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お墓参り 西都原考古博物館2023年09月19日 21時46分25秒

9年半ぶりの帰省だったのでお墓参りに行きました。


まずは父方の。

集落の隅にひっそりある小さな墓地です。

入ってすぐにうちの本家の墓(父方の祖父母、父親の長兄一家)があります。
その延長線上に見覚えのある姓の墓石を見つけました。
3列後ろ。
他の墓石はわりと新しめだったのですが、その家の墓石だけ色が違っていて(古そう)すぐに目が行きました。

「え? まさか」
と思いました。うちの墓参りを済ませてちょっと近づいてみました。
横に設置されている石板に刻まれたお名前の中に昭和17年に戦死されたある予科練生のお名前が。お名前も戦没日も一致。
しかし、お墓自体は先端が尖った戦没者のお墓ではなく、故人の経歴なども一切刻まれていませんでした。刻まれていたのは横の石板にお名前と没日、没年齢だけです。ほかのご家族とご一緒に。

その方、父方と同じ集落なのは知っていましたが、地域が違うのでまさか同じ墓地にお墓があるとはまったく考えていませんでした。
これも何かのご縁なので勝手にお参りさせていただきました。



ちなみにうちの実家墓(予定)。
子どもたちは2人とも関西だし、どうするんだろうね?



お参りを済ませ、母方のお墓詣り。




それから宮崎県立西都原考古博物館へ。
リニューアルしたって噂を聞きましたが。
わたしが前に行ったときはリニューアル前だったのかな?
館内の記憶が一切ありません(笑)


館内は暗くて、目が悪いわたしにはちょっと危険な空間でした。
説明もよく見えんので、モノだけさーっと見て回りました。

春海はハニワ探し。
春海、ハニワ=馬のハニワ、踊るハニワ

「ハニワがおらん!(;´Д`)」
と騒いでいました。

母「西都原のハニワといえばコレやで」↓


春海「これじゃないねん(;´Д`)」

母「はーちゃんが求めているハニワはお土産屋か公園に行けばあるわ」




「ママ―! 三角縁神獣鏡があるで!」
最近邪馬台国ニュースがわらわら出ているので春海ですら知っている三角縁神獣鏡。

西都原からも出ています。

ちなみに、地元奈良県の桜井茶臼山古墳からは81面以上の鏡が出土していたってのは以前から知られていたのですが、破片の観察をすすめた結果、じつは103面以上あったことが最近判明したってニュースになっていました。盗掘を受けた上で残っていたのが103面以上ですから、もともとどれほど埋納されていたのか・・・・(;゚Д゚)
103面中26面が三角縁神獣鏡らしいです。
ただ「三角縁神獣鏡26面」っていったら「すげー!(;゚Д゚)」ってなりますが、「三角縁神獣鏡26/103面」って聞くと、「三角縁率低くね?(;´Д`)」って思ってしまいます。
いやいや、三角縁以外の鏡種も専門家から見るとなんかおもしろそうですよ。
初期大和政権の内容解明がすすむとよいですね。
それにしても、指先みたいな鏡片だけでもともとの鏡がどれかわかるってすごい。






ミュージアムショップで古墳グッズを買いました。

西都原と言えば鬼の窟古墳と男狭穂塚・女狭穂塚古墳。
どこにでもある古墳グッズじゃなく、オリジナルがほしいですよね♪




この日も暑かったです。
古墳群の中の休憩施設で宮崎マンゴーサイダーを買って飲みました。

三輪山山麓をうろうろ2023年07月10日 15時40分22秒

ブログの画像アップロード、復活しました!(*´▽`*)



今日は家から出られんので、たまっていた電動自転車旅をせっせと更新。
――するつもりだったのですが、こんな時間になってしまったので”せっせと更新”はもうしないかなと思います。



