操偵検査 2026 ― 2026年04月09日 12時38分13秒
検索しても出てこなくなってしまったので、新たに画像や記事を追加して再投稿することにしました。
基本、以前投稿したものをそのまま転載しています。今回追加した分は赤字で示しています。
下の方には、別記事を追加しています(追加分はわかるようにしています)。
この話題だけで本でも書けそうな勢いです。
この1記事に、4、5記事分ぐらい書いてしまいました。
いつものようにさらっと読めない分量なので、覚悟して読んでください。
「予科練」というと、飛行機の操縦訓練をする過程だと勘違いしている方もおられると思いますが、じつは、予科練時代はほとんど飛行機に乗ることはありません。
9期の場合、予科練時代で飛行機に乗ったのは、入隊後ほぼ1年目に10日間ほど行われたこの「操偵適性検査」のときのみです。
ここで操縦と偵察の適性を見極められ、2学年からはそれぞれの過程にわかれて専門の勉強をし始めるのです。
そして、予科練を卒業して初めて「飛行練習生」課程に進み、本格的に飛行機に乗る訓練を始めます。
かれらにとってはただごとではない運命の操偵適性検査。
ほとんどの練習生が操縦に進むことを夢見て予科練に入っているんだとか。
が、現実には希望するコースに全員を進ませるわけにはいかず。
どうしても不本意なコースに進まざるをえない練習生も出てきます。
この検査でその後の搭乗員人生が決まってしまうのです。
かれらは異様なほどの緊張感と張り切りで操偵検査に臨みます。
以前、9期の適性検査は筑波空と百里原空(島田清守さん、石川茂さんは「百里ヶ原」と記述)の2ヶ所で行われたものと誤解していました。
どうもそうではなく、当時まだ筑波空の分遣隊だった百里原に於いて、23分隊(前の分隊:1~8班)と24分隊(後ろの分隊:9~16班)で日程をずらして行われたようだと。
ただ、正確な日程がわかっていませんでした。
9期生存者の藤代護さんの手記に、
『昭和十四年五月、二年生になる前に、われわれ同期は操縦と偵察に分けられるため、百里原海軍航空隊で、適性を検査すべく初等練習機に乗ることになった』
と書かれています。
羽藤さんがアルバムに貼っていた操偵検査の写真の1枚に、「昭和十四年六月八日木曜」と書かれた黒板が写っていました。
これらのことから、「14年の5月6月頃」ぐらいの感じで思っていました。
島田清守さんの日記で、操偵検査の正確な日程がわかりました。
以下、先日、操偵検査写真の水たまりについて書いた記事から転載。
5月29日 曇 地練(地上練習機) @霞ヶ浦海軍航空隊
5月30日 曇 地練・心理検査
5月31日 晴 心理検査
6月1日 雨 移動 初めて飛行服を着る @筑波海軍航空隊百里ヶ原分遣隊
6月2日 晴 (飛行場で?)初めて飛行服を着る
6月3日 曇 飛行作業中止 口頭試問
6月4日 曇 行軍
6月5日 晴 初めて飛行機に乗る
6月6日 晴 飛行作業
6月7日 曇 午後飛行作業(検定1日目)
6月8日 飛行作業(検定2日目) 終って写真を撮った 午後口頭試問、相学
6月9日 曇 (記述ナシ)
6月10日 晴 飛行作業 適性検査終了 霞空に帰隊
これは島田さんが所属していた23分隊の操偵検査の日程です。
さらに島田さんは24分隊の操偵検査のこともちょっとだけ書いてくれていました。
6月10日 2時半頃24分隊が(百里ヶ原に)入隊
6月20日 24分隊適性検査より(霞空に)帰る
24分隊の方が1日百里ヶ原在隊が多いですね。
23分隊が百里にいる期間の日曜日は6月4日だけです。
休業にはならず、行軍をやっています。
24分隊が在隊していた期間は11日と18日、2回日曜日が入っているので、それで一日多いのかもしれません。
まあ、でもたぶん休業ではなく何かやらされていますよね(^^;)
日程的にはおそらく24分隊も霞空の本隊で地練や心理検査を済ませてから百里に行った可能性が大だろうと思っています。
7、8、9日が霞空本隊で地練と心理検査で10日から百里ヶ原――ではないかな?
どこにも記載がないので、23分隊の日程からの想像です。
藤代さんは百里ヶ原で地練をやったと書いていますけどね。
今日は家にある操偵検査時の画像を全部出します。
【23分隊集合写真】

坂田清一さん(1班)所有

藤原国雄さん(5班)所有
※23分隊の2枚の集合写真に関しては、同じように見えてじつは微妙に違っていました。→ここ
【24分隊集合写真】

池田和義さん(10班)所有

島田直さん(11班)所有

羽藤一志さん(12班)所有

石川茂さん(15班)所有
※24分隊の4枚の集合写真に関しては、以前、同じ写真に見えるけど2種類の写真だということを書いた記憶があるのですが、じつは3種類だったとわかりました。→ここ
【班写真】

1班 隅倉慧さん所有

1班 坂田清一さん所有

5班 藤原国雄さん所有

11班 島田直さん所有

12班 羽藤一志さん所有

13班 わたし所有 今回追加
※前列中央の13班練習生ではない人物はたぶんどなたかわかりました→ここ

15班 石川茂さん所有
【少人数グループ写真】

前列左から萩谷幾久男さん、教員(萩原末二さん)、野村茂さん
後列左から筒井富雄さん、永田慶士さん、繁富悦行さん、川原与三郎さん

島田清守さん、高島巌さん

前列前から松本勝正さん、原田要教員、米盛朴さん
後列左から今村文三郎さん、山口浜茂さん、志村実さん、中門清司さん

前列左から松本勝正さん、国本力さん
後列左から上原定夫さん、前川重美さん

前列左から柳川健さん、小林正教員、亀山一郎さん
後列左から熊谷賢一さん、島田清守さん、轟木サトルさん、山田一作さん
※小林君と書いているけれど違う教員のよう。15班集合写真の人と同じ人かな?

