伏せてない!(・∀・) ― 2022年05月17日 11時00分13秒
昨日、ちょっと図書館で調べ物をしました。
戦時中の新聞(縮小版)閲覧。
調べていたことと関係ない見出しに目が留まり、
「これはもしや!」
とざっと読んでみたら、やはりそうでした。
『片翼で帰る洋上数百浬 天晴れ少年航空兵』
昭和17年1月25日の朝日新聞です。
見ていたのは新聞の縮小版ってやつ。めっちゃ文字が小さいんですよ。
フツーの新聞の文字すら読めないのに、縮小版なんか簡単な漢字とかなぐらいしか読めません。
「拡大コピーして読むで(・∀・)」
コピー申請しようとしたら、わたしに申請資格がないことがわかり断念orz
しかたがないので、いったん老眼鏡を取りに戻り、手書きで写してきました。
それでも、読めない漢字がありました。
近くにいた若い人に読んでもらおうかとも思ったのですが、コロナ禍でもあるし、あまり他人に接触せん方がいいかなと思ってあきらめました。
記事は紙面中ほどにあり、写真もない文字だけの記事で小さかったです。気づいたのは自分でもGJと思いました(自画自賛)。
引用します。記事中の「○○」はおそらく軍の検閲か新聞社の自主規制かで伏字になっている箇所です。「■■」は画数が多くてわたしが判読できなかった文字。もしかしたら「読めた」と思っている文字の中にも、わたしが読み違えている文字があるかもしれません。旧字などはわたしが読みやすいように直しています。
『片翼で帰る洋上数百浬 天晴れ少年航空兵
【○○基地にて足立特派員二十一日発】二十一日夕方○○基地に凱歌があがった。安否を気遣われていた○○機が片翼数百マイルの難路を■■、無事基地へ帰還した。
この朝○○機は僚機とともにセレベス東岸の敵空軍基地に索敵攻撃を行った。例によって激しい地上砲火であった。○○機はぐっと機首を下げるや機関銃陣地に突進して猛烈に銃撃を浴びせかけた。さらに前方のトーチカ陣地に機銃掃射を加えんとした瞬間、翼は大きく左へ傾いた。”やられた”と○○三飛曹が翼を見ると左翼は日の丸のところから大きくちぎれて飛んでいる。○○三飛曹は夢中で操縦桿を右へ引いていた。そしてようやく立直った。地上すれすれであった。かくて九死に一生を得た○○森田機は僚機に遅れること○時間、単機よく洋上の難コースを突破して○○基地の上空に帰って来た。
○○三飛曹は少年航空兵として巣立ったばかりの初陣の放れ業だ』
笑ってはいけないけど笑っちゃった記事。
「○○機」→「○○三飛曹」→そして「○○森田機」。
だんだん正体を明かし、最後は全然伏せていない(笑)
伏せる前の原稿には「森田機」「森田三飛曹」って書いてあったのでしょうかね。伏せる過程でミスがあり「○○森田機」と出してしまったんでしょうね。ありがとうございます(・∀・)
ここがなくても9期の森田勝さんのことだとわかるんですが、お名前が出ていたのを見てうれしかったです。
この記事、わたしは初めて見たのですが、森田さんに取材しないとわからない事柄が書かれていて、
「森田さんが記者さんに取材されてしゃべったんだろうなあ」
とそのときの状況を目に浮かべて泣きそうになりましたよ。
もしかしたら、森田さんが上官に報告し、上官が記者対応をしたのかもしれませんが、それでも森田さんの口から報告された事項でしょうから。
3空行動調書(アジ歴)
17年1月21日
ケンダリ―飛行場索敵攻撃
0945 メナド基地発
1045 バンガイ
11■5 ケンダリ―上空 空地敵機を見ず 地上銃火熾烈、敵機銃陣地を銃撃 三番機1150頃低空銃撃■左翼に被弾翼端日の丸部より飛散 其儘帰途に就く
1235 誘偵、一、二番機帰途に就く
1315 バンガイ
1415 メナド帰着
1420 三番機単機帰着
大尉 山口定夫
三飛曹 野村茂
三飛曹 森田勝
誘偵 三飛曹 高橋武 一飛曹 木崎義丸

