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飛練の七つボタン2022年09月08日 16時28分03秒

↑最近、気になって気になってしかたがなかったこと。

わたしは「予科練の乙9期生のことを調べている」とヒトには言っているんですが。
乙9期というのは昭和13年6月に予科練に入隊、15年11月末で予科練を卒業、飛練に進み、16年10月末で飛練を巣立って一人前の搭乗員になったクラスです。
なので、17年11月に予科練に導入されたという予科練の代名詞「七つボタン」にはまったく縁のないクラスです。

なので、七つボタンの軍服に関してはほぼ無知です。


ちょっと前に、
「予科練にふたごの搭乗員がいる」
という話を書いたことがあるんですが、おぼえていますか?

かれら、お顔がそっくりでわたしは見分けがつきません(^^;)

で、何とか階級章や軍服などから見分けがつかないだろうかといろいろ見て行くうちに、七つボタンの軍服の知識ナシではダメだ、ということに気づきました。

双子の兄弟は、乙15期の加藤海造(かいぞう)さんと、丙4期の加藤陸造さんです。
海造さんがお兄さんで、陸造さんが弟さんです。
大正13年6月生まれ。

見せてもらったアルバムは兄の海造さんの記名があるのですが、貼ってある写真の中には明らかに弟・陸造さんと思われる写真もありました。

たとえばこれなんですけどね。


整備の階級章(3等整備兵)をつけています。

乙飛の海造さんはこの階級章をつけることはないので(乙飛・甲飛は最初から航空(飛行)兵)、これは丙飛の陸造さんと。



アルバムには七つボタン姿の写真もありました。
たとえばこれですが。


予科練に七つボタンが導入されたのは昭和17年11月1日ということのようですが。
乙15は15年12月1日に予科練に入隊しています。ということはその時点では従来のジョンベラということです。
予科練卒業が17年12月1日。
海造さんは予科練の最後の一ヶ月が七つボタンだったことになります。

じゃあ、陸造さんは?
陸造さんは丙4予科練時代(16年5月1日~9月30日)は七つボタンの軍服はまだ導入されていません。



七つボタンって予科練の代名詞なので、わたしはてっきり予科練だけかと思っていたのですが。
他の人の写真も色々と見ていたら、
「いや待て、飛練も七つボタンで写っているぞ」


ホントにそうなのか?
いろいろ探して、これを見つけました!
K上飛曹にいただいた冊子。

辛子明太子伍長さんが書いた予科練・海軍航空隊に関する簡単なイラスト説明パンフです。
K上飛曹も協力されたとかで、出版直後にいただきました。

この冊子の中に七つボタンの説明ページがあり、そこに、
『この制服は予科練と、本科にあたる飛行練習生の両方が着用しました』
と書いてありました。

「これこれ! この情報が欲しかった!!」


そういう目で見たら、なるほどすっきりしました。


これは藤本速雄さん(丙13)の写真。
第二十九期飛行練習生修業記念。

わたし、この写真、ずっと大村での戦闘機の修業記念かと思っていました。
大村時代の教官・教員だった坂井三郎さんやホリブンが見当たらないので、おかしいなとは思っていたんですよ(^^;)
昨日、七つボタンの件で見返していて、
「これ、百里原やん」
って気づきました。背景が浅川さんの百里原写真と同じ建物でした(窓の形状、換気口の位置、配管の位置など)。
知人Hさん情報によると17年11月から18年4月まで百里原で中練やっているみたいです。
練習生は七つボタン。



これは久保さん(乙10)の大村教員時代の飛練29期(乙15)修業記念写真(たぶん攻撃機)。

こちらは海造さんの飛練29期大分戦闘機の修業記念写真。

ジョンベラやんな(^^;)

