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豊田さん 大分空教員時代2021年04月30日 17時18分16秒

豊田さんの写真の中に気になる1枚がありました。
※気になるのは1枚じゃないんですが



台紙に書き込み、
「大分空教員時代
末田分隊士と俺
上の公園西郷さんの銅像前にて
思い出の記念」
とありました。


末田分隊士というのはおそらく末田利行さんのことですかね。
『日本海軍戦闘機隊2 エース列伝』には17年10月に飛曹長に進級と書いてあるんですが・・・・。

そもそも、この写真を見たとき、
「豊田さん、大分空で教員をされていたのか!?」
とビックリしたというか(^^;)

アルバムの写真に大分空教員時代とはっきりわかる写真はこれしかありませんでした。
末田さんが17年10月に飛曹長に進級ということであれば、この写真はそれ以降、豊田さんがミッドウェイで大けがをされ復帰後の話だな・・・・と思っていたのですが。


愛媛の知人が豊田さんの回想録を送ってきてくれて、解決しました。

真珠湾攻撃前に豊田さんは加賀の戦闘機隊にいたのですが、開戦直前(豊田さんの回想では「十月の頃であったと思う」)突然大分空への転勤命令が!

そして真珠湾攻撃後、17年になった早々に再び加賀へ。

なので豊田さんは真珠湾攻撃には参加(同行)していません。

それ以降、大分空勤務はないので上の写真は16年10月ごろ~17年1月初、ということになります。
エース列伝の末田さんの飛曹長進級時期が違っている?



ん?
待てよ。16年10月なら飛練10期(乙9期)が大分空にいたぞ。

と思って、飛練10期大分空の卒業写真を見てみたら、豊田さんらしき人が教員列にいるじゃないですか。

同じ写真を持っている人、奥村武雄教員の右隣りは豊田さんではないですかね?
ご意見募集中です。

末田さんは・・・・豊田さんの右隣りの下士官さん?
飛練10期卒業時点ではまだ下士官ですか?
写真から推理していいならば、末田さんは16年10月末の飛練10期卒業時点ではまだ下士官で、その後、豊田さんが17年初に加賀に転勤するまでの間に飛曹長に進級したと。その後上野公園でのツーショット。

スイマセン、写真からの推理なので何か出てきたらドーンと書き直すかもしれません(^^;)




豊田さんの大分空教員時代。
タイミング的に飛練10期はひと月も教わっていないと思われますが、接点があったのかー、海軍はホント狭いなーと思ったのでした。



ところで末田さんと豊田さんはこの時期に何をしに東京に行ったのだろう?
上野公園は散策?(^^;)






20210501、0015追記
知人から連絡をいただきまして(^^;)
末田さんの飛曹長進級は17年10月31日とのこと。
末田さんが所属していた252空の行動調書を調べたら、17年12月25日のムンダ基地上空警戒任務がどうも戦地での初出のような?
なので、上野の写真は17年11月~12月中頃(←遅くとも)までの間に撮られた写真かな?
末田さんが戦地に行かれた時期がわかればもっと絞れると思います。

当時、豊田さんは富高で教員。
飛行機の空輸などで上京してたまたま大分時代の先輩教員・末田さんに会ったのかな?
大分空当時、末田さんは下士官なので豊田さんが「末田分隊士」と呼ぶ機会はなかったと思われるのですが、再会したときに飛曹長に進級していたので「末田分隊士」と書かれたのかな?


あ、それと飛練10期の大分空の集合写真の教員も豊田さんだと同意を得られました。



※画像は愛媛零戦搭乗員会ご提供

西義武さんの写真2021年04月22日 00時46分06秒

9期の写真を見返していて、またまた見落としていた人を見つけてしまいましたorz





左が9期の隅倉慧さん(戦後生存)であることはちゃんとわかっていました。

初めて見たときは、

「右は9期生じゃないな。横須賀時代で1空の階級章? 誰や? 先輩やな」

で終わっていた写真です。




何年か経って、あらためて見て(さっき)、

「あ! 西さん!!」

拡大して見てすぐにわかりました。

7期の西義武さん

隅倉さんと同郷(熊本)です。

ペンネントは「横須賀海軍航空隊」、階級章が1空ってことは7期の卒業式の日かな?