前列左から藤原国雄さん、森健次さん、原精二さん
後列左から谷口十七夫さん、前川重美さん、教員、関口一男さん
このタイプの少人数グループ写真はいまのところ23分隊のものしか見たことがありません。
【個人写真】

加藤哲夫さん(1班)

隅倉慧さん(1班)

坂田清一さん(1班)

本城秋生さん(1班)

大西要四三さん(2班)


西山昇さん(3班) 今回追加

大石芳男さん(4班)

藤原国雄さん(5班)

松本勝正さん(6班)

国本力さん(6班)

河村徳市さん(9班)

川崎助男さん(9班) 今回追加

池田和義さん(10班)

池本忠清さん(10班)

藤谷周覚さん(12班) 今回追加

笠井繁雄さん(13班)

清水巧さん(15班)
【その他】


整列して何やら訓示か注意か受けているようです。

こちらはわりとごちゃっと集まって話を聞いている様子。
24分隊だと思います。木原辰雄さん、新井正美さん、都築国雄さん、仲野修さん、福山清武さんらしきお顔が見えます。
エンジン始動中でうるさいのか、耳に手を当てて聞いている練習生が何人かいます。

待機中?
23分隊です。

こちらも待機中でしょうか?
24分隊。

上の写真を逆方向から撮っています。

これが14年6月8日の日付のある黒板。
手前の黒板に「甲班」、向こうの黒板に「乙班」と書かれています。なんだろう?
以前この写真の白い作業服の右の人を、「羽藤さんに似ている」と書いていますが、6月8日に操偵検査をしているのは23分隊なので、24分隊の羽藤さんではありえないですね。撤回します。

この機械、何だろうな?
と思ったら・・・・卒アルにこんな風に加工されて掲載されていました。

「二十三號歸ッテ來マス」
望遠鏡でしょうかね?
どこを向いているんだろう?(^^;)

練習機の列線。筑波空の所属機。
ここらへんで、「筑波空と百里ヶ原空の2ケ所でやった」と思い込みが深まり・・・・(;´Д`)
筑波海軍航空隊百里ヶ原分遣隊なので、筑波空マーキングの飛行機なんですよね。




卒アルによると同乗出発の申告だそうです。
向こう側の人は大山輝一さんかも?

池田和義さん。
操偵検査時だとしたら、これはレアです。
操縦席で撮られた写真はいままでこれ1枚しか見たことがありません。
【教員】

羽藤さんのアルバムに貼ってあった集合写真。
『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】の阿部健市さん(9期)のところに「乙9期の飛行練習生時代」と書いてあったのでそうなんだろうと思っていたのですが(←9期のことを調べ始める前)、羽藤さんのアルバムの写真でちゃんと見たとき、飛行服の襟元の詰襟を発見。「下士官やんか!」
さらに原田要さんを発見したことから、ご本人に見ていただきました。
この写真は、
「昭和14年6月頃の筑波空教員全員と思います」
とのことでした。
その際、数名の教員に、氏名と期を書き込んでくださっていました。
前列左から、

金子光夫さん(乙3)
戦闘機
14年8月9日 筑波空百里原分遣隊 殉職
浅川さんの他写真から判断

浅川三雄1空曹(乙2)
原田さんが「浅川さん 乙2期?」と書き込んでくださっていました。

小山内末吉1空曹(乙2)
先任教員。戦闘機。
原田さんの書き込みもあり、さらに他の集合写真で小山内さんと書かれている方と一致していました。
17年10月26日 瑞鶴 南太平洋海戦

林八太郎さん?(操26?)
原田さんが「林さん 操練?」と書き込んでくださっていました。
戦闘機。

徳永有1空曹(乙3)
12班班写真の教員。←と書いていますが、いまは違うんじゃないかと思っています。
原田さんはここに「工藤さん」と書かれていたのですが、他の写真でこの方は徳永さんであると確認しました。
艦爆、陸偵。
17年8月2日 台南空 東部ニューギニア
後列左から、

不明

原田要さん(操35)
戦闘機。

工藤修1空曹(乙2)
徳永さんのところに「工藤さん 乙3期?」と書いてあったのですが、『日本海軍戦闘機隊』【エース列伝】の工藤さんの写真から、こちらの方が乙2期の工藤修さんだろうと。
17年3月3日 3空 ブルーム攻撃
※工藤さんではない説 平塚萬蔵さんでは? 20210811
平塚萬蔵さん(操37)
艦攻操縦
19年11月17日 931空 済州島西方
艦攻操縦
19年11月17日 931空 済州島西方
浅川さんの他写真から判断

不明
古俣豊壽さん(操26)
艦攻操
582空などを経て戦後生存
艦攻操
582空などを経て戦後生存
※浅川さんからご教示があり202604092218に追記

高橋利男さん(操24)
艦攻操
17年6月5日 飛龍 ミッドウェー海戦(艦と共に)
浅川さんの他写真から判断

不明

不明
15班班集合写真の教員

井上朝夫さん(乙5)
戦闘機
昭和18年3月28日 253空 ニューギニア
戦闘機
昭和18年3月28日 253空 ニューギニア

萩原末二さん(操39)
艦攻操
ご家族ご提供写真・その他から判断
萩谷さんのグループ写真の教員

不明
藤原国雄さんグループ写真の教員

不明

小林正さん(乙4)
「小林くん 乙4期?」と書かれていました。
島田清守さんのグループ写真の教員です。←違うかも。島田さんグループ写真の教員は15班集合写真の人と同じ人かも。
陸偵。
17年4月27日 3空 敵機と交戦重傷、デリー基地に不時着の際、機体転覆
ここまで筑波空百里ヶ原分遣隊の教員(操縦教員)に関して書きましたが、実はこの操偵検査には予科練の教班長(教員)も同行しているようです。
前分隊の集合写真に一種軍装のまま写っている集団がいます。


なんか見覚えがあるんですよ。
たぶん予科練の教班長と思います。

右端でしゃがんでいるのは6班の池田教班長かな。
機会があれば他の人もちゃんと照合したいと思います。
ということは、後ろの分隊もついてきているわけで。



10班の教班長とか(作業服の前列の左端)。
よくよく見ると前分隊は軍服が一種。後ろ分隊は二種(椅子列の幹部の人たち。教班長たちは作業服ですが軍帽に日よけのカバーがついています)。
この2枚の集合写真撮影の間に衣替えがあったんだな、と。
23分隊と24分隊の操偵検査の時期がずれているということは、ここで気づくべきでした・・・・orz
後ろ分隊のスナップ写真に写っている教班長たちが一種姿のものもあります。

