

愛媛の8期生のお顔を初めて見たのは9年前だったでしょうか。
愛媛県出身乙9期の石川茂さんのアルバムに貼ってあった愛媛県出身8~10期の集合写真でした。

しかし、そのときは記名がなかったため8期生はまったくわからず。
愛媛の8期生は4名。

その後、愛媛出身10期生の久保伊勢市さんのアルバムに宮本茂さんの記名あり写真が貼ってあり、お顔判明。
さらにその後、同じく愛媛出身乙10期生の藤本久夫さんのアルバムに大西健一さんと井出峰雄さんの記名ありのラグビー部写真が貼ってあり、おふたりが判明。

残りは菅文夫さんだけとなり、自然、4名とも解決ということになりました。



ブログを検索してみたところ、ちゃんと4人のことを書いていないようなので、8期生卒業アルバム個人写真を見せていただいた機会に今日は書いておきます。


石川茂さんのアルバムに貼ってあった「愛媛県出身者の集ひ  昭14年 明治ノ佳節」
14年11月3日・・・・なんですが、場所は横須賀、写っているのは8期~10期生、10期生が階級章をつけていない(四等航空兵)などから考えて、13年11月3日ではないかなと思います。

前列左から3人目
菅文夫さん
偵察

18年11月21日  755空  ギルバート諸島沖航空戦



前列左から6人目
大西健一さん
操縦、水上機

15年2月27日  鹿島空   伊勢湾

9期島田清守さんの15年2月28日の日記
『八期生が飛練で卒業の期を前に場外V(飛行)に出て空中接触。ついに殉職との事を耳にした。全く気の毒である。すぐ卒業といふのに!!』

水上機操縦の練習生互乗の2機が空中接触。大西健一さん、松本栄次さん、飯森武さんが殉職、松永「王身(1字)」喜男さんが落下傘降下して無事(19年2月9日 横須賀空 横須賀で殉職)。
8期生最初の殉職(戦没)者となりました。



前列左から7人目
宮本茂さん
操縦、水上機

15年5月8日  館山空  富浦湾にて殉職



2列目左から5人目
井出峰雄さん ※予科練外史の表記
(藤本さん「井手さん」表記、卒アル「井出峯雄」表記)
偵察、艦攻

16年8月10日  加賀  聯合艦隊訓練中、愛媛県沖の島灯台付近にて龍驤の艦攻と衝突、殉職  








みなさん、この集合写真以外にも写っていました。

菅さん。

写っていたのは、9期島田直さんの辻堂宿舎写真。
これ、島田さんが全員に記名してくれているのですが、菅さんのところはタケカンムリを書いて「間違えた!」と気づいたのか下に「菅」を書いているので、何と書いてあるのかわからなかったのです。
最近になって、卒アル個人写真と照合して菅さんだと気づいて、タケカンムリが余分にくっついていることに気づきました(^^;)




10期藤本久夫さんがアルバムに貼っていた予備学生と8期ラグビー部の写真。

大西さん。

井出さん。

大西さんへの思い出に「十四年二月四日砲術学校予備学生とのラグビー試合で」大西さんが活躍されたことが書かれているので、写真はそのときのものかもしれません。
10期の藤本さんが、写真の横に自分は見学していたと書いているので、時期的にも矛盾はないです。



10期久保さんがアルバムに貼っていた鷹取山での写真。4人の記名がありました。白い脚絆が愛媛の10期生、そこになぜか普通の軍装の8期宮本さんが。

宮本さん。




愛媛の9期生は石川さん、羽藤さん、松本さんと3人分アルバムを見せてもらっているのですが、誰も愛媛8期生と個人的に撮った写真などは貼っていませんでした。



※画像は9期生・10期生ご遺族、久保さんご提供。8期同期生会誌、倉町秋次『予科練外史』参照

乙9期 隅倉慧さん2021年10月12日 21時01分00秒

2015年の夏、それまでわからなかった9期生のお顔と氏名が一気に解決したのは、隅倉さんが残されていた氏名入り班写真のおかげでした。

隅倉さんは数少ない9期の生存者のおひとりです。

入手した住所にダメもとで手紙を出してみたところ、ふだんそこに住まわれていない息子さんがたまたま行かれてわたしの手紙を見つけてくださったようで。
連絡をくださいました。

残念ながらその時点で隅倉さんは亡くなられていたのですが、息子さんがいろいろよくしてくださってアルバム類を見せてくださったほか、9月には島田直さんのご遺族の方も紹介していただき、墓参にも連れて行ってくださいました。熊本の名所も案内してもらいました。当時はまだ熊本地震前で、熊本城でお月見のお茶会にも参加。


