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たぶん瑞鶴派遣艦攻隊2022年04月13日 14時54分08秒

いつもお世話になっている知人の方から、乙15、飛練29期(筑波空)の搭乗員の写真を見せていただきました。

いまから思うとすごい不思議な話なのですが、最初聞いたときは、
「乙15は知っている搭乗員さんはいないけど、もしかしたら飛練の教員に9期生がいるかもしれないので見せていただきたいです」
という感じで返事をしました。

その後で、写真の主の名前を教えてもらいました。
その名前を見たとき、我が目を疑いました。
「あっ!?(;゚Д゚)」
マジで声出ました。

ウソやろ、と思ったんです。

数ヶ月前に、いつものKさんとメールをしていました。
話題は9期生のことです。そのとき、どういうわけかKさんが、
「海軍の搭乗員でふたごがいる」
みたいな話題を出して、おふたりのことを教えてくださったんです。
9期生とはまったく無関係の人たち。

今回の写真の主・乙15出身の搭乗員の方がまさにそのふたごのお兄さんの方だったんです。


いやあ、もうびっくりしたのなんのって。

こんなことある!?って思いました。

Kさん情報ではお二人とも戦死されているとかで。

今日はとりあえず名前は出しません。
(出すかどうかは今後考えます)
「お兄さん」「弟さん」で説明しますね。

知人の方が写真を送ってきてくださいました。
お兄さんのお名前のあるアルバムです。
ふたごのツーショットはあるかなと思って探しましたが、見当たりませんでした。
本人のお顔はほぼつかめました。

9期生も写っていました。
お兄さんは戦闘機なのですが、大分空の飛練修業記念写真らしき集合写真の教員列に川崎助男さんが写っていました。
「助さん!( ;∀;)」
9期生を見つけるとうれしいです。知っている人と再会したみたいで。
今日はそれが本題ではないので、川崎さんはまた今度。


今日の本題はこれです↓。
実施部隊らしき集合写真。

本人は?
わたしの認識が間違っていなければたぶん、これ。

前に藤本速雄さんの写真で、マリアナ沖海戦前の訓練地での集合写真を見たのですが、同じような雰囲気でした。
「601空か!?」
と思って、戦闘機搭乗員に詳しい知人に見てもらいました。具体的には、
「これ、〇〇さんじゃないですか?」
と601空のベテラン搭乗員を名指しで聞いたのですが、
「違うようにある」
との返事。
「(仕事なので)夜ゆっくり見ますね」
みたいな感じで今日の日中に突入。

「そうだ。Yさんにも聞いてみよう」
こういうのにめちゃ詳しいと思われるYさんにも写真を見てもらおうと送ってみました。

「この写真、見たことないですか?」


送った後で、弟さんの方も気になり始めて、弟さんが所属していた18年11月ごろの瑞鶴の行動調書を見始めました。

「あれ?」

18年末から19年初の瑞鶴って、先日ブログに書いたばかりの8期の根食貞憲さんや偵練38期の森本敬司さんがいらしたみたいなんですよね。
もっというと、7期の大迫留彦さんや大江道大さんのお名前もありました。
「みんないるやん」
と思い、集合写真を見返してみたところ・・・・。

いらっしゃるんですがっ!?(;゚Д゚)




偵練38期 森本敬司さん


7期 大迫留彦さん

大迫さん飛練時代


7期 大江道大さん

大江さん予科練時代



「待て待てー! 瑞鶴の艦攻隊ということは写っているのは兄じゃなく弟の方か!」
どうやら艦攻操縦員の弟さんの方らしい。

で、アルバムを見返してみたんですが。どうも、兄と弟の写真が書き込みなしでバラバラに貼られているっぽい(^^;)
しかも、激似。
わたしはよく「他人の空似」をやらかしてしまうのですが、これは他人ではなくふたご。
空似ではなく、本当に瓜二つなんですよ。

わたし、高校のときに同じクラスに一卵性のふたごの男子がいましたが、ちゃんと区別はついていました。どっちかに好意を持っていて特別じろじろ見ていたとか、そういうわけじゃありません。
ふたごといっても何となく違うもの。
しかしね。今回のふたごさんたち、めっちゃ似ているんですよ。
どこで見分ければいいのっ!?