ここで引っかかっていたのですが、昨日の夜、やっと理解できました。

「飛練も七つボタン」、これが基本でしょう。

じゃあ、なぜ久保さんと海造さんの写真の練習生たちはジョンベラなのか。

これは海造さんです。

ジョンベラの理由はたぶんこれ、特技章。

つまり、この修業写真は飛練の最後の最後の日であり、一人前の搭乗員(特技章持ち)のスタートの日でもあるわけです。

この撮影直前までは七つボタンだったのでしょう。
特技章のついたジョンベラを着て、無事飛練を巣立っていく、その記念写真です。

久保さんの方の練習生たちも特技章をつけています。

藤本速雄さんの方は中練の修業記念写真なので、まだまだ飛練の中ほどです。
このあと各実用機に分かれて仕上げの訓練が待っています。
なので七つボタンのまま、特技章はまだもらっていません。

ということがやっと昨日の夜理解できました。
遅いっちゅーの(+o+)




これは藤本久夫さん(乙10)が教員をしていた時の飛練修業写真。
どこで何期かは不明です。
1枚物で裏書もなかったです。


これも藤本久夫さん。
どこで何期かは不明。

藤本さんの経歴的には大井空か出水空じゃないかと思うんですが・・・・。
これらは七つボタンなので中練の修業記念写真なのでしょうね。



上に出した久保さんの飛練29期(乙15)と一緒に貼られていた練習生とのペア写真。
修業の日に撮られたんですね。
練習生たちは特技章をつけています。昨日気づきました。
この日で教員、練習生はおわかれです。


久保さんの大村・飛練30期。
「丙」の書き込みがあります。
実用機なので、このあとはもう実施部隊です。みんな特技章のついたジョンベラ。


久保さん、大村・飛練31期。
乙16って書き込みがあります。これは練習生たち、下士官に任官しています。
乙15・飛練29期の海造さんは大分を卒業して1ヶ月ぐらいはまだ兵階級でジョンベラだったんですけど、乙16のこの人たちは飛練中に下士官に任官しているってことですかね。
飛練中に下士官に任官した場合はどうなるんでしょうね?
七つボタンに下士官の階級章をつけるんでしょうか。それとも七つボタンはやめて下士官の軍服になるんでしょうか。また新たな課題ができたぞー( ;∀;)


せっかく予科練・飛練は七つボタンのかっこいい軍服をゲットしたのに、飛練卒業時に兵階級だったら結局ジョンベラは着用しないといけないってことですね。





なんかややこしいですね。
9期(飛練10期)の頃と全然違うから。   ←言い訳

9期の頃ってまだ兵階級は航空隊名が入ったペンネントをつけていました。
たとえば「横須賀海軍航空隊」とか「霞ヶ浦海軍航空隊」といったものです。
これがあるおかげである程度の撮影時期の絞り込みができます。
さらにそこに階級章や善行章などを加えてけっこうな狭い期間に絞れるんです。

しかし、乙15ぐらいの時期になるとペンネントが途中から「大日本帝国海軍」に統一され、どこの航空隊所属かわからなくなるし、さらに途中から軍服が七つボタンになるので、予科練と飛練の見分けすらつかなくなります。
七つボタンの、予科練と飛練の見分け方とかあるんだろうか?


上にちょっと書いているのですが、陸造さんは予科練時代は七つボタンの着用はありません。
が、飛練卒業が遅れたのか、飛練の最後の方は七つボタン導入後の時期にかぶっているんですよ。
ということは「七つボタン=海造さん」とも言えないわけで。
陸造さんは飛練卒業までは整備科の階級章をつけているはずです。
しかし、古い丸形の階級章だったら整備科の階級章は一目瞭然なのですが(上の二種ジョンベラの写真)、17年11月に導入された盾形の階級章だと白黒写真では飛行科なのか整備科なのかよくわからないんですよね・・・・。
※階級章の桜の部分の色で科の区別(↓わたし加工)
飛行科

整備科

仕事が雑でスイマセン(汗)






