埼玉県出身者集合写真 ― 2022年05月11日 15時00分59秒
蒼龍12分隊はつづけていますが、ちょっと置いておいて、こちらの写真。

9期、島田清守さんの遺品の中にありました。
前から3列目の中ほどに乙10期の鈴木善三郎さんと田中武三さん、4列目の左から2人目に島田清守さんが写っていることから、
「埼玉県関連だろうな」
とは思っていました。

島田清守さん

鈴木善三郎さん

田中武三さん
6年近く経っておおよそわかったような気がするので、忘れないうちに書いておきます。
この写真、めっちゃレアかもしれません。
いやー、他府県も撮っているのかもしれませんが、わたしは見たことがないです。
どこがレア?
「乙と甲、一緒に写っている!!(;゚Д゚)」
島田さんの階級章が2等航空兵(2空)、乙10のおふたりが3等航空兵(3空)の階級章をつけています。
ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
「8期も写っているのかな?」
と思い、卒アル写真を見せていただいたときに探したのですがわかりませんでした。
最大の問題は1等航空兵の階級章の人や善行章付きの人が写っていること。
「なんでや?」
と、ずっと疑問でした。
島田さんが2空のときに乙飛で1空や善行章付きの学年はいませんからね。
※8期は卒業(14年9月1日)と同時に1空に進級
最近、甲4期の個人写真を見せていただく機会があったのでこの写真と照合してみたところ・・・・。
いるし、いるし(^^;)
※甲4は操偵、消息など取り組んでいないので氏名だけ

木村安三さん

渋谷忠作さん

青木豊二郎さん
(豊三郎という記載もあり)

新井嘉年男さん
蒼龍艦攻隊11分隊から、島田さん転出後(17年1月)に12分隊に移ったと思われる人です。

林正一さん

金子正さん
1等航空兵の一部は甲4の人たちでした。
写っているのが確実になったクラスで、階級から時期を推定してみました。
斜線の網かけの部分が条件に合う期間です。
14年8月1日~15年12月31日までの間に撮られたものでしょう。
が、軍服が1種なので夏季を除きます。8期が卒業した9月1日はまだ2種軍装でこの写真撮影時にはやはり8期はいなかったもよう。
なので、9月~に限定可かな。
いや、待て待て。
この時期だと、他にも在隊しているクラスがあるだろう。
というわけで、結論版。
乙飛だと11期も在隊、甲飛だと甲3と甲5も在隊ということで。
※追記
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん
甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん
甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん
甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん
甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん
甲5は期間途中の14年10月1日入隊なので、それ以前に撮られていたら甲5は不在ということになります。
兵階級の人に書き込みをしたバージョンも出しておきます。※下士官はおそらく教員
1空の階級章が見えている人が6名、あるいは1空か2空かわからない人(飛行機がクロスしているのは見えるが桜があるかないかは見えない)が2名、善行章や階級章・特技章などから予科練生ではないと思われる人が6名、袖がまったく見えない人8名。
埼玉出身乙飛甲飛生ですが、乙9が1名、乙10が2名、乙11が5名、甲3が8名、甲4が6名、甲5が2名です。わたしの数え方が間違っていなければ。
このうち、乙9・乙10・甲4は全員わかっているので、あとわからないのは乙11の5名、甲3の8名、甲5の2名。
1空の階級章が見えている6名は全員甲3の人なのでしょう。
1空か2空かわからない人が2名いますね。
「さすがに甲飛がいくら進級が早いといっても14年10月1日に入隊した甲5が年内に2空にはならなんやろ」
と思って、甲4の進級日を調べたら、
14年4月1日 4等航空兵(入隊)
14年5月1日 3等航空兵
14年5月16日 2等航空兵
14年6月1日 1等航空兵
「なっとるし!?(;゚Д゚)」
入隊後2ヶ月で1等航空兵になっていますよ!
乙飛、激おこですよ!
ちなみに乙9、
13年6月1日 4等航空兵(入隊)
13年9月1日 3等航空兵
14年6月1日 2等航空兵
14年6月1日 2等航空兵
15年6月1日 1等航空兵(これでも8期より早い)
思い出しました、甲3もこのスピードで進級していてびっくりしたことを。
甲5の実際の進級日は調べていませんが、同じような感じだったのでしょうか。
というわけで、もし、甲5入隊後に撮られた写真であれば、1空か2空かわからないお二人は甲3か甲5の人なのでしょう。
袖が見えず、予科練生かそうでないのかわからない人が8名います。
ここにおそらく乙11の5名+甲3か甲5の残りの不明者2名が含まれているということでしょうかね。
※全員いると仮定して
もし、甲5が入隊する前に撮られた物であれば、1空か2空かわからない2名は2名とも甲3の人で、予科練生かそうでないのかわからない8名は乙11の5名と他科の兵3名ということになりますかね。
甲5が写っているのかいないのか(撮影時期に関わる問題)、白根好雄さんと駒崎文雄さんのお顔がわかれば解決する話です。もし、おふたりのどちらかでもお顔をご存じの方がいればご一報いただければ<(_ _)>
というわけでですね。
確実に乙9・10、甲4は写っています。おそらく甲3も写っています。
うちにある予科練関係の写真で県別集合写真に乙と甲が一緒に写っているの、これ1枚だけなんです。
おまけに他科の兵の人も写っています。何の集合写真でしょうね?
霞空本隊の埼玉県出身者も含んでいるとしたら、少なすぎる気がします。
予科練教育に携わっていた兵の方でしょうかね? 教員の助手みたいな? 特技章をつけている人がいるので、それはありえるな、と思っているのですが・・・・。
とりあえず、今日はここまで。
※画像は9期生ご遺族ご提供、甲4情報はOさんご提供
進級状況もろもろはKさんや甲4ご遺族の方ご提供資料、『予科練外史』(倉町秋次)参照
乙2 中村太門さん ― 2022年05月08日 17時19分08秒
やっと”本題”に戻ってきました。
12分隊宴会写真に誰が写っているのかわかったので、照合。
蒼龍12分隊の宴会写真に写っているはずのおひとり、乙2の中村太門さん。