これは森田さんの戦死後に3空所属になった大澤芳夫さんがお持ちになっていたものですが、同じ写真が森田さんのご実家に残っていて、そこにはこの時の状況が余白に簡潔に書き込まれています。「○○機」と伏字表記があるので、ご遺族の方が新聞記事を書き写したものか、記者さんが書き込んだものをご遺族に送ったものなのか。そのあたりの事情はわたしはわかりません。
この写真はわたしが見た新聞には掲載されていませんでした。
※画像は大澤さんご家族ご提供
埼玉県出身者集合写真 ― 2022年05月11日 15時00分59秒
蒼龍12分隊はつづけていますが、ちょっと置いておいて、こちらの写真。

9期、島田清守さんの遺品の中にありました。
前から3列目の中ほどに乙10期の鈴木善三郎さんと田中武三さん、4列目の左から2人目に島田清守さんが写っていることから、
「埼玉県関連だろうな」
とは思っていました。

島田清守さん

鈴木善三郎さん

田中武三さん
6年近く経っておおよそわかったような気がするので、忘れないうちに書いておきます。
この写真、めっちゃレアかもしれません。
いやー、他府県も撮っているのかもしれませんが、わたしは見たことがないです。
どこがレア?
「乙と甲、一緒に写っている!!(;゚Д゚)」
島田さんの階級章が2等航空兵(2空)、乙10のおふたりが3等航空兵(3空)の階級章をつけています。
ペンネントは「霞ヶ浦海軍航空隊」。
「8期も写っているのかな?」
と思い、卒アル写真を見せていただいたときに探したのですがわかりませんでした。
最大の問題は1等航空兵の階級章の人や善行章付きの人が写っていること。
「なんでや?」
と、ずっと疑問でした。
島田さんが2空のときに乙飛で1空や善行章付きの学年はいませんからね。
※8期は卒業(14年9月1日)と同時に1空に進級
最近、甲4期の個人写真を見せていただく機会があったのでこの写真と照合してみたところ・・・・。
いるし、いるし(^^;)
※甲4は操偵、消息など取り組んでいないので氏名だけ

木村安三さん

渋谷忠作さん

青木豊二郎さん
(豊三郎という記載もあり)

