入間航空祭 ― 2025年11月04日 19時25分27秒
みなさん、航空祭好きですかー!?
みなさん、ブルーインパルス好きですかー!?
わたし、この11月3日、初めて航空祭とやらに行ってきました(*´▽`*)
しかも事前に超激混み情報があった入間航空祭!(゚Д゚;)
トイレ、どうしたん!?
ですよね~💦
最寄り駅の駅で行列に並んで済ませ、基地内では行かずに済みました。
事後のニュースでは来場者26万人だったそうですよ!
ちなみに実家のある宮崎県西都市(面積438.6平方キロメートル)の人口は2万6千人らしいので、西都市民の10倍の人間が基地(面積3.2平方キロメートル、建物や滑走路込み)に押し掛けたってことですね! コワッ!(゚Д゚;)
移動(特に帰り)はもみくちゃ、展示飛行観覧時も大混雑だったけど、事故なく帰ってこれました。
意外だったのが、春海が物販コーナーに飛びついたこと(笑)
自衛隊とかあまり興味ないのかと思っていたら、物販コーナーに行ってクマちゃんのコスチュームぬいぐるみ3つ(海自2種類、ブルーインパルス1種類)、ブルーインパルスの機体のぬいぐるみストラップとか買っていました。全部自分用らしい。
更に意外だったのが、隊内の建物の外階段踊り場にたむろっていた若い隊員さんたちが手を振っているのを見て、春海も一生懸命手を振っていました。
こっちに気づいて手を振ってくれたらめっちゃ喜んでいました。子どもか!(*´▽`*)
親の付き合いでついて来たのかと思ったらそうでもなくて(笑)
雲が多くて、風も強かったので、ちょっと心配でしたが、ブルーインパルス、無事に飛びました。
パパが昔のデジカメのバッテリーをどこからか調達して久しぶりに撮影してくれた画像、出しておきますね。パパ的には納得いっていないみたいです💦












星形のきれいなこと!



お疲れ様ー!
ありがとうございましたー!
会場でひっきりなしに迷子のアナウンスが流れていました。
「こんなところに来るんだから子供にスマホぐらい持たせておけよ」
↑入場時の感想。
ところがですよ、展示飛行を見学する際、パパママ家、全員大人なのにはぐれました!(゚Д゚;)
パパと、ママ&春海ではぐれちゃったんですよ。
「はぐれたときはLINEな!」
と言っていたので、「いまどこにいるんや!」ってLINE送ろうとしたら電波がない!
電話も不通。
人が多すぎて、携帯使えない!!(゚Д゚;)
パパは背が高いのですぐ見つかるだろうと思ったら、なぜかほかにも同じぐらいの身長の人がけっこういて、見つからない!
あきらめてブルーインパルスは別々に見ました。
なのでわたしは春海と二人で見たんですけどね。
春海、意外と役に立つんですよ。
あの子、小さいときから歯科検診と視力検査で引っ掛かったことなくて、いまもメガネとかコンタクトレンズとか不使用です。
会場では展示飛行のアナウンスが流れていて、「前方、やや右寄りの方角から進入してきます」とか案内してくれるんですが、みな、見つけられず「どこ? どこ?」とキョロキョロ。
春海だけ、
「あ、来た。ほら、あそこ、あそこ」
と、周辺の人たちに比べずいぶん前から機体が見えているようでした。
(海軍航空隊向けじゃーん!)
と思いました。
わたしなんか春海が発見してから数十秒後にやっと見えるような状態ですからね。まったくお話にならんですわ💦
展示飛行が終わってすぐに会場を離れたのですが、基地内をぐるっと迂回して駅に向かい(大混雑)、行きにぬいぐるみを買った物販コーナーあたりでようやく電波を拾えました。
そこでやっとパパと連絡がつき、落ち合って駅へ。
大混雑の中改札内に入り、大混雑のホームになだれ込み、そこにやって来た電車に乗りました。
激疲れしましたが楽しかったでーす(*´▽`*)
パパは百里も行きたいて言うてます。
わたしはどちらかというと、新田原の方に行ってみたいかな。
百里は駅から遠いから自家用車がないと難しそうよ?
大宮に行きました ― 2025年11月06日 23時32分45秒
これは昨日の話です。

ふと思い立って大宮に行きました。
大きな駅でびっくりしました!
じつは行きたかったのは大宮ではなく行田の埼玉古墳群なのですが、調べたら駅から遠くてレンタサイクルが便利だと思ったんですが、お天気がもひとつで、いつ降り出すかわからないような空模様だったので、駅から歩いて行ける屋内――と探してみたところ大宮の埼玉県立歴史と民俗の博物館がよさげだと思いそちらに行ってみました。
事前にちょっと調べたんですよ。
「大宮駅から歩くのは遠いな」
「大宮で東武アーバンパークラインというのに乗り換えてひと駅で博物館の最寄り駅だな」
なぜそう思ったのかわからないですが、とにかく大宮で乗り換えました。