乙2の卒業アルバムの中村さん。
19年6月24日 攻撃256 硫黄島
この卒アル写真で、宴会写真の中村さんを探していたのですが、わかりませんでした。

飛曹長なので、飛曹長の軍服を着ているとか士官帽をかぶっているとか、長髪にしているとか、わかりやすい目印があるとよかったのですが、飛曹長の軍服の人も、士官帽の人も、長髪の人も、どうも該当者はいないように思いました。
「卒アルの写真だけではわからんな」
と思って、他にないか、浅川さんの予科練時代の写真を探してみました。
予科練時代の剣道着姿の集合写真に中村さんらしき人が写っていました。

防具にお名前が書いてあって、はっきり見えている人が多いのですが、中村さんは前にヒトが立っていてお名前が見えません。たぶん、これが中村太門さんだと思うんですよね。

予科練時代の集合写真の中村さん。
3枚揃って、やっと宴会写真の中村さんがわかりました。

これでしょう。
中央あたりで下士官兵の人たちに囲まれています。
ぱっと見、飛曹長だとわかりませんね。
坊主だし、軍帽も軍服もないし。
たぶんお顔から中村さんじゃないかと思います。
12分隊にはこの時点で准士官以上が6名いるはずなんです。
阿部平次郎大尉、中島巽大尉、佐藤治尾飛曹長、中村太門飛曹長、大迫加一飛曹長、笠原治助飛曹長。

阿部平次郎大尉。

中島巽大尉。

たぶん、この人は残り3人の飛曹長(佐藤治尾さん、大迫加一さん、笠原治助さん)のうちのおひとりでしょう。
中村さんもわかった。
ということは、あとおふたり、どこかに飛曹長が写っているはず。
写真左の方に、大尉の階級章の人1人、飛曹長の階級章の人2人、いるんですが、