ふたりの所属航空隊、進級状況の一覧表を作ってそれとにらめっこしながら、どの写真がどちらなのか鋭意検討中です。

なんかもろもろややこしいことがあって道のりは困難です。





ところで。
ふつうふたごって、一卵性でいくら似ていると言っても周りの人は見分けがつきますよね。
前にも書きましたが、高校時代、同じクラスに一卵性のふたご男子がいましたが、似ているけど見分けはつきました。

加藤兄弟も、実際周辺にいた人たちは見分けがついたんだろうな、とは思うんです。

が、写真を見る限りでは、わたしは見分けがつきません。

が、じつはこのふたり、一緒にいたら見分けがつくんです!

ということが最近になってわかりました。





ちょっと前に、海原会のフェイスブックに、ホームページにスマホ版ができました、みたいなお知らせが出ていました。
で、ちょうどそのときスマホで見ていたので、どれどれ、とクリックしてみたのです。

そしたらこの画面が出てきてビックリ仰天!
※「お知らせ・更新情報」の「双子の予科練さん」をクリックしてください

今年の4月におふたりの遺品展をしていたらしいのです。

ここに出ている画像の右下におふたりが並んだ写真が出ているでしょう?
わたしの手元にはない写真で、初めて見ました。貴重なツーショット。
おふたり、体格に違いがありました。
海原会の人に詳細を尋ねてみたところ、この画像は陸造さんの海軍入団の際の記念写真ということでした。
左の人物の方が、右の人物より7、8センチほどは背が高いように見えます。
肝心の、どちらが海造さんでどちらが陸造さんかはわからんのですが(^^;)

なので、ふたり一緒にいれば、背が高い方が〇造さん、みたいな感じで見分けはつくんでしょう。

もしかしたら、声でわかるかもしれないですしね。
あと、歯並びでもわかるかも。わたしの手元に笑っている写真があるのですが、歯並びがちょっと特徴的かも。ふたりとも同じ歯並びの可能性もありますけどね(^^;)

動いている状態で見たら見分けはつくのかもなあとは思うのですが、写真しかないのでそれで見分けないとしかたがないのですが、うーん、わからん(T_T)
でも、何とか軍服・階級章からアプローチしてみたいと思っています。


※画像は乙10期生ご遺族、久保さん、藤本さん、知人ご提供

台南空17年8月4日集合写真 2022年2022年08月06日 13時08分49秒

※訂正しています、赤字。  20220809

台南空の17年8月4日撮影と言われている戦闘機隊集合写真。
4日でなかったとしても3~7日の間に撮られたことは間違いないんだろうと思います。
(編制表とにらめっこした結果)

ということは、撮影されてちょうど80年ということですね。


※今回は丙3本田秀正さんご遺族所有写真


何度か、この写真に誰が写っているのか追及にチャレンジしていて、全体としては2014年6月19日が最新版で、その後、2020年6月4日、7月11日に台南空の丙3期に関してちょっと書いています。
たぶん、この写真に関してはこれ以降書いていないんじゃないかと。


今日は現時点での認識を書いておこうかと思います。
いままで不明だった方々↓。
もとにした画像は、※以外は知人Mさん、Oさんご提供写真など(直接ではなくネットにアップしていた写真を参考にした方もいます)

松木進2飛曹(甲4)
松木さんはわたしがお顔を把握しています。



山下貞雄1飛曹(操34)
※『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】の22航戦司令部付戦闘機隊の集合写真の山下さんを参考にしました。
22航戦司写真の山下さんがご本人なら、台南空写真でいままで「山下貞雄1飛曹」と言われていた人は違うのではと思います。

前にKさんからご教示いただいたんですが、7月に鹿屋空から台南空に転勤になった人が複数いて、山下さんはそのうちの一人です。Kさんがいろいろ調べてくださった結果、着任日が全員一緒ではないのではないかという話もあり、転勤者の中で誰が写っていて誰が写っていないのか。





鈴木正之助2飛曹(操39)
知人がお顔を知っていました。
『写真・大空のサムライ』などではこの人が山下さんとなっているのですが、鈴木さんでは?





