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今日も古墳めぐり2023年03月03日 23時20分43秒

花粉霞の中、今日も古墳めぐりをしていました。


とある古墳にて。
道端で埴輪片発見!
他にも土師器片らしきものも落ちていました。



よい子のみんなは見つけても持ち帰っちゃダメだよ!(・∀・)

横から見た西殿塚古墳2023年03月04日 10時14分16秒

先日行った天理の大和古墳群の西殿塚古墳。

帰って来て墳丘測量図を見て、
「この古墳、カッケー!(*´▽`*)」
って大ファンになりました。


色々さがしたら航空測量で作成した赤色立体地図というのが出てきました(アジア航測株式会社)。
これ、ぜひ見てほしいです、スゴイです。


西殿塚古墳は傾斜地に作られていて、南北を主軸にした墳丘の西側が低いので、そちら側の段築が1段多いです(西4段、東3段)。
西側の一番下の段を除いた墳形がめっちゃかっこいいんですよ。

現地で見たら、鬱蒼とした樹木に覆われていてなんのこっちゃ全然わからんのですが(^^;)




西殿塚古墳の測量図としては宮内庁が出している墳丘測量図もあるのですが(天理市教育員会2000『西殿塚古墳 東殿塚古墳』天理市埋蔵文化財調査報告 第7集)、こちらは1mコンターなのでざっくりはわかるけど、細かい部分がよくわかりません。

赤色立体地図の方は細かいところの凹凸までわかってすごいですよー!(・∀・)
あんなに樹木に覆われているのにほぼ正確に地表を計測できるのってすごいです。

上に挙げたリンク先には赤色立体地図の真上から見た図と南側上空から見た図(鳥瞰図)が掲示されています。

「すげー!(;゚Д゚)」
ってなって、次に、
「複雑な形態しているなあ! 横から見たらどう見えるんや?」
が来ました。

ネットをいろいろ探してみたんですが、西殿塚の側面図ってないですね?
報告書にも載っていませんでした。

ないなら作っちゃえ!(*´▽`*)

ってノリで作ってみました。

赤色立体地図をもとに平坦地と斜面をざっくり色分け。
そこに宮内庁の測量図(標高を得るため)や天理市の発掘調査トレンチの位置(墳裾の推定の参考にしようとした)を重ねて、高さや位置を合わせて側面図を作ってみました。あくまで個人が能力の範囲で作った模式図みたいなものですので参考や引用しないように(^^;)
※西側の最下段は省略
くびれ部あたりのテラスと斜面がどうなっているのかいまいちわからない(^^;)
多少間違っているかもしれませんが、大きくは外していないのでは?と思います。大きく間違っていたら訂正して再投稿します。

おもしろい形態ですよねー。
後円部ににも前方部にも方形の壇があるんですよ。
わたしは古墳の構造とかよく知らないんですが、前方部にも後円部にも方形壇があるって、他にもあるんですかね? 今度詳しい人に聞いてみよう(笑)

前方部の方形壇は現地写真を見返してみたらなんとなくわかりますね。
上の写真、前方端の方がもこっと樹木が盛り上がっているでしょう。あそこが前方部の方形壇の高まりなのかな?
南西部から見たらこんな感じなんです。

あと、赤色立体地図では後円部の方形壇の下にもう一段、ひとまわり大きな薄い方形壇があるようにも見えます。
※リンク先本文では「後円部墳頂の方形段を囲む環状の高まり」とある
んで、この方形壇、墳丘の主軸から若干東にズレているように見えます。あえてズラしているんでしょうかね。

そもそも西殿塚、後円部が左右非対称ですよね。東側がちょっと小さいように見えます。
後世に削平されたかな?と思って天理市の発掘調査報告書を見たんですが、墳裾は若干外側になるようですが、左右対称になるほど大きくはなりません。
後円部はテラスを見ても左右でバランスが違いますもんね。
”見られる”メインは西側からだろうから、そっち側を立派に作って、東側は地形に制約を受けたんでしょうかね? 想像ですけど。


後円部と前方部をつなぐスロープの両脇に低い段があるのも見て取れます。築造当時のモノかどうかわかりませんが、たいへん興味深いです。

陵墓は基本立ち入り不可で(最近は限定的に立ち入りや発掘調査を行っている)、現地に立ち入っての詳細な測量図作成は困難かと思います。立ち入らずに飛行機で測量してこれほどの図が作れるって技術の進歩はすごいですね~。