東武アーバンパークライン。
別に乗り鉄じゃないですが、乗車体験してみたくて1区間だけ乗ってみました。
北大宮で降りて改札を出たところで、
「あれ?」
どーも博物館の最寄り駅とは思えないほどのさみしい駅前。
何の案内もないし。
おかしいと思って改めてGoogleマップを開いてみました。
なんと! 最寄り駅はもひとつ向こうだった!!(゚Д゚;)
改札内に戻って電車を待つのもかったるいと思い、そのままあてずっぽ航法で博物館の方角目指して歩き始めました。
たぶん線路沿いに歩いていけば博物館の最寄り駅にぶち当たるなと思ったのですが、
「ここで曲がったら近道かもしれない」
と思ったところで曲がってみました。
そしたら住宅街に紛れ込んでしまったのですが、相変わらずのあてずっぽ航法で歩いて行ったらちょっとした木々の茂った場所の横に出ました。
「あれ? 神社っぽい」
と思って、正面にまわって覗いてみたら・・・・

「護国神社だ!」
この話をパパにしたら、
「それは呼ばれたんやで」
と言われました。
わたしもそう思う。
自分では「間違えて手前駅で降りた」「テキトーに歩いて行ったら神社の横に出た」とそのときは思っていましたが、どれもこれも必然ですな。
お参りしてから改めて博物館に向かいました。
あてずっぽ航法で大回りしてしまったけど、博物館にたどり着きました。
県博だけあって大きな博物館でした。特別展『大名と菩提所』もやっていました。

屋外の竪穴住居。

中の展示もおもしろかったです。
わたしは東国の歴史は詳しく知らないので、「へえー」「へえー」の連続でした。
解説員による展示解説など聞きました。

特別展には国宝の太刀(綾小路定利)も展示されていました。
すんごかったですよ、眼福でした(*´ω`*)
観るものが多すぎてお腹いっぱいになったのか、帰ってきてから民俗を見ていないことに気づきました。
博物館は公園の北端にありました。
公園内を南に下っていくと武蔵一宮の氷川神社があったのでお参り。

七五三の家族連れがちらほら。
お参りを済ませて駅に向かって参道を歩いていたら、

オサレな茶屋発見!!
「疲れたな。休憩しよう」

抹茶ミルクでひと休み。
自分が降りる駅を間違えたせいなんですが、昨日は15000歩弱歩いていました💦
行田を候補にする前は上野を候補にしていたんですよ。
上野の森美術館の正倉院(蘭奢待の匂いを嗅いでみたかった)と、科博の絶滅展。
どちらも「行きて―!!」だったのですが、調べたら大混雑しているということだったので、埼玉方面に変更しました。
電車は混んでいたけど、博物館は空いていて心行くまで見られてよかったです。
”穂積”の地の古墳を探る 奈良盆地中央部の古墳群 ― 2025年11月07日 22時56分36秒
文化の秋です。
上記の特別展がなら歴史芸術文化村で開催されていたので見に行ってきました。

天理、田原本、郡山南部などなど盆地中央部の古墳群にスポットライトを当てた展示でした。
時期はちょっと新しめ。
けっこう開発で消滅してしまっている古墳も多いようです。
いったいどんな層の人たちが葬られていたのだろうとあれこれ想像しながら見るのは楽しいですね。
埴輪がいーっぱいでした。ほぼ全部撮ってきたのですが、わたしの画質で見てもおもしろくないと思うのでちょっとだけにしますが💦



これは水晶塚古墳――郡山の古墳らしいんですが(゚Д゚;)――から出土した円筒埴輪ですが、口縁部に同じ線刻が入っていました。
会場では3兄弟ではなくじつは4兄弟で、右に1本はさんでもう1本同じ線刻入りの円筒埴輪がありました。
何か意味があるんでしょうね。
工人の違いとか工房の違いとか、あるいはほかの何か。きっと研究している人がいるでしょう。
とにかく展示品が多くて(埴輪)、ここでもお腹いっぱいになりました。
ちなみに無料です。
帰りにまるかつでコロッケとミンチカツの持ち帰りを頼んだら10分ほどかかると言われ、
「待っている時間が持てあますな」
と思い、ついソフトクリームを頼んでしまいました。

