Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙8期 行軍 大洗磯前神社2024年11月12日 10時41分05秒

今日は乙8期の方々の話題ではありません。
どこに誰が写っているかはおおよそ把握できているのでそれはまた今度。



操32期の中島義喜さんの写真の中に、乙8期のこんな集合写真がありました。
どこかわからなかったので、写っているいろんなものに着目してこの場所を探しました。


石灯籠がめちゃ特徴的だと思ったんですよ。
・デカい!
・屋根の下に垂木が覗いている
・猫足の脚がついていて、台座に乗っている
・火袋っていうんですか、透かし彫りになっている

とにかくわたしは見たことがないタイプの石灯籠でした。

この石灯籠からどこかわかるのでは?
と思ったのですが、わかりませんでしたorz

門もかわっているな、と思ったので、「格子」とか「切妻」とか「菊紋」とかいろいろ検索してみたのですが引っ掛かりませんでした。


最後は、
「飛練生が行軍に行きそうなところ」
で、大洗磯前神社の画像を探したら出てきました。

大洗磯前神社随神門

いまは両側に建物が建っていますが、当時はこんな感じで単独で建っていたようです。


ちなみに、上の石灯籠画像で灯篭の下に座り込んでいるのは乙2松永教員です。




パパに「大洗磯前神社の画像おくれ」と頼んだら、何枚か提供してくれたので出しますね。
数年前の大洗磯前神社随神門。





なんと、この写真に、例の灯篭と同じものが写っていました!

ネットで神社の写真を探したら、何基もあるみたいなので、乙8写真の灯篭そのものではないのでしょうが、これと同じものですね、あのデカい石灯籠。





パパが撮っていた画像の中に、海岸の岩場の写真もありました。

パパがね、
「教員の岩場写真と同じ場所やん」
って言うんですよ。

しかたがないので検討しました。

赤丸で囲ったところに穴ぽこがあるんですが、

これが、

教員写真のコレじゃないかって。


「そういえば・・・・」
浅川さんの百里原時代の写真にも大洗の岩場らしき写真があったんですよ。

これも、穴ぽこが空いているぞ!(・∀・)


穴ぽこだけ並べてみました!


無理矢理感が否めませんが強調してみました。
この線はわたしの心眼込みなので、異論は受け付けます。



3枚が同じ場所だとして、図を作ってみました。
Googleearthをもとにして略図を作ってみました。上が北。神社は道路を挟んで左の方。
岩場の状態は潮の干満で変わると思うのであくまで「Googleearthをもとに」ということで。

パパ写真の奥に写っている神磯の鳥居はネット情報だと昭和31年説、34年説、38年説があって、わたしには判断できませんでした。が、どうも戦後は間違いなさそうです。

神磯顕彰之碑のほうは、これまたネット情報ですが碑文に昭和31年とあるとか何とか。



たぶん浅川さん写真の右方岩場の先端のところにいまの神磯の鳥居があるんだと思います。

教員の岩場写真では写っていない場所ですね。



パパの岩場写真に教員たちを合成した画像も作っているのですが、不謹慎だって怒られそうなのでこれは自分だけでってことで(^_^;)


※画像は中島さんご家族、浅川さんご家族、パパ提供。

乙5~7期 広島県出身者のつどい2024年11月09日 22時49分26秒

これ、何年か前に知人に見せてもらっていた写真なんですが。

前列の左端の人(下士官)が写真の持ち主なのですが、どうやら横須賀時代の予科練教員らしくて、他の写真の状況から、
「乙6期の教員ではないか」
ってところで落ち着いていました。

いや、落ち着いている場合じゃありませんでした。

数日前にこの人のアルバムを見返して、この写真に見知ったお顔があるのに気づきました。
まず、最初に気づいた人↓
「こ、これは!?(;゚Д゚)」
乙5期の井上朝夫さんではないか!?

わたしは乙5の方はほぼお顔がわからないのですが、数名、わかる人がいます。
この人もそのうちのおひとりで、浅川さんの百里原教員時代の同僚です。
操練46期教員。

なんと! 乙9期の操偵検査時の教員の中にも井上さんが!

