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蒼龍艦攻隊宴会写真が!2021年11月23日 11時18分25秒

今年は真珠湾攻撃から80年。


NHKのサイトに太平洋戦争80年の関連番組の案内が出ています。


↑リンクページの画像の中に、島田清守さんの遺品の蒼龍艦攻隊の宴会写真がカラー化されて掲示されています。

ビックリ!

まるで昨日撮ったかのようなあざやかさ。
すごい技術!

サイトをスクロールしていくと、歴史探偵「写真で迫る真珠湾戦争のリアル」という番組で使われるみたいですね。
※「真珠湾戦争」ではなく「真珠湾攻撃」ではないのか?(^^;)

スタジオ内で例の写真が大きなパネルになって使われているようです。
どんな話かな? ドキドキ。



元々の白黒写真はこちらで取り上げています。






BS1スペシャルの「真珠湾80年 生きて愛して、そして ~隊員900人の太平洋戦争~」(仮)も気になります。
タイトルを見ただけで目から汗が・・・・。

実際に2時間弱で900人の生を紹介するのはムリなので何人かピックアップして紹介する企画でしょうか。



同じくBS1スペシャルのガンカメラの番組もチェック。





録画容量を空けておかねば。

10月26日 橿原神宮2021年10月26日 20時37分29秒

今日は橿原神宮に行ってきました。


2015年の紀元祭に行って以来の橿原神宮前駅(乗り換え除く)。
駅前のロータリーに黄色いポストが設置されていたのが目についたので、
「なんだこりゃ?」
と覗きに行ってみたら、


こんな説明板が横にありました。
2016年の設置ですね。前に来たときはなかったのか・・・・。


2015年の紀元祭は甲飛13期出身の搭乗員さんに誘われて参列しました。
翌年の1月に亡くなられてしまったので、あれが最初で最後の搭乗員さんとの紀元祭参列になりました。





橿原神宮前駅で近鉄のご当地入場券をゲット。
飛鳥駅分。
橿原神宮前駅に売っているんですよ(^^;)





まずお参りして。
御朱印をいただいて。



いつもの場所で写真を撮って。


81年前。
飛練10期生(偵察)、北神門にて。


今日の目的地はこちらです。

瑞鶴の碑。


昨日、仕事で、慰霊祭に参列できなかったので今日来ました。

10月26日。
南太平洋海戦の日。




小山内末吉飛曹長(乙2)のお名前もじかに確認してきました。





甲飛13期の殉国の碑にもお参り。




神武天皇陵にもお参り。



ずいぶん前に買ってあった御朱印帳に御陵印を押してきました。

崇神天皇陵と景行天皇陵、垂仁天皇陵の分も。

事務所の人、エライ親切でした。

新井正美さんと片翼帰還2021年10月19日 22時10分28秒

9期戦闘機搭乗員の新井正美さん。




ずいぶん前になるのですが、新井正美さん(台南空)の片翼帰還のエピソードを紹介したことがありました。
吉田一さんが壊れた零戦の前に新井さんを立たせて写真を撮った話とその後日譚。