後ろ分隊は操偵検査に入ったときは一種、終わったときは二種――ということなんでしょうね。
衣替えの件に関しては島田さんが日記に書いてくれているんですけどね(^^;)
操偵検査を終えて霞空に戻ってきた直後の6月12日の日記に「軍服、夏襦袢、軍帽ノ交換有り」。
百里の人たちも同じ日にやったのかな。
1班と11班の班集合写真に写っている一種の人も予科練の教班長です。
1班はいいとして、11班の教班長が一種で写っているので、あの班集合写真と、軍帽に日よけカバーがついている分隊集合写真は、違う日に撮っている可能性が高いということです。
ちなみに筑波空教員全員集合写真は、
・地面が濡れている
・飛行服の襟元から見えている軍服が一種
であることから、23分隊が写真を撮ったとき(6月8日)に一緒に撮られたものだろうと想像しています。
ずいぶん前にどなただったか、知り合いの搭乗員さんに衣替えの時期のことを聞いたことがあるんですが、
「覚えていない」
と言われました。70年以上前のことですからね。わたしも学生時代のことはほぼ覚えていません。
島田さんの日記には、わたしが関心があっても未解決のままだったことの答えがあちこちに書かれています。
島田さまさまです。
【島田清守さん日記より】※句読点は読みやすいよう、わたしが加えたところもあります
五月二十九日(月) 曇 寒
前々カラ待ッテ致タ我等ノ適性検査モ来タ。午前八時ヨリ地練デ練習。午前ニ水平飛行ノ練習、午后一時ヨリ又練習。今度ハ旋回シテ水平飛行ダ。見テ致テハ易イ様ダガ自分デスルトナカナカ上手ニ行カン。今日モ二度地練デ練習。一寸此レデ飛行機ノ操縦ハコンナモンカ見当ガ着イタ。
八期生モ今日ヨリ後期ノ試験ガ始マッタ。
前々カラ待ッテ致タ我等ノ適性検査モ来タ。午前八時ヨリ地練デ練習。午前ニ水平飛行ノ練習、午后一時ヨリ又練習。今度ハ旋回シテ水平飛行ダ。見テ致テハ易イ様ダガ自分デスルトナカナカ上手ニ行カン。今日モ二度地練デ練習。一寸此レデ飛行機ノ操縦ハコンナモンカ見当ガ着イタ。
八期生モ今日ヨリ後期ノ試験ガ始マッタ。
五月三十日(火) 曇 暖
七時半本隊ニ向フ。「今日ノ検定コソ・・・・」ト言フ意気ダ・・・・。午前中地練ノ検査ガ有リタ。思フ様ニ行カナカッタ。又或ル者ハ心理検査ダ。午后ハ仕事ガナカッタ。地練、心理検査ノモノモ有リタ・・・・。アアコレデ地練ノ検定モ終ッタ。矢張操縦ニナリタイ。
七時半本隊ニ向フ。「今日ノ検定コソ・・・・」ト言フ意気ダ・・・・。午前中地練ノ検査ガ有リタ。思フ様ニ行カナカッタ。又或ル者ハ心理検査ダ。午后ハ仕事ガナカッタ。地練、心理検査ノモノモ有リタ・・・・。アアコレデ地練ノ検定モ終ッタ。矢張操縦ニナリタイ。
五月三十一日(水) 晴 暖
心理検査・・・・二次検査ト同様デアッタ。
六ツノ検査ガ有リタ。午前中終了。
午后自習。
福本教官ヨリ
「教班長ト言ッテ致タガ今后ハ班長ト改メル――当直練習週番練習ニ関シテ話サレタ。今迠ノ伍長ハナクナリタ」
明日ノ用意デ先教(先任教員?)ヨリ話ガ有リタ。
心理検査・・・・二次検査ト同様デアッタ。
六ツノ検査ガ有リタ。午前中終了。
午后自習。
福本教官ヨリ
「教班長ト言ッテ致タガ今后ハ班長ト改メル――当直練習週番練習ニ関シテ話サレタ。今迠ノ伍長ハナクナリタ」
明日ノ用意デ先教(先任教員?)ヨリ話ガ有リタ。
六月一日(水) 雨 寒
四時半総員起シ。毛布ノ移送準備デアッタ。午前ハ準備デアッタ。午后一時ヨリ自動車七台ニテ筑空百里ヶ原分遣隊ニ向ッタ。雨ナノデ苦シイ中ニ着イタ。マダ百遣モマダ新築中予科練ノ様ダ。其レヨリ兵舎ニオサマリテ釣床ノ整備デ兵舎中ノ整頓デアッタ。食事后酒保ノ菓子モタベル。温習ナシ。飛行服モ渡サレタ。始メテ着ルモノデ何ニカラ何迠珍ラシイ。先輩ガ大方教員ダ。七時釣床卸セダ。新シイ釣床デ苦労スル。タダ祈ルハ明日ノ天気ダ。乗レル、飛ブテ心ガ!!
十一期モ入隊。甲種四期一等ニ兵進級シタ。
四時半総員起シ。毛布ノ移送準備デアッタ。午前ハ準備デアッタ。午后一時ヨリ自動車七台ニテ筑空百里ヶ原分遣隊ニ向ッタ。雨ナノデ苦シイ中ニ着イタ。マダ百遣モマダ新築中予科練ノ様ダ。其レヨリ兵舎ニオサマリテ釣床ノ整備デ兵舎中ノ整頓デアッタ。食事后酒保ノ菓子モタベル。温習ナシ。飛行服モ渡サレタ。始メテ着ルモノデ何ニカラ何迠珍ラシイ。先輩ガ大方教員ダ。七時釣床卸セダ。新シイ釣床デ苦労スル。タダ祈ルハ明日ノ天気ダ。乗レル、飛ブテ心ガ!!
十一期モ入隊。甲種四期一等ニ兵進級シタ。
六月二日(金) 晴 暖
午前ハ杉浦大尉ヨリ操縦座学デアッタ。本デ教ハル事総テガムヅカシイ様ダ。明日ノ事総テヲ話サレタ。
午后ハ飛行場ニテ整備員ヨリ飛行機取扱方ニツイテ話ガ有リタ。終リテ操縦教員ヨリ各組毎ニ総テニツキ説明有リタ。始メテ飛行服モ着テ生レテ始メテダ。一人前ノ操縦員ニデモナッタ様ダ。別科ハ訓育ノ予定ナレドモ体技ニ変更。格納庫前デ野球排球等ヲシタ。
温習有リ。飛練出ノ操縦教員ヨリ当直班デ掃除后・・・・仕事ヲスルニ静粛ガカケテイル、モット気ヲツケル様ニ!!
午前ハ杉浦大尉ヨリ操縦座学デアッタ。本デ教ハル事総テガムヅカシイ様ダ。明日ノ事総テヲ話サレタ。
午后ハ飛行場ニテ整備員ヨリ飛行機取扱方ニツイテ話ガ有リタ。終リテ操縦教員ヨリ各組毎ニ総テニツキ説明有リタ。始メテ飛行服モ着テ生レテ始メテダ。一人前ノ操縦員ニデモナッタ様ダ。別科ハ訓育ノ予定ナレドモ体技ニ変更。格納庫前デ野球排球等ヲシタ。
温習有リ。飛練出ノ操縦教員ヨリ当直班デ掃除后・・・・仕事ヲスルニ静粛ガカケテイル、モット気ヲツケル様ニ!!
六月三日(土) 曇 暖
午前飛行作業ノ予定ナレドモ霧ガ大クテ午前七時飛行服ニ身ヲカタメテ「今日コソ」来いト言フ意気デ致タ。飛行機ニ整列シテ試運転中ダ。所ガ指揮官等ガ来ラレテ「中止」トナリタ。皆気落シタ!!其レヨリ口頭試問デアッタ。飛行長ヨリ「操縦偵察トテドチラガヨイカ? スキナ学科、霞空ヨリ本隊迠ノ距離等ヲ問ハレタ・・・・。午后大掃除ダ。二時三〇分休メ。其レヨリ体技ヲシタ。角力等デアッタ。今年ノ角力モ始メテダ。アア今日天気ガ良カッタラ飛行機ニノレタモノヲ・・・・。
筑空ノ兵隊ハ非常ニ温和デアリマタ親切ダ。マヅマヅ感ジダ。霞空ヨリ此ノ点ガ勝ッテ致ル様ダ。