そうこうしているうちにすっかり夕方に。
帰り道の西山古墳feat,二上山

天理参考館(裏側)とイチョウ並木

天理参考館の向こうに見えているとんがり屋根は天理市役所です。
夕方はもう冷えますね。
近畿五芒星 ― 2025年11月09日 12時56分57秒
最近めっきりテレビを見なくなって、もっぱらYouTubeで心霊系を見ています。
原田龍二さんの『ニンゲンTV』というチャンネルをよく見ているんですが、最近、そこで「近畿五芒星」と盛んに言っているのを聞いて、
「近畿五芒星とはなんぞ?」
と不思議に思いネットで調べてみました。
こういうことらしいですわ。
京都の豊受大神社、滋賀の伊吹山、三重の伊勢神宮、和歌山の熊野本宮大社、兵庫の伊弉諾神宮(スイマセン、地図には「神社」と書いてしまっています)を線で結ぶと五芒星の形になると。
わたしは昔からムーとか好きなんですが、はっきりいってこういう●●と■■が直線上とか〇〇の形になるとか、そういうの、あまり興味ないんですよね💦
「こじつけてない?(^_^;)」
みたいな目で見てしまうんで。
まあ、奈良の遺跡で言ったら「唐古・鍵遺跡の真東に西殿塚古墳があるよな」「二上山と大神神社も東西並んでいるよな」ぐらいは意識していますが。
しかし、半信半疑だとしても、
「この五芒星に意味があるとしたら、その中心地にはめっちゃ意味があるんじゃないの!? 究極のパワースポットじゃん!(;゚Д゚)」
と思いません?
ネットで調べたら中心は「平城宮」と書かれているものがありました。
ホントにそうだろうか?
じつは「うちだったらいいな!(*´▽`*)」と思って調べたんですけどね!
角から線を引いて引いて引いて引いてしていったら、中心点が出ました。

五芒星図にGoogleマップを貼り付けたもの。
黒い点が中心地です。
どーこーだー!?
平城宮というより、やや西方の秋篠寺の北方を指していました。
そこにはいったい何がっ!?
産直市場よってって秋篠店だ!
わたし調べでは近畿五芒星の中心は産直市場よってって秋篠店!
冗談で書いているんじゃなくてけっこう本気で言っています。
秋篠寺の少し西側で銅鐸も出土していますし、いまだ知られていないだけで産直市場よってっての地下には古代史上重要な意味のある遺跡が埋もれているのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第。
土浦 神龍寺 霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔 ― 2025年11月11日 15時59分07秒
10月30日に土浦の神龍寺に行ってきました。
神龍寺といえばこれ↓

浅川さんのアルバムにあった雄飛会慰霊祭らしき集合写真。
この写真に関しては以前に書いているのでそちらをどうぞ。
この写真に関して調べていた時に、神龍寺さんにも問い合わせをしていました。
手紙で写真のコピーも送って見ていただいていました。
「連絡してから訪問しますね」
と言っておいたにもかかわらず、今回、直前に行くのを決めたため、アポなしで行ってしまいました。

行って、ふらっと寺務所を訪ねてみたところ、手紙のことも覚えていてくださってこころよく対応してくださいました。
・戦前の雄飛会慰霊祭に関する資料は残っていない
・本堂は建て替えしているけれど位置や向きはかわっていない
・明日、花火関係者や航空殉職者の慰霊祭がある
とのことで。
お忙しいときにスイマセン💦
ちょっとお話をして、あとはひとりで境内を見学させていただきました。

