都萬神社 ― 2023年09月21日 11時38分23秒
つまじんじゃと読みます。
地名としては西都市妻です。
わたしが子どものころは日豊本線佐土原駅から支線・妻線が走っていました。いまはもうありません。一部はサイクリングロードに。
古代には栄えていたようで、近くには西都原古墳群もあります。もっとさかのぼると、一部、魏志倭人伝の「投馬国」に充てる説もあるようです。が、わたしは魏志倭人伝存在しなくていい派(魏志倭人伝にとらわれず弥生終末期の社会復元してほしい派)なので、投馬国は別にどこでもいいです。
西都原古墳群に行った日、いったん家に帰ってからばあばと春海と3人で夕飯の買い物に行き直しました。
西都の中心部にパオって商業施設があるんですよ。そこのスーパーに。
古びた商業施設なんですが、なんと!2階のゲーセンが大繁盛していました!(;゚Д゚)
奈良でもゲーセンであの人口密度は見たことないぞ!ってぐらい人が集まっていました。外は暑いからね(;´Д`)

都萬神社。
日向国二之宮らしいです。
一之宮は都農神社(つのじんじゃ)。
都萬神社本殿。


日本清酒発祥の地


御朱印もいただきました。
じつは都萬神社、わたしは二度目です。
境内の配置とか、全然記憶にないんですよね。
日本清酒発祥の碑とか、あったかなあ????
ちなみに春海も二度目ですが、来たことすらまったく記憶にないそうです。
ブログを始める前の話です、弟がここで結婚式をしました。
わたしも春海も参列しました。
というわけで、16年ぶりの都萬神社でした。
三輪山山麓をうろうろ ― 2023年07月10日 15時40分22秒
ブログの画像アップロード、復活しました!(*´▽`*)
今日は家から出られんので、たまっていた電動自転車旅をせっせと更新。
――するつもりだったのですが、こんな時間になってしまったので”せっせと更新”はもうしないかなと思います。
6月16日。舒明天皇陵、赤坂天王山古墳。長谷寺――からの続き。
帰り、途中から裏道にそれて海柘榴市(つばいち)や金屋の石仏を見に行ってきました。
初めてです(*´▽`*)
海柘榴市の案内板。
ここから金屋の石仏はすぐだったのですが、途中に工事車両が止まっていて、道が狭すぎて自転車すら通り抜けられないほどだったので大きく迂回して金屋の石仏に行きました。
自転車は小回りがきくからイイね!(*´▽`*)

右側の石は石棺の蓋ではないかと書かれていますね。
たまにあるんですよね。古墳に入っていた石棺を何か他のモノに転用しているって。神社の手水鉢とか。
わたしみたいなのが見てもよくわからんですけどね。
言われてみてもよくわからんですけど(^^;)
でも、言われなくてもわかるようなものが無造作に置かれていました。
石仏の覆い屋の高床の床下部分に。



「家形石棺の蓋じゃないのか!?(;゚Д゚)」
と思ったのですが、これだけ天気いいとスマホで検索してもスマホ画面が見えんのですよ( ;∀;)
まさかこんなところにと思いつつとりあえず写真だけ撮って帰ってきました。
帰って来て検索したらやはり家形石棺の蓋らしいです。
ネット情報によると『金屋弥勒谷石棺』と呼ばれているそうですが、いったいどこから出土したものか・・・・。
ここまで来て素通りするわけにもいかんのでお参り。


大神神社。
今回初めて境内のささゆり園とやらに入ってみました(無料)。

もう、ほとんど終わりでしたが、ちょこっとだけ残っていました。


ちょっと箸墓まで行ってみるかー。

大神神社の参道近く、南から。

箸墓にかなり接近して、南から。
山のよう(^^;)
檜原神社に行こうと思って箸墓から東方向に向かったら、ホケノ山の看板がありました。
「こんなところなのか」
行ったことがなかったので(笑)、行ってみることにしました。