六月四日(日) 曇 暖
行軍・・・・。午前七時出発。分隊士ヲ始メトシテ何ニモ何ニモ見ル物、聞クモノナキ此の地。唯気力胆力ノ養成ト言フ様ナ分隊士ノ要求デアル。唯自分ガ歩ケルダケ歩イテ見ロト言フ様ナ意気ダ。白河村榎本等ヲ経テ小サナ町トモ言ヘナイ様ナ玉造町ヲ経テ八木蒔ヲ通リ立花ノ小学校デ開散。二時迠ニ桃浦駅手前ニ集合デアッタ。東与沢ヲ経テ帰隊シタ。途中軍歌デアッタ。・・・・多イニ胆力気力養成ニナッタ。
温習ナシ。
午前飛行作業ノ予定ナレドモ霧ガ大クテ午前七時飛行服ニ身ヲカタメテ「今日コソ」来いト言フ意気デ致タ。飛行機ニ整列シテ試運転中ダ。所ガ指揮官等ガ来ラレテ「中止」トナリタ。皆気落シタ!!其レヨリ口頭試問デアッタ。飛行長ヨリ「操縦偵察トテドチラガヨイカ? スキナ学科、霞空ヨリ本隊迠ノ距離等ヲ問ハレタ・・・・。午后大掃除ダ。二時三〇分休メ。其レヨリ体技ヲシタ。角力等デアッタ。今年ノ角力モ始メテダ。アア今日天気ガ良カッタラ飛行機ニノレタモノヲ・・・・。
筑空ノ兵隊ハ非常ニ温和デアリマタ親切ダ。マヅマヅ感ジダ。霞空ヨリ此ノ点ガ勝ッテ致ル様ダ。
六月四日(日) 曇 暖
行軍・・・・。午前七時出発。分隊士ヲ始メトシテ何ニモ何ニモ見ル物、聞クモノナキ此の地。唯気力胆力ノ養成ト言フ様ナ分隊士ノ要求デアル。唯自分ガ歩ケルダケ歩イテ見ロト言フ様ナ意気ダ。白河村榎本等ヲ経テ小サナ町トモ言ヘナイ様ナ玉造町ヲ経テ八木蒔ヲ通リ立花ノ小学校デ開散。二時迠ニ桃浦駅手前ニ集合デアッタ。東与沢ヲ経テ帰隊シタ。途中軍歌デアッタ。・・・・多イニ胆力気力養成ニナッタ。
温習ナシ。
六月五日(月) 晴 暖
青空ヲ眺メテ「今日コソ飛行機ニ乗レル」ト言フ意気デ総員起シ・・・・。皇居遥拝終リテV(飛行)機ノ搬出ニカカッタ。アア此のV(飛行)機ニ乗ルト言フトV(飛行)機ガ致ッテナツカシイ。終リテ朝食・・・・。七時ヨリV(飛行)始メ。分隊長・飛行長ノ訓示ヲ受ケテ感■カッタ。各組如ニ各機ニテ教員ヨリ注意。順番ニ飛行ガ始マッタ。早イモノハ皆V(飛行)機ニ乗リ大空ニ行ッテイル。乗ッテ「エンヂン」ノ音ガブンブンシテ致テ始ネハ一寸変ンナ気持ダガナレテ非常ニ気持ガヨイ。「舵ノ効果、水平直線V(飛行)」ヲ練習シタ。。二十分間ノV(飛行)モ短イ。午后ハ「各種水平V(飛行)」何ガ■カムツカシイ。教員ヨリ始メカラ終リ迠注意ヲウケドウシ・・・・。マダマダ元気ガタラナイトカ、カタクナリスギル」トカ注意ヲウケ二十分間。V(飛行)機モコレデ四十分間ノッタノダ。面白カッタ。
青空ヲ眺メテ「今日コソ飛行機ニ乗レル」ト言フ意気デ総員起シ・・・・。皇居遥拝終リテV(飛行)機ノ搬出ニカカッタ。アア此のV(飛行)機ニ乗ルト言フトV(飛行)機ガ致ッテナツカシイ。終リテ朝食・・・・。七時ヨリV(飛行)始メ。分隊長・飛行長ノ訓示ヲ受ケテ感■カッタ。各組如ニ各機ニテ教員ヨリ注意。順番ニ飛行ガ始マッタ。早イモノハ皆V(飛行)機ニ乗リ大空ニ行ッテイル。乗ッテ「エンヂン」ノ音ガブンブンシテ致テ始ネハ一寸変ンナ気持ダガナレテ非常ニ気持ガヨイ。「舵ノ効果、水平直線V(飛行)」ヲ練習シタ。。二十分間ノV(飛行)モ短イ。午后ハ「各種水平V(飛行)」何ガ■カムツカシイ。教員ヨリ始メカラ終リ迠注意ヲウケドウシ・・・・。マダマダ元気ガタラナイトカ、カタクナリスギル」トカ注意ヲウケ二十分間。V(飛行)機モコレデ四十分間ノッタノダ。面白カッタ。
六月六日(火) 晴 暖
昨日モ乗リテ今日モマタ上天気ダ。「今日モ乗レル」ト言フ意気ダ。昨日ト同ジ様ニV(飛行機?)改ムル。「各種直線飛行及旋回」デアッタ。ナカナカ思フ様ニ操縦モ出来ン。ダガ教員ガ手ヲ放シ自分一人デ操縦シテ致ルト思フト嬉シカッタ。自分一人デ大空ヲ飛ブト思フトマタ親ニモ見セテヤリタイ様ダ・・・・。午后モ午前ト同ジ教員ガV(飛行)ガ終ッテ「昨日ト比ラベテ大分上手ニナッタ」ト言ハレタ。嬉シカッタ。飛行機ニ乗ルニモ馴レテ何ントモ感ジナイ。
昨日モ乗リテ今日モマタ上天気ダ。「今日モ乗レル」ト言フ意気ダ。昨日ト同ジ様ニV(飛行機?)改ムル。「各種直線飛行及旋回」デアッタ。ナカナカ思フ様ニ操縦モ出来ン。ダガ教員ガ手ヲ放シ自分一人デ操縦シテ致ルト思フト嬉シカッタ。自分一人デ大空ヲ飛ブト思フトマタ親ニモ見セテヤリタイ様ダ・・・・。午后モ午前ト同ジ教員ガV(飛行)ガ終ッテ「昨日ト比ラベテ大分上手ニナッタ」ト言ハレタ。嬉シカッタ。飛行機ニ乗ルニモ馴レテ何ントモ感ジナイ。
六月七日(水) 曇 暖
午前飛行作業ノ予定ナレドモV(飛行)用意シテ飛行場ニ出タケレドモ霧等ガ悪クテ午后ニ飛行作業ニカヘル。カワッテ温習。一部ノ者ハ口頭試問デアッタ。午后一二四五V(飛行作業)開始・・・・。今日ハ愈々検査ダ。二分隊士ト乗ッタ。水平飛行、水平旋回デアッタ。飛行長・分隊長等モ乗リ始メタ。「大体ウマイガバンクガ多イ。少シ傾ク」ナド言レタ。V(飛行作業)ガ終リテ分隊士ガ駈足ヲサセタ。ナカナカ骨ガ折レル。「飛行機ガ不時着シタラマダカケルノダ」ト言ハレタ。七班長着テ教員ヨリ注意ヲ受ケタ。「モウ少シ緊張シテ練習生トシテノ本分ニ邁進シテ行カナケレバナラナイ・・・・。矢張ダラケテイルノダ。緊張シテ行カナケレバナラナイノダ・・・・」
午前飛行作業ノ予定ナレドモV(飛行)用意シテ飛行場ニ出タケレドモ霧等ガ悪クテ午后ニ飛行作業ニカヘル。カワッテ温習。一部ノ者ハ口頭試問デアッタ。午后一二四五V(飛行作業)開始・・・・。今日ハ愈々検査ダ。二分隊士ト乗ッタ。水平飛行、水平旋回デアッタ。飛行長・分隊長等モ乗リ始メタ。「大体ウマイガバンクガ多イ。少シ傾ク」ナド言レタ。V(飛行作業)ガ終リテ分隊士ガ駈足ヲサセタ。ナカナカ骨ガ折レル。「飛行機ガ不時着シタラマダカケルノダ」ト言ハレタ。七班長着テ教員ヨリ注意ヲ受ケタ。「モウ少シ緊張シテ練習生トシテノ本分ニ邁進シテ行カナケレバナラナイ・・・・。矢張ダラケテイルノダ。緊張シテ行カナケレバナラナイノダ・・・・」
六月八日(木)
午前飛行作業・・五分隊士ニ同乗シタ。検定二日目デアッタ。乗ラン者モイタ。終ッテ写真ヲ撮ッタリシタ。
午后一部ノ者ハ口頭試問。又一部ノ者ハ相学デアッタ。適性検査ニ来テ相学トハ思ヒモヨラヌ事ダ。