その後、土浦の予科練慰霊祭にも来てくださいました。







隅倉さんのアルバム、氏名入り班写真以外にも興味深い写真がたくさんです。

同期生の個人写真以外にも、実施部隊時代の戦友の個人写真もたくさん貼られています。
9期の方は見ただけでどなたかわかるのですが、実施部隊時代の戦友の方々は「〇〇兵曹」という書き込みだけではわたしにはどなたなのかさっぱりわからないんですよね。紹介したいのですが・・・・。行動調書を見ても姓しか書かれておらず。かろうじて階級がわかったぐらいです。
ちょっとだけ、Kさんご教示でどなたか判明した人がいるのでまた紹介させていただこうと思っています。



今日は隅倉さんご本人。

すみくらさとしさん。

熊本県出身、偵察、水上機。

鎮海空、第11特別根拠地隊、936空、312空、横須賀空。


予科練1学年時。横須賀。
一緒に写っているのは7期の西義武さん。
西さんの階級(1空)から察して、8月15日は卒業式当日でしょう。


これは霞ヶ浦海軍航空隊時代。
14年6月の操偵適性検査。

これも同じく操偵適性検査。班写真。2班。
一種軍装の下士官は予科練の教班長(引率)と思われます。


14年夏。
熊本県民の集い。8期生卒業に際しての送別会のようです。



ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。
14年12月29日。
前列左と真ん中が12期の田島忠盛さんと吉永博行さんのようです(どちらがどちらなのか不明)。右端は10期の古本克己さん(582空)。
後列左が隅倉さんで右が島田直さん。



想像ですが、習志野演習かな?
ピンボケしていますが、この写真、何がおもしろいって、書き込みによると「林教員」が撮ってくれた写真なんだとか。

「林教員」、島田さんの日記に名前が出てきた林正義教員のことかもしれません。
撮影者がわかる写真ってなかなかないのでおもしろいです。


これは2学年時の班解散会。
これも島田さんの日記に記述がありました。15年6月2日。
前の学年時の班のみなであつまってワイワイやっているところです。




このタイプの写真、偵察専修生だけあります。
3学年時の班の一部かな?
しゃがんでいるのが本間秀人さん。後ろに立っている左から谷村博明さん、植松繁さん、高橋兼春さん、隅倉さん、国本力さん。




1空の階級章をつけています。
善行章はないかな?
小船井写真館の刻印があるので、予科練3学年時(15年)の夏か。




これは鈴鹿の飛練時代。二見の夫婦岩。
一緒に写っているのは同郷の島田直さん。
善行章もついているし、16年の6、7月。




これは特技章が見えないので、もしかしたら任官記念(16年10月1日)かも。
飛練博多時代。



ここからは実施部隊時代。
飛練卒業後すぐ配属された鎮海空時代。



隅倉さんの階級章から17年の夏でしょう。


17年秋のシンガポール。


隅倉さんがどこにいるのかわからんのですが、演芸会の出し物っぽいです。

手拭いをかぶって浴衣着てザルを持っている人がいます。ドジョウすくい?



これは前線の基地かなあ?



これも前線の雰囲気ですね。
搭乗員整列。出撃前か後かわかりませんが。
背後に水上機が写っています。






南方の基地のようです。

隅倉さん、首輪のついたおサルさんを抱っこしています。
隊のペットでしょうか。



18年、936空時代。



20年8月25日 熱海にて
終戦直後です。
兵曹長の階級章をつけています。


9期生は戦没者も多く出しましたが、生き残った人たちもほとんどの人がどこかしら怪我をしていました。
本間猛さんが手記(『予科練の空』)に、
『クラスの飛行練習生卒業者は百九十一名、そのうち戦死者百六十七名をかぞえ、その戦死率は八十七パーセントあまりである。クラスの生存者二十余名も、そのほとんどが戦傷病を受けて、そのために生き残り得たのである。したがって、全戦期を通じて戦傷病にもかかわらず、五体満足で生還し得た者は百九十一名中、三、四名に過ぎない。私は幸いにも、奇蹟的に五体満足で生き残り得た数名の中の一人である』
と書いていますが、隅倉さんもそのおひとりのようです。

途中で兵役免除になっていたら病気だとか怪我だとかわかるときがあるのですが、逆に終戦まで戦われた方は怪我や病気をされたのかされなかったのか、わたしではなかなか把握困難です。
隅倉さんは息子さんが教えてくださったのでわかりました。
あと、もうおひとり、石田さんの息子さんが戦後に会われたことがある9期生存者の方は戦闘で大けがをされていたとのことでした。



隅倉さんの軍服。
士官の二種。
9期の方が実際に着ていた軍服って、初めて見ました。感無量です。




戦後は戦友会にも熱心に参加されていたようで、その際の写真もたくさん見せてもらっています。

二十歳前後の写真はしっかり把握できているはずなのですが、ぶっちゃけおじさんになった9期生は「これ・・・・どなただっ!?」って人が(^^;)
逆に全然変わっていない人もいるんですけどね。隅倉さんは変わっていなかったです。