隅倉さんは西さんと仲良しだったんだろうな。



なんかうれしいんですよねー。
わからなかった人がわかると。


※画像は9期生ご家族ご提供

予科練入隊時私服写真2021年04月05日 19時45分13秒

先日、見せてもらった7期生のアルバムに、入隊当日の私服姿の写真が貼られていました。

顔ぶれは違います。
2枚で7期総員なのか?
帽子のひさしでお顔がよく見えない人がいるんでまだ照合はしていません。

が、お顔がはっきり見えてすぐにわかった人も!
小見山さん(上)や西澤さん(下)はすぐにわかりました。
おふたりとも19年ごろの写真と比べるとやはり”少年”という感じです。

書き込みがあり「入隊当日、高台」と書かれていました。
予科練の裏ですかね。9期の「おもいで」にも出てくる場所です。



たぶん同じ場所。9期と10期。東日本の一部の県出身者。
10期生がいるので、これは入隊当日ではなく試験で横須賀に集まったときに撮ったものと思われます。






じつはですね。

もう1期分あるんですよ。
乙2です。昭和6年。
昭和11年の7期や昭和13年の9期10期とも雰囲気が違います。


これは乙2の浅川三雄さんのお写真です。
息子さんが送ってくださいました。
浅川さんは9期が操偵適性検査をした筑波空百里原分遣隊の教員でした。

操練35期の原田要さんが浅川さんのことを覚えておられて、教員集合写真を見て氏名を書き込んでくださったんです。
それで浅川さんのことをブログに書いたら、息子さんが見つけてくださったと。
原田さんには一度もお目にかかれなかったのですが、ご教示がなかったらブログに書くこともなかっただろうし、そういう意味で原田さんのお引き合わせだと感じています。


他にもたくさん写真を送っていただいているので、[乙2期]のカテゴリを新設しちゃいました。
(”乙”と書かれるのはご本人たちはどうかなとも思うのですが、流れ的に乙9期の直接の先輩であるのでわかりやすくするために”乙2期”としています)
上の私服写真もそうですが、他の写真ももうちょっと撮影状況や写っている顔ぶれなど研究してから出そうと思っています。


7期生のアルバムも出せる写真から紹介しようと思います。


※画像は2期生ご家族、9期生ご遺族、Mさんご提供

操練44期 那賀福夫さん2021年04月03日 23時17分48秒

7期生のアルバムに貼ってあった写真。

この写真は台紙に書き込みがありました。
前列左の白いシャツの下士官は「荒瀬兵曹」。
その横、「坊や」。
後列左、「佐乃」。→7期の中攻操縦・佐野重作さん。
右、「那賀」。

この写真の左にもう1枚同じ大きさの写真が貼ってあり、2枚の間に「木更津ニテ」「14.10.」と書かれています。
7期の中攻操縦員たちは14年8月から11月初まで木更津で「第4期大型機新搭乗員特別教育」(7期山口良一さん履歴より)を受けています。

左側の写真も7期中攻操縦員4名です。なので2枚の写真はともに14年10月に木更津で撮られたものであろう、と。


わたし、この写真↑を見たとき、
「あーっ!!」
って叫んじゃいました。

荒瀬兵曹が写っていたからです。

操練の人です。
操練の方には疎いですが、わたし、これ以前に、荒瀬さんのことを認識していました。
といっても、認識してまだ日が浅いですが。




同じ方のアルバムに木更津での大型機講習(アルバムの書き込みでは「第四期中型攻撃機講習員(操縦専習) 14.10.28.」)の記念集合写真が貼られていました。7期生たちは下士官(3空曹)になっています。
山口さんの履歴によると下士官任官は14年11月1日なので、書き込まれている日付は「?」です。
この写真、アルバムより先に単独で見せてもらったんですが、そのときに写っている7期生はほぼ全員把握しました(たぶん)。