このうち、大尉の階級章の人は確実にコスプレです。
阿部さんと中島さんは白シャツで別のところにいるんで。お二人が脱いで飲んでいたので、
「大尉の軍服が落ちている! 一度着てみたかった♪」
って他人が着こんじゃっているんでしょうね。
飛曹長の階級章のふたりは、本人の軍服なのか、あるいはやはり、
「あ、飛曹長の軍服が落ちている! 記念に着て写真に写っちゃえ(・∀・)」
って借りちゃったのか?(笑)
大迫加一飛曹長はお顔、わかっています。

13年加賀時代の大迫さん(当時浅川さんの同僚)。
白シャツの長髪の人かなあ????
鼻から口元の辺りはよく似ているんですけどねえ。
もし、長髪の方が大迫飛曹長なら、残るは佐藤治尾さんと笠原治助さんということになるんですが、おふたりのお顔がわからないんですよ。
頭が露出している人で、他に長髪の人はいないので、上の飛曹長軍服の2人が(坊主頭だけれど)佐藤さんと笠原さんの可能性は十分あると思っています。
まあ、これはお二人のお顔が把握できてからにしたいと思います。
※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供
蒼龍艦攻隊 11分隊・12分隊Ⅱ ― 2022年05月07日 18時05分29秒
蒼龍艦攻隊、11分隊・12分隊間のことで解決していないことがあります。
わたしが見た手書きの11分隊名簿には、潮さんのお名前が書かれている欄に、もともとどなたかのお名前が書かれていた痕跡があります(田村ペアではない)。
これを解決したい。
16年11月1日時点では誰かほかの搭乗員が11分隊構成員だった、ってことですよね。
それに潮さんのお名前、不自然な場所に入っているんです。
潮さん自身は甲1出身の1飛曹なわけですが、名簿のお名前が書き込まれているところは野崎実男3飛曹と宮崎徳三郎1飛の間です。
この名簿、基本的に先任順に書かれていると思うんですよ。
なので、最初は、他が詰まっていてそこしか潮さんの名前を入れられる場所がなかったのかな?とも思いました。
だとしたら、ここに入っていたのは操縦の3飛曹か1飛の人。
心当たりを当ってみたのですが(いつものように周囲の方にも(^^;))、わかりませんでした。
ここで重要な証言があります。
森拾三さんです。真珠湾時は11分隊・長井分隊長(雷撃隊)の2番機の操縦員です。