その時撮られた写真が土浦の雄翔館に飾られていたという話も書いたと思います(わたしはこれは吉田さんが撮ったものとは別ものと思っていました)。


そのときはどんな写真か説明するために、自分で作った零戦プラモに登場してもらったり、

適当なトレースをしてみたり。




『司令もまた、可愛いわが子の腕白ぶりでも思い出したふうに目を細めていた。
「昨日だったら面白い写真が撮れたんだがね。上海で樫村のやった片翼帰還ほどではなかったが、まず特ダネだね」
残念がった司令の話は、昨日のモレスビー上空での空戦で、片翼のフラップを敵弾にもぎ取られた若い搭乗員が、いまにも分解しそうな飛行機で、スタンレー山脈を越え、あえぐようにここまで帰り、フラップなしで立派に着陸した沈着な技量を讃える話だった。
私はさっそくその飛行機を見にいってみた。なるほどフラップどころか翼の四分の一も素ッ飛ばされている。傍らにいた整備員に、この搭乗員を呼んでもらうと、まだ子どものように若い新井三飛曹が、面映ゆそうにはにかんでやってきた。
飛行機の前に立たして写真を撮り、彼の姫路の住所をメモすると、
「こんなことが新聞に出るのですか」と目を見張った。
「多分ね」と私が答えると、
「じゃさっそく、家に手紙を出します。みんなで新聞を見るように・・・・」
はじめて彼の顔に押さえ切れぬ喜びの色が浮かび、額から両頬にかけて、派手に吹き出たにきびが、いっそう赤みを帯びてきた。そして、「帰ります」と、上官にでもするように、カチンと飛行靴の踵を合わせ、眉間までまっすぐな敬礼をして走り去って行った。
この可憐な紅顔の少年搭乗員も、それから間もなくソロモン海にはかなく消えてしまったが、その後私は、姫路の彼の父から一通の手紙を受け取った。
その文面のどこにも、子どもの戦死に関していささかの悔やみの色もみせてはいなかったが、ただ私の撮った写真を一枚送ってくれぬか、立派に死んだ子どもの形見とし、また子孫に残して誇りにもしたい、といった意味の文意がしたためられていた』
                         吉田一『サムライ零戦記者』光人社NF文庫








ご覧の通り、新井さんはカメラの方を見ていないので、てっきり吉田さんは新井さんの視線の先にいて、新聞に載った写真、そしてお父さんに請われて新井家に送った写真は新井さんを正面からとらえた写真が他にあるのだと思っていました。

しかし、どうやら、これが吉田さんが撮った写真のようです。

なぜ新井さんがカメラの方を見ていないのかは謎のままです。


※画像は9期生ご遺族ご提供

乙9期 隅倉慧さん2021年10月12日 21時01分00秒

2015年の夏、それまでわからなかった9期生のお顔と氏名が一気に解決したのは、隅倉さんが残されていた氏名入り班写真のおかげでした。

隅倉さんは数少ない9期の生存者のおひとりです。

入手した住所にダメもとで手紙を出してみたところ、ふだんそこに住まわれていない息子さんがたまたま行かれてわたしの手紙を見つけてくださったようで。
連絡をくださいました。

残念ながらその時点で隅倉さんは亡くなられていたのですが、息子さんがいろいろよくしてくださってアルバム類を見せてくださったほか、9月には島田直さんのご遺族の方も紹介していただき、墓参にも連れて行ってくださいました。熊本の名所も案内してもらいました。当時はまだ熊本地震前で、熊本城でお月見のお茶会にも参加。


その後、土浦の予科練慰霊祭にも来てくださいました。







隅倉さんのアルバム、氏名入り班写真以外にも興味深い写真がたくさんです。

同期生の個人写真以外にも、実施部隊時代の戦友の個人写真もたくさん貼られています。
9期の方は見ただけでどなたかわかるのですが、実施部隊時代の戦友の方々は「〇〇兵曹」という書き込みだけではわたしにはどなたなのかさっぱりわからないんですよね。紹介したいのですが・・・・。行動調書を見ても姓しか書かれておらず。かろうじて階級がわかったぐらいです。
ちょっとだけ、Kさんご教示でどなたか判明した人がいるのでまた紹介させていただこうと思っています。



今日は隅倉さんご本人。

すみくらさとしさん。

熊本県出身、偵察、水上機。

鎮海空、第11特別根拠地隊、936空、312空、横須賀空。


予科練1学年時。横須賀。
一緒に写っているのは7期の西義武さん。
西さんの階級(1空)から察して、8月15日は卒業式当日でしょう。


これは霞ヶ浦海軍航空隊時代。
14年6月の操偵適性検査。

これも同じく操偵適性検査。班写真。2班。
一種軍装の下士官は予科練の教班長(引率)と思われます。


14年夏。
熊本県民の集い。8期生卒業に際しての送別会のようです。



ペンネントは霞ヶ浦海軍航空隊。
14年12月29日。
前列左と真ん中が12期の田島忠盛さんと吉永博行さんのようです(どちらがどちらなのか不明)。右端は10期の古本克己さん(582空)。
後列左が隅倉さんで右が島田直さん。