中に数名、どうしてもわからない人や、「6期生に似ている」と思う人がいたのでいつものKさんにお助け願いました。
6期の蓬田利光さんが写っていました。
他に何人か「操練の〇〇さんも写っている可能性が」とご教示いただいた中に操練35期の荒瀬太一さんがいました。荒瀬さんの写真も送られてきました(飛曹長時代)。
それをもとに探したけど、そのときはわからなかったんですよね(^^;)
「もしかして、荒瀬さん、ここにはいない?(^^;)」

で、上の写真ですよ。

「荒瀬さん、いたー!!(*´▽`*)」

あらためて第4期大型機――の集合写真を見てみたところ、講習生集団の右、ちょっと離れたところにある別枠、これが荒瀬さんなんじゃないかと。

アルバムを探したら、他にも荒瀬さんっぽい写真がありました。→荒瀬さんに関しては別に書くつもりです




いちおう、写っている人はわかる範囲でどういう人か知りたいじゃないですか。

まあ「坊や」はどうにもならんとして、「那賀」という人が気になりました。
「那賀」さん

第4期大型機――集合写真の方にも写ってます。
下士官服の不明者は上のクラスの可能性を考えていちおう6期の操縦専修生と照合してみたんですが、現時点でわかったのは蓬田さんだけです。
ジョンベラの人は操練の人だろうからわたしにはわからんな、と諦めていました。

なので、今回のアルバムの木更津スナップ写真で「那賀」さんというお名前がわかったのは大収穫でした。

操練ならKさん。
Kさんご提供の操練名簿で探したところ、操練44期に那賀福夫さんという人がいたので、
「操練44期の那賀福夫さんの可能性は?」
と尋ねてみたところ、「那賀」さんはほかにいないのでたぶん間違いないとのこと。

諦めていた人が判明したぞー。

↑どなたかわかるとうれしいものなのです


んで、同じメールの末尾に、
那賀さんは9期の石井三郎さんと南弘明さんとともにニューカレドニアの捕虜収容所で自決された人ですよ
って書いてありました。



ええっ!?

ってビックリして慌てて自分のブログを見返しました。


わたし、そこに那賀福夫さんのお名前を書いていました。

記憶力の無さがうらめしいorz

那賀さんは南さんが18年2月4日に「戦死」したときのペアの主操です(751空)。
おそらく不時着水したのでしょう。機体から脱出後一緒に漂流して最終的に捕虜になってしまったのでしょう。
そして上の記事に書いたように、脱走計画が露見してその責任を取る形で、19年1月9日に自決・・・・。

こんな形で偶然にも9期生とご縁がある人とつながるとは。


※画像はMさんご提供

乙9期 山下栄松さん2021年03月23日 10時32分26秒

熊本出身、戦闘機。
生存者の方です。


入隊時、7班班写真。

山下さんは氏名入り班写真以外に、少人数の写真がかなりあります。



たぶん地元紙掲載用に撮られた記念写真。
熊本県出身9期生たち。




7期生卒業時の乙飛熊本出身者集合写真(7~9期)。





辻堂演習。



霞ヶ浦時代。土浦旅館(裏書)。
8期生卒業に際して熊本出身者で集まってお別れ会をしているみたいです。




こちらは隊内での8期卒業記念写真(熊本県出身者、8~11期)。




熊本出身9期生。



3学年時の班解散会(たぶん)。


卒業アルバムの寄せ書き。

熊本出身操縦分隊で寄せ書きにお名前の記載がないのが山下さんと上田誠さん。
なので、どちらかが山下さんで、もう片方が上田さんだと思います。






飛練谷田部。

飛練谷田部修業記念。



中練の後は、宇佐で艦爆の実用機訓練。
飛練卒業後、戦闘機に転科。佐世保空(出水、大村)。

この頃のことは、戦没者への「おもいで」にちょこちょこ書いています。
遠藤桝秋さんへ)「色男だった。宇佐空で下宿の娘さんが惚れとったらしいが、後は知らぬ、阿部健ちゃんどうだろう」
話を振られた阿部健ちゃんが完全スルーしてしまったので、真相はわからずじまいです(´・ω・`)