浅川さんの操練38期集合写真の森さん(練習生当時)。
この森さんが、自分が蒼龍に転勤してきたときのことをこんな風に書いているんです。
※『奇蹟の雷撃隊』(光人社NF文庫)
『もうひとつ気になる問題があった。私が所属する第十一分隊は、艦上攻撃機九機編制なのに、操縦員が十名いることであった。
「森の乗る飛行機などないよ」
「なんで転勤してきたんだ」
仲間たちは、そんなことを言って私を冷やかした。
(ひょっとしたら、予備員ではないのか? いや、そんなはずはない。おれの乗る配置がないなど、そんな馬鹿なことがあってたまるものか!)
私の飛行時間は、四千時間から五千時間にもなろうとしている。それに、一応は支那戦線の経験もつんでいるのだ。それなのに、予備員だとしたら、なんともはや情けないしだいである。
(ほんとうに予備員だったら、仮病をつかって訓練を休んでやるぞ、馬鹿にしくさって!)
だが、翌日、私の心配はふっとんでしまった。というのは、分隊長の二番機の操縦員が、前々からからだが悪くて母艦勤務ができないので、その補充に、私が霞ヶ浦から引っぱられたのだということがわかったからだ。
私が着任すると同時に、彼は退艦して、私は、あらたに一小隊二番機の戦列に加わった。わたしの飛行機番号は三一二号である。昨夜のふてくされた考えが、急に恥ずかしくなってしまった』
「森の乗る飛行機などないよ」
「なんで転勤してきたんだ」
仲間たちは、そんなことを言って私を冷やかした。
(ひょっとしたら、予備員ではないのか? いや、そんなはずはない。おれの乗る配置がないなど、そんな馬鹿なことがあってたまるものか!)
私の飛行時間は、四千時間から五千時間にもなろうとしている。それに、一応は支那戦線の経験もつんでいるのだ。それなのに、予備員だとしたら、なんともはや情けないしだいである。
(ほんとうに予備員だったら、仮病をつかって訓練を休んでやるぞ、馬鹿にしくさって!)
だが、翌日、私の心配はふっとんでしまった。というのは、分隊長の二番機の操縦員が、前々からからだが悪くて母艦勤務ができないので、その補充に、私が霞ヶ浦から引っぱられたのだということがわかったからだ。
私が着任すると同時に、彼は退艦して、私は、あらたに一小隊二番機の戦列に加わった。わたしの飛行機番号は三一二号である。昨夜のふてくされた考えが、急に恥ずかしくなってしまった』
この一件、手記にはいつ頃の話かはっきり書かれていないのですが、前後の文脈から16年9月の前半頃の話ではないかと思われます。が、これ(日付)はちょっと違うかも?
もっと後の話ではないのかな?
日付の混同はあったとしても、分隊長の2番機の操縦員がいなくなった、というところは事実なのではないか?
「もしかして、この蒼龍を退艦した分隊長の2番機の操縦員が潮さんの前に書かれていた人だろうか?」
「そうだ! 潮さんのお名前を消してみたらどうだろうか!(・∀・)」
消してみました。
ちょっと画像の掲載はやめておきますが、
「最後の字は『雄』だな」
という感じに浮かび上がってきました。
※わたしの主観が入っているかもしれません
階級的に野崎さんの後ろに入る予科練出身操縦員はいないと思われるので、〇〇〇雄さんはきっと操練だろうと思って、操練の若い人を探してみましたがわかりませんでしたorz
「こんなん、もう、わからんわー!( ;∀;)」
いったんあきらめたですけどね。
なんか、わかったような気がします。
わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。
画面をスクロールしたらでてきたんです。
いつもの「やらかし」ってヤツですわ(´・ω・`)
送っていただいた11分隊名簿、PDFで3ページのデータでした。
1ページ目冒頭から操縦員、偵察(電信)員の順で書かれてあり、1ページ途中から整備員のお名前が並んでいます。2ページ目も整備員。
「あー、こっから先は整備の人たちか」
12分隊搭乗員を特定するために必要なのは11分隊の”搭乗員”だったので、そこから先を見ていませんでした。
「これ以上はもう、わからんわ」、袋小路に入り込んで他にすることもなくなってしまい、何の気なしにマウスをくるくるして画面をスクロールさせたら・・・・。
3ページ目の欄外に艦攻隊ペア表が書き込まれていました!!(゚Д゚;)
手書きでね、こんな感じで↓