ホケノ山墳丘墓。
右奥に見ている緑濃いこんもりは箸墓古墳です。
立地的には箸墓よりちょっと高い場所です。
なんなら見下ろしていると言ってもいい。
んー、こっちが先なんですよねー。あえて箸墓はホケノ山より低い場所に作ったのか。
あるいは、すでに築造中の箸墓を見下ろせる場所にホケノ山を作ったのか(ホケノ山の方が先にできちゃった)。
ここに立ってみたら、箸墓の被葬者とホケノ山の被葬者の関係がとても気になりました。
箸墓に比べたら小さいですが、ホケノ山の被葬者もただものではないことは明らかです。親子とか、2代続きの首長(大王クラス)とか。
箸墓の西の方に墳丘墓群みたいなところがあるんですが(古墳のたまごみたいな墳墓群)、そこを「ホップ」としたら、ホケノ山は「ステップ」、箸墓が「ジャンプ」、ってところかな。
ジャンプした先は古墳時代です。
道細いです。
いちおう駐車場はありましたが、行くなら歩きか自転車がおすすめです。
檜原神社に向かいます。
時間が押していてここらへんもう焦りまくっています(^^;)

だいぶのぼってきたところで二上山。

檜原神社(大神神社摂社)。

檜原神社の鳥居越しに二上山。
この前、クローズアップ現代の吉野ケ里特集で星座の話とか季節と方角の話とかされていた先生がいましたが、奈良の遺跡も方角のことをいろいろ言っている人いますよね。
先日ちょっと壷阪寺に行ったのですが(まだ書いていない)、壷阪寺と藤原京と何かが一直線になるとかなんか説明板に書いてありました。
わたしも以前、自転車でまわったところの地図を作っていて、西殿塚古墳と唐古・鍵遺跡がほぼ東西一直線なんやなと思ったことがありました。
「我ながらムーっぽいな、時期ずれているよな」
と思ってすぐに引っ込めましたが。
あー、いや、二上山の雄岳山頂と大神神社もほぼ東西一直線よなーと思って。
ここから春分、秋分の頃に二上山に沈んでいく夕陽が見れるという話も。わたしは見たことないんですが。
早く帰らないと時間切れになってしまう!
というので、焦って檜原神社を後にしました。
幹線道路を避けて走ったら、なんか前(東田大塚に寄ったとき)と同じルートで帰ってきてしまいました。「この池、見覚えがある!」「この神社、前は立ち寄ってお参りした(今回はスイマセン💦)」みたいな?(^^;)
たぶん纏向の辺りから田原本に戻ってくる最短ルートなんだな。
なんとか15分前に自転車返却ー!

暑かったので事務所でメロンジェラート買ってひと休みしてから帰りました。

BBAのくせに詰め込み過ぎだっちゅーの。
あ、スイーツの話じゃなくて訪問地のことですよ。
長谷寺 ― 2023年07月09日 15時15分43秒
6月16日の話。
舒明天皇陵と赤坂天王山古墳を訪ねたあと、あぢさゐ回廊をやっている長谷寺に紫陽花を見に行きました。


途中、与喜饂飩といううどん屋さんの前を通りました。
覗いたら入れたので、ここでお昼ごはん。
モーニング2度やっちゃったあとだったのでこれでおなかいっぱいになりました。

長谷寺。
撮って来た紫陽花写真を貼っていきますね。
前半は紫陽花庭園みたいな、地面から生えている紫陽花がメインです。















ここまでは拝観料を払わないまま散策できるエリアです。




この舞台は岡田准一くんの『燃えよ剣』で登場した舞台です。









「長谷寺、なんか空いていていいな~」
と思われるかもしれませんが、めっちゃヒトおったんですよ(^^;)
頑張ってヒトを写さないよう努力しました。
が、どうしても写っちゃっているところもあります。お顔がわからんかったらまあええかな?という感じで(;・∀・)
ここから先は石段に置かれた鉢植えの紫陽花。

狭い石段に鉢植えの紫陽花が置かれているので大混雑でした。
ヒトの写っていない写真を撮るためにひとところにとどまっていると他人の迷惑になるし。もう、ヒト、写っちゃっています、スイマセン。
幸い、立錐の余地もない、というほどではなかったのでテキトーに撮ってきました。









あぢさゐ回廊3ヶ寺の長谷寺切り絵御朱印いただいてきました。
じつは岡寺で台紙(岡寺分のラス1)を勧められて断って帰ってきたんですが、大きさ的にやはり専用台紙がいるな、と思ったので長谷寺で求めました。
岡寺、長谷寺・・・・と行ったら3つ目も欲しいですよね~
というわけで。3ヶ寺目はまた今度。
いつもひとりで楽しんで気が咎めているので家族におみやげ。