6月16日。舒明天皇陵、赤坂天王山古墳。長谷寺――からの続き。

帰り、途中から裏道にそれて海柘榴市(つばいち)や金屋の石仏を見に行ってきました。

初めてです(*´▽`*)
海柘榴市の案内板。

ここから金屋の石仏はすぐだったのですが、途中に工事車両が止まっていて、道が狭すぎて自転車すら通り抜けられないほどだったので大きく迂回して金屋の石仏に行きました。
自転車は小回りがきくからイイね!(*´▽`*)







右側の石は石棺の蓋ではないかと書かれていますね。
たまにあるんですよね。古墳に入っていた石棺を何か他のモノに転用しているって。神社の手水鉢とか。

わたしみたいなのが見てもよくわからんですけどね。
言われてみてもよくわからんですけど(^^;)

でも、言われなくてもわかるようなものが無造作に置かれていました。
石仏の覆い屋の高床の床下部分に。





「家形石棺の蓋じゃないのか!?(;゚Д゚)」
と思ったのですが、これだけ天気いいとスマホで検索してもスマホ画面が見えんのですよ( ;∀;)
まさかこんなところにと思いつつとりあえず写真だけ撮って帰ってきました。

帰って来て検索したらやはり家形石棺の蓋らしいです。
ネット情報によると『金屋弥勒谷石棺』と呼ばれているそうですが、いったいどこから出土したものか・・・・。





ここまで来て素通りするわけにもいかんのでお参り。

大神神社。


今回初めて境内のささゆり園とやらに入ってみました(無料)。
もう、ほとんど終わりでしたが、ちょこっとだけ残っていました。





ちょっと箸墓まで行ってみるかー。
大神神社の参道近く、南から。



箸墓にかなり接近して、南から。
山のよう(^^;)




檜原神社に行こうと思って箸墓から東方向に向かったら、ホケノ山の看板がありました。
「こんなところなのか」
行ったことがなかったので(笑)、行ってみることにしました。

ホケノ山墳丘墓。

右奥に見ている緑濃いこんもりは箸墓古墳です。

立地的には箸墓よりちょっと高い場所です。
なんなら見下ろしていると言ってもいい。
んー、こっちが先なんですよねー。あえて箸墓はホケノ山より低い場所に作ったのか。
あるいは、すでに築造中の箸墓を見下ろせる場所にホケノ山を作ったのか(ホケノ山の方が先にできちゃった)。
ここに立ってみたら、箸墓の被葬者とホケノ山の被葬者の関係がとても気になりました。
箸墓に比べたら小さいですが、ホケノ山の被葬者もただものではないことは明らかです。親子とか、2代続きの首長(大王クラス)とか。
箸墓の西の方に墳丘墓群みたいなところがあるんですが(古墳のたまごみたいな墳墓群)、そこを「ホップ」としたら、ホケノ山は「ステップ」、箸墓が「ジャンプ」、ってところかな。
ジャンプした先は古墳時代です。



道細いです。
いちおう駐車場はありましたが、行くなら歩きか自転車がおすすめです。





檜原神社に向かいます。
時間が押していてここらへんもう焦りまくっています(^^;)
だいぶのぼってきたところで二上山。



檜原神社(大神神社摂社)。


檜原神社の鳥居越しに二上山。

この前、クローズアップ現代の吉野ケ里特集で星座の話とか季節と方角の話とかされていた先生がいましたが、奈良の遺跡も方角のことをいろいろ言っている人いますよね。
先日ちょっと壷阪寺に行ったのですが(まだ書いていない)、壷阪寺と藤原京と何かが一直線になるとかなんか説明板に書いてありました。
わたしも以前、自転車でまわったところの地図を作っていて、西殿塚古墳と唐古・鍵遺跡がほぼ東西一直線なんやなと思ったことがありました。
「我ながらムーっぽいな、時期ずれているよな」
と思ってすぐに引っ込めましたが。

あー、いや、二上山の雄岳山頂と大神神社もほぼ東西一直線よなーと思って。
ここから春分、秋分の頃に二上山に沈んでいく夕陽が見れるという話も。わたしは見たことないんですが。