新井嘉年男さん
蒼龍艦攻隊11分隊から、島田さん転出後(17年1月)に12分隊に移ったと思われる人です。

林正一さん

金子正さん
1等航空兵の一部は甲4の人たちでした。
写っているのが確実になったクラスで、階級から時期を推定してみました。
斜線の網かけの部分が条件に合う期間です。
14年8月1日~15年12月31日までの間に撮られたものでしょう。
が、軍服が1種なので夏季を除きます。8期が卒業した9月1日はまだ2種軍装でこの写真撮影時にはやはり8期はいなかったもよう。
なので、9月~に限定可かな。
いや、待て待て。
この時期だと、他にも在隊しているクラスがあるだろう。
というわけで、結論版。
乙飛だと11期も在隊、甲飛だと甲3と甲5も在隊ということで。
※追記
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん
甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん
甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん
写っている可能性のある乙11、甲3、甲5の練習生も書いておきます。
乙11
富永常雄さん
遠井勝雄さん
斎藤正夫さん
大野正三さん
石森昇之助さん
甲3
吉野菊雄さん
森屋利喜さん
野本敏夫さん
田中信太郎さん
田中作衛さん
関根知幸さん
菅谷重春さん
高坂登代次さん
甲5
駒崎文男さん
白根好雄さん
甲5は期間途中の14年10月1日入隊なので、それ以前に撮られていたら甲5は不在ということになります。
兵階級の人に書き込みをしたバージョンも出しておきます。※下士官はおそらく教員
1空の階級章が見えている人が6名、あるいは1空か2空かわからない人(飛行機がクロスしているのは見えるが桜があるかないかは見えない)が2名、善行章や階級章・特技章などから予科練生ではないと思われる人が6名、袖がまったく見えない人8名。
埼玉出身乙飛甲飛生ですが、乙9が1名、乙10が2名、乙11が5名、甲3が8名、甲4が6名、甲5が2名です。わたしの数え方が間違っていなければ。
このうち、乙9・乙10・甲4は全員わかっているので、あとわからないのは乙11の5名、甲3の8名、甲5の2名。
1空の階級章が見えている6名は全員甲3の人なのでしょう。
1空か2空かわからない人が2名いますね。
「さすがに甲飛がいくら進級が早いといっても14年10月1日に入隊した甲5が年内に2空にはならなんやろ」
と思って、甲4の進級日を調べたら、
14年4月1日 4等航空兵(入隊)
14年5月1日 3等航空兵
14年5月16日 2等航空兵
14年6月1日 1等航空兵
「なっとるし!?(;゚Д゚)」
入隊後2ヶ月で1等航空兵になっていますよ!
乙飛、激おこですよ!
ちなみに乙9、
13年6月1日 4等航空兵(入隊)
13年9月1日 3等航空兵
14年6月1日 2等航空兵
14年6月1日 2等航空兵
15年6月1日 1等航空兵(これでも8期より早い)
思い出しました、甲3もこのスピードで進級していてびっくりしたことを。
甲5の実際の進級日は調べていませんが、同じような感じだったのでしょうか。
というわけで、もし、甲5入隊後に撮られた写真であれば、1空か2空かわからないお二人は甲3か甲5の人なのでしょう。
袖が見えず、予科練生かそうでないのかわからない人が8名います。
ここにおそらく乙11の5名+甲3か甲5の残りの不明者2名が含まれているということでしょうかね。
※全員いると仮定して
もし、甲5が入隊する前に撮られた物であれば、1空か2空かわからない2名は2名とも甲3の人で、予科練生かそうでないのかわからない8名は乙11の5名と他科の兵3名ということになりますかね。
甲5が写っているのかいないのか(撮影時期に関わる問題)、白根好雄さんと駒崎文雄さんのお顔がわかれば解決する話です。もし、おふたりのどちらかでもお顔をご存じの方がいればご一報いただければ<(_ _)>
というわけでですね。
確実に乙9・10、甲4は写っています。おそらく甲3も写っています。
うちにある予科練関係の写真で県別集合写真に乙と甲が一緒に写っているの、これ1枚だけなんです。
おまけに他科の兵の人も写っています。何の集合写真でしょうね?
霞空本隊の埼玉県出身者も含んでいるとしたら、少なすぎる気がします。
予科練教育に携わっていた兵の方でしょうかね? 教員の助手みたいな? 特技章をつけている人がいるので、それはありえるな、と思っているのですが・・・・。
とりあえず、今日はここまで。
※画像は9期生ご遺族ご提供、甲4情報はOさんご提供
進級状況もろもろはKさんや甲4ご遺族の方ご提供資料、『予科練外史』(倉町秋次)参照
蒼龍艦攻隊 11分隊・12分隊 ― 2022年05月02日 14時58分42秒
結局両方やりました。
過去形は正しくない、現在進行形。
結局両方やっています。
Oさんに見せていただいた昭和16年11月1日の日付のある蒼龍11分隊名簿から推測した、11分隊と12分隊員のお名前です。
いきなり結果を書いてしまいましたが、ここに至るまでは紆余曲折ありました(『蒼龍艦攻隊 12分隊』を引っ込めてから今日まで)。
最初に書いた日から11分隊名簿にお名前のある「潮万之助」さんが問題になっていたのですが、これは甲1の潮満之助さんの誤記だろう、17年1月に転入してきてから新たに書き込まれたものだろう、ということで上の表からは削除しています。
11分隊表には、上の表にお名前を書いている田村重年2飛曹(甲3)、田辺正直2飛曹(甲4)、新井嘉年男2飛曹(甲4)のお名前はありません。が、もともとはあったのに消された痕跡がありました。この3人はペアで、16年12月、17年1月以降の蒼龍艦攻隊の行動調書にもお名前があります。17年1月に11分隊から12分隊に移ったために11分隊名簿から消されたものと推測しました。