とりあえず、見分けるポイントを見つけたので(顔ではない)、それが写っているものに関しては「これはお兄さん」「これは弟さん」とフォルダーにわけています。別々にじっくり見て顔で見分けれられるようにします。




そうこうしているうちにYさんから返事がきました。

「拙著(『流星戦記』)の42ページに掲載している写真です」

「あああっー!?(;゚Д゚)」ですよ、ホントにもう。
その本、持っています。
すぐに見ました。ありました。穴があったら入りたいですorz
よりによってYさんに聞いてしまうなんて。
いや、Yさんに聞いてよかったです。

Yさん(イニシャルの必要はあるのか?)は、写真提供者の方から二航戦の集合写真と聞かれていたみたいですが、Yさん的には再考の必要ありと思われていたようで。
「ママさんの見解は?」
と聞かれたので、じつは瑞鶴の行動調書に・・・・という話をしたところ、今日のタイトルの返事が来た、と(^^;)
「たぶん瑞鶴派遣艦攻隊」
Yさん曰く、”謎の組織”らしいですよ(; ・`д・´)

わたしが「謎の組織だったらブログに書けない」って言ったら、ちゃんと考えてくださいました。

「ろ号作戦後、第1航空戦隊飛行機隊が第601海軍航空隊の編成準備に入った際に、選抜されてラバウルへ進出した兵力」

らしいです(Yさんご教示)。


Yさんの本にお名前があった搭乗員の方。
普電練55期 村上則明さん

普電練55期 橋本真二さん


場所はどこでしょうね?
ラバウルかブーゲンビルかも、という話でしたが。
行動調書を見たらブナカナウと書かれているものもあったので、まあ、あの周辺なのでしょう。



搭乗員さんの写真などを見ていると、本当に不思議なことがたびたび起こります。
写真を見せてくださった知人の方も、KさんもMさんもYさんも、ありがとうございます。
そしていつも頼ってばかりでスイマセン(汗)



※画像は7期生ご遺族、浅川さんご家族、知人ご提供

乙8期 渡辺禎夫さん2022年02月01日 21時53分18秒

真珠湾攻撃時、加賀艦攻隊の電信員をしていた乙8期の渡辺貞夫さん。

真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真より。


以前、『予科練外史』(倉町秋次)で紹介されていた真珠湾前夜の渡辺さんの所感を紹介しました。
『前夜は眠れた
同期生と特別糧食の葡萄酒を呑み、(「加賀」の八期同期生は渡辺、町元、田中、甲斐の四名)予科練、飛練の思い出を語り合った。
夢も見なかった。誰のことも思い出さなかった。
遺書は二日前に書いておいた。戦死しても力を落とさないように、父母の御恩を感謝する、ということを書いた』
※実際の加賀8期生はあと久恒吾市さんと西森俊雄さんがいる




この渡辺さんの個人写真が、知人Mさんに見せてもらった7期生のアルバムに貼られていました。

柔道着姿で何か持っています。


「渡辺禎夫
日本傳講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ大ニ其ノ進歩ヲ見タリ依テ貳段ニ列ス向後益々研磨可有之者也
昭和十三年三月廿四日
講道館師範嘉納治五郎」


講道館のサイトによると、13年3月12日に嘉納治五郎さん、「国際オリンピック委員会にて第12回オリンピック大会の東京招致に成功する」、13年5月4日「氷川丸船上にて肺炎により御逝去」とのことなので、渡辺さんの段証書(段位状?)の日付の日はオリンピック委員会出席のため、日本にはおられなかったようです。
5月4日に亡くなられているので最晩年の嘉納治五郎さんからの証書ということになるのでしょうか。


わたしは柔道のことはまったく無知で、柔道二段がどういう段なのかよくわかりません。
(いちおう講道館のサイトを見ましたが、渡辺さんの「二段」は戦前の話ですしねえ・・・・(^^;))

なので人間関係の面から話をしたいのですが、どうしてこの7期生が渡辺さんの写真を貼っていたのかもよくわかりません。

同郷というわけでもないし。

7期生も柔道着を着ている自分の写真を貼っていました。
写真には手書きで「初段」と書かれていました。予科練で柔道部に入り、熱心に取り組んでいたのかもしれません。

もしかしたら渡辺さんも柔道部で、部の先輩後輩だったのかなと想像しています(一緒に写っている写真はなかったけれど)。
二段というのは先輩の7期生から見ても「すげえじゃん!」って段で、この写真を自分のアルバムに貼っていたのかな?


8期生同期生会誌にも、
「貴様は柔道ではクラス一だったな」
「十九年夏雁之巣飛行場待合室で柔道三段の堂々たる体躯に短剣姿も凛々しく・・・・」
という思い出が寄せられています。



20年2月28日  931空  東シナ海


※画像は9期生ご遺族、Mさんご提供

17年夏 鎮海航空隊搭乗員集合写真2022年01月29日 16時05分26秒

9期隅倉慧さん(戦後生存)のアルバムに貼られていた写真です。


二種軍装、隅倉さんの階級章が3飛曹なので17年の夏ごろの写真なんだろうな、と漠然と思っていました。
前列右端隅倉さん。



先日、この写真を見返していて、知っている人を見つけました!
前列中央の人。
「ああ! 7期の亀田道男さんじゃないか!!」

この人、予科練2学年時に西澤さん(台南空の西澤廣義さん)と同じ班だったようで、いろんなところに写っているんですよ(^^;)


下にあげる画像は、7期の操縦班の集合写真です。
西澤さんの遺品にもほぼ同じ写真がありましたが、知人のMさんご提供の写真を掲載させていただきます(ここに写っている別の7期生の遺品)。













下の2枚は辻堂演習写真。7班操縦班と8期の前の分隊の班員ではないかと想像(8・9期の例から)。



上の写真とちょっとメンツが違う?