徳重宣男2飛曹(操42)
この方も知人がお顔を知っていました。





氏名不詳
この人の候補なんですが、わたしが写っていてもおかしくないと考えているのは「山河登特務少尉」(乙1)、「柿本円次2飛曹(操47)」、「松田武雄3飛曹(操56)」なんですが、特に松田さんは「写っているはず」ぐらいの思いでいます。
が、松田さんのお顔がわからない(T_T)
山河さんと柿本さんはお顔、把握しています。この人ではないですよね。
山河さんはいるとしたらイス列ですね(いない)。
柿本さんは時期が微妙。




一木利之2飛曹
※一木さんはわたしの手元にある写真(複数)を参考にしました。
台南空時代

飛曹長時代

わたし、一木さんにお話聞いているんですよねえ。
なんでこの写真に写っているかいないか、写っているとしたらどこか聞かなかったんだろう?orz





西浦国松2飛曹
西浦さん、わたしはお顔を把握しているのですが・・・・。
お顔全体はこの人が西浦さんに似ていると思うのですが、目がね(^^;)
西浦さん、目は細めで、どっちかというと、上に挙げた「氏名不詳」という方の目元の方が似ています。ただ、氏名不詳さんは顔の形、下半分のパーツが西浦さんとは違うような? 耳あてのせいかな?
ちなみに西浦さん、体格は「長身」の部類と思います。

西浦さんに関しては、今後、認識が変わる可能性はあります。

西浦さんは急病でもないかぎり写っていると思うんですけどね。








山下さんはわからないのですが、上に挙げた残りの人たちは前後の編制表から「写っているはず」とわたしが思っている人たちです。





あと柿本円次さん(操47)と伊藤勲さん(乙10)が写っているのかいないのかビミョーなところかな。
台南空の乙10期を書いたときに、集合写真のこの人↓が伊藤さんでは?と書いているんですが。
鹿屋空からの転勤日によっては写っていないのかなあ????

伊藤さんはこの人↓
飛練16期の集合写真から








現時点での見解を出しておきます。※転載禁止でお願いします

黄色で氏名を書き込んでいる人たちはわたしの中ではほぼ確定です。
緑文字の人が「?」かもです。上にも書きましたが西浦さんと伊藤さんはお顔がわかっているけれど判断しきれない。本多さん、若杉さん、長尾さんはお顔がはっきり把握できておらずいろんな状況からの推定です。
山の中腹の2名は写っていてもおかしくないけれど、よくわからない2名です。松田(写真中には「武男」と書いていますが「武雄」)さんは「写っている」寄り、柿本さんは「いない」寄り。




中途半端な状態で出してしまっていますが、巷に出回っている同じ写真の氏名付けの中では一番近づけているんじゃないでしょうか。
少なくとも『写真 大空のサムライ』のキャプションよりは正確だと思います(^^;) 
あつかましくてスイマセン


とにかく全員ちゃんとしたい、という気持ちがあるので、「この人、違うよ」、「〇〇さん、お顔を知っているよ」という方がいたらぜひご一報ください。



※画像は本田秀正さんご遺族、久保さん、一木さん、武田さんご提供。
※Kさん、Mさん、Oさん、いろいろとご教示感謝

埼玉県出身者集合写真2022年05月11日 15時00分59秒

蒼龍12分隊はつづけていますが、ちょっと置いておいて、こちらの写真。
9期、島田清守さんの遺品の中にありました。

前から3列目の中ほどに乙10期の鈴木善三郎さんと田中武三さん、4列目の左から2人目に島田清守さんが写っていることから、
「埼玉県関連だろうな」
とは思っていました。

島田清守さん

鈴木善三郎さん

田中武三さん





6年近く経っておおよそわかったような気がするので、忘れないうちに書いておきます。


この写真、めっちゃレアかもしれません。

いやー、他府県も撮っているのかもしれませんが、わたしは見たことがないです。

どこがレア?