沼尻三二1飛(1等飛行兵、前のブログでは「1飛兵」と書いていますが、ふだん「1飛」と書いているのでこの表現に戻します)(操55)がちょっと謎の存在です。
おそらく11分隊だと思うのですが、名簿にお名前はありません。田村さんたちのように明確に「もともと書いてあったのに消されている」痕跡があるわけでもありません。16年12月の行動調書から、「たぶん11分隊員だったのだろう」と思っているだけです。そして、17年1月以降の行動調書にはお名前が出てきません。転出されたみたいです。
参考までにハワイ攻撃の道中の蒼龍艦攻隊関係の編制表を出しておきます。
11分隊、12分隊とわけてみると、ものすごく腑に落ちる編制です。
※青字が11分隊、黒字が12分隊
※線が消えていますが、艦攻なので上下3人1ペア(操・偵・電の順)です。
田村ペアと沼尻1飛が11分隊だったのではと推測したのは上の編制表からです。
ただし、全部が原則通りではなく、一部変則的なペアも見受けられます。
23日のウェーク島攻撃では11分隊の木村正さん操縦、12分隊の佐々木隆寿さん偵察、12分隊の島田清守さん電信というペアで攻撃に出ています。
27日の対潜警戒の1直の11分隊ペアに、12分隊荒井辰雄さんのお名前が書き込まれていましたが欄外に誤リナランと書かれていたので、本来は11分隊の誰か(本来の固定ペアは江塚寿さん)が入っていたのではと想像します。
艦攻隊搭乗員総員から11分隊員を引いたら12分隊になります。
それが冒頭の12分隊表です。
おそらく11月12日の鹿屋翠光園の宴会に出ているメンバーはこの33名。
写真の人数も、ちゃんと数えたら顔が見えている人は33名います。もし、人垣の後ろにしゃがみこんで隠れている人がいたらもう知りません(´・ω・`)
12分隊ですが。
真珠湾攻撃の帰途のウェーク島攻撃で2機(2ペア・搭乗員6名)を失ってしまいました。
佐藤治尾飛曹長(操18)、金井昇1飛曹(偵35)、花田芳一2飛曹(乙8)、大谷末吉3飛曹(偵49)、栗田照秋1飛(操50)、小紙彰正1飛(偵50)。
そして、1月初の異動で、島田清守3飛曹(乙9)、佐々木隆寿3飛曹(乙9)、小松崎照夫1飛(操55)が転出。
↑これは11月1日名簿からの”出”を書き込んだものです。
田村ペアが11分隊から12分隊に移ったのだろうというのは、あくまで行動調書などからわたしが推測したことで、何か公文書的なものがあるわけではありません。
↑これが”入り”。 ※赤字は外部から
11分隊に潮満之助さんが転入してきています。技倆的には嚮導機レベルの操縦員だぞうです。
12分隊の方には赤城から越智正武1飛曹(甲2)、向畑寿一1飛曹(乙6)、倉谷定茂2飛曹(乙8)がペアごと転入してきています(真珠湾時赤城水平爆撃隊第2中隊嚮導機ペア)。さらに上にも書いたように、11分隊から田村ペアが12分隊に異動。
1月以降の行動調書はこの分隊で行動しているように思います。
12分隊がウェーク島攻撃で2機(1機は嚮導機)を失ったために、赤城から越智ペアを入れた――まではまあわかるんですが、11分隊の田村ペアを移して島田ペアを転出させているんですよね。バランスの問題ですかね(^^;)
17年の2月19日までの艦攻隊の編制表です。
いろんな機会に作ったものを転用しているので形式の統一が取れなくてスイマセン。
※青字が11分隊、黒字が12分隊
わかりやすいように田村ペアは青字のままにしてあります。12分隊に移っていることがわかるかと思います。
とりあえず、今日は11分隊、12分隊の分隊員に誰がいたのか、というところでやめておきます。
もともとは16年11月12日の鹿屋翠光園の宴会写真にいったい誰が写っているのか?というところから始めたことなので。
(写真のどの人が誰さんなのかについてはまだ解決していません)
最初写真を見たときは、11分隊がハワイの雷撃隊、12分隊がハワイの水平爆撃隊みたいなイメージでいたのですが、そういうわけではなかったです(^^;)
じつは蒼龍艦攻隊11分隊12分隊間には他に解決しないといけない問題があるのですが、解決するかどうかわかりません。
現時点でわかっているところまで書いてもいいのですが、長くなるので今日はここまで。
※Oさんご提供の11分隊名簿、アジア歴史資料センター蒼龍飛行機隊行動調書参照
金井昇1飛曹って、じつは・・・・ ― 2022年04月29日 19時35分56秒
たいへん申し訳ないことです。
わたしは金井さんのある事実に関して、ウソの情報を流していました。
いや、わたしじゃない。金沢さんが、
「金井上飛曹は特修科爆撃同期生中、爆撃技術成績は断然優秀であるばかりでなく、作業の余暇には、読経三昧にふけり、酒杯を手にせず、大言壮語することもなかった」(金沢秀利『空母雷撃隊』光人社NF文庫)
と書いていたので、
「金井さん、お酒飲まない!」
とここに書いちゃっていました。 ←言い訳(金沢さん、<(_ _)>)
Oさんから情報提供がありました。
金井さん、フツーにお酒飲む人でした!w( ̄▽ ̄;)w
しかも、「お付き合いで少々」じゃなくて、「けっこうお酒好き?(^^;)」って感じですよ?、金沢さん。
金沢さん証言の「酒杯を手にせず」ですが、わたし思うに、たぶんこれは、翌日作業がある日は、とか、金沢さんの見ているところでは、とか、そういう限定的な話だったのでしょう。
仕事に影響が出るような飲み方をする人ではない、それはたしかです。が、そうでなければフツーにお酒を飲んでいるみたいです。
というわけで、謝罪して訂正したいと思います。
蒼龍艦攻隊12分隊の鹿屋翠光園での宴会の金井さん。

