偵27 藤波貫二さん まとめ ― 2024年06月29日 00時51分56秒
あちこちに書いている藤波貫二さんに関して、ここにまとめました(リンク集)。
20221129
甲3鹿熊粂吉さんご遺族所有の写真の中にあった集合写真です(Оさんご提供)。
この写真を公開したときには藤波さんは「ではないか?」の状態だったのですが、のちにお孫さんからコメントをいただき藤波さんと確認できました。
このブログで最初に藤波さんに触れた記事。
20230506
藤波さんと確定しました、ということで書いた投稿。
20230708
ご遺族の方から提供していただいた飛曹長時代の藤波さん。
20230709
同じくご遺族ご提供の1飛曹時代の家族写真。
20230714
おそらく機番号だけは合っていて、あとは想像の「藤波機」。
大多和達也さんの『予科練一代』(光人社NF文庫)を参考にして、何種類か描いてみました。
20230715
ひとつ前に描いた藤波機のうまく描けていなかった点をYさんに話したら、
「こうしたらいいんだよ」
と教えてくれはったので修正しました、って話です。
20230715
艦上と思しき場所で、飛行服姿でのツーショット写真。
一緒に写っている人の飛行靴に所属とお名前が・・・・。
「タ」「マ」「斉藤」。
20230717
操練を卒業して、龍驤に勤務する前に配属されていたと思われる多摩。
ツーショットの写真のもう一人が斉藤さんでした。フルネームをご存じの方からのご教示あり。
20230717
操練に採用される前の長門時代の写真に関して。
20230718
藤波さんの龍驤時代(昭和11年頃)の話。
20230804
ご遺族の方に提供していただいた写真の紹介記事。藤波さんまとめ、みたいな記事です。
たぶんわたしの手元にある藤波さんが写っている写真はほとんどここに出してあると思います。
過去記事を見返していたら、1枚だけ紹介していない写真がありました。
装備の様子から、練習生時代の航空隊近辺の写真館かなあ?
と思っているのですが、どうでしょうか。
そしてここからはまだブログに書いていない話。
(ご遺族の方には気づいたときにメールでお知らせしてあります)
藤波さんは真珠湾時の蒼龍艦攻隊水平爆撃隊の第2中隊の嚮導機偵察員ですが、同じく蒼龍艦攻隊水平爆撃隊の第1中隊の嚮導機の偵察員は金井昇さん(偵35)です。
真ん中の人です。
以前、この宴会の金井さんのことを「しらふで上機嫌な金井さん」みたいな紹介をしてしまって、あとで真実を知り大いに反省したことがありました。
日記によると、じつは金井さん、お酒、好きそう。たぶんこのときも飲んでいたでしょう。
そして、「上機嫌」どころではない大問題が発生していた最中だった・・・・。
いまとなってはこの屈託なさそうな笑顔の下にどんな心の葛藤を抱えていたのだろうと・・・・、笑顔がまぶしいだけに涙が出そうな苦しい気持になります。
(大島隆之『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の八〇年』講談社現代新書)
この金井昇さんの昭和16年の日記(ご遺族所有、Оさんご提供)の2月23日に藤波さんのお名前が出ていました。
「一日がかりで藤波さんと編隊爆撃の弾着整理をした」
この前後、蒼龍は台湾のあたりにいたみたいです。
飛行機隊は訓練しつつ。
11分隊と12分隊の偵察斑班長としてなのか、第1中隊・第2中隊の嚮導機としてなのか、藤波さんと金井さんは一緒に作業をしなければならない時間もあったのだとわかります。
藤波さんのお名前が出ているのはこの一箇所だけです。
基本的に金井さんはあまり蒼龍の同僚の名前は書いていないです。たまーに出てきますが。
藤波さんのお名前は一箇所しか出てきませんが、蒼龍の嚮導機としては一緒に動いていたのではないかと思っています。他の水平爆撃隊隊員たちとは別行動で特別な訓練や競技会などに参加されている様子。藤波機のペアも一緒だったでしょう。
それをまとめようとしているのですが、11月の途中で作業が進まなくなってしまっています。
なんかこう・・・・残りひと月・・・・読みたくないというか・・・・。
いや、やりますよ。最後までやりますけど。
もう少しお待ちください。
※画像は藤波さんご遺族、9期生ご遺族、Оさんご提供