想像ですが、習志野演習かな?
ピンボケしていますが、この写真、何がおもしろいって、書き込みによると「林教員」が撮ってくれた写真なんだとか。

「林教員」、島田さんの日記に名前が出てきた林正義教員のことかもしれません。
撮影者がわかる写真ってなかなかないのでおもしろいです。


これは2学年時の班解散会。
これも島田さんの日記に記述がありました。15年6月2日。
前の学年時の班のみなであつまってワイワイやっているところです。




このタイプの写真、偵察専修生だけあります。
3学年時の班の一部かな?
しゃがんでいるのが本間秀人さん。後ろに立っている左から谷村博明さん、植松繁さん、高橋兼春さん、隅倉さん、国本力さん。




1空の階級章をつけています。
善行章はないかな?
小船井写真館の刻印があるので、予科練3学年時(15年)の夏か。




これは鈴鹿の飛練時代。二見の夫婦岩。
一緒に写っているのは同郷の島田直さん。
善行章もついているし、16年の6、7月。




これは特技章が見えないので、もしかしたら任官記念(16年10月1日)かも。
飛練博多時代。



ここからは実施部隊時代。
飛練卒業後すぐ配属された鎮海空時代。



隅倉さんの階級章から17年の夏でしょう。


17年秋のシンガポール。


隅倉さんがどこにいるのかわからんのですが、演芸会の出し物っぽいです。

手拭いをかぶって浴衣着てザルを持っている人がいます。ドジョウすくい?



これは前線の基地かなあ?



これも前線の雰囲気ですね。
搭乗員整列。出撃前か後かわかりませんが。
背後に水上機が写っています。






南方の基地のようです。

隅倉さん、首輪のついたおサルさんを抱っこしています。
隊のペットでしょうか。



18年、936空時代。



20年8月25日 熱海にて
終戦直後です。
兵曹長の階級章をつけています。


9期生は戦没者も多く出しましたが、生き残った人たちもほとんどの人がどこかしら怪我をしていました。
本間猛さんが手記(『予科練の空』)に、
『クラスの飛行練習生卒業者は百九十一名、そのうち戦死者百六十七名をかぞえ、その戦死率は八十七パーセントあまりである。クラスの生存者二十余名も、そのほとんどが戦傷病を受けて、そのために生き残り得たのである。したがって、全戦期を通じて戦傷病にもかかわらず、五体満足で生還し得た者は百九十一名中、三、四名に過ぎない。私は幸いにも、奇蹟的に五体満足で生き残り得た数名の中の一人である』
と書いていますが、隅倉さんもそのおひとりのようです。

途中で兵役免除になっていたら病気だとか怪我だとかわかるときがあるのですが、逆に終戦まで戦われた方は怪我や病気をされたのかされなかったのか、わたしではなかなか把握困難です。
隅倉さんは息子さんが教えてくださったのでわかりました。
あと、もうおひとり、石田さんの息子さんが戦後に会われたことがある9期生存者の方は戦闘で大けがをされていたとのことでした。



隅倉さんの軍服。
士官の二種。
9期の方が実際に着ていた軍服って、初めて見ました。感無量です。




戦後は戦友会にも熱心に参加されていたようで、その際の写真もたくさん見せてもらっています。

二十歳前後の写真はしっかり把握できているはずなのですが、ぶっちゃけおじさんになった9期生は「これ・・・・どなただっ!?」って人が(^^;)
逆に全然変わっていない人もいるんですけどね。隅倉さんは変わっていなかったです。


息子さんは、熊本で9期会があったときに集合場所の護国神社まで慧さんを送って行き、そこで9期の方々と会われたことがあるそうです。
熊本に行った際は、その護国神社にも連れて行ってもらいました。
「おお! ここに9期の方々が・・・・」
とひたってきました。



※画像は9期生ご家族ご提供

9期生の写真62021年08月11日 21時26分02秒

1枚モノの写真。

いずれも予科練中の操偵適性検査(14年6月 筑波海軍航空隊百里原分遣隊)の写真です。
藤原国雄さん

裏に本人の直筆サイン。



川崎助男さん

同じく裏。たぶん本人のサインだろうと思います。



西山昇さん

裏。鉛筆で無造作に姓だけ書かれていました。
西山さん本人が書いたのかどうかちょっと判断つきません。
友だちに送る写真に書きこむ感じじゃないですよね。



23分隊(藤原さん、西山さん)が記念撮影をした日(14年6月8日)はあまり天気が良くなったんですよ。写真の影の感じからもそれがわかります。
逆に24分隊(川崎さん)の記念写真はお天気よいです。

9期操偵適性検査集大成はこちら