乙6山岸さんが筑波空で教員をされていた当時の集合写真にも写っているんですよ。
例えば、先日出した操32中島さんのお写真にも、
こんな感じで教員として写っています(甲3集合写真)。
この人が井上朝夫さんかどうかに関しては、同期生角田和夫さんがご自身の手記『修羅の翼』に氏名入りで写真を掲載されているので大丈夫でしょう。


とにかく、乙6の集まりと思っていた集合写真に乙5の井上さんが写っていてビックリした、と。

さらにその隣の人にも驚きました。

「渡邉邦夫さんじゃないか!?(;゚Д゚)」

渡邉さん、ここに書いています。
ご実家にお邪魔したことがあるんですよ。
写真もたくさん見せていただいたのに、いままで気づかなかったとはorz

ホントに気付いていなかった!? 
あちこちフォルダを見返してみましたが、どうやら本当に気付いていなかったみたい(ノД`)・゜・。



「井上朝夫さんと渡邉さんが一緒に写っているということは?」

お二人の共通点→広島県出身者。

「そうか、じゃあ、残りの人たちも広島県か!」



笑顔で、室内ストロボ焚き?のような感じで非常に難易度が高いんですが、ちょっと照合してみました。


まず【乙5期】ですが、井上朝夫さん以外は、
井上勝利さん
高吉正照さん
栗栖初夫さん
小林勉さん
立田操さん
がおられるようです。

井上勝利さんと小林勉さんは角田さんの手記にお顔が出ています。
が、書籍に印刷された写真で、しかも小さいのでお顔がよくわかりません。

「この人が小林さんかなあ?」
という人はいるのですが。
「小林さんだ」「いや、違うようだ」とご意見のある方がいればよろしくお願いします。



あと、この人が5期生かもしれません。
みなさん、袖の階級章がはっきりわからないのですが、色調調整してみたところ、この方、2等航空兵の階級章をつけているようにあります。
6期生が2等航空兵に進級するのは12年5月1日なので、もし、12年4月以前の撮影なら5期生ということに。
5月1日以降なら5期生か6期生かわかりません。が、6期生に該当者はいないような気がします・・・・。







【乙6期】
光元治郎さん


河辺箴三さん?


山下八士さん?

山下さんはちょっとわからないです。
あまりに笑顔すぎて。


吉川清八さん


土井長辰夫さん


上に挙げていない6期生
引宇根幸雄さん
堀越治さん(兵庫?)
篠部和三郎さん
広崎弘さん(卒アル不掲載)
内海保さん
小山堯久さん
土井久夫さん
三王敏郎さん
妹尾卓己さん(卒アル不掲載)
品川繁人さん




【乙7期】
佐々木利照さん


田中実さん


森田稔さん


中島勇壮さん


島津勇さん


檜垣英次郎さん


上に挙げていない7期生
中山沢男さん
野田栄作さん
田坂要さん
中川紀雄さん
神田忠美さん

7期生に関しては先日、7~9期の広島県出身者集合写真を出しているのでそちらを参照してみてください。



写真に写っている人数と比べると、書き出した人数が多いような気がします。
が、これだけ広島出身者が写っているということはこれは広島県人のつどいでしょう。
この予科練教員が広島県出身かゆかりのある人で、県人会の世話役だったのかもしれません。
県別集合写真に一緒に写っている教班長、ああいう感じ。

どういうタイミングで県人のつどいをやるのか把握していませんが、9期生所有の写真で、8期生の卒業に当たって熊本県人のつどいをしているのがありました。
ただ、これは一種軍装(紺の軍服)なので12年8月に卒業した5期生卒業記念のつどいではなさそう。5期生が卒業したときは8期が入学しているんですよね。見た感じ8期生は写っていなさそうです。

練習生の前、花瓶に花がささっているのですが、チューリップに見えます。
ここから察するに4月ごろでしょうかね。
もし、4月だとしたら2等航空兵は5期だけなので前列左端の人はやはり5期生の可能性が高いです。

ちなみにみなの前に置かれている飲み物はほとんどが「KINKO」と書かれた瓶です。
検索してみたところ、同じものは出てこないですがサイダーではないかと思います。
あ、1本だけ「SAKURA」と書かれた瓶が教員から一番遠いところに置いてあります(笑)


またなにかわかったら追記します。



※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族、中島さんご家族、Мさんご提供

筑波空時代の乙6期山岸昌司さん2024年10月29日 13時53分23秒

最近見せてもらった写真に、筑波空時代の山岸昌司さんがたくさん写っていました。


これらの写真にたどり着くまでのいきさつは書き出したら長くなってしまうので、失礼を承知でちょっと割愛。
簡単に説明すると、操練23期の住友清眞さん(艦攻操、20年3月27日、横空大分分遣隊、大分飛行場にて戦死)のご遺族の方が仲介してくださって操練32期の中島義喜さん(艦攻操、戦後生存)のご家族所有のこれらの写真を紹介させていただけることになりました。
住友さんと中島さんは生前とても親しくされていたそう。
そのご縁のおかげでこれらの写真にめぐり合えました。
ありがとうございました。
※左・中島義喜さん、右・住友清眞さん



