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谷田部海軍航空隊の奥宮正武さん2024年10月27日 18時21分18秒

少し前に、藤波貫二さんの龍驤時代の集合写真に奥宮正武さんが写っていた、って話を書きました。

わたしの手元にある9期の写真にも写っていました。

最近、昭和15年の辞令公報を真剣に見ているんですよ。
いまさらな話なんですが💦

そしたら奥宮さんが昭和15年11月15日付で谷田部海軍航空隊の飛行隊長兼教官に補されていて。

「あら?(^_^;)」

9期生が予科練を卒業して飛練に上がったのが昭和15年の11月30日ですから、
「重なっているやん」

探したら、写っていました。


これ、たぶん16年5月の修業記念の集合写真だと思うんですが、イス列に奥宮さんが。
左から6人目。





この写真、紹介しましたかね?
”この写真”というのは、”16年5月の谷田部空修業記念の集合写真”ということではなく、まさに”この写真”なんですが、これ、わたしがネットオークションで落札した写真です。

谷田部で飛練をやった人の遺品として同じ写真がすでに何枚か手元にあります。そのどれでもなく、まさに”この写真”。
何年か前に、知人が「9期生の遺品らしきものがネットオークションに出ている」と教えてくれて、自分でも確認して、戦闘機操縦員だった9期生の遺品だと確信しました。
業者がかなり長期間にわたって五月雨式に何度にもわけて出品してきてたいへんだったのですが、わたし的には気づいてからの分は全部入手できたのではないかと思っています。


この写真、おそらく持ち主だった本人が書き込んだと思われる×印がついています。
開戦後、かなり初期に亡くなった方々です。
紹介しますね。詳しい戦没状況はリンク先を参照してください。




16年12月8日



16年12月19日



17年1月15日



17年2月3日



17年2月19日





この2人は17年2月20日のニューギニア沖航空戦です。




17年2月24日




あとお二人、
17年10月25日

18年9月4日

にも×印がついているんですが、おそらく誤情報でしょう。
持ち主と思われる本人よりあとで戦死されているんで。




上田さん戦死まで情報が入っていた段階で×印をつけたものと思われます。
この写真、戦闘機操縦員の方が戦地を持ち歩いていたのでしょう。×印も戦地でつけたものでしょう。

同期生の消息を聞き、どんな思いでこの×印を書き込んだのか。



森田豊男さんですが、その後、持ち主は戦地で再会している可能性が高いです。
きっと、
「お前、生きとったんか!」
と大喜びしたと思われます。

×印を消していないので、持ち主は豊男さんと再会する前に写真を実家に送り返してしまっていたのかもしれませんね。

瑞鶴の飛行甲板中央部の風向標識2024年10月26日 12時02分50秒

前に加賀の飛行甲板中央部の風向標識(X形)について書いたときに、
「瑞鶴にもあるよ」
と書きました。
その際に”証拠”として出した世界の傑作機の写真をイラスト化した画像を出したんですが。


これですねん。


17年1月のラバウル攻撃の時の画像だって説明がありましたが、わたしはそれに関してはまったく検証はしていません。

「瑞鶴」「17年1月」というのを信じるとして。





昨日、神野正美さんの『空母瑞鶴』の文庫版の写真をここに出してから気づいたのですが、『空母瑞鶴』の表紙の写真がまさにコレでした。
わかりますかね?

飛行甲板の板目や太い白線に斜交して細い白線があるの。
これ、たぶん飛行甲板中央部の2つめの風向標識ですよね。
加賀もそうなんですが、風向標識にしてはなんか細いです💦
ただ、形状的には風向標識に見えます。
中央の太い白線を起点に矢印状に広がっています。
全部は写っていないですが、写っている線の角度から推察して加賀と同じ7本かな、と。


これに関してはちょっと問題もありまして。
光人社の瑞鶴翔鶴の丸特別版を見ていたら、同じラバウル攻撃時の瑞鶴だという飛行甲板写真があり、同じような場所が飛行機なしで写っているんですが、それを見ると風向標識はわからないんですよね。
光の加減で見えないだけなのか、撮影時期が違うのか、そもそも艦が違うのか💦



とりあえずは、先日話題にした瑞鶴の飛行甲板中央部の風向標識写真はこれです、って話です。







※加賀の艦首の風向標識は『丸別冊 加賀』の昭和12~13年ごろの写真にはっきりと写っているのを確認しました。240509
※瑞鶴の艦首の風向標識は写っている写真があるという話を、今日、聞きました。自分では未確認ですが。







※ご協力・・・・神野正美さん

神野正美『空母瑞鶴』光人社NF文庫2024年10月25日 22時27分15秒

ブログを検索したら2007年に読んだって書いています。
でも文庫本の奥付を見たら2008年の11月に発行です。
「単行本を持っていたかな?」
と本棚を探したんですが見当たりません。
もう一度ブログを検索しなおしたら、最初は図書館で借りて読んだと書いているので、図書館で単行本を借りて読んだのでしょう。

