Google
WWWを検索 ひねもすを検索

番組のお知らせ2023年12月07日 16時34分21秒

本日12月7日、午後10時40分からNHKBSスペシャル「特攻4000人 生と死 そして記憶」という番組が放送されます。

「真珠湾80年 生きて 愛して、そして」(2021年放送)、「真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年」(講談社現代新書)の大島隆之さんの番組です。

上のリンク先に出ている予告動画の右端は乙7期の中川紀雄さんですね。
手元に予科練時代の中川さんの写真がありますが、こどもこどもしたかわいらしい感じの写真です。
卒アルより

飛練時代

リンク先の予告動画の中川さんは卒アルから約7年後ぐらいでしょうか。その間、どんな思いで海軍生活を送っていたのか。
ずっと気になっていましたが、本人の心中に近づけるような何か、見つかったでしょうか。






そのあと続けて、「空の証言者 ~ガンカメラが見た太平洋戦争の真実」(2021年放送)が再放送されます。
この番組は知人の織田祐輔さんが協力されている番組です。→わたしも織田さんに助けてもらったことがあります。

織田さんの活動には大変なご苦労がおありだと思いますが、唯一無二の人です、応援しています。


※画像は7期生ご遺族、武田信行氏ご提供

呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム) 企画展『日本海軍と航空母艦』2023年10月08日 13時24分29秒

大和ミュージアムで開催されている企画展「日本海軍と航空母艦」展を見に行ってきました。



5日お昼過ぎに呉に到着、ランチを済ませてさっそく入館。
荷物をコインロッカーに預けてじっくり見学しました。
※画像は5日午後の分と6日午前の分があります


一部の展示品を除き、基本的に撮影可でした。

海軍における航空母艦の役割・その流れなどの説明と別に、いくつかの空母のお部屋がありました。
模型と関連資料などが展示してありました。
















模型が展示してあって艦のイメージはつかめます。

空母の模型を見ると、
「〇〇さんが発着艦した空母だー」
と思って見てしまいます。



各空母の飛行甲板、同縮尺パネル化して展示してありました。
制止策やエレベーターの位置が入っています。
艦の大きさが一目瞭然で、瑞鳳なんかは真珠湾に行った6隻に比べるとずいぶん小さいんだなと思いました。


翌日も午前中行きました。
ちょっと用事があったので。

2日とも、常設展・企画展両方のチケットを買って入ったのですが、ほぼ常設展示は見れませんでした。
常設展だし、いつ来ても見れるかなと思って今回はちょっと他を優先しました。

ただ、まったく見なかったわけではなく、歩きながら見ました。
前に戦闘機搭乗員の方と一緒に来て、いろいろ昔話を聞きながら零戦を見たことを思い出しました。







今回、わざわざ呉まで航空母艦展を見に行ったのは「あるものを探す」という目的があったのですが、それはほぼわからないまま帰ってきてしまいました。

模型にそれが表現されているか、それも探してみましたが。
あくまで模型なので作者の思いが入っているかもしれないですよね。本当にその位置にそれがあったのか、それともなかったのか、わからないまま帰ってきてしまいました。

図面もいろいろ見てきましたが、図面にはそれが描かれていないみたいなんですよね。

写真もいろいろ見ましたが、写っているものがとても少ないです。
結局わからないまま。

またここに書くかもしれませんし、わからないままだったら書かないかもしれません。






パパにおみやげ。
リクエストの大和マグカップ。


これは自分用おみやげ。
うちはわたしが佐世保、パパが横須賀、春海が呉なんですが、今回は佐世保スプーンを買いました。わたし用だ(笑)
あとスタンプとかデコテープとか。


使わないのにまたクリアファイルを買ってしまった(;´Д`)
飛行甲板図面クリアファイル(3枚セット)と龍驤発着艦クリアファイル。
飛行甲板図面は展示室の最後にパネル化してあったあの図面と同じものじゃないかと思います。
老眼でよく見えないので、スキャンして拡大して確かめようと思います。

じつは今回の一番のおみやげは大和ミュージアムと書かれた大きな水色の封筒↑の中に入っています。

うふふ♪

丸10月別冊 翔鶴&瑞鶴2023年09月26日 09時51分03秒

最近空母に関心があるのですが、自分であまりにも無知だと思ったので少しお勉強することにしました。

家探ししたんですが、空母の本がまったくありませんでした(;´Д`)