午前飛行作業・・五分隊士ニ同乗シタ。検定二日目デアッタ。乗ラン者モイタ。終ッテ写真ヲ撮ッタリシタ。
午后一部ノ者ハ口頭試問。又一部ノ者ハ相学デアッタ。適性検査ニ来テ相学トハ思ヒモヨラヌ事ダ。
六月九日(金) 曇 暖
本文記載なし
ここに挟んであった紙
先任教員(小山内一V(空)曹)ノ話
夜温習ノ際来テ飛行機ニ関シテ質問シ其レガ終ッテ予科練出身ハ矢張「純真」ト言フ所ガヨイノデアル。私ハ二期生ダ。予科練出身ハ矢張評判ガ良イノダ。ダカラ私等ノ後ヲ継グオ前達ガシッカリセントダメダ。或ル上層マデ来テ始メテ予科練トシテノヨイ所ガ見ラレルノデアル。ダカラ今ノ所大イニ勉強シテ立派ナ予科練ヲノバサナクテハナラナイ。特ニ私ハ此レヲ希望シテオク」ト!!矢張同ジ後輩ト思ヘバ其フイフノダ。先輩ノ心モ深ク察シタ、全ク真剣ノ色ガ見エテイル
六月十日(土)晴 暖
午前飛行作業。乗ル者乗ラン者有リテ皆クサクサシテ致ル。十時頃終リテ待望ノ適性検査モ夢ノ如ク終リテ今日■帰隊。午前中飛行衣服ノ還納デアッタ。マタ十時半頃ヨリ飛行長ノ「口頭試問ニ関シテ注意ガ有リタ。午后ハ各所ノ大掃除。一時頃終リテ其レヨリ先輩ノ三期生徳永一V(空)曹ヨリ実戦談ヲ聞ク。殊勲甲ダ。矢張先輩ハヨイ。恣(知?)ッタリスルノモ先輩、実戦隊ヲ話シテ下サルモ先輩。予科練ノ伝統ヲ何事ニモ持チ出スノダ。先輩ノ有難サヲ真ニ知ッタ。二時半頃二十四分隊ガ入隊。当(同?)時ニ退隊シタ。分隊長ヨリ「操偵ノ云々ハ言ワヅニ大イニ学力体力ヲ練リテ来イ。俺ハオ前ノ来ルノヲ待ッテイル。将来ノ航空界ハオ前ニヨッテ・・・・」ト!!四時帰隊シタ。此レヨリ大イニ勉強シヨウ!!
夜温習ノ際来テ飛行機ニ関シテ質問シ其レガ終ッテ予科練出身ハ矢張「純真」ト言フ所ガヨイノデアル。私ハ二期生ダ。予科練出身ハ矢張評判ガ良イノダ。ダカラ私等ノ後ヲ継グオ前達ガシッカリセントダメダ。或ル上層マデ来テ始メテ予科練トシテノヨイ所ガ見ラレルノデアル。ダカラ今ノ所大イニ勉強シテ立派ナ予科練ヲノバサナクテハナラナイ。特ニ私ハ此レヲ希望シテオク」ト!!矢張同ジ後輩ト思ヘバ其フイフノダ。先輩ノ心モ深ク察シタ、全ク真剣ノ色ガ見エテイル
六月十日(土)晴 暖
午前飛行作業。乗ル者乗ラン者有リテ皆クサクサシテ致ル。十時頃終リテ待望ノ適性検査モ夢ノ如ク終リテ今日■帰隊。午前中飛行衣服ノ還納デアッタ。マタ十時半頃ヨリ飛行長ノ「口頭試問ニ関シテ注意ガ有リタ。午后ハ各所ノ大掃除。一時頃終リテ其レヨリ先輩ノ三期生徳永一V(空)曹ヨリ実戦談ヲ聞ク。殊勲甲ダ。矢張先輩ハヨイ。恣(知?)ッタリスルノモ先輩、実戦隊ヲ話シテ下サルモ先輩。予科練ノ伝統ヲ何事ニモ持チ出スノダ。先輩ノ有難サヲ真ニ知ッタ。二時半頃二十四分隊ガ入隊。当(同?)時ニ退隊シタ。分隊長ヨリ「操偵ノ云々ハ言ワヅニ大イニ学力体力ヲ練リテ来イ。俺ハオ前ノ来ルノヲ待ッテイル。将来ノ航空界ハオ前ニヨッテ・・・・」ト!!四時帰隊シタ。此レヨリ大イニ勉強シヨウ!!
「そういえば操偵検査や艦務実習の期間や時期に関して、乙飛のクラスによって違う」
って話を最近書いたなと思って探したら、なんと!「最近=2023年5月」でした(笑)
もう、そういう時間感覚です。
おまけ
『乙1~9期 操偵検査、艦務実習の時期』20230504
前回、「ほぼ完成」と出したのですが、知人が期間に空欄があるのに気づいて情報提供してくれました。
期間も埋まりました。
ありがとうございます!(・∀・)
これ、一番簡易版です。
もっと詳細にやろうと思ったら、
・操偵検査の時期、場所
・艦務実習の時期、派遣された艦
・飛練(初練・中練)の航空隊、期間
こういうのを調べられたらいいのですが。
現時点でわたしが把握しているのは9期だけなので、ボチボチやります。
ちなみに9期を詳細に書くとこんな感じ↓
時期は書き込んでいないですが、
予科練入隊・・・・13年6月1日
操偵検査・・・・14年6月ごろ(1学年の終わりごろ)
艦務実習・・・・15年3~4月(2学年の終わりごろ)
予科練卒業・・・・15年11月30日
飛練操中練・・・・15年11月30日~16年5月末、実用機・・・・16年6月~10月末
偵中練・・・・15年11月30日~16年7月末、実用機・・・・16年8月~10月末
※Tさんご教示感謝です
というわけで、9期の操偵検査をここにまとめてみました。
『歴史街道』2026年5月号太平洋戦争・陸海軍の撃墜王特集と『ならら』富雄丸山古墳特集 ― 2026年04月05日 10時57分15秒
まだパラパラとしか見ていないんですが、昨日、雑誌を買いました↑。
昨日だったかな、ツイッターのおすすめにたまたま流れてきたツイートで、「歴史街道の今月号で姉川合戦について書かせていただきました」みたいなのを見ました。
なんか知らんけど、最近、わたしのおすすめ、やたらとお城関係が流れてくるんですよ。たぶんその関係だと思うのですが。姉川合戦。
「へー」
と思いながら表示された画像を見たら歴史街道の表紙に見たことがある軍装&ポーズの軍人さんと零戦らしきイラストが。
「あ! 笹井中尉だ!」
と思って拡大してみたら「特集1 太平洋戦争・陸海軍の撃墜王」という文字が!
「これは買いだ!」
と本屋に走りました。
その場で『ならら』富雄丸山古墳特集を目撃し、中をパラパラと見て衝動買いしてしまいました。
もちろん、姉川合戦もおもしろそうだし、なぜか古墳特集記事もあってなかなか盛り沢山でした、今月号。
『ならら』の方は知っている人の記事が載っていました~。
あー!
知っている人で思い出した!
『歴史街道』で取り上げられている陸海軍の撃墜王は黒江保彦さん、上坊良太郎さん、竹内正吾さん、笹井醇一さん、甲木清実さん、菅野直さんなんですが、甲木さんの記事はYさんの記事でした(´▽`*)
そういえば笹井中尉の命日が8月25日になっているのはなんでだ?
台南空・西澤1飛曹の日の丸の寄せ書き ― 2026年02月01日 13時41分44秒
2011年に愛媛で撮影してきた、西澤廣義さんの遺品。
寄せ書きにことばを寄せているメンバーから台南空時代のものと推測しています。