「たぶんしらふで上機嫌」と書いたことを取り消したいと思います。
→CP「酒を飲んで上機嫌な金井1飛曹」。
ところで。
金井さんに肩を抱かれているおふたり、どなたかわかりましたよ。
右側の下士官。
佐藤寿雄1飛曹(操26)でした。
真珠湾攻撃のときは雷撃隊の方。
19年10月17日 K406 台湾沖
先に飛曹長時代の佐藤さんの写真を見ていたのですが、そのときはわかりませんでした。Kさんから若いときの画像を見せていただき、やっと佐藤さんだと気づきました。
それもね、わたしが「佐藤さん照合中」ってKさんに話したわけじゃありません。イラストレーターの画面に、宴会の金井さん右の人と飛曹長の佐藤さんを貼り付けて、片方を半透過にして角度や大きさを合わせて照合作業中だったんです。
「目元がよくわからんなあ・・・・」
そこにKさんから佐藤さんの若い頃の顔全体がよくわかる画像が・・・・。
「なんでっ!?(゚Д゚;)」と思いました。
左側の兵の人(ジョンベラ)。
小紙彰正1飛(偵50)。
小紙さんにとって金井さんは偵練の大先輩。金井さんは「海軍の至宝」と言われた爆撃の神様ですから憧れの大先輩だったろうと思います。若干、緊張気味にも見えますが、小紙さんが金井さんの右手をぎゅっとつかんでいるのが印象的です。
金井さんと同じく真珠湾攻撃の帰途12月22日のウェーク島攻撃で戦死した小紙さん。
島田清守さんが12月26日の日記に、
『午后ハ小紙一飛ノ遺品清(整)理ヲシタ。如何ナル小サナ物モ遺族ノ方々ガ見タラト思ッテ整理シタ。』
と書いています。
小紙さんは島田さんと同じ13年入隊で、同年兵ということになります。そういう事情で島田さんが遺品整理をしたんですね。きっと佐々木さんも一緒にしたんだろうなと思います。
島田さんは乙9期生です。
9期生って、めずらしく(といっていいのかどうか)予科練・飛練中の殉職者を出していません。
島田さん、16年10月末に飛練を卒業して蒼龍に着任。それからひと月ちょっとで真珠湾。真珠湾攻撃で蒼龍は艦爆隊と戦闘機隊で戦死者を出しましたが、艦攻隊は全員無事でした。
そして、ウェーク島攻撃――。
小紙さんの遺品整理をしたことは島田さんにとって初めての体験で、一緒に寝起きしていた仲間を失ったことは衝撃的だったのではないかと思います。
※画像は9期生ご遺族ご提供
乙8期 花田芳一さん ― 2022年04月22日 23時34分44秒
蒼龍12分隊はちょっと待ってください。
他の用事が入って少し横に置いています。今回は集中力云々の問題ではありません。
12分隊に関連して。
海軍の至宝・佐藤-金井ペアの電信員の乙8期の花田芳一さん。
9期坂田清一さんの新潟県出身者集合写真に写っているはずだよなー、どの人かなー、とずっと気になっていました、
卒アル写真でお顔がわかったので探してみました。

たぶんこの人。
「たぶん」なのは、いちおう新潟8期生を全員当てはめてみたのですが、一部、写真のお顔部分に損傷があり全部が見えない人がいます。自分としてはたぶん間違っていないのではと思っているのですが、そういう状態で照合したので「たぶん」と書いています。
蒼龍12分隊宴会写真にも写っているはず。

たぶんこの人ではないか。
こちらの「たぶん」は、わからない人が多すぎて自信がないからです。
他に花田さんらしい人はいないので、この人だと思うのですが・・・・。
16年12月22日 蒼龍 ウェーク島攻撃
このペアの最期の様子は、同じ中隊にいて目撃してしまったらしい島田さんの日記に描写があります。
いろいろと思うところがあって、何度読んでも涙が出てしまいます。
※画像は9期生ご遺族ご提供