「ひいいいいい!!!!(゚Д゚;)」
まあ、驚かんでもいいのですが、いや、驚くべきことが書かれていますよね。
16年11月1日の日付のある名簿の欄外に書かれた編制表に、森拾三さんのお名前はなく、本人が「一小隊二番機」と言っているその配置の操縦員には「佐」に下士官マークの人が・・・・(゚Д゚;)
「どういうこと!?」
ふつうに考えたら、この人が森さん言うところのからだが悪くて母艦勤務ができないので蒼龍を降りた分隊長の二番機の操縦員、ってことですよね。
いつも頼りにしているKさんによると、森さんが蒼龍に転入してきた時期(手記に書かれている時期よりあと)に転出した搭乗員に心当たりはないとのこと。
「どういうこと!?」
姓の一文字目が「佐」の下士官。
そこで、11分隊名簿の「消された人」ですよ。氏名の最後が「雄」。
「あっ!! 12分隊の佐藤寿雄1飛曹ではないのか!?」
ってなっちゃいました。
蒼龍を降りた、のではなく、単に11分隊から12分隊に移っただけならKさんが心当たりがなくても納得。
そう思って名簿の潮さん氏名を取り除いたところをじっと見てみると、「藤」とか「壽」とか書いてあるようにも見える・・・・。 ※あくまで個人の感想です
つまり、こういうことなのか?
(手書きの方は一部階級が誤っているようなので、右欄で11月1日名簿のものに修正しています)
ま、これはわからんです。
自分でも「いつもの暴走かも」と思わないでもないです。
佐藤さんが11分隊から12分隊に移ったという立証は難しいです。
隊内での分隊間の異動なら公文書的なものはないのではないか?
あとは個人の手記ですが、森さんも大多和達也さん(乙5)も何も書いていませんでした。
さらに個人の日記。島田さんも書いていないです。もうおひとり、12分隊の人の日記があるのですが、そこにも佐藤さんの分隊異動に関する記載はありません。
残るは、この名簿のコピーの現在の持ち主の方の記憶――
人づてに聞いてもらったのですが、分隊長2番機の「佐(下士官)」さんのことは覚えておられないそうです。残念!
まあ、しかたがないですわ。この時点で分隊を移られているならお付き合いもあまりなかったでしょうしね。わたしが想像している「佐(下士官)」さんは古株だし、操縦員だし。
最初の名簿作成時に3飛曹の野崎さんと1飛の宮崎さんの間に1飛曹の佐藤さんのお名前が入ることの不自然さも指摘されました。
たしかに。
潮さんは後から来られたので空いているその部分にお名前を書かれたのだと思いますが、最初からそこに1飛曹の佐藤さんのお名前があったというのは全体から見ると不自然です。
お名前の上に書かれている配置番号は当初寝台番号とリンクしているということだったので、もしかして、その寝台番号(021)が古参下士官が好きな場所だったのでは?と思い、そのことも聞いてもらったのですが、それはないようでした。
ただ、空母の搭乗員の寝室は2段ベッドや3段ベッドで、やはり搭乗員によってはお気に入りの場所があったというようなお話でした(舷窓付きの寝台があり、明るくて本が読めた、とか)。
021に潮さんが書き込まれたことと、寝台場所の心地よさは関係ないみたいでした。
この、「空母の搭乗員の寝室」なんですけどね。
わたし、まったくイメージが沸いていなかったんです。
たとえば、2段ベッドや3段ベッドとして、それが何台あって1部屋に何人が寝ていたのか。あるいは、分隊ごとに部屋が割り当てられていたのか、搭乗員全体で先任順にまとめらていたのか、とか。
森史朗さんの『零戦 7人のサムライ』に、岡元高志さん(操43、2飛曹、戦闘機)が金井昇さんとベッドが隣だったとの証言が出ていました。
金井さんは艦攻隊12分隊の偵察班の班長(先任搭乗員だと思う)です。
もし、これが本当だとしたら、この頃の蒼龍は機種関係なく、分隊関係なく、おまけに操偵も関係なく、おそらく先任順か年式順に部屋を割り当てていたんだろうか?と想像しました。
岡元さんは大正7年生まれの10年志願兵(『零戦 7人のサムライ』)、金井さんは大正8年生まれの9年志願兵。経歴的にはまあ同じ部屋で寝起きしていても不思議はないかなと思います。
まあ、ちょっと横道にそれてしまいましたが、正確に言うと「佐(下士官)」さんは不明のままです。
この手書きのペア表がいつ書き込まれたのかもわからないんですよね。