って、ここまで3月2日に書いていました。

西殿塚に惚れすぎて、3月3日にもう一度行ってきました!(・∀・)
前回よりさらに接近して墳丘を観察してきました。接近と言っても陵墓なので墳丘内には立ち入れません。しかし、最下段の段はちょっと距離があるところからでも「きれいに残っているな」ってのが見えます。写真を撮ったんですが、写真で見たらなんのこっちゃ全然わかりません( ;∀;)
↑なんのこっちゃよくわからない前方部南西角の段築写真。
肉眼で見たらもっとよくわかります。
木の陰で真っ黒ですが、肉眼で見たらこんな感じ↓だったと思います。
これは西側の一段多い段部分かな(わたしが作った側面図には入っていません)。




西側の、墳丘全体が見渡せる場所に立ってみて、頭の中で自分が作った側面図を重ね合わそうとするんですが森が深すぎて何かよくわかりませんでした。

帰って来て、写真と合成して往時の姿を偲びました。
遠くから撮った写真に合成したんで背景の山が入ってわかりにくいです。

西側からはこんな風に見えていたんじゃないかな、という想像図です。


西殿塚古墳の後円部墳頂の標高は141.2メートル(宮内庁測量図)。基底部で120メートルほど。
下から見上げたら壮観だったろうなと思います。
と、同時に、
「あれ? もしかして、西側から見上げたら、東殿塚古墳は見えんかったんちゃう?(´・ω・`)」
ってなりました。
いまも見えませんが、これじゃあ当時も見えないですね(^^;)

リベンジ企画 纒向 大和・柳本古墳群2023年03月04日 16時24分32秒

火曜日に決行するつもりだった企画は電動レンタサイクル屋さんが休業日だったため、金曜日にやりました。

こんな感じ。
田原本駅前で電動レンタサイクルを借り、ランチ予定の山辺の道花もりに直行。
目的はいったい何っ!?(笑)



しかし、ついつい寄り道。
これが自転車でまわる利点ですね(・∀・)
田舎道を走っていたら、朝採りイチゴ直売ののぼりを見つけました。
「行かなきゃ!(義務感)」

古都華1パック550円というんで、お買い上げしてしまいました。まだ旅は始まったばかり(笑)



走っていたら、以前パパとお参りした村屋坐彌冨都比賣神社の横に出たので自転車をとめてお参り。


奈良盆地中央部は基本的に平坦なんですが、田原本から桜井・天理に向かって行くと平坦に見えて微妙に坂なんですよね。たぶん歩いていたら気づかないぐらい。自転車に乗っていると、「坂だ(+o+)」とよくわかります。
ときどきアシストオンにしながらのんびり行きました。
地図は見なくて大丈夫です。
前方に三輪山が見えているので、それを目ざしていきました。
目ざす花もりは三輪山の麓。


気づいたら、箸墓古墳が見えていました。
「おお!! 美しい!」
西殿塚を知るまでは箸墓が一番美しい前方後円墳と思っていました。
いや、いまも好きですよ、箸墓💗



好きなんで近寄って撮ってきました。
ここは周辺をふつうの道路がめぐっているので(東側、南側)、もっと近くまで寄って墳丘が見れます。もちろん行きました。

ここから箸中、茅原の集落の細い道に入り込んでしまって安定の機位不明に( ;∀;)
悪あがきせずにスマホの位置情報をオンにしてみたんですが、これだけ天気がいいと影を作ってそこでスマホ画面を見てもほぼ見えないんですよ。おまけに老眼だから何が書いてあるかさっぱりわからない( ;∀;)

けっこうアップダウンがある場所を行ったり来たりしてしまい、バッテリーも思いのほか減ってしまい焦る焦る(汗)

最後は自転車をとめて歩いて花もり探し。

なんとか見つけることができました。
山辺の道沿いなので山辺の道に入ればすぐ見つかるんですが、自転車だったので山辺の道に入らずに探そうとして迷ってしまいました。





気候が良かったので外の席でいただきました。


花もり野菜膳。あったかいおそうめん付き。

おいしかったです、満足~(*´ω`*)

これでミッション完了したような気分になりました(笑)

いやいや、まだ始まっていませんよ、これからです。



里に下りて来ました。
相撲神社に行こうとしていウロウロしていたら茅原大墓古墳に出ました。
ここは以前、家族で檜原神社に行ったとき、帰りに立ち寄りました(行きは山辺の道で)。
中期初頭の帆立貝式古墳。

昨日の愛機・磯城の里1号機と茅原大墓。
右側の平べったい段が帆立貝の突出部分です。
前方部と後円部の境奥に見えているのは箸墓古墳の後円部です。


走っていたらいちご自動販売機を見つけました。
すごく食指が動いたのですがすでに古都華1パックを持っていたので思いとどまりました(^^;)
※のぼりの奥に見えている自販機ではありません。階段下のハウスの中に設置してありました