名著です。





今日は比島沖海戦で瑞鶴が沈んでからちょうど80年目です。
奈良県橿原市の橿原神宮、航空母艦瑞鶴の碑の前で生存者・ご遺族・関係者などが集まり、慰霊祭が執り行われました。
わたしのような無関係の人間も参列可です。

ちょっとお天気が心配だったのですが、今日になってみたら薄曇りの、暑くも寒くもない気候で過ごしやすかったです。

沈んだ時刻、1414に黙とう。





浦安の舞を舞われた巫女さんの衣装には飛翔する鶴の図柄が。

――というのは、神野さん情報。






浅川さんのアルバムに・・・・2024年10月11日 15時07分13秒

いまちょっと某航空母艦の艦攻隊のことを調べていて、その関係で浅川さんのアルバムを見返していました。



で、気になる1枚が。
最近も同じようなカットを目にしました。
石破内閣階段集合写真。
これ↑、ちょっとネットで話題になっていたので、
「あれとはずいぶん趣が違うな。どれどれ」
と拡大してみました。

「なんや、誰もわからん💦」

しかし、場所は旧官邸のようにある。
タキシードの人たちは内閣の人じゃないのか。
やたらと海軍軍人が多い内閣写真だな。海軍大臣ってこんなに何人もいるのか!?(;゚Д゚)

まさかですが、そんな感じで(どんな感じやねん)。

真ん中の人が総理大臣なんだろうと思って調べたら、すぐにわかりました。
第30代内閣総理大臣・齋藤實(さいとうまこと、字体は内閣ホームページに依る)。
在位昭和7年5月26日~9年7月8日。

「あとはわからんな」

そう思って放置。
予科練生は一生懸命調べるんですが💦


が、ちょうど別件で知人の戦史研究家Tさんとメールをしていたので、メールの最後についでで、
「浅川さんのアルバムにこんな写真が貼ってあったんだけど、何かわかりますか?」
と尋ねてみたら、パパっと、海軍軍人さん何人かに名前を付けてくれました。その上で、

「ぱっと見海軍大将」
「ネット上にもいろいろ写真があるんじゃないか」

とのアドバイスがあったので、俄然やる気になって、
「よし! 特定してやる」

最初に気になったのは齋藤さんの左にいるご老人ですわ。Tさんからもご指摘ありませんでした。

「東郷さんに似てるわ~」

あとで聞いたらTさんも「似てる」と思ったそうですが、自信がなくてこの人のことは名指ししなかったそう。

わたしも「東郷さんによく似た他人の空似の海軍大将」かと思って、めっちゃネット検索しました。
夜中2時ぐらいまで東郷さんの晩年写真探していました。

「顔は似ているけど、いまいち決め手に欠ける」

で、他に何かヒントは?
と探したら、勲章が目につきました。


これ。
東郷さんに似ている人がつけている勲章。



明らかに東郷さんに似ている人はほかの大将たちと違うのをつけています。

「なんだろうな、これ」

調べたら同じものが出てきました。ネット便利!(・∀・)

大勲位菊花章っていうらしいです。
内閣府のHPによると「我が国最高位の勲章」だそうです。
海軍大将で生前にもらっている人、限られます。東郷さん。


というわけで、たぶん他人の空似じゃないな、と。


なので、今度は東郷さんと齋藤さんの名前で検索をかけてみたら、共同通信のページがヒットしました。
まったく同じ写真が出ていました。

昭和7年(1,932)11月4日、海軍将官会議の写真らしいです。
撮影場所は首相官邸。
齋藤首相が海軍さんたちを昼食に招待したらしいです。
キャプションでは「前列右から谷口尚真大将、安保清種大将、斎藤実首相、東郷平八郎元帥、加藤寛治大将らと閣僚」とかで、Tさんより情報少なめ。




Tさんご教示海軍大将と共同通信サイト、さらに「閣僚」とあったのでそれはわたしが首相官邸サイトの齋藤内閣閣僚名簿から探して記入してみました。出身期もわたし記入。
自分が入れたところはまったく自信がないので、もし、わかる方いたらご教示いただけるとうれしいです。
名前が入っていない方も。


ちなみにわたし、「海軍将官会議」、よくわかっていません💦


※画像は浅川さんご家族ご提供。

奥宮正武さん2024年09月01日 11時29分02秒

去年、偵練27期の藤波貫二さんのお孫さんからご提供いただいた昭和11年頃の龍驤艦爆隊の集合写真。

ブログで紹介した当時にKさんから「奥宮正武さんが写っているのでは?」とご指摘をいただいていたのですが、自分でちょっとwikiを見て、「似ている」と思っただけでそれきりになっていたようです。
(検索しても出てこない)




最近、この写真に関して、別の知人Tさんからも「奥宮正武さん」とご指摘を受けたので、紹介しておきます。
イス列の中央あたりに座っています。
海兵58期出身。


戦後も活躍された方で、わたしの本棚にも著書が!
いまパラパラめくってみたら、ご本人の若いころの写真(大尉の階級章)が掲載されていました。

龍驤集合写真の人、奥宮さんで間違いないでしょう。