11月1日には確実に森さんがいたはずなのに森さんのお名前がない。となると、もっと前に書かれたのかとも思えます。名簿の日付は11月1日なんですが。
沼尻さんのお名前もないですよね。沼尻さんも11月1日には蒼龍にいたはずです。
あと、このペア表にはすでに操縦員が11名書かれています。
森さんと沼尻さんを加えたら13名になってしまう(^^;)
それはともかく、手書きペア表は、真珠湾のときの編制のベースになっているものと思われます(一部入れ替わりはあるものの)。
森さんは真珠湾のときは加藤豊則1飛曹と早川潤一2飛曹とペアなので、まさに分隊長2番機、「佐(下士官)」さんが抜けたあとに入っています。
この書き込みに森さんのお名前がないのがとっても引っかかるんですよね。
森さんと「佐(下士官)」さん以外は特に不審な点はないので、真珠湾時の搭乗員がほぼ揃ったけっこう新しい時期の書き込みだと思うんですよね。9月中旬に飛練9期を卒業した甲4の人たちのお名前がありますから、それ以降なのは間違いない。
11分隊は真珠湾前最後の外部との搭乗員出入りは森さんの着任なんだろうか?
その直前に書かれたもの?
(12分隊に関しては真珠湾前最後の外部との搭乗員出入りは、島田さんと佐々木さんの飛練10期組の着任(16年10月末)だと思っています)
どういう順序でこの名簿の書き込みがなされたのか、よくわからんのです。
森さんのお名前がないという理由で。
欄外のペア表(森さんなし、「佐(下士官)」あり)→名簿(森さんあり、「佐(下士官)」なし(あったけど消された?)
だろうか?
それとも、名簿の潮さんの前の搭乗員は「佐(下士官)」とはまったく無関係の別の人か?
何日もかけて表の訂正だけして、結局わからないままのことが山積状態。
いや、むしろ新たな問題が増えているとか何とか・・・・(´・ω・`)
これらはおいおい解決できたらいいなと思っていますが・・・・。
※画像は浅川さんご家族ご提供
蒼龍艦攻隊 11分隊・12分隊 ― 2022年05月02日 14時58分42秒
結局両方やりました。
過去形は正しくない、現在進行形。
結局両方やっています。
Oさんに見せていただいた昭和16年11月1日の日付のある蒼龍11分隊名簿から推測した、11分隊と12分隊員のお名前です。
いきなり結果を書いてしまいましたが、ここに至るまでは紆余曲折ありました(『蒼龍艦攻隊 12分隊』を引っ込めてから今日まで)。
最初に書いた日から11分隊名簿にお名前のある「潮万之助」さんが問題になっていたのですが、これは甲1の潮満之助さんの誤記だろう、17年1月に転入してきてから新たに書き込まれたものだろう、ということで上の表からは削除しています。
11分隊表には、上の表にお名前を書いている田村重年2飛曹(甲3)、田辺正直2飛曹(甲4)、新井嘉年男2飛曹(甲4)のお名前はありません。が、もともとはあったのに消された痕跡がありました。この3人はペアで、16年12月、17年1月以降の蒼龍艦攻隊の行動調書にもお名前があります。17年1月に11分隊から12分隊に移ったために11分隊名簿から消されたものと推測しました。
沼尻三二1飛(1等飛行兵、前のブログでは「1飛兵」と書いていますが、ふだん「1飛」と書いているのでこの表現に戻します)(操55)がちょっと謎の存在です。
おそらく11分隊だと思うのですが、名簿にお名前はありません。田村さんたちのように明確に「もともと書いてあったのに消されている」痕跡があるわけでもありません。16年12月の行動調書から、「たぶん11分隊員だったのだろう」と思っているだけです。そして、17年1月以降の行動調書にはお名前が出てきません。転出されたみたいです。
参考までにハワイ攻撃の道中の蒼龍艦攻隊関係の編制表を出しておきます。
11分隊、12分隊とわけてみると、ものすごく腑に落ちる編制です。
※青字が11分隊、黒字が12分隊
※線が消えていますが、艦攻なので上下3人1ペア(操・偵・電の順)です。
田村ペアと沼尻1飛が11分隊だったのではと推測したのは上の編制表からです。
ただし、全部が原則通りではなく、一部変則的なペアも見受けられます。
23日のウェーク島攻撃では11分隊の木村正さん操縦、12分隊の佐々木隆寿さん偵察、12分隊の島田清守さん電信というペアで攻撃に出ています。