画像はすべて筑波海軍航空隊です。
山岸さんは教員。
写真の下に書いているクラスは受け持ったクラスです。そのクラスの集合写真からです。

操練50期



乙8期

乙8期行軍。



甲3期



操練53期



操練54期



操練56期





スナップ写真から。
時期場所ともに不明。
雰囲気から大洗の海岸かな?という気もしたのですが、わかりません。
写真持ち主の中島さんは後列の左端に座っておられます。

山岸さんは中島さんの右の方で、両隣の教員さんの肩に腕を回している人。
山岸さんの左の人は筑波空の集合写真によく写っているんですが、どなたか不明。




これも時期場所ともに不明ですが、飛練生が行きそうな場所としては日光・華厳の滝っぽい。
どうでしょうか。

左端が中島さんですね。右端が山岸さん。



宴会写真!
顔ぶれから筑波空教員の宴会写真と思います。
乙5期の大林行雄さんや冠谷悟さんらしき方も写っています。


中島さんと山岸さん。
山岸さん、宴会時には先輩によく絡まれています(笑)




知っている人?が写っているとうれしいです。



※画像は中島さんご家族、住友さんご遺族ご提供

飛行装備の写真館写真2024年02月01日 09時59分49秒

以前、9期の藤谷周覚さんのご遺族の方から藤谷さんの個人写真を送っていただきました。

その後、この写真に関して、
「飛行手袋に何か書いてあるようだけれど、何と書いてあるんでしょうか?」
みたいな問い合わせをいただきまして、あらためてスキャンしなおした画像も送っていただきました。


問題の手袋の文字は90度回転させて拡大するとこんな感じです。
文字だろうなという感じはします。

右に2文字、左に3文字かしら?






そもそも写真館で身に着けている飛行服や飛行関連装備品は本人の持ち物ではなく、写真館のレンタル用品です。

基本、搭乗員は飛行服のまま基地外に出てうろうろすることはできなかったようです(搭乗員さんに手紙で聞いた。ただし戦地や終戦間際になるとその限りではなかったもよう)。

なので、予科練生たちが練習生期間に写真館で飛行服や飛行眼鏡などを装着して撮っている写真は写真館の備品と思ってまず間違いないでしょう。

藤谷さんのこの写真も、どこかの写真館で、写真館の備品を身に着けて撮ったものでしょう。

だとしたら、写真館の名前が書いてある可能性が高いのかな?とも思いましたが、「○○写真館」には見えないですよねえ。
予科練周辺でよく知られている写真館は小船井写真館と廣岡写真館ですがどちらも違うように見えます。
(写真自体に刻印はない)


藤谷さんが2空の階級章をつけているので、2空でしかも二種軍装の期間(昭和14年8月1日~9月ぐらいの間)、「夏季休暇の期間が含まれているな」と思い、もしかして地元(三重県)の写真館で撮影されたのかも?という気もしました。
鈴鹿まで行けば、もしかしたら飛行装備を用意している写真館が存在した可能性も?
その写真館の名前が書いてあるのだろうか?

あるいは。
ご遺族の方が「西島  ○小長」のように見える、と言われていました。そう言われるとそんな風に見えなくもない・・・・。
なんとか長と言われたら海軍航空隊の階級に「空曹長」があるのですが(14年当時)、他の2文字は「空曹」には見えないですしねえ・・・・。
海軍からの払い下げ品だろうか?


まあ、結論から言うと、何と書いているのかまではわからない、ってところに落ち着きました。






で。
わたしの手元にはほかにもたくさんの予科練生たちの飛行コスプレ写真があるので、それらを見てみました。

もしかしたら、何かヒントはないだろうか?

これは9期の阿部芳包さんです。
写真右下に小船井写真館の刻印が入っています。
階級章が1空なので昭和15年6月から卒業(11月末)までの撮影でしょう。
もしかしたら、飛練(筑波空)に進んだ後で土浦の予科練に遊びに来て写真を撮った可能性もありますが。

他にも小船井写真館の刻印入り飛行装備写真はありまして。
9期古田正直さん。階級は2空か1空。


9期隅倉慧さん。階級は1空。昭和15年の夏季でしょう。



刻印はないけれどスタジオの雰囲気や装備などから小船井写真館だろう、と思っている写真。
9期松本勝正さん。階級2空。


9期清田進さん。2空。



9期三浦光男さん。2空か1空。




9期生が霞ヶ浦に在隊していた当時の小船井さんの飛行帽・飛行眼鏡のアップ(阿部さん)。



藤谷さんの装備と比べるとまず飛行眼鏡が違いますよね。
阿部さんが装着しているのと同じような形のものを海軍航空隊でも使用しています。


昭和14年6月の百里原海軍航空隊での操偵検査時の9期川崎助男さん。
この装備は海軍航空隊で使用していたものです。
小船井写真館でみなが装着している飛行眼鏡と同じ形かと思います。