早く帰らないと時間切れになってしまう!
というので、焦って檜原神社を後にしました。

幹線道路を避けて走ったら、なんか前(東田大塚に寄ったとき)と同じルートで帰ってきてしまいました。「この池、見覚えがある!」「この神社、前は立ち寄ってお参りした(今回はスイマセン💦)」みたいな?(^^;)
たぶん纏向の辺りから田原本に戻ってくる最短ルートなんだな。


なんとか15分前に自転車返却ー!
暑かったので事務所でメロンジェラート買ってひと休みしてから帰りました。


BBAのくせに詰め込み過ぎだっちゅーの。

あ、スイーツの話じゃなくて訪問地のことですよ。

段ノ塚古墳 赤坂天王山古墳2023年07月09日 11時44分36秒

ブログを見返したら、電動自転車旅に関して、桜井茶臼山古墳とメスリ山古墳を書いたことで燃え尽き症候群、抜け殻状態になってしまっていて続きを書いていませんでした。

あれは6月9日のことで、桜井茶臼山古墳を訪れたあとは本当ならさらに山奥の段ノ塚古墳(舒明天皇陵)と赤坂天王山古墳(崇峻天皇陵?)まで行くつもりでいたのですが、それまでに迷いまくってバッテリーを消耗しすぎたので2古墳は断念して後日やりなおすということにしました。


6月16日(金)。
天気がよくて暑かったです。

今回は田原本スタート。
橿原神宮前スタートにしなかったのは、あそこから忍阪(段ノ塚古墳や赤坂天王山古墳のある地域)に接近しようとしたら「丘を一つ越えないといけないな、またバッテリーを消耗してしまうな」と思ったので、平坦地だけで接近できる田原本→忍阪ルートを選択しました。

いつものようになるべく国道・幹線道路を避けつつ桜井に接近。


途中、三輪山のふもとは大和川沿いをのんびり走りました。

バッテリー節約のためずっとオフにして走って来たので1時間ほどで疲れ果て、さっそく休憩(笑)
大きな歩道完備の幹線道路を走っていたらおしゃれなカフェを発見しちゃったんです(・∀・)
カフェドアルボール。

水分補給だけにしておけばよいものを、


モーニング頼んじゃう人(本日2度目)。


復活したので出発。




道端の紫陽花もきれいに咲いていました。


踏切に引っかかったのでとりあえず撮る見慣れた近鉄電車(笑)
大阪線という普段使わない線なので。

この辺もまだ電源オフで走っております。

忍阪の入り口から上り坂になっているのでそこでオンにしました。



忍阪の紫陽花。

ここら辺は道が狭いので自転車さまさま、


段ノ塚古墳です。
宮内庁により舒明天皇陵に治定されていますが研究者間でも舒明天皇陵でよいのではないかという意見のようです。

舒明天皇というのは、今回の終末期古墳めぐりの最初の古墳、牽牛子塚古墳の真の被葬者と言われている斉明天皇の旦那さんです。
ここは母・田村皇女との合葬ぼらしいです。
合葬は血縁と、夫婦は別墓、基本通り。


拝所。


拝所前から開けた方を望む。
終末期古墳てこんな感じですよね。
当時は樹木も少なくてもっと見通しよかったんだろうか?
わたしが見ている方角、山(丘?)の先は明日香です。



天皇陵の八角形墳は舒明天皇陵からと言われています。

説明文に「高御座」(たかみくら)が出てきますが、これです↓
大極殿の高御座。八角形です。

あの暑い中、わざわざ大極殿まで行って高御座の写真を撮って来たのは八角形墳の話からつながるだろうと思ってのことでした(^^;)