27日の対潜警戒の1直の11分隊ペアに、12分隊荒井辰雄さんのお名前が書き込まれていましたが欄外に誤リナランと書かれていたので、本来は11分隊の誰か(本来の固定ペアは江塚寿さん)が入っていたのではと想像します。
艦攻隊搭乗員総員から11分隊員を引いたら12分隊になります。
それが冒頭の12分隊表です。
おそらく11月12日の鹿屋翠光園の宴会に出ているメンバーはこの33名。
写真の人数も、ちゃんと数えたら顔が見えている人は33名います。もし、人垣の後ろにしゃがみこんで隠れている人がいたらもう知りません(´・ω・`)
12分隊ですが。
真珠湾攻撃の帰途のウェーク島攻撃で2機(2ペア・搭乗員6名)を失ってしまいました。
佐藤治尾飛曹長(操18)、金井昇1飛曹(偵35)、花田芳一2飛曹(乙8)、大谷末吉3飛曹(偵49)、栗田照秋1飛(操50)、小紙彰正1飛(偵50)。
そして、1月初の異動で、島田清守3飛曹(乙9)、佐々木隆寿3飛曹(乙9)、小松崎照夫1飛(操55)が転出。
↑これは11月1日名簿からの”出”を書き込んだものです。
田村ペアが11分隊から12分隊に移ったのだろうというのは、あくまで行動調書などからわたしが推測したことで、何か公文書的なものがあるわけではありません。
↑これが”入り”。 ※赤字は外部から
11分隊に潮満之助さんが転入してきています。技倆的には嚮導機レベルの操縦員だぞうです。
12分隊の方には赤城から越智正武1飛曹(甲2)、向畑寿一1飛曹(乙6)、倉谷定茂2飛曹(乙8)がペアごと転入してきています(真珠湾時赤城水平爆撃隊第2中隊嚮導機ペア)。さらに上にも書いたように、11分隊から田村ペアが12分隊に異動。
1月以降の行動調書はこの分隊で行動しているように思います。
12分隊がウェーク島攻撃で2機(1機は嚮導機)を失ったために、赤城から越智ペアを入れた――まではまあわかるんですが、11分隊の田村ペアを移して島田ペアを転出させているんですよね。バランスの問題ですかね(^^;)
17年の2月19日までの艦攻隊の編制表です。
いろんな機会に作ったものを転用しているので形式の統一が取れなくてスイマセン。
※青字が11分隊、黒字が12分隊
わかりやすいように田村ペアは青字のままにしてあります。12分隊に移っていることがわかるかと思います。
とりあえず、今日は11分隊、12分隊の分隊員に誰がいたのか、というところでやめておきます。
もともとは16年11月12日の鹿屋翠光園の宴会写真にいったい誰が写っているのか?というところから始めたことなので。
(写真のどの人が誰さんなのかについてはまだ解決していません)
最初写真を見たときは、11分隊がハワイの雷撃隊、12分隊がハワイの水平爆撃隊みたいなイメージでいたのですが、そういうわけではなかったです(^^;)
じつは蒼龍艦攻隊11分隊12分隊間には他に解決しないといけない問題があるのですが、解決するかどうかわかりません。
現時点でわかっているところまで書いてもいいのですが、長くなるので今日はここまで。
※Oさんご提供の11分隊名簿、アジア歴史資料センター蒼龍飛行機隊行動調書参照
蒼龍艦攻隊 12分隊 非公開にします ― 2022年04月21日 20時29分45秒
たびたび申し訳ありません。
今日も一日蒼龍艦攻隊の編制表と12分隊宴会写真を眺めていたのですが、あまたの間違い、あるいは解釈違い?などを発見してしまったのでいったん『蒼龍艦攻隊 12分隊』と『蒼龍艦攻隊 12分隊 さっそく追加修正』は非公開にします。
まさかいないとは思いますが、「画像を保存してしまった(;゚Д゚)」って方がいらしたら破棄してください。
「見て覚えちゃったよ(;゚Д゚)」って方がいらしたら一度すっかり忘れてください。
いや、全否定ではないです。
氏名を間違えている箇所を新たに複数個所見つけたのと、「この人は12分隊ではないのでは?」と疑惑が沸いた人がいるので、そこらへんをちゃんとしてまた書きます。
全解決するまで書かない、ということはないです。
中途半端でも書いたらどなたかが「こう解釈できないか」「こういう情報がある」と連絡をくださることもあるので、ある程度のところ(自分でできるところまで)でアップしようと思います。
申し訳ありません<(_ _)>