「乙と甲、一緒に写っている!!(;゚Д゚)」






島田さんの階級章が2等航空兵(2空)、乙10のおふたりが3等航空兵(3空)の階級章をつけています。
ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
「8期も写っているのかな?」
と思い、卒アル写真を見せていただいたときに探したのですがわかりませんでした。

最大の問題は1等航空兵の階級章の人や善行章付きの人が写っていること。

「なんでや?」

と、ずっと疑問でした。

島田さんが2空のときに乙飛で1空や善行章付きの学年はいませんからね。
※8期は卒業(14年9月1日)と同時に1空に進級





最近、甲4期の個人写真を見せていただく機会があったのでこの写真と照合してみたところ・・・・。

いるし、いるし(^^;)

※甲4は操偵、消息など取り組んでいないので氏名だけ
木村安三さん

渋谷忠作さん

青木豊二郎さん
(豊三郎という記載もあり)

新井嘉年男さん
蒼龍艦攻隊11分隊から、島田さん転出後(17年1月)に12分隊に移ったと思われる人です。

林正一さん

金子正さん



1等航空兵の一部は甲4の人たちでした。


写っているのが確実になったクラスで、階級から時期を推定してみました。
斜線の網かけの部分が条件に合う期間です。
14年8月1日~15年12月31日までの間に撮られたものでしょう。
が、軍服が1種なので夏季を除きます。8期が卒業した9月1日はまだ2種軍装でこの写真撮影時にはやはり8期はいなかったもよう。
なので、9月~に限定可かな。


いや、待て待て。
この時期だと、他にも在隊しているクラスがあるだろう。




というわけで、結論版。


乙飛だと11期も在隊、甲飛だと甲3と甲5も在隊ということで。


※追記
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん

甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん

甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん





甲5は期間途中の14年10月1日入隊なので、それ以前に撮られていたら甲5は不在ということになります。


兵階級の人に書き込みをしたバージョンも出しておきます。※下士官はおそらく教員

1空の階級章が見えている人が6名、あるいは1空か2空かわからない人(飛行機がクロスしているのは見えるが桜があるかないかは見えない)が2名、善行章や階級章・特技章などから予科練生ではないと思われる人が6名、袖がまったく見えない人8名。


埼玉出身乙飛甲飛生ですが、乙9が1名、乙10が2名、乙11が5名、甲3が8名、甲4が6名、甲5が2名です。わたしの数え方が間違っていなければ。

このうち、乙9・乙10・甲4は全員わかっているので、あとわからないのは乙11の5名、甲3の8名、甲5の2名。


1空の階級章が見えている6名は全員甲3の人なのでしょう。

1空か2空かわからない人が2名いますね。
「さすがに甲飛がいくら進級が早いといっても14年10月1日に入隊した甲5が年内に2空にはならなんやろ」

と思って、甲4の進級日を調べたら、

14年4月1日  4等航空兵(入隊)
14年5月1日  3等航空兵
14年5月16日 2等航空兵
14年6月1日  1等航空兵

「なっとるし!?(;゚Д゚)」

入隊後2ヶ月で1等航空兵になっていますよ!
乙飛、激おこですよ!