相撲神社を探して入り込んだ細道沿いに垂仁天皇纒向珠城宮の碑。


結局相撲神社に行きつかず、迷った挙句、渋谷向山古墳(伝景行天皇陵)が見下ろせる場所に出てきました。
※後で見返したら纒向珠城宮の碑のバックに写っていた

相撲神社は後でいいか、先に渋谷向山行こう。


ふつうに細道を走っているつもりだったのか、いつの間にか山の辺の道に入り込んでしまったのか、石畳が現れました!(;゚Д゚)
さすがにここを自転車で走るのは迷惑でないか(散策者にもレンタサイクル屋さんにも)、と思ったので、押して歩きました。

「渋谷向山は帰りにしよう。先に西殿塚に行こう」
なんかもう行き当たりばったりすぎ(笑)

国道を北上していたら行燈山古墳(伝崇神天皇陵)の向かいの大和天神山古墳が気になりだしました。
ここ、横の国道敷設時に東半分が削られてしまっています(南北主軸の103メートルの前方後円墳)。
横の国道を通るたびに気になっていたのですが、いままで行ったことがありませんでした。

神社になっています。
伊射奈岐神社。国道側の鳥居。反対側の西側にも鳥居があります。

拝殿。
この拝殿の裏が墳丘(後円部)です。

墳丘の近くまで寄れるので行ってみましたが、こんもりして古墳だなというのはわかるけど、段築はちょっとわからなかったです。


国道側に設置されている看板。

国道側、削られた部分崖。

ここ、柳本古墳の真っただ中にあって、国道を挟んだすぐ東が行燈山古墳、北方には黒塚古墳もあります。
ちょっとかわった古墳で、未盗掘の竪穴式石室が調査されているのですが、人物を埋葬していた形跡がなく大量の朱が副葬されていたそうです。
さらに、出土した鏡の組成もおもしろいです。
23枚も副葬されていたのに、一般的な三角縁神獣鏡が1面もないんですよ。
ミステリアスな古墳です。


ここに立ち寄ったときに、持ち歩いていたイチゴに異変が起こっていることに気づきました!(;゚Д゚)
イチゴを覆っているフィルムが汗をかいていて、中のイチゴもなんかじくじくしているような?
「ヤバい! きっと振動で傷んだんだ!(;゚Д゚)」
ジャム化する寸前みたいになっていました。
「夜までもたないぞ!(>_<)」

というわけで↓
すぐ近くに天理のトレイルセンターがあったので、そこに立ち寄って水洗いし、1パック全部食べてしまいました(・∀・)
ウソみたいにおいしかったです!(*´▽`*)

じつは水曜日にデパ地下で600円オーバーの古都華を買ったんですけどね。自分としては清水の舞台から飛び降りる級の出費だったんですが、夜、おやつに食べたら硬くて酸っぱくて白目剥きました(゚Д゚;)
久しぶりにイチゴに練乳かけたというね(泣)
なので、今回も期待半分不安半分だったのですが、さすが農家さんの直売所で売っていた古都華だけあってめちゃくちゃ甘くておいしかったです。振動のせいかもしれんけどやわらかかったしね(笑)



西殿塚古墳。
自転車で行けるところまで行き、あとは歩いて行きました。
相変わらずデカすぎてスマホカメラにおさまらない西殿塚古墳(前方部南西角から)。

段築を見に来たのと、東殿塚に接近する道はないか探しに来たのと。

東殿塚の方へ行く小道はたしかにありました(前回は気づかなかった)。

ただ、東殿塚は周辺が私有地ということだったので(天理市教育委員会)、西殿塚の拝所前からちょっと行っただけでもう奥までは行きませんでした。




途中立ち寄った古墳で埴輪片が落ちているのを見つけました。
これ以外にもけっこう落ちていました。土師器片もありました。
ここにこういうものが落ちているのは周知の事実みたいだったので特に教育員会に通報はしていません。
もし、みなさんが遺跡で何か見つけたらとりあえず地元教育委員会に連絡してみてください。勝手に持ち帰っちゃダメですよー。



柳本古墳群の渋谷向山に戻ってきました。
じつはお初。
頻繁に前を通っているんですが、拝所にお参りするのは初めてです。


ここは西殿塚と違い墳丘の主軸は東西方向で、後円部が東です。
水をたたえた周濠がめぐっているのですが、高低差があるので渡り土手を作って高さの違う周濠がいくつもある、という状態です。
上の写真の右側に見えているのが渡り土手です。
北側の渡土手で草刈り作業していました。

