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乙6期 井上進一さん2026年04月13日 15時13分10秒

わたし、乙6期ってわりとご縁があるクラスです。

6期戦没者のご遺族の方、複数の方にふだんからお世話になっていますし、生存者のご家族の方にもお世話になっています。

なので、自分としては親近感のあるクラスというか。



今回の井上進一さんのことに関しては、ほんっとに意外な方面からの情報提供です。
6期のご遺族の方やご家族の方、関係ないところからの。



1年ほど前の話なんですが、9期の池田和義さんの姪御さんから、
「父(和義さんの弟さん)のアルバムにこんな写真が貼ってありました」
と、2枚の写真が送られてきました。




2枚には裏書があって「井上四空 予科練入隊当時」「井上進一兄」と書かれてあります。
文字はどなたの筆跡かわかりません。和義さんの筆跡なのかな?

弟さんのアルバムに貼ってあったらしいですが、弟さんと井上さんの接点、見当たらないですからねえ。弟さんは海軍関係者ではないですし。
かといって、和義さんと井上さんの接点も見当たらないんですよね。

井上さんは6期生なので9期の和義さんとまったく予科練は重なっていません。
井上さんは神奈川県出身、和義さんは静岡県出身。同郷というわけでもない。
井上さんは中攻偵察員、和義さんは艦爆操縦員。実施部隊で一緒になった可能性も低い。
飛練の教員だったのだろうか?と思って、集合写真を探しましたがそういうわけでもなさそう。


結局、いまもお二人の接点は不明のままです。
何かわかったら書こうと思っていたのですが、わからないのでもう書いてしまっているというわけです。




卒アルの井上さん

乙6期の写真を探したら、他にも井上さんが写っている写真、ありました。







以下の2枚は同じ行事の写真です。




さらに、②の写真、写っている飛行機が、池田和義さんの弟さんがアルバムに貼っていた2枚のうちの1枚↓ 
③としましょう。
この背後に写っている飛行機と同じ飛行機です。九〇機練でしょうかね。ヨ-511号機。
井上さんの装備の様子からも、①②と同じ時に撮られた写真でしょう。


9期の頃にはなくなっていたイベントなのですが、予科練入隊後わりと早い時期に「同乗飛行」という行事があったようなんですよ。
詳しくわからなくてスイマセン💦
わたしが想像するに、機練に乗せて空を飛ぶことを体験させるという行事だったのではないかと思っています。自分で操縦桿を握らせて飛行させる、というのではなくて、あくまでも飛行を体験するだけの行事、じゃないかな?
操偵検査とは別の行事ですよ。
操偵検査は自分で初練を操縦して(教員同乗)、操縦・偵察の適性を検査してもらう行事です。
同乗飛行はあくまで飛行体験の行事だったのでは?


1期生がやったかどうかは定かではないです。
2期生はやったのだろうと思います。浅川さんのアルバムの中に横空所属機らしき機練をみなで押している?写真が貼ってありました。たぶん、これが同乗飛行時の写真じゃないのかな。


松永喜三男さんのところにも、飛行帽に飛行眼鏡で背後に横空所属機が写っている写真があったのですが、これも同乗飛行時の写真ではないでしょうか。階級章が見えればよかったですが、見えないですね。
浅川さんのアルバムにも添え書きがなかったので、時期などまったく不明です。


確実に時期がわかるのは乙3期と乙7期。乙3期は『予科練外史』に年中行事表が書かれていて、そこに同乗飛行が昭和7年10月20日から始まったと書かれています。4等航空兵の時代です。
乙7は卒アルに年中行事表があり、そこに昭和11年12月15日(3等航空兵時代)と書かれています。
オレンジのベタは4等航空兵の時期です。

井上さん写真の裏書の「四空」が正しければ、6期生も昭和10年6月1日に入隊して、3等航空兵に進級する11月1日までの間に同乗飛行をやったのだろうと思います。

乙8が同乗飛行をやったかどうかはわたしは把握していません。

乙9はやっていないと思います。
卒アルにも個人のアルバムにもそれらしき写真はないし、操偵検査時(1学年時の終わりごろ)が初めての飛行体験と書いている人がいるので、たぶん同乗飛行はやっていないと思います。


ちょっと話がそれました。
井上さんの同乗飛行時の写真に戻ります。


これらの写真、めっちゃおもしろいんですよ。
いや、みなさんが見ておもしろいかどうかはわかりません。わたしはおもしろいです。
これらの写真、救命胴衣の名札が読める人が複数いるんですよ。

井上さんも読めます。

わたし、これ、先入観なく見て、「井上」と書いてるのだと思っていました。

「井上」さんだから「井上」でいいんじゃないの?


ところがどっこーい!(;゚Д゚)

右上に「一水」って書いてあるでしょ?
井上さんに「一水」時代はありません。
一水は海軍一等水兵の略です。
井上さんは航空兵として予科練に入隊しているので、海軍四等航空兵、海軍三等航空兵、海軍二等航空兵、海軍一等航空兵・・・・と進級していくのです。
略して四空、三空、二空、一空です。

「裏書が四空なのに、なんで名札が一水なんや?」
ずーっと考えていました。

考えてもわからんので、他の人たちの名札も見てみました。

他の人たちも「○空」とは書いてあるようには見えないんですよね。

しかもお名前!
読めそうな方が複数人いたのでわたしがそう思うという読みで検索してみたところ、いずれも6期生にはいないお名前でした。
階級も違う、お名前も違う。

どういうこと?

ここからは想像なんですが、これ、予科練時に横空で同乗飛行したときの記念写真じゃないかと思うんですよね。

一瞬搭乗体験するだけなので、救命胴衣に名札を縫い付ける作業がめんどうだ。借りちゃえ!
になったと想像。
当時、横空で訓練していた偵練の人たちの救命胴衣でも借りたんじゃないか?


で、しつこく何度も名札を見ていたら、井上さんの救命胴衣の名札がふっと「畔上」に見えました(心眼)。
で、ダメもとで畔上さんを検索してみたら、中攻の偵察員に畔上久三さんって方がいらっしゃるということがわかりました。
昭和16年12月の第一航空隊の飛行機隊行動調書で見つけたんですが。
当時1飛曹です。昭和19年1月30日に飛曹長から少尉に進級している辞令公報も見つけました。昭和19年1月の752空の行動調書にお名前があるのを見つけたのですが、1月22日までしか見