ちなみに乙9、
13年6月1日  4等航空兵(入隊)
13年9月1日  3等航空兵
14年6月1日  2等航空兵
15年6月1日  1等航空兵(これでも8期より早い)

思い出しました、甲3もこのスピードで進級していてびっくりしたことを。
甲5の実際の進級日は調べていませんが、同じような感じだったのでしょうか。

というわけで、もし、甲5入隊後に撮られた写真であれば、1空か2空かわからないお二人は甲3か甲5の人なのでしょう。

袖が見えず、予科練生かそうでないのかわからない人が8名います。
ここにおそらく乙11の5名+甲3か甲5の残りの不明者2名が含まれているということでしょうかね。
※全員いると仮定して




もし、甲5が入隊する前に撮られた物であれば、1空か2空かわからない2名は2名とも甲3の人で、予科練生かそうでないのかわからない8名は乙11の5名と他科の兵3名ということになりますかね。



甲5が写っているのかいないのか(撮影時期に関わる問題)、白根好雄さんと駒崎文雄さんのお顔がわかれば解決する話です。もし、おふたりのどちらかでもお顔をご存じの方がいればご一報いただければ<(_ _)>


というわけでですね。
確実に乙9・10、甲4は写っています。おそらく甲3も写っています。
うちにある予科練関係の写真で県別集合写真に乙と甲が一緒に写っているの、これ1枚だけなんです。
おまけに他科の兵の人も写っています。何の集合写真でしょうね?
霞空本隊の埼玉県出身者も含んでいるとしたら、少なすぎる気がします。
予科練教育に携わっていた兵の方でしょうかね? 教員の助手みたいな? 特技章をつけている人がいるので、それはありえるな、と思っているのですが・・・・。

とりあえず、今日はここまで。


※画像は9期生ご遺族ご提供、甲4情報はOさんご提供
進級状況もろもろはKさんや甲4ご遺族の方ご提供資料、『予科練外史』(倉町秋次)参照

愛媛県出身乙8期生2022年01月12日 23時29分43秒

愛媛の8期生のお顔を初めて見たのは9年前だったでしょうか。
愛媛県出身乙9期の石川茂さんのアルバムに貼ってあった愛媛県出身8~10期の集合写真でした。

しかし、そのときは記名がなかったため8期生はまったくわからず。
愛媛の8期生は4名。

その後、愛媛出身10期生の久保伊勢市さんのアルバムに宮本茂さんの記名あり写真が貼ってあり、お顔判明。
さらにその後、同じく愛媛出身乙10期生の藤本久夫さんのアルバムに大西健一さんと井出峰雄さんの記名ありのラグビー部写真が貼ってあり、おふたりが判明。

残りは菅文夫さんだけとなり、自然、4名とも解決ということになりました。



ブログを検索してみたところ、ちゃんと4人のことを書いていないようなので、8期生卒業アルバム個人写真を見せていただいた機会に今日は書いておきます。


石川茂さんのアルバムに貼ってあった「愛媛県出身者の集ひ  昭14年 明治ノ佳節」
14年11月3日・・・・なんですが、場所は横須賀、写っているのは8期~10期生、10期生が階級章をつけていない(四等航空兵)などから考えて、13年11月3日ではないかなと思います。

前列左から3人目
菅文夫さん
偵察

18年11月21日  755空  ギルバート諸島沖航空戦



前列左から6人目
大西健一さん
操縦、水上機

15年2月27日  鹿島空   伊勢湾

9期島田清守さんの15年2月28日の日記
『八期生が飛練で卒業の期を前に場外V(飛行)に出て空中接触。ついに殉職との事を耳にした。全く気の毒である。すぐ卒業といふのに!!』

水上機操縦の練習生互乗の2機が空中接触。大西健一さん、松本栄次さん、飯森武さんが殉職、松永「王身(1字)」喜男さんが落下傘降下して無事(19年2月9日 横須賀空 横須賀で殉職)。
8期生最初の殉職(戦没)者となりました。