草餅です。
まだまだ帰りませんよ(笑)
つづく。
岡寺 ― 2023年06月15日 21時10分56秒
明日香に岡寺という寺院があります。
今回は古墳に行くつもりで岡寺は予定に入れていなかったのですが、紫陽花が見ごろということで急遽立ち寄りました。
自転車で行ったので、初めてのルートで岡寺に接近しました。

駐輪場、どこかなーと思いながらここまで上がってきてしまいました。
もちろん降りて押していますよ!
バッテリーが心もとなかったので、お昼ごはん前にこれを登るようなムチャはしません。
もっと下の方でとめてひとりで歩いて上がって来れたらよかったのですが、駐輪場を見つけられないまま結局一番上まで押して上がりました。
いったん岡寺の門前まで上がってお寺の人に断って自転車をとめさせてもらい、ランチに行きました。
坂の途中にあったココロゴハン。
雰囲気の良いカフェでした。

あいにくランチはやっておらず。
でも、何か食べたかったのでドーナツとカフェオレにしました。
バナナとキャラメル、アイス添え。カロリーがー!(・∀・)
家におみやげドーナツも♪

ふたたび岡寺に上がってきました。

岡寺の紫陽花はほぼ鉢植えです。
一部、地面から生えている紫陽花もありました。
撮って来た写真、貼っていきますね。



































紫陽花ってこんなに種類があるんですね。
期間限定御朱印。紫陽花の切り絵。

岡寺の人は下に色紙など挟むときれいですよ、と言われていましたが、色紙がなかったので自分で色塗りした紙を敷きました。
キトラ古墳・四神の館 束明神古墳 ― 2023年06月11日 15時29分58秒
9日にまわった場所。
●・・・・今回行ったところ
〇・・・・行けなかったところ
薄い●‥‥以前行ったところ
0900に橿原神宮前駅のレンタサイクル屋さんで電動自転車を一日借りしました。1500円。
最初の目的地はキトラ古墳・四神の館。
いま白虎の壁画を期間限定公開しています。
基本予約制なのですが、当日行って空きがあれば見ることは可能です。
前日の夜に予約サイトを見たところ、たくさん空きがあったので朝一で行けば数回ある見学会のうちどこかに入れるだろうと思って朝一で出かけました。
同系列のレンタサイクル屋さんがキトラ古墳により近い飛鳥駅前にもあるのですが、最終地点を橿考研の博物館に設定していたので返すのに便利のいい橿原神宮前駅で借りました。
先日開拓した明日香への裏道を通ってGO。
途中、五条野丸山古墳の横を通りました。

ここは見学したというより、通りかかったので写真を撮っただけです。

このあと飛鳥駅の前も通りました。
すぐそばに岩屋山古墳があるのはわかっていたのですが、四神の館の開館時間(0930)が迫っていたのでとりあえずそちらに直行。
0929に四神の館のドアの前に到着!
5、6人がすでに並んでいました。
開館後、案内の人に、
「予約していないのですが見れますか?」
と聞いたら、
「大丈夫です」
と当日受付分のカウンターに案内されました。そこで必要事項を書き込んで0945からの見学を待ちました。

特製クリアファイルをもらいましたよー(・∀・)
ちなみに四神の館の入館料は無料です。
白虎壁画は湿度温度を最適に管理した2階の展示室にあります。
そこは写真撮影禁止。
10余名ぐらいで見学しました。
室内に解説音声が流れ、各自で見やすいところを自由に見学するというスタイルです。
壁画のほかに出土遺物や復元品、さらに展示室のミニチュア模型までありました。
この展示室自体が奈文研のドヤポイントみたい。高松塚で文化庁がずいぶんアレだったので「壁画の保存管理には細心の注意を払っていますよ」をアピールしていました。
撮影禁止で画像が何もないのもアレなので、1階の常設展示室(撮影可)で撮って来たものを出しておきますね。

横口式石槨のレプリカ。
これは見やすいように開口状態が復元されています。
こんなん↓もありました。

な、なんと!?
盗掘口の復元!(゚Д゚;)
人が一人やっとすり抜けられるぐらいの穴が空いていたそうです。
まあ、なんというか、不届きというか罰当たりすぎて。
何か金目の物を得たとしても、きっと祟られてロクな人生を送っていないと思いたいです。
肝心の白虎の壁画はこちらをどうぞ。
パネルですが。