舒明天皇陵のさらに奥にまだお墓があるということだったので行ってみることにしました。

なかなかの風情です。

ふだんならちょっと躊躇する道ですが、舒明天皇陵で整備?お手入れの作業員の人たちがいたので、何かあったら叫べば助けに来てくれるだろうと思って入って行きました。



せせらぎの中に歌碑。



なんとものどかな風景ですが、ここまで来るとちょっと野生動物が心配に。
柵のところが鏡王女の墓所だったので何とかそこまでは行きました。



近くに大伴皇女の墓所もあったようですが、コワくなって引き返してしまいました。
今度同伴者を募って行ってみようと思います(秋以降かな)。


ふたたび自転車にまたがって、次は赤坂天王山古墳を目ざします。

幹線道路を避けたらこんな道に!(;・∀・)
動物よけの柵ですよ、これ。

「マジかよっ!?」

わたし、子どもの頃に父親の鉄砲撃ちに連れて行かれて、ベースキャンプの家でイノシシの牙で体を裂かれたわんこを見たことがあるので、イノシシがめっちゃコワいんですよ。遭遇したら気絶するかも、ってぐらい。

いままでも明日香とか奥大和とか雪野山麓でイノシシの痕跡(足跡)を見たことがあったけど、ヒトが一緒だったのでまあ何とか耐えましたが、今回は一人。
イノシシに遭遇したら死ぬな、と覚悟しました。

いや、死んでもいいから古墳見たいってのはないんです。
命を懸けて見学するものではない。


赤坂天王山古墳。

古墳は大きな舗装通り沿いだったのですが。




まむしとかイノシシとかシカとか、看板にめっちゃ脅かされてですね!( ;∀;)

「(ヾノ・∀・`)ムリムリ」

って、入らずに帰ってきちゃいました。

ネットで調べた感じでは石室が見れそうだったんですが。

まむしもイノシシも下手したら命落としますからね。
最近はスズメバチもコワいし。

一人で遭難したら助かるものも助からないかもしれないし。

帰って来て報告書見て、見学した気になったところで赤坂天王山古墳終わり。




長谷寺があぢさゐ回廊(7月9日まで)をやっているということだったので長谷寺に向かいます。

忍阪から麓におりてきたら「長谷寺6キロ」の看板が。
「そんなにあるんか!?」
とおののきましたが、走ってみたら意外と近かったです。

再び近鉄大阪線を越え(南→北)、

大和川を越え、

長谷寺へ。



つづく。

メスリ山古墳 桜井茶臼山古墳2023年06月30日 11時03分05秒

6月9日の話です。

橿原神宮前駅前でレンタサイクルを借りていろいろまわってきました。
(↑打ち間違いではありません。「橿原神宮前」という駅の駅前という意味です)


まわったところ(太字はすでに書いたところ)
五条野丸山古墳(欽明天皇陵か?)
キトラ古墳・四神の館(白虎壁画公開が6月18日まで)
岡宮天皇陵
束明神古墳(草壁皇子墓か?)
文武天皇陵
高松塚古墳壁画館(御墳印をもらいに)
中尾山古墳(文武天皇陵か?)
野口王墓古墳(天武・持統天皇陵)
石舞台古墳(御墳印をもらいに)
岡寺(ランチ&参拝)
安倍文珠院(機位不明に陥り気がついたら門前にいた)
谷首古墳(機位不明に陥り気がついたら石室前にいた)
メスリ山古墳
桜井茶臼山古墳
宮内庁書陵部畝傍監区事務所(御陵印をもらいに)
橿原考古学研究所付属博物館(沖ノ島展が6月18日まで)



お昼からまわったところを書きますね。
といっても、迷ってうろうろしているうちにたまたまそこに出てしまったというところもありますが、盛るために「まわった」なんて言っています。



岡寺を出たあと、飛鳥寺の横を北上し、奈文研飛鳥資料館、葛ソフトの天極堂を横目にひたすら坂道をこいでこいでこいで、山田道を越えて桜井に入りました。

明日香から桜井に行く最短ルートかなと思ってここを選んだのですが、アップダウンがあってバッテリーをだいぶ消耗してしまいました(^^;)




スマホの位置情報はオンにしておいたのですが、赤信号で止まったときにスマホチェックして・・・・みたいな感じで相変わらずのこんもり航法主体で走っていたら、見つけました!