息子さんは、熊本で9期会があったときに集合場所の護国神社まで慧さんを送って行き、そこで9期の方々と会われたことがあるそうです。
熊本に行った際は、その護国神社にも連れて行ってもらいました。
「おお! ここに9期の方々が・・・・」
とひたってきました。



※画像は9期生ご家族ご提供

9期生の写真42021年08月10日 11時15分41秒

9期生の写真、続き。

上の3枚はたぶん卒アルの個人写真用に撮られて使われなかったもの。

台紙に書き込みあり。

19年11月26日  横須賀空  厚木基地にて事故殉職




台紙に書き込みあり。

18年9月4日  702空  ニューギニア




台紙に書き込みあり。

17年10月25日  台南空  ガダルカナル

17年10月25日に戦死した9期生は3人います。
森田豊男さん(2空)、後藤龍助さん(台南空)、森浦さん。3人ともガ島攻撃。
偶然なんでしょうけど、3人とも写真帖に写真が貼ってありました。






こちらは9期生ではありません。10期生。
台紙に書き込みあり。

樫原道隆さん
18年9月4日  251空  ラエ沖敵船団攻撃隊直掩任務

戦闘機搭乗員です。
251空の戦闘機隊は18年8月末で解隊したのでは?
と思って知人にいろいろ聞いていたのですが、どうも樫原さんは所属的には251空のまま9月4日に戦死されているようです。
樫原さんに関しては別に書くかもです。

上の写真、撮影は廣岡写真館。正確な場所は知りませんが、霞空の近くにあったのかな? 小船井写真館の次ぐらいによく見かける刻印です。
店頭に古い3式戦闘機を置いていた写真館です。
階級章は3空。14年2月1日~12月31日まで(夏季除く)。ただ、写真館の場所からすると、横須賀ではなく霞ヶ浦時代、14年3月以降か。

操練39期 萩原末二さん2021年06月22日 10時17分34秒

操練のカテゴリがないので作りました。
[丙飛]に追加しました→[操練・偵練・丙飛]。



先日、浅川三雄さんの百里原教員時代のネガの中にあったと出した萩原さんの写真。
ネガの写真を見ていると、百里原時代の写真は14年ごろのものが多いのかなという印象です。

つい先日出した教員4人(古俣教員、金子光教員、高橋利教員、平塚教員)は古俣教員の善行章から14年5月~6月前半ぐらい、まさに9期が操偵検査に行った時期とかなり近い時期ではないかと推測しました。


金子光夫さんは9期の操偵検査時の教員です。

「ということは、他の3人も9期の操偵検査の教員の中にいてもおかしくないよな?」

と思って見返しました。

いてはりました!!(・∀・)

それはのちほど。

それを見ていて、また脱線しちゃったんですよ。いつものことですが。




萩原末二さんを見つけてしまいました(^^;)

自分で「マジか!?」と思いました。←見落としていたことにね

羽藤さんのアルバムに貼ってあった14年6月ごろの筑空百遣の教員たち(原田要さんご教示)。


萩原さんっ!!
後列右から4人目。



じゃあ、他の集合写真(←9期生が一緒の)にも写っているだろう!


写っていました。


そしてきわめつけがですね。
萩谷幾久男さんのアルバムに貼ってあった9期生と教員のペア写真。


萩原教員っ!!

前列右から萩谷幾久男さん、萩原教員、野村茂さん。
後列左から筒井富雄さん、永田慶士さん、繁富悦行さん、川原与三郎さん。


ビックリですよ。
17年10月26日の南太平洋海戦時。
萩原さん、萩谷さん、お二人はともに翔鶴の艦攻隊です。
再会して「あ! 教員!」「おお、萩谷、元気か!」「あのときはお世話になりました!」「立派な偵察員になったじゃないか!」みたいな会話があったかなかったか。





百里原時代、他にも操練46期の集合写真に教員として写っていました。

わたし先日、この写真は14年2月ぐらいかと書きましたが、Kさんによると操練46期の初練修了は14年3月31日だそうです。その日かな?





まだあったんですよ。
ちょっと時間と場所が飛びます。
飛練16期(乙10期)の谷田部の中練教程。
16年秋ごろか?

萩原教員っ!



こちらも同じ飛練16期谷田部。
修業記念の集合写真でしょうかね。
としたら、16年11月末に中練修了しているようなので、その頃だと思います。

久保さんの教員は操練23期の今村實雄さん。お宅訪問したようで、ペアらしき人たちと今村夫妻?と写っている写真が残っています。
飛練16期中練の他のペア写真は見たことがなく、萩原さんがどなたの担当だったのかは不明です。



戦後生存。


手記も残されています。



※画像は9期生ご遺族、乙2浅川さんご家族、乙10久保伊勢市さんご提供