西山昇さんへ)「飛練延長教育は一緒であった。宇佐空の休日、駅館川へ冬の寒さに負けず素っ裸、褌一つに大きなザルを持って川魚を取りに行った。小エビが少しとれた。町の道行く人は、「気狂いなあの人達は」とよく言った」

紺野高司さんへ)「大村空飛練で一緒だった。たまの外出に遠藤・大石らもよく一緒に歩いた。「色は黒いが俺ぐらい女にもてる男はないぞ。どうだそう思わんか」飲みに行っても飲まんでもいつもそう言ってみんなを笑わせた」
※遠藤桝秋さん、大石芳男さん

中村さんは「大村飛練」と書いていますが、宇佐空卒業時点で特技章をもらっているはずなので、正確には「飛練」ではないです。一人前の搭乗員扱いされているのでお酒も好き勝手飲んでいます。



このあとのことがよくわかりません。
Kさんからいろいろ聞いてはいるのですが、行動調書などで山下さんのお名前を見たことがないんですよね・・・・。
怪我か病気がされて一時戦線離脱されていたみたいです。


唯一、山下さんの足跡がわかるのが乙16期の惣門秀男さんの日記。
出身地の福岡県飯塚市のデジタルミュージアムで公開されてます(知人のMさんご教示)。

惣門さんは飛練32期・戦闘機専修生として大分空に入隊するのですが、そのときの分隊の先任教員が山下さんだったのです。
ざっと読みましたが(^^;)
もう、なんとも形容しがたい飛練生活でして(^^;)
いまの価値観ではかってはいけないとわかっていても微妙な気分になります。
罰直がひどかったみたいで。
あ、山下さんがそういうことをやっていたという記述はありません。他の教員たちです。が、その中の一人が知っている人(?)で、うーん、戦没者の方ですが、K上飛曹からもいろいろと話を聞いていた人なので、あー、その、何と言いますか。
公開されている日記、伏せてもしょうがないので書きますが、10期の門田さんなんですけどね(^^;)
相当恐ろしかったみたいです。
先任は山下さんです。止めてあげればいいのにと思わないでもないんですが、まあ、そこら辺の機微はよくわからんです。

ただ、一か所、気になった記述がありました。
それまで他分隊だった門田さんが受け持ち練習生の卒業をきっかけに惣門さんたちの分隊に配置換えされて来たそうなんです。
「そして皮肉にも俺達の班に入って来た」
それまでにも散々やられているんですが、とうとう直属になっちゃったと。
「彼が来た始めての夕食で一口、二口飯を食ふなり、ベッベッと吐き出して「野郎俺に皮飯を食わしやがった」とポンと箸を投げ出して出て行ってしまった。食卓は一時に白け渡って飯の味がない。故意にかその時の班長(彼とは予科練で一期先輩の乙九期)も彼の態度に一瞬不快な顔をしたのを俺は見逃さなかった」

予科練の倉町教官も、
「各期にはそれぞれ持ち味がある。九期はおとなしい期であったが、十一期は更に輪をかけて控え目な期である。彼らは弱いのではない。覇気がないのでもない。強いて言えば、派手を好まぬ期とでも言おうか。「風林火山」の文字にあてはめると、九期、十一期は「林」「山」であり、八期、十期はさしずめ「風」「火」にあたる印象を私は受けた」
と言われているように、9期の人たちは全体的におとなしくて、10期は「そうじゃない」みたいな印象ですよね(^^;)
そりゃ、個別にみればいろんな人がいるんですよ。
でも、惣門さんの日記を読むと山下さんは9期の「林」「山」の典型で、門田さんは10期の「風」「火」の典型だったのかなという気がします。

9期と10期は一緒に入隊試験を受けて、5ヶ月時期をずらされて入隊した、いわば双子の兄と弟みたいな期です。
予科練時代はおそらく9期は”先輩”として君臨、指導していたんだろうと思うんですが(^^;)
この教員の時期にはすでに階級も追いついています。
9期と10期の関係についてはわたしにはちょっと想像できないような微妙なものがあったのかもしれません。




終戦時飛曹長。



※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供