見事な3段築成!
メスリ山古墳キター!!(・∀・)
確認の為スマホをチェックしたら全然違う場所でしたorz
(メスリ山の前方部は2段築成)


安倍文珠院の脇で、なんかただの崖だったみたい(;・∀・)

奈良あるあるなんですが、ただの森が古墳に見えたり、ただの小丘が古墳に見えたり(笑)
※けっこうホンマの古墳だったりするのが奈良



せっかく来たので文珠院の入り口の石碑だけ撮ってきました。
中に入ったら古墳(文珠院西古墳、文珠院東古墳)もあったんですけどねー。
一度行っているので、とりあえずメスリ山古墳に行くことを優先してさようなら~(-ω-)/



迷って半泣きで自転車走らせていたら、遺跡看板らしきもの発見!
今度こそメスリ山来たか!?
と思いきや、「谷首古墳」と書いてある。
巨石の横穴式石室が開口していました。
しかし、今回はメスリ山古墳に行くことが目的だったので写真だけ撮ってさようなら~(-ω-)/



その後、あらためてグーグルマップを凝視し、どうやらこっちのこんもりがそうらしいと気づき、近づいたのですが。

こんもりは見えているのですが、接近する道がわからない( ;∀;)
たぶんこのこんもりです。
周辺(墳丘の南側)をウロウロしたのですが、接近する道が見つからず。
こんもりの下の住宅地もうろついてみましたが、墳丘に入る道がわからず。

いくら探しても見つからないのでもうあきらめて次の目的地・桜井茶臼山古墳に向かうことにしました。

諦めたときに限って見つけちゃう案内看板。

桜井茶臼山に行くために大通りに戻ったら、交差点に「こっち→」って矢印がありました。
今度こそたどり着けました!(^o^)


北側から接近しないといけなかったみたい。
今度こそ正真正銘、前期古墳の段築。
大きすぎて全体が入る写真が撮れないほど。
めっちゃ残っていましたよ。

しかし、解説板が見当たらず。

くびれ部の近くに墳丘に登れるような小道があったのですが、墳丘上は果樹園?みたいな感じになっていたので私有地かも?と思って登りませんでした。
帰ってきて調べたら国史跡だったので、入って大丈夫だったのかな。
しかし、午前中に束明神古墳で盛大に滑っていたので、入ってよかったとしてもやっぱり登らなかったかな。


これは橿考研の博物館に展示されているメスリ山墳頂部の円筒埴輪です。

これだけ見ても大きさがわからないと思いますが、吉野ヶ里の石棺の幅の倍ぐらいの直径があります。デブなわたしでも余裕ですっぽり入れる大きさです。寝返り余裕。
「どうやって作ったん?」ってレベルのおばけ円筒埴輪です。
日本で一番デカイ円筒埴輪じゃないかと思います。
被葬者もただものではないですよね~



メスリ山古墳に辿り着けてホッとしたところで、次は桜井茶臼山古墳に向かいます。

茶臼山古墳は、たぶんあそこらへんだろう、という場所はおおよそ見当がついていました。
そこを目ざしてGO!

しかし、なるべく国道を通りたくないわたしは裏道に入って迷ってしまい、寺川沿いをうろうろしまくってようやく裏から桜井茶臼山古墳に到着しました。
前方部端は国道にかかっています。



前方部端。
画像のすぐ左は車通りの多い国道165号線。

国道(南西方向)から見た桜井茶臼山古墳。
左側が後円部で右側が前方部です。
前方部の方が高いように錯覚しますが、傾斜地(後円部側に寺川があり、低くなっている)に築造されているのでここから見たらこんな感じに見えます。

桜井茶臼山古墳は従来、柄鏡形前方後円墳という前方部が開かずまっすぐのびるタイプの墳形と言われていたのですが、最近の測量調査で、前方部の先端近くがゆるく撥形に開いている案も示されています。箸墓ほどあからさまな撥形ではないですが。

宮内庁から陵墓指定されていないので測量調査だけでなく発掘調査も行われていて(2009年)、石室の様子や副葬品もある程度判明しています(残念ながら盗掘済みですが)。