17年夏ごろにマラリアで戦線離脱したときに士官たち(大木1飛曹含む)が送った寄せ書きと言われています。
2011年5月12日に『歴史人6月号 零戦の真実』という雑誌でこの日の丸寄せ書きの画像を見たことがあり、そのときにブログに感想を書いています。→ここ
その後、2011年12月に実際にこの日の丸寄せ書きの現物を目にしました。
というか、左上の手袋の指はわたしです。わたし、手に持っちゃっています(゚Д゚;)
そのときのブログは→ここ
このときは「ブログへの掲載許可をもらうのと忘れていた」とかで、寄せ書きを持っている私の指だけ。
今回はちゃんと出します。
しかも、以前よりちゃんと調べました。
書体、かっこつけてスイマセン。
寄せ書きにことばを寄せている人。
「斉藤」・・・・斎藤正久大佐(兵47) 台南空司令
「飛行隊長 中島正」・・・・中島正少佐(兵58) 台南空戦闘機隊飛行隊長
「大原達夫」・・・・大原達夫機関大尉(機44) 整備分隊長
「分隊長 河合四郎」・・・・河合四郎大尉(兵64) 戦闘機隊分隊長
「稲野菊一」・・・・稲野菊一大尉(兵64) 戦闘機隊分隊長
「林秀夫」・・・・林秀夫大尉(兵66) 陸偵隊分隊長 偵察員
「木塚重命」・・・・木塚重命中尉(兵67) 陸偵隊 偵察員
「大野中尉」・・・・大野竹好中尉(兵68) 戦闘機隊
「山河」・・・・山河登特務少尉(乙1) 戦闘機隊
「高塚」・・・・高塚寅一飛曹長(操22) 戦闘機隊
「山下」・・・・山下佐平飛曹長(乙5) 戦闘機隊
「大木芳男」・・・・大木芳男1飛曹(操37) 戦闘機隊
「五百木元」・・・・海軍報道班員(ネット検索)
「北原晴光」・・・・海軍報道班員(ネット検索)
一人、名前が読めない人がいます。
右上で「誠 康■」と書いている人です。