丘の上にあった墳丘の中はこんな状態らしいです。
これまた未確認飛行物体感がスゴイ。光らせるとか。
いや、その感想は罰当たりだ。

今回は墳丘の見学には行きませんでした(時間の都合)。
次の目的地は束明神古墳。
天武天皇と持統天皇の皇子、草壁皇子の真陵と言われていますがはたしてどうなのでしょうか。
地図で見たらキトラ古墳から西へ1.5キロほど。
明日香村から出て高取町になります。
途中、壺阪山駅の周辺を走ったのですが高取城ののぼりがあちこちに出ていて、めっちゃ「行きたいー!」ってなったのですが。あそこは自転車ではムリですよね(^^;) それこそ出発1時間もしないうちにバッテリー切れそう。
車もむずかしそう、歩きもしんどそう。さて。
束明神古墳です。
位置情報をオンにしてスマホのグーグルマップを見ながら接近を試みたのですが、迷いまくってなかなかたどり着きませんでした。

ようやく案内看板を発見。
しかし、案内看板が途中でなくなって機位不明、グーグルマップを見ても機位不明( ;∀;)
岡宮天皇陵というのはすぐに見つかりました。
写真を撮ったのですが、保存できていませんでした。
岡宮天皇というのは、即位しないまま亡くなった草壁皇子にのちに贈られた名前だそうで。
宮内庁はここを草壁皇子の墓としているようですが、発掘調査の結果、いまでは束明神古墳が有力なんだとか。
道の細い集落内、迷ってうろうろしていたら、ある家の前で集落の人が集まっていました。
「すいませーん、この辺に古墳ありませんか?」
と尋ねてみたところ、
「束明神古墳ならそこにあるよ」
と行き方を教えてくださいました。
聞かなかったらきっとたどり着けなかったろうなという場所でした。ありがとうございました。
集落の人に「石段100段登ったところ」と脅かされて行ったのですが、行ってみたら100段はそうたいしたことはなさそうでした。
そんなことより・・・・

登り始めてすぐに気づきました。
「この石段とわたしのスニーカー、めっちゃ相性悪い!( ;∀;)」
滑るんですよ、すごく。雨上がりだったしね。
こりゃヤバイと思いました。
しかし、ここまで来てお参りせずに帰るわけにはいかない。
そう思って転倒覚悟で登りました。
自転車用ヘルメットは脱いで手に持っていたのですが装着!
スマホもポケットに入れて両手を空けました。
転んでも頭ガコーンや池田屋の階段落ちは避けたい。

古墳はこの神社の境内にあります。
何とか無事に神社に辿り着きました。

無事に帰れますようにとお願いしておいたんですけどね。

鳥居入ってすぐ右側にある束明神古墳。
もう一度人間関係図を出しておきますね。
人間関係チョー複雑でうまく文章で説明できないので、図を見てください。
婚姻関係が複雑すぎて現代人にはやや理解しがたいというか、関係図を作りづらいというか。
これで家族親戚皆仲良し(^o^)ならいいのですが、骨肉の争いが絡みます。
図からは省いていますが、天智天皇の息子・大友皇子なども加わって権力闘争(内乱)や皇位継承争いなどが繰り広げられ、まさにまさに骨肉の争い。
最終的には草壁皇子が後継者として有力な位置につけたのですが、天皇即位前に若くして亡くなってしまいました。
そういうわけで持統天皇から草壁皇子の忘れ形見・孫の文武天皇へ――という形で皇位が継承されます。
ちなみにわたしが大好きでよく写真をあげている二上山には、この骨肉の争いで排除された大津皇子が葬られています。

下り、石段。

案の定、つるりんと滑りました。
転びました。
が、神様にお願いしておいたおかげか、その場でしりもちをついただけで済みました。
ランチのときに手を洗いに行って、手のひらをすりむいているのに気づきましたが、気づかない程度の擦り傷で。
転ぶだろうなあと思いながら慎重に下りていたので、ダメージは少なくて済みました。
みなさんも古墳見学の際は気をつけてくださいね。
雪野山古墳見学のときも同行者で下り石段で転んだ人がいたし。
野生生物も注意です。安土瓢箪山古墳ではスズメバチに刺された人もいました。
先日の牽牛子塚古墳の周辺にはイノシシが出没すると言われていたし。たしか高松塚の近くもイノシシよけのネットがありましたよね。
草深いところはマムシやマダニも注意です。
つづく。