8期生がまだちゃんと照合していないので、照合できたら紹介します。





と、まあ、こんな感じで、すごくよく見ている人だったのですが、数日前まで気づきませんでしたorz

しかし、時間がかかってしまったとはいえ、気づいたおかげで他のことも判明。

亀田さん、水上機操縦員で戦後生存者なのですが、『予科練のつばさ』(七期雄飛会、光人社)に手記を寄せています。

それによると羽黒から鎮海空に転勤したのが7月下旬ごろのようです。
そのとき、亀田兵曹のかわりに羽黒に転勤してきたのが東和夫さん。
『彼は予科練の二期先輩で、宮崎県出身の第五期生、水上機のパイロットである。すでに日支事変に参加して偉功を立て、昭和十五年四月二十九日の第一回生存者論功行賞のときには、金鵄勲章を授与された空の勇士である。
(先輩との交替だ。あとはよろしく頼みます)
わたしはほっとした思いで舷梯をおり、呉軍港まで送ってくれる内火艇に移乗した。
――中略――
ところが一カ月後、突然に「羽黒」一号機、ソロモン海で散華の報を耳にし、愕然とした。羽黒一号機はソロモン海戦中、索敵線上で敵戦闘機と遭遇し、「ヒ」連送を発信したのちに、消息を絶ったということである』



隅倉さんのアルバムにこんな写真が貼られていまして。
以前に気になってKさんに調べてもらったことがありました。
5期の東和夫さんではないかとのことでした。
東さんは鎮海空から羽黒転勤して、8月のソロモン海戦で戦死されたようです。
(隅倉さんの書き込みの「サンゴ海海戦」時は鎮海空にいらした)


隅倉さんは17年10月ごろまで鎮海空だったので、冒頭の写真は亀田さんが転勤してきた17年7月下旬から10月ごろまでの間に撮られた写真なのでしょうね。




それと、亀田さんの手記を読んでいて気づいたのですが、亀田さんの右隣りの人は8期の河野増美さん(偵察)ではないかと思います。
※亀田さんは河野さんが鎮海空に転勤してきたのは18年春と書かれていますが17年夏のようです。

19年4月6日 鎮海空  長崎
要務飛行中に佐世保港外(亀田さんは「平戸」)で高圧線に触れ墜落

このとき、奥さまが出産間近だったとか・・・・。



冒頭集合写真の亀田さんの左に下士官が2人座っていますが、ふたりとも善行章をつけていません。甲飛の人かなと想像。

と、ここまで書いて、隅倉さんのアルバムに同一人物を見つけました。

亀田さんの左隣の人ですが。

隅倉さんのアルバムに「光岡兵曹」という書き込みとともに貼られていました。

甲5期の光岡満春さんのようです。




あとの方々は現時点では不明です。
2列目の左端の人は「田中兵曹」って方ではないかと思うのですが(アルバムの個人写真から)、「17年夏、善行章1線3飛曹の田中兵曹」では難易度高いです。
判明したらまた書きます。



話があちこち飛んでスイマセン(汗)



※画像は9期生ご家族、Mさんご提供。Kさんにご教示いただきました。

愛知県出身乙8期生2022年01月11日 11時19分42秒

愛知県出身乙8期生に関しては3年ほど前、7期の山口良一さんの写真を見せていただいたときに一度書いています。
簡単に振り返ると「8期生、ほとんどわかりません、スイマセン」って記事でした。

今日はそのときの記事を再掲&編集して8期生の紹介をします。





7期山口良一さんのアルバムの中に、7期から9期の愛知県出身者の集合写真がありました。
台紙に書き込みがありました。「豫科練 七、八、九期 同県出身者 (卒業時)」。

赤丸が7期生、黄色丸が8期生、青丸が9期生、丸がないのが教員です(わたしがつけました)。



同じく山口良一さんのアルバムに貼ってあった写真。


愛知県出身7期生と8期生集合写真。
時期は不明ですが先日の7~9期写真より古いものです。背後に日の丸が写っているので祝日のようです。
写っている予科練生たちは、つけている階級章が3等航空兵と2等航空兵です。
ということは、8期が3空時代、7期が2空時代の撮影でしょう。
それに該当する時期は12年9月1日~13年7月31日です。一種軍装の時期なので12年9月~13年6月初ぐらいの感じでしょうか。その中の祝日ってぐらいまでしか絞れません。
6期生や9期生が写っていないことを考えると、もう少し時期を絞れるかも。