本屋に行ってみたら、こんな本があったのでお買い上げ!
丸10月別冊翔鶴&瑞鶴。

「こ、これは!(;゚Д゚)」


写真がたくさん載っているんですが、どれも画質が粗くてよく見えないですねー。
しかたないのか。
見たいところが見えなくてももどかしい(^_^;)

特選グラビアというコーナーに珊瑚海海戦後の17年5月10日の瑞鶴艦上から見た夕焼けの写真があったんですが、モノクロですがすごく物悲しい気持ちになりました。
カラーで見たらきっと声を失うほど美しい光景なんだろうなと思います。
でも、あの人もこの人もいない瑞鶴艦上・・・・。




これともう一冊空母の本を買いました。
こちらはイラスト本。


2冊、パラパラ見て思ったんですが、とてもわたしが把握しきれる情報量じゃないなと(^_^;)
プラモデルを作っていた飛行機1機ですら手に余るのに。



昨日はこれ以外にもパンケーキ食べたりラーメン食べたりシャインマスカット買ったりして、完全に収入<支出
になってしまいましたorz

BⅠ-312号機 修正2023年07月15日 10時28分27秒

昨日出した藤波貫二1飛曹搭乗機(真珠湾攻撃時の蒼龍水平爆撃隊第2中隊嚮導機)のBⅠ-312号機ですが、じつはあまりうまくいっていませんでした。


尾翼機番号、どうしてもBの中に迷彩をつけれなかったんです。

こんな感じで。

先にベース色を塗ってその上に迷彩、さらにその上に帯や機番号が塗ってるのですが、Bの部分は下から白縁、赤いB、中の白縁(上の図では白縁出すの忘れていた!)、最後に白縁の中のベース色が塗ってあります。

本当はBの中を迷彩が見えるように刳り抜きたかったんですが刳り抜き方がわかりませんでしたorz


昨日、この図をやや自慢げにいつものYさんに「こんなん作りました」って送りつけて、Bの中に迷彩の地を出すことができないってぼやいたら、ちゃんとやり方を教えてくださいました!!!

「複合パス」

なんや、それ?

と思ったのですが、パソコンがあるので自分で調べてみました。

刳り抜きできる機能!!

スゲー!!


やってみたらでけました!!(*´▽`*)
これこれ、こんなふうにしたかったんですよ!!


とりあえず佐藤機(金井機)と同じバージョンのだけ修正しました。
全バージョン修正して、昨日の投稿分も差し替え予定です。




Yさん、飛行機や部隊のことだけでなく、イラレの使い方まで教えてくれる!!(*´▽`*)わーい
Yさん、ありがとう!!(*´▽`*)わーい

BⅠ-312号機 もう1機の蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機2023年07月14日 23時31分00秒

蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機の金井昇1飛曹の真珠湾攻撃時の愛機はBⅠ-318号機と言われています。

ウェーク島攻撃時の写真が残っているとかで、よく図化されているものを見かけます。
プラモデルにもなっています。

(この写真の金井機は爆弾を吊っていないようにありますが、ウェーキ島攻撃時は爆弾を落とす前に敵機からの攻撃を受けているので、この写真はどういうことかな???? それ以前の哨戒時の撮影だろうか?)


ちなみに、わたしもずいぶん前に350分の1赤城艦載機のうちの1機を金井機にしてストラップを作ったことがありました。


先日、蒼龍艦攻隊水平爆撃隊のもう一人の嚮導機偵察員である藤波貫二1飛曹のお孫さんと金井機の話になって、
(そういえば、藤波さんの愛機の機番号はわかっているのかな?)
と疑問が沸き、藤波機操縦員の乙5期・大多和達也さんの手記『予科練一代』(光人社NF文庫)を見返してみました。

ありました!!