そんな中で注目なのが鏡!
前期古墳から銅鏡が1面でも出たら「おおっ!」ってなります。
5面出たら新聞1面トップでしょう。
最近の発掘で鏡がたくさん見つかった古墳といえば柳本古墳群にある黒塚古墳です。
未盗掘で銅鏡34面。すごい!! フィーバー来ましたね~。※画像はレプリカ

桜井茶臼山古墳からも鏡が出土しているのですがなにせ荒らされたあとなので破片が多いです。が、分析の結果、なんと、81面!! これ、最低枚数です。副葬されたときは81面以上あったのでしょう。未盗掘で発見されていたらどんな騒ぎになっていたことやら。
ほぼ小さな破片ばかりなのですが、見る人が見たら鏡種や同笵鏡までわかるみたいですよ。すごいですねー。

ちなみに桜井茶臼山古墳の竪穴式石室は黒塚古墳の竪穴式石室のように断面三角形っぽい形ではなく(持ち送りという)、雪野山古墳の石室に近い形です。これよりもっと垂直に立ち上がっています。上と下、幅一緒じゃないのってぐらいまっすぐです。
石室の断面形だけでも注目してみたらおもしろそうですね。わたしはそんな余力ないけど。

先日、吉野ヶ里遺跡の箱式石棺に赤色顔料が残っていたって話題になっていましたが、わたしが見てもよくわかりませんでした。担当者の方が指差してくれてやっと「ああ、これかあ」って感じで(^^;)
前期古墳の未盗掘墳だったら上に出した黒塚や雪野山みたいな感じで赤色顔料が残っています。
これなら「指差して」とリクエストしなくてもわかりますね。







ところで。

「メスリ山と桜井茶臼山、初めて行って来たよー(・∀・)」
って投稿をしようとしただけなのに、行ってから20日以上も時間がかかってしまいました。

初期ヤマト政権におけるこれら2古墳の立ち位置を、古墳に興味ない人に軽く説明しようとして泥沼にはまってしまった――という(笑)

うまく説明できんので「そうだ! 図で説明しよう!(・∀・)」となって、図作成に熱中してしまっていたというのがホントのところです。
たぶん見ている人いないだろうな~と思いつつ(笑)



ここ半年ほど、わたしは電動レンタサイクルで大和盆地東南部(天理市南部・桜井市北部)の初期大和王権の墓域と言われている地域をうろついてきました。
昔から前期古墳好きと自称していながら、行ったことがなかったんですよね、あそこら辺の古墳。
もぐりだ(´・ω・`)



箸墓古墳が古墳の始まりというのは大方の研究者の一致した見解だと思います(ホケノ山などに関しては議論あり)。

大和盆地東南部の初期大和政権の大王墓の変遷としては、
箸墓古墳→西殿塚古墳→行燈山古墳→渋谷向山古墳
というのはほぼ異論なしの説なんですが、ここに桜井茶臼山とメスリ山を加えるかどうかで議論があります。

古墳が築かれた場所――箸墓古墳(単独)や大和・柳本古墳群からは離れた場所に立地。
墳形――2古墳とも前方部がまっすく延びる形態で、他の大王墓の形態とは異なっている。

位置関係はこんな感じです。
※古墳の大きさはイメージです(スケール関係なし)

実際に行かなくても、地図を見ただけでわかると思うんですが、桜井茶臼山とメスリ山は明らかに他の大王墓とは別地域にあります。
水系的にも違うのかな。そんなに大きな川ではないですが。いやそもそも当時もこの流路だかったのかどうか調べていないですが。

墳形もわかりやすい柄鏡なので、興味ある方は検索してみてください。「桜井茶臼山 墳丘測量図」とか「メスリ山 墳丘測量図」で出てくると思います。






そもそも「大王墓」とは?