前列左から7人目
宮本茂さん
操縦、水上機

15年5月8日  館山空  富浦湾にて殉職



2列目左から5人目
井出峰雄さん ※予科練外史の表記
(藤本さん「井手さん」表記、卒アル「井出峯雄」表記)
偵察、艦攻

16年8月10日  加賀  聯合艦隊訓練中、愛媛県沖の島灯台付近にて龍驤の艦攻と衝突、殉職  








みなさん、この集合写真以外にも写っていました。

菅さん。

写っていたのは、9期島田直さんの辻堂宿舎写真。
これ、島田さんが全員に記名してくれているのですが、菅さんのところはタケカンムリを書いて「間違えた!」と気づいたのか下に「菅」を書いているので、何と書いてあるのかわからなかったのです。
最近になって、卒アル個人写真と照合して菅さんだと気づいて、タケカンムリが余分にくっついていることに気づきました(^^;)




10期藤本久夫さんがアルバムに貼っていた予備学生と8期ラグビー部の写真。

大西さん。

井出さん。

大西さんへの思い出に「十四年二月四日砲術学校予備学生とのラグビー試合で」大西さんが活躍されたことが書かれているので、写真はそのときのものかもしれません。
10期の藤本さんが、写真の横に自分は見学していたと書いているので、時期的にも矛盾はないです。



10期久保さんがアルバムに貼っていた鷹取山での写真。4人の記名がありました。白い脚絆が愛媛の10期生、そこになぜか普通の軍装の8期宮本さんが。

宮本さん。




愛媛の9期生は石川さん、羽藤さん、松本さんと3人分アルバムを見せてもらっているのですが、誰も愛媛8期生と個人的に撮った写真などは貼っていませんでした。



※画像は9期生・10期生ご遺族、久保さんご提供。8期同期生会誌、倉町秋次『予科練外史』参照

乙9期 隅倉慧さん2021年10月12日 21時01分00秒

2015年の夏、それまでわからなかった9期生のお顔と氏名が一気に解決したのは、隅倉さんが残されていた氏名入り班写真のおかげでした。

隅倉さんは数少ない9期の生存者のおひとりです。

入手した住所にダメもとで手紙を出してみたところ、ふだんそこに住まわれていない息子さんがたまたま行かれてわたしの手紙を見つけてくださったようで。
連絡をくださいました。

残念ながらその時点で隅倉さんは亡くなられていたのですが、息子さんがいろいろよくしてくださってアルバム類を見せてくださったほか、9月には島田直さんのご遺族の方も紹介していただき、墓参にも連れて行ってくださいました。熊本の名所も案内してもらいました。当時はまだ熊本地震前で、熊本城でお月見のお茶会にも参加。


その後、土浦の予科練慰霊祭にも来てくださいました。







隅倉さんのアルバム、氏名入り班写真以外にも興味深い写真がたくさんです。

同期生の個人写真以外にも、実施部隊時代の戦友の個人写真もたくさん貼られています。
9期の方は見ただけでどなたかわかるのですが、実施部隊時代の戦友の方々は「〇〇兵曹」という書き込みだけではわたしにはどなたなのかさっぱりわからないんですよね。紹介したいのですが・・・・。行動調書を見ても姓しか書かれておらず。かろうじて階級がわかったぐらいです。
ちょっとだけ、Kさんご教示でどなたか判明した人がいるのでまた紹介させていただこうと思っています。



今日は隅倉さんご本人。

すみくらさとしさん。

熊本県出身、偵察、水上機。

鎮海空、第11特別根拠地隊、936空、312空、横須賀空。


予科練1学年時。横須賀。
一緒に写っているのは7期の西義武さん。
西さんの階級(1空)から察して、8月15日は卒業式当日でしょう。


これは霞ヶ浦海軍航空隊時代。
14年6月の操偵適性検査。

これも同じく操偵適性検査。班写真。2班。
一種軍装の下士官は予科練の教班長(引率)と思われます。


14年夏。
熊本県民の集い。8期生卒業に際しての送別会のようです。



ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。
14年12月29日。
前列左と真ん中が12期の田島忠盛さんと吉永博行さんのようです(どちらがどちらなのか不明)。右端は10期の古本克己さん(582空)。
後列左が隅倉さんで右が島田直さん。