この渡り土手、西殿塚古墳と東殿塚古墳の間にもあります。あそこは「高低差」のためではなく、行き来の為の土手でしょうかね? 天理市が発掘調査したみたいです(前記事掲載報告書)。


相撲神社に向かいます。
国道沿いに相撲神社の看板が出ていたので左折してそちらに向かいます。
さっき道に迷ってウロウロした道でした。いつの間にか渋谷向山の近くに出てしまいましたが、今度はまっすぐ上がってみます。
途中に珠城宮の看板がありました。さっきの碑よりちょっと上。

さらに上がっていくと景行天皇纒向日代宮跡の石碑。

ここら辺まで来るとかなりの標高です。



相撲神社。

鳥居の右に「縣大兵主神社」って石碑があるでしょ?
わたし、てっきり、
「相撲神社の別名か」
と思ってここしかお参りしなかったのですが、ここからさらに奥に入ったところに穴師坐兵主神社(縣大兵主神社)って神社があったみたいなんですよ。帰って来てから知りましたorz
いやー、奥につながる道に灯篭があったので、少し歩いて行ってみたのですが、
「何もなさそうだな」
と思って引き返してきてしまいました。どうして現地でグーグルマップを見ない!( ;∀;)


相撲神社。

相撲神社は穴師坐兵主神社の摂社らしいです。これも帰って来てから知りました。

摂社だけお参りして本社にお参りしていなかったというorz

本人は現地では満足して下山。


相撲神社の近く。
こんな眺望です。
目の前に渋谷向山。


こんな高台にも纒向遺跡の看板がありました。



「よし、次は纒向の集落に行ってみるぞ」

下り坂をアシストオフで下りていき、巻向駅の辺りに戻ってきました。

駅周辺には案内板がこまめに設置してあり、迷うことなく柱復元遺構に到着。


建物跡と三輪山と箸墓。
弥生終末期~古墳初頭に興味があります!(・∀・)
と言いながらここに来るの、初めてです(笑)
もぐりか(笑)

道が狭いので自転車で来たのは正解でした。



田原本に戻る途中にあった東田大塚にもお立ち寄り。
上の画像の右に写っているこんもりです。中央は箸墓、左は三輪山。
纒向の墳丘墓も見学するのは初めてかも知れない(;^ω^)
他の墳丘墓群に行かなかったのはもぐり臭いですね(笑)

いちおう写真だけは撮ったんですけど(正面纒向矢塚。右端纒向石塚)。
もぐり認定です。


さーて、これで今回のリベンジ企画は終了です。
あとはテキトー航法で西に向かって走って、田原本駅を目ざしました。

駅近くに戻って来たときに返却時間までまだ少しあったのでキャパトルに寄ってパン購入&コーヒータイム。

自分にお疲れ様です。

先月の光熱費・水道代2023年03月05日 10時39分14秒

1月の光熱費・水道代が47000円ほどになっていて、
「ひいっーーー!(;゚Д゚)」
ってなりました。

んで、春海には、
「シャワーを30分も40分も出しっ放しにするな」
と言いつけ、わたし自身もお湯で食器洗いをするのをやめました。

パソコンもなるべくつけないようにし、昼間はリビング消灯、お茶を飲むためのお湯を沸かすときもなるべく少量にして短時間で沸かして沸いたらすぐ消す、を心掛けてきました。
(以前はお湯を沸かしているの忘れて安全装置が働いてオフになるまでほっていることもあった)


そんなこんなで、2月は35000円まで節約しました。

あれから暖房便座もオフにしたし、1ヶ月が短いので次回はもう少し減っていてほしい(´・ω・`)


どっちがいいのかなーと悩んでいること。
・食器洗い・・・・食器を使うたびにこまごまと水で洗うのがいいのか、ある程度ためて食洗器で一気にやるのがいいのか。
・ひとりのときのごはん・・・・パックごはんをレンチンするのがいいのか、炊飯器でひとり分炊くのいいのか。

つーか、↑これを気にして、ランチやカフェに行っているの、おかしい(笑)

郡山城の枝垂梅2023年03月05日 16時52分46秒

春海がいないので、午前中からパパとカフェに行ってきました。

桜ミルクのわらび餅ドリンク。
甘さ控えめのミルクの中に甘いわらび餅が入っていてめっちゃおいしかったです♪



郡山城に行ったら枝垂梅が咲いていました。


郡山城に梅があるって、いままで知りませんでした(;・∀・)

紅白で咲いていてめっちゃきれいでしたよ。









去年国史跡指定された記念の御城印。

次は御城印帳をゲットしないとな(・∀・)