階級章と顏でわけたところ、愛知県、8期8名、7期5名で間違いないでしょう。
写っているメンバーの顔触れも先日の写真と同じです。
赤丸7期生、黄丸8期生。
今日は8期生の紹介なので黄丸のついている8期生だけ紹介します。
下の画像は左が愛知7・8期集合写真から、右が愛知7~9期集合写真から。

7・8期集合写真の前列左端
阿部一男さん
偵察
16年12月10日  千歳空  ウェーキ方面

「実直で悠長な所があつた。貴様も通信が余りパッとせず、荒井教員から誤字脱字多発者の一人としてリストにのりオヒツプをさすられていたが気立の優しい貴様が可愛想で見るに忍びなかった 麦飯の杯を重ねて行くに従つて要領良くなる者、教員のお汁が不潔であつては申訳ないと昇汞水をお混ぜして配食し奉つりオヒツプをさすられた返礼をする者等豹変するのが常であつたが貴様は終始一貫練習生の本分を全うした」


前列左から3人目
山田美好さん
操縦
戦後生存


前列左から4人目
小出重雄さん
偵察
19年4月1日  攻撃706  南洋群島

「温習時間は俺に幾何や英語を教えてくれた。予科練時代君のお父さんがセーラー服のお嬢さんを連れて面会に来た。(略)」
「豆タンクの異名頂戴、予科練後期俺の班の伍長、皆の無理を良く聞いて纏め役を買つていた」



前列左から5人目
犬塚教市さん
操縦、
19年11月27日  戦闘303  レイテ攻撃  特攻

「貴様は仏像の様に慈悲深い細い眼をし温情を以つて下級生にのぞみ実に同期の模範生だつた。第三神風特別攻撃隊春日隊としてレイテ島攻撃に散かした貴様が女学生の如く素直で温順だつただけに八期のトップを切つて特攻隊員として護国の鬼と化した事に感泣する」


中列左端
北村富佐士さん
操縦、艦爆
19年6月20日  653空  南洋群島

「他人の不幸を吾が事の如く案じて呉れる親切な奴で紅顔の偉丈夫」
「貴様とは佐伯空、翔鶴共に戦い共に遊び仲良く盲腸に罹り入院した事もあつたな、想い出は尽きない 別府市御多福の件とヘボ碁で公認四級のお婆さんに挑戦したものゝ見事に敗れた事、佐伯空水泳競技で活躍した事等々懐かしい」

北村さんは百里原飛練の集合写真にも写っていました。
いずれ紹介する予定です。



中列左から3人目
大野金三さん
操縦、艦爆
15年12月20日  蒼龍  横浜 

「色浅黒く笑うと真白な歯が美しかつた。九九艦爆で同期長谷川進と横浜上空で自爆とは誠に残念至極」
「予科練では同班でハンモックは隣同志、水泳は仲良く赤帽組、最初カッターから二人投込まれた時、貴様は俺の首に必死でしがみ付いて離れず一緒にブクブク沈んだがあの時は此の世ともおさらばと思つた」




後列左から4人目
河野鍖三さん
偵察
戦後生存



後列左から5人目
牧野正行さん
偵察
戦後生存



※画像は7期生ご遺族ご提供、8期生同期生会誌より引用

北海道出身乙8期生2022年01月10日 13時20分26秒


北海道出身乙7期生の遺品の中にあった乙7~9期生の集合写真。

横須賀の予科練庁舎の中庭ですね。
いままでの例から察するにおそらく13年8月の7期生卒業に際しての記念の集合写真だと思います。
少人数の場合は中庭で、大人数の場合は庁舎の玄関前で。
何人までが「少人数」で何人からが「大人数」なのか、正確な基準は把握していません、ざっくりです。

北海道出身の場合、前に座っているのが7期生と8期生、後ろに立っているのが9期生です。
前列は両端2人が8期生で、中の4人が7期生です。


前回紹介したときに7期生と9期生に関しては誰誰さんと紹介できているので、今回はそのとき紹介できなかった8期生に関して。
前列の両端が8期生です。

前列左端。
小山一男さん 
偵察 中攻  
18年11月29日 752空 南洋群島 第4次ギルバート諸島沖航空戦の触接任務 

小山さんは、忍術研究の大家であり、鞍馬天狗研究の大家でもあったそうです。



前列右端。
小山内信夫さん 
操縦 戦闘機  
15年9月30日 大村空 殉職 

小山内さんは頭が丈夫で硬かったそうです。



※画像はMさんご提供。8期生同期生会誌・卒業アルバム参照。