①の飛行帽庇のスナップボタンも藤谷さんのものと小船井のものは違うようです。
小船井や海軍の分は折り曲げて止めた状態では金具は見えていないですね。

②小船井の分にはここにスナップフックが二つついています。

③顎を締めるベルト。片方(向かって左)だけが長いです。
藤谷さんの分はベルトは向かって右のほうが長く伸びています。






霞ヶ浦で予科練生や飛練生・操練生たちがよく行っていた写真館で廣岡写真館というところもあります。

9期羽藤一志さん。時期不明。
ここで写真を撮ったことがある搭乗員さんの話だと後ろの飛行機は3式戦闘機という飛行機で、海軍から払い下げられたものだそうです。

他の写真を見ると店先の覆い屋の中にあった様子がうかがえます。


9期石川茂さん。同じく時期不明。

さすがにホンモノの飛行機を置いているだけあって装備も完璧です。
飛行服に落下傘の縛帯まで用意されています。

飛行眼鏡は小船井さんのところと同じタイプのようですね。








写真をつらつら見ていて面白いものを見つけました。
9期池田和義さん。階級は2空。

これ、藤谷さんの写真と装備が似ていませんか?
飛行眼鏡がすごく特徴的なんですよね。
海軍航空隊でも14年当時にあまり見ない形です(わたしはまったく見たことがない)。
たぶん飛行帽も同じものですよ。池田さんの庇のスナップフックは見えないんですが、顎を締めるベルトの長さとか、耳当ての横がポコッと四角く飛び出しているところとか。

飛行手袋の質感は、うーん・・・・腕まで伸びている硬そうな部分が、池田さんのほうが柔らかそうに見えますが。

背景のスクリーン?の模様は似ているような?



似たような飛行眼鏡、飛行帽を探したら他にも、
6期」・中西義男さん

6期宮武義彰さん

宮武さんは階級章が見えないんですが、中西さんは2空ですよね。
6期の2空時代って横須賀なんですよね(^_^;)
2枚とも写真館の刻印がないので横須賀なのかどうかはっきりしませんが。

6期のお二人が霞ヶ浦周辺で撮った可能性はないか考えてみましたが、操偵検査は友部(のちの筑波空)みたいなんですよねえ。

この2枚に関しては、藤谷さん写真との関係は「わからない」としか言えないかな(^_^;)





6期の中西さんと宮武さんは偶然似ているだけかもしれませんが、池田さんは同じ写真館のような気がします。
池田さんが写真を撮っているということはおそらく三重(鈴鹿とか)ではないです。
霞ヶ浦の可能性が非常に高いように思います。

ただ、横須賀説もまったく捨てきれないわけではなく。

こんなことあるかどうかわからないですが、藤谷さんと池田さんが(ほかにもいたかもしれませんが)、夏季休暇に際し、それぞれの実家・三重と静岡に帰省する途中、懐かしの横須賀に立ち寄りそこの写真館(中西さんたちと同じ写真館か)で撮影した――って可能性も0ではないかな。




うちにある予科練生・飛練生の写真を見てみたのですがいまのところこのタイプの飛行眼鏡・飛行帽はこの4枚だけです。

飛行装備ではないふつうの軍服の写真館写真も、藤谷さん写真と同じ背景がないか探してみましたがありませんでした。



結局肝心なことはわからなかったのですが。
「三重の可能性は低いかも」
という程度で。

※画像は6期生、9期生ご遺族ご提供

乙6期 中西義男さん まとめ2023年06月16日 00時32分53秒

6月16日は乙6期出身、582空艦爆操縦員の中西義男飛曹長(愛称中西クロちゃん)のご命日。


この機会に、あちこちに書いている中西クロちゃんのリンクをここにまとめておこうと思います。










予科練時代、操偵検査か?


実施部隊か、時期不明。


たった1枚の娘さんとの写真。

18年6月16日  582空  ソロモン  
娘さんと奥さん、未入籍のまま戦死。








下の写真は紹介するのは初めてです。

真珠湾攻撃直前の瑞鶴艦爆隊、坂本明大尉の中隊集合写真(氏木平槌さん遺品)より
この写真、1年ぐらい前にOさんに見せてもらったのですが、わたしは初めて見る写真でした。

クロちゃんを見つけて歓喜しました。

すぐに弟さんにも送りました。ご実家にはなかった写真なので大変喜んでおられました。





※画像は中西さんご遺族、Oさんご提供