真珠湾攻撃出撃時の話に、
『私が愛機(BⅠ-312号)に駆け寄ると、機付きの江口二整曹が・・・・』
というくだりが。


おお、これこれ(^o^)


で、最近どはまりしているイラストレーターで藤波機を再現してみようと思い立ちました。

まず見たのは『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢/吉野泰貴)大日本絵画。
巻頭カラーページに真珠湾参加機の塗装図が出ているんです。塗装図は西川幸伸さんという方が描かれたみたいです。

佐藤機(金井昇1飛曹搭乗機のことですが、これ以降は機長の佐藤治尾飛曹長(操縦)のお名前をとって「佐藤機」という名称にします)は胴体後部に白縁のある青ラインを巻き、垂直尾翼には白縁のある赤い機番号が入っています。
こんな感じですね。
ホントは大きい絵は見せたくないんですが(笑)

ちなみに蒼龍は2航戦の「B」に1番艦の「Ⅰ」、ハイフンの後に3から始まる3ケタの数字が入っています。佐藤機は「BⅠ-318」です。

同じ本に、長井彊大尉機(長井大尉(操)、谷口惣一郎飛曹長(偵)、太田五郎1飛曹(電))の塗装も載っていました。雷撃隊隊長。
こんな感じで、胴体後部の帯にも機番号にも白縁はありません。
機番号の下の青い2本線は分隊長のしるしだそうです。
機番号はBⅠ-311で再現されています。実機写真があったようなことは書かれていなかったので、どなたかの証言でもあったのか、作者が推測して描いたのか、それはわたしにはわかりません。



ちょっと古いんですが、1992年発行の文林堂の『世界の傑作機 97艦上攻撃機』には佐藤機と山本貞雄中尉機(新谷潔1飛曹(操)、山本中尉(偵)、鈴木四郎3飛曹(電))の塗装図がありました。
こちらの考証協力は押尾一彦さん、作図野原茂さん。
佐藤機は『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』版と違い、機番号に白縁がありません。
しかし、一番上に出した画像(アレはトレースですが)が本当にウェーク島攻撃時の佐藤機であれば、尾翼の機番号は白っぽく見えるので白縁があった説の方が説得力があります。
たぶんベタ塗りの赤だったらあんな風に白く浮かんだように見えないと思うんですよね。
もしかしたら赤ではなく、もっと明るい色でベタ塗りしていたのかとも思えますが・・・・。


山本中尉機
山本さんは水平爆撃隊の第2中隊の中隊長です。
再現は「BⅠ-320」号機。
この人の2番機、この中隊の嚮導機が藤波機です。
本が違うので何とも言えませんが、中隊長機には機番号の下に青い線が1本入るってことなんでしょうね。



さて。
胴体後部の青ラインに白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?
垂直尾翼の機番号に白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?

真珠湾攻撃時の他の艦の97艦攻の機番号写真も見たんですが、はっきり白縁だとわかる写真はないんですよね。
どちらかというと黄色っぽいベタ塗り?って感じの白っぽい機番号はありました。飛龍のBⅡ-307号機。けっこう機番号がはっきり見えているんですが白縁にも見えないし、赤のようにも見えないし。赤だとしたらずいぶん明るい赤なんじゃないか。白黒写真なので何とも言えないんですが。

『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』の塗装図の解説には佐藤機のBⅠ-318号機は尾翼の写真が残っていて「白フチ付の文字で描かれている」とはっきり書かれているので、まあ、佐藤機はそうなんだろうな、と思います。

もし、佐藤機だけ白フチ付だったとしたら、どういう違いがあるのか?
考えてみたのですが、
・12分隊の機番号は赤に白縁付き(佐藤機は12分隊)。11分隊は赤ベタ(長井機、山本機は11分隊)。
・嚮導機は赤に白縁付き(佐藤機)。嚮導機以外は赤ベタ(山本中尉機)。雷撃隊も赤ベタ(長井大尉機)。
これぐらいしか思いつきません。


青い帯に白縁があるとかないとかも実際そうなのか、そうだとしたらどういう違いがあるのか考えないといけないのですが、わたしが見た中では明らかに胴体後部の帯に白縁がついているのは赤城の淵田機(印度洋作戦時)だけで、他にはなかったんですよね。一番上の佐藤機と言われているBⅠ-318号機の写真もよく見ても白縁があるのかないのかわからないです。



結局、いろいろ考えてみたのだけれど実機写真がない以上どれも想像でしかなく、とにかく大多和さんが愛機と言われているBⅠ-312号機をいろんなバージョンで作ってみました。
(風防枠の迷彩はわたしには至難の業だったのでベタ塗りにしました)


※2307151107尾翼機番号の作り直しをしたので(Bの中の迷彩が出るようにした)、ここ以下、図を差し替えました。


青帯も機番号も白縁付き。





青帯も機番号も白縁なし。





青帯だけ白縁付き。





機番号だけ白縁付き。





このうちのどれかなんじゃないかな?(^^;)

ちょーいいかげんな結論でスイマセン。