想像ですが、習志野演習かな?
ピンボケしていますが、この写真、何がおもしろいって、書き込みによると「林教員」が撮ってくれた写真なんだとか。

「林教員」、島田さんの日記に名前が出てきた林正義教員のことかもしれません。
撮影者がわかる写真ってなかなかないのでおもしろいです。


これは2学年時の班解散会。
これも島田さんの日記に記述がありました。15年6月2日。
前の学年時の班のみなであつまってワイワイやっているところです。




このタイプの写真、偵察専修生だけあります。
3学年時の班の一部かな?
しゃがんでいるのが本間秀人さん。後ろに立っている左から谷村博明さん、植松繁さん、高橋兼春さん、隅倉さん、国本力さん。




1空の階級章をつけています。
善行章はないかな?
小船井写真館の刻印があるので、予科練3学年時(15年)の夏か。




これは鈴鹿の飛練時代。二見の夫婦岩。
一緒に写っているのは同郷の島田直さん。
善行章もついているし、16年の6、7月。




これは特技章が見えないので、もしかしたら任官記念(16年10月1日)かも。
飛練博多時代。



ここからは実施部隊時代。
飛練卒業後すぐ配属された鎮海空時代。



隅倉さんの階級章から17年の夏でしょう。


17年秋のシンガポール。


隅倉さんがどこにいるのかわからんのですが、演芸会の出し物っぽいです。

手拭いをかぶって浴衣着てザルを持っている人がいます。ドジョウすくい?



これは前線の基地かなあ?



これも前線の雰囲気ですね。
搭乗員整列。出撃前か後かわかりませんが。
背後に水上機が写っています。






南方の基地のようです。

隅倉さん、首輪のついたおサルさんを抱っこしています。
隊のペットでしょうか。



18年、936空時代。



20年8月25日 熱海にて
終戦直後です。
兵曹長の階級章をつけています。


9期生は戦没者も多く出しましたが、生き残った人たちもほとんどの人がどこかしら怪我をしていました。
本間猛さんが手記(『予科練の空』)に、
『クラスの飛行練習生卒業者は百九十一名、そのうち戦死者百六十七名をかぞえ、その戦死率は八十七パーセントあまりである。クラスの生存者二十余名も、そのほとんどが戦傷病を受けて、そのために生き残り得たのである。したがって、全戦期を通じて戦傷病にもかかわらず、五体満足で生還し得た者は百九十一名中、三、四名に過ぎない。私は幸いにも、奇蹟的に五体満足で生き残り得た数名の中の一人である』
と書いていますが、隅倉さんもそのおひとりのようです。

途中で兵役免除になっていたら病気だとか怪我だとかわかるときがあるのですが、逆に終戦まで戦われた方は怪我や病気をされたのかされなかったのか、わたしではなかなか把握困難です。
隅倉さんは息子さんが教えてくださったのでわかりました。
あと、もうおひとり、石田さんの息子さんが戦後に会われたことがある9期生存者の方は戦闘で大けがをされていたとのことでした。



隅倉さんの軍服。
士官の二種。
9期の方が実際に着ていた軍服って、初めて見ました。感無量です。




戦後は戦友会にも熱心に参加されていたようで、その際の写真もたくさん見せてもらっています。

二十歳前後の写真はしっかり把握できているはずなのですが、ぶっちゃけおじさんになった9期生は「これ・・・・どなただっ!?」って人が(^^;)
逆に全然変わっていない人もいるんですけどね。隅倉さんは変わっていなかったです。


息子さんは、熊本で9期会があったときに集合場所の護国神社まで慧さんを送って行き、そこで9期の方々と会われたことがあるそうです。
熊本に行った際は、その護国神社にも連れて行ってもらいました。
「おお! ここに9期の方々が・・・・」
とひたってきました。



※画像は9期生ご家族ご提供