その時期で一番大きな前方後円墳、だそうです(←詳しい人による)。




主要古墳の変遷図としては白石太一郎先生の変遷図が有名で、そこに研究者の自説や最新の調査結果を加えて改変したものがいくつも存在します。
ネットで「いいのないかなー?」っていろいろ見ていたら、大阪大学のサイトにわかりやすい白石図(改変版)が載っていました。
それを勝手に下敷きに使わせてもらい、ただの考古ファン・ひねもすまま説を加えた大和盆地東南部の前期古墳変遷図を作ってみました。
自他ともに認める珍説だと思うので引用転載厳禁でお願いします。


阪大図になかった大和古墳群萱生支群(マバカ、馬口山、ヒエ塚)も加えています。いちおう報告書なども見たんですが時期的にあっているのかどうかわかりません。いつものように「※イメージです」「※あくまで個人の感想です」程度の話でお願いします。もしかしたら「※個人の願望です」ってレベルかもしれません。

大王墓の流れはいじっていません(^^;)

変遷図を見ると、白石先生は箸墓→西殿塚→桜井茶臼山→メスリ山→行燈山→渋谷向山という流れを考えておられるようですね。


大和盆地東南部の大王墓の流れ(桜井茶臼山・メスリ山の立ち位置)に関して、いろんな先生方の説がまとめられた論文がありました(岸本2008)。
さらにそれにわたしが勝手に追加したものがこれです↓
岸本さんの表には岸本2008と東影2012はなかったので、わたしが加えました。
桜井茶臼山やメスリ山が他古墳の下に並置してある説に関しては、大王墓とみなさないということですよね。王権の流れは上の段、と。



わたしが最近話をした詳しい人も、白石先生と同じ説で大王墓6古墳という話でした。
変遷表で表現するとこういうこと↓
6古墳は時期的に重なっていないと。



地図で説明するとこんな感じです。




その一方で、王権は箸墓→西殿塚→行燈山→渋谷向山と移ったという説もあります。
桜井茶臼山とメスリ山は大王墓ではない、と。
変遷図で表すとこんな感じでしょうか。
桜井茶臼山もメスリ山も同時期にもっと大きな古墳(大王墓)が存在。
こうなると2古墳は王権内では「有力豪族」とか「大王の家族」という位置づけになるのでしょうか。
岸本さんは副葬品の軍事的色合いが濃いことから「王族将軍」という書き方をされています。

桜井茶臼山もメスリ山もただの豪族でないことはたしかでしょうね。墳丘の規模だけでなく埴輪も副葬品もすごいんで。


わたしには大王墓6古墳なのか大王墓4古墳+豪族2古墳なのかの判断はつかないので両説紹介しました。





桜井茶臼山とメスリ山に行ったので色塗りしました(*´▽`*)



※参考にした論文、発掘調査報告書は割愛

えんめん犬2023年06月29日 16時39分17秒

今日は西大寺に用事があって午前中から出かけていました。



ネットで探してランチしてきました。
RUDY。
こんなカフェがあるなんていままで知りませんでした。
西大寺の西側で、奈良線の線路の南側です。
入り組んだ住宅地の中ですが案内看板がちゃんとあるので迷わずに行けました。

1日10食限定とやらのロコモコ。
ハンバーグがわふわふでした。量もわたしにちょうどいいぐらいで大満足~♪

食後にドリンクがついて1000円でした。


第1の用事を済ませてから、第2の用事。
久しぶりの平城宮跡資料館。

何しに行ったかというと、最近登場した奈文研の新キャラ・えんめん犬のぬいぐるみを買いに行ったのです。

ついでに(!?)館内も見学。
展示はほぼ変わっていないように思いました。



ちなみに「えんめん犬」というのはこの「円面硯(えんめんけん)」を頭にかぶっているわんこです。


では登場いただきましょう、えんめん犬。
この子です!💗


暑い中、大極殿まで歩きました。
ペット持ち込み禁止の看板を無視して大極殿に侵入したえんめん犬。

警備員さんもいたけど、怒られなかったよ♪



手のひらに乗るサイズでちょーかわいいです。




平城宮跡資料館のミュージアムショップで、えんめん犬以外にも木簡ふせんも買ってしまいました。
使えないよね~(´・ω・`)



なぶんけん応援ガチャ(2台)とやらもあったのでまわしてきました。

1つはよくわからん缶バッジでしたが、1つはえんめん犬の缶バッジきました(・∀・)