読めない字はこれです。
どなたか読める方がいたらご教示いただきたいです。
当時の台南空の士官で「康(やす)なんとか」とか「康(こう)なんとか」って名前の人がいないか探しましたが、よう見つけませんでした。
ホンマに15年ほどキョロキョロと同じものがないか目を光らせているのですが、いまだ出会ったことはありません。
いまだにわからんのですが、ひとつ、推測していることはあります。
寄せ書きにことばを書いているメンツですよ。
部下が病気になったらいの一番に枕もとに駆けつけて激励しそうなあの人の名前がないでしょう?
そう、台南空副長・小園安名中佐(兵51)。

「康」は「安」に通じるし、「灘」と似ている文字なので「やすなだ! オレの名前は やすな だ!」みたいな?
そこのあなた!冗談だと思っているでしょう?
わからんすぎてここまで思い詰めているということです。
我こそは漢字博士!という方、ぜひご教示いただきたいです。
西澤さんが編制表から外れているのが8月8日~9月26日。この間がマラリアで戦線離脱していた時期かなあと思っています。
この寄せ書きが書かれた時期ですが、以前「笹井中尉のお名前がないので8月26日以降、高塚飛曹長のお名前があるので戦死された9月13日より前」と書いていますが、いまも認識は変わっていません。
17年8月・9月の編制表から作成
余談なんですが、台南空って「山下」さんが何人もいるんですよね。
准士官以上だけでも「山下政雄大尉(兵60)」「山下丈二大尉(兵66 1空から派遣)」「山下佐平飛曹長(乙5)」
山下政雄大尉はすでに台南空にはいらっしゃらないし、山下丈二大尉は8月27日に戦死されています。丈二さんの可能性も捨てきれないんですが、わたしは山下佐平飛曹長の可能性の方が高いかなと思っています。
大木さんのお名前があるので准士官以上とも限らず、もしかしたら下士官の山下貞雄1飛曹(操34 8月27日戦死)の可能性すらあるかもなのですが。
佐平さんなんじゃないかな、と確証はないけど、そう思っています。
8月終わり頃って、台南空はラバウルだけじゃなくてブナから発進している作戦もあるんですよね。飛行機だったらそんなに移動困難ではないと思いますが、割と固定で同じ搭乗員が出撃しているようで。「ブナにいたんだろう」というのは山下丈二大尉、大野竹好中尉。山下佐平飛曹長も2日連続ブナから出撃ってのがあります。
大野中尉は9月2日ラバウル、3日ブナ、4日ラエ、5日ラバウルで、あとはラバウルですから、もしかしたら5日以降ラバウルに腰を落ち着けたあとで寄せ書きにことばを書いたのかなということも考えていますが・・・・。
あと、山河飛曹長が8月21日の作戦を最後に台南空の編制表からお名前が消えるのですが、

台南空(251空)11月集合写真に写っているらしいので、たぶん転出ではなく何かの事情で搭乗できない状態だったのでしょう。
山河さんのお写真手元にあるのですが、上の写真の人が間違いなく山河さんであると言い切るのが困難な写真で、「らしい」という状態です
見ますか?

昭和13年加賀時代の山河さんです(浅川さん写真)。
9月前半に寄せ書きが書かれたとして、山河さんがどういう状態であれを書かれたのか気にはなります。
自分も体調が悪かったのに西澤さんのために寄せ書きを書いた雄飛の先輩愛。
とか。
※画像は乙2期生ご家族、武田信行氏ご提供。愛媛のI先生ご協力。
マリアナ沖海戦の652空戦爆隊 飛鷹・龍鳳組 ― 2026年01月14日 20時38分08秒
乙8期の東富士喜さんの写真の中に、マリアナ沖海戦時の652空の戦爆隊と思しき集合写真がありました。

知人何人かに聞いてまわったところ、同じ写真(東富士喜さんのもので、提供は奥さま名)が川崎まなぶさんの『マリアナ沖海戦』(大日本絵画)に掲載されていて、しかもどれが誰さんか特定済みとのことで。
『マリアナ沖海戦』によると652空の戦爆隊で、飛鷹発艦組と龍鳳発艦組の集合写真で、飛鷹艦上で撮られたものだとのこと。
写っているのは、
後列左から、
占部正道2飛曹(丙13)、不明、不明、佐藤孝治上飛曹(操47)、不明、不明、不明、金高菊雄2飛曹(丙12)
中列左から、
不明、東富士喜飛曹長(乙8)、村上武大尉(兵70)、矢田義治1飛曹(乙16)、富田勝夫飛長(丙15)
前列左から、
不明、木須奨2飛曹(丙12)、野口八郎上飛曹(乙12)、小泉繁造上飛曹(操55)、岡澤清忠上飛曹(甲7)、植竹巧上飛曹(甲9)
だそうです。※出身期は『マリアナ沖海戦』巻末編制表より
わたしは東さん以外は確認できていません。
これが巻末編制表から抜き出した652空戦爆隊の昭和19年6月19日・20日の編制です。
写真に写っているとして氏名が書かれているのはオレンジベタの人です。
ふつうに考えたら、「『不明』と書かれている人はベタなしの人では?」と考えます。
写真に氏名を入れてみました。
赤が『マリアナ沖海戦』参照、緑がわたしが書き加えた人です。
※氏名が間違っていたので差し替えました。202601150011
富永勝馬さん(乙16)なんですけどね。後列左から2人目。
いや、富永さんのお顔、知らんですよ。
名札がね、「富永」に見えるんですよ。

※色調調整しました
隊に富永が二人いない限り、乙16の富永勝馬さんでいいかなと。本当は富永さんであると確かな別写真で確認したいんですが、あいにくわたしは富永さんのお写真を持っておりません。名札からの推測です。
そういう意味では後列左から6人目の人も名札の文字が見えているんですよね。

※色調調整しました
編制表に名前があるのに写真に写っているとされていない人はほかに、長谷川達さん(甲10)、高木清一さん(丙11)、上岡啓男さん(丙7か8)、奥田鼎さん(甲9)ですかね。
「髙木?」とも思ったんですが、これはちょっと保留で。
あと一人、
お名前は書き込んでいないのですが、○○さんかな?という人がいます。
東さん、この写真のお顔のところに3人だけ○囲みしているんですよ。
後列左端の占部さんと、東さん本人、前列左端の人。
占部さんと東さんの共通点は同じ小隊ということ。
ということは、もうおひとりは20日の列機の一人、奥田鼎さんかな?と想像しているんですが。
奥田さんもお顔がわかる別写真がないので、あくまで想像です。
奥田さん、検索してみたらヒットしました。653空S166(昭和19年9月)の奥田さん搭乗機の塗装が出てきました、日の丸の中に「奥」と描かれた機体です。プラモデル化されているようです。
奥田さん、10月24日の比島沖海戦では9期の武田清さんと同じ小隊で出撃されているようですが、「エンジン不調で引き返す」になっています。
編制表にお名前がある人を入れてもまだ不明者がいるので、予備員みたいな人もいるのかなと思います。
もし、編制表にお名前があるのに写真に記名されていない人、「顔知っているで」って方がいらしたらご一報いただけるとうれしいです。
この写真、裏書がありました。
※画像は乙8期東富士喜さんお孫さんご提供
鶉野飛行場(姫路海軍航空隊)跡 soraかさい12月編 ― 2026年01月06日 22時25分41秒
書きたいことをたっくさん書いていないんですよ💦
管理画面で書きかけのものを置きっぱなしにしているのもあるし、頭の中で「書こう、書こう」と思いながら書いていないこともたくさんです。
忘れないうちに書きたいのですが。
12月20日(土)にもsoraかさいに行ってきました!
1ヶ月ぶり2度目!

前回は加古川線の粟生駅まで知人が車で迎えに来てくれていたのですが、今回は自分で法華口駅まで電車(&ディーゼルカー)で行きました。

さて、ここからが問題です。
ここからsoraかさいまで(公称)45分。
シャトルバスがあるとかないとか。レンタサイクルがあるとかないとか。
しかしですよ。
朝出かける前にメールチェックしたら先輩から、わたしの運動不足に対するお叱りのメールが届いていたのです。
前日のやり取りで運動の話になったんで、これ↓送っちゃったんですよね。

「これはヒドイ」みたいな?(^_^;)
そういうわけなので、法華口から歩くことにしました。
のんびり、飛行場遺構を見ながら歩いて行ったら40分でした。
あっという間でした。
前回は奥の駐車場に直接行ったので慰霊碑に気づかず大変失礼しました。

今回は歩いて滑走路側からアプローチしたので、慰霊碑に先にお参りしました。
ちょうどランチ時間だったので、ミュージアムショップに併設のカフェでランチ。

注文カウンターに行くまでは「ハンバーガー♪ハンバーガー♪」だったのに、なぜか「野菜カレー」と注文してしまいました。

そして――
前回、機械故障中で食べられなかった牧場ソフト!
今回は食べられました!
わたしがあまりに前のめりだったのか、コーンからはみ出すほど盛ってくれて、慌てていただきました。

なぜひと月ほどで再訪したのか。
いつもブログに登場しているYさんがsoraかさいで講演をされるということで聞きに行ったのでした。
関東の方なので、関西でお話が聞ける機会はなかなかないと思い、遠路はるばる(片道4時間)行ってきました。
講演会もおもしろかったし、Yさんとも個人的にお話も出来たし、有意義な一日でした。

今回は間違わずに97式1号艦攻サイダーを買ってきました。
家に栓抜きがなかったので、後日、百均で栓抜きも調達しました。
まだ飲んでいません。