現在の本堂。
車のある位置ぐらいに予科練生たちが居並んでいるんでしょうかね。

秋元梅峰和尚の胸像。
本堂の前、右寄りの茂みのところにあります。

雄飛会慰霊祭の下半身もある和尚像。
こういう文化財もあるそうです。
※一般公開なし

境内には霞ヶ浦海軍航空隊の航空殉職者供養塔もあります。
裏にも回ってみたのですが、いつの建立かわからなかったです。ふつうは石碑自体に書いてあると思うんですが・・・・。
帰宅後ネットで調べたら「昭和10年建立」と書かれたサイトがありました。
向かって右の碑
【上段】
海軍大尉 上田善夫(兵44)大正11年6月21日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍少佐 小牧猛夫(兵40)大正12年3月27日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍一等水兵 成松賢次(操3)大正12年4月28日叙勲※「霞ヶ浦航空隊関係(2)」に詳細
海軍大尉 青山哲次郎(兵48)大正13年1月29日叙勲資料では「哲二郎」※安藤中尉機と衝突
海軍大尉 片桐雄司(兵48)大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍二等機関兵曹 伊奈仲二( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍三等兵曹 髙井浩一( )大正13年5月30日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 吉永彌太郎(兵48)大正13年12月19日叙勲※山﨑大尉、髙倉技手と同衝突事故
海軍一等水兵 大塚志賀之助( )大正14年3月17日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 水永利應(兵49)大正14年4月14日霞ヶ浦神社合祀者名簿
【下段】
海軍中尉 小島兼男(兵50)大正14年6月29日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍特務中尉 髙澤祐次郎( )大正15年3月25日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍大尉 西岡三郎(兵50)大正15年7月10日
海軍三等兵曹 佐藤 忠( )
同 眞田武雄( )
海軍大尉 髙木恒三(兵52)昭和4年10月18日
同 澁谷誠馬(兵55)昭和6年8月22日※定宗1空曹、小内3空曹同乗墜落
海軍二等航空兵曹 小内忠次(操14)昭和6年8月22日祭粢料下賜※渋谷中尉、定宗1空曹同乗墜落
海軍少佐 長坂盛二郎(兵52)昭和7年9月3日叙勲
海軍三等航空兵曹 津久井覺治(乙2)昭和9年11月22日
向かって左の碑
【上段】
海軍少佐 奈良寅男(兵42)大正11年8月5日叙勲
海軍二等機関兵曹 羽鳥友三郎( )大正12年3月28日叙勲※3月27日墜落
海軍大尉 安藤繁信(兵48)大正13年1月29日※青山中尉機と衝突
海軍少佐 髙橋道夫(兵44)大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍一等兵曹 介川與四郎( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍三等兵曹 髙橋善三郎( )大正13年3月19日※海軍飛行船SS3号殉職者
海軍少佐 山﨑謙三(兵47)大正13年12月19日叙勲※吉永中尉、髙倉技手と同衝突事故
海軍技手 髙倉要政( )大正13年12月19日叙勲※山﨑大尉、吉永中尉と同衝突事故
海軍三等兵曹 松永繁視(操7?)大正14年6月25日叙勲
【下段】
海軍二等兵曹 山本恒太郎(操3)大正15年2月4日叙勲
海軍一等兵曹 田中兼男( )大正15年3月25日霞ヶ浦神社合祀者名簿
海軍少佐 濵本光雄(兵46)大正15年12月18日叙勲
海軍三等兵曹 古賀 清()昭和2年1月19日御菓子料※19日事故20日発見
同 本廣岩雄(操12)昭和3年1月19日飛行機遭難の件
海軍中佐 小野虎太郎(兵43)昭和5年8月1日※津久井金四郎中尉、肥後道盛2空曹と同乗
海軍航空兵曹長 定宗英之( )昭和6年8月22日※渋谷中尉、小内3空曹同乗墜落
海軍少佐 西島綾夫(兵48)昭和7年4月23日叙勲※4月20日行方不明
海軍三等機関兵曹 金澤隆八(操25)昭和9年11月20日j叙勲
海軍三等航空兵曹 坂井常喜(乙2)昭和10年1月31日
海軍二等水兵 藤澤辰次郎(操30)昭和10年9月20日叙勲
※石碑は殉職後の階級と氏名のみ(太字部分)。それ以外はわたしが追記しました。
乙2期の方のお名前があったので驚きました。

津久井覚治さん(群馬) 水上機操縦専修

坂井常喜さん(福岡) 艦上機操縦専修
津久井さんは殉職されたとわかっていたのですが、坂井さん。
雄飛会戦没者名簿では「疾病入室中に病死」となっていたので、
「病死の方も殉職者慰霊碑にお名前が刻まれるのか」
と不思議に思いました。
帰宅してあらためて調べたところ、坂井さんは訓練中錐揉みを回復できずに墜落死されていました。病死ではなく殉職。詳細な報告書がアジ歴にあり。
乙2飛練の霞空時のオフィシャルな集合写真は浅川さんのアルバムに3枚ありました(行軍写真除く)。
おそらく撮影順は下の通りだと思います。

艦上機操縦専修生たち。

この集合写真にだけ坂井常喜さんが写っています。

艦上機操縦専修生たち。
坂井さんだけ写っていません。

こちらは修業記念の集合写真と思われます。
艦上機操縦&水上機操縦専修生たち。
坂井さんも津久井さんも写っていません。なぜか建山逸馬さんも写っていません(建山さん不在の理由は不明)。
津久井さんの飛練時代の写真はないだろうか?
と思って、同じ水上機操縦班だった松永喜三男さんの写真を見返してみたのですが、津久井さんだとわかる写真はありませんでした。
時期的に、津久井さんが写っていそうな写真が1枚だけありました。

乙2飛練と操練25期生の筑波山登山の記念写真だそうです。
昭和9年9月16日だということで、もしかしたらこの中に津久井さんも写っているかもしれません、
お顔からはちょっと探せないです。
※土浦神龍寺の現在の写真以外は浅川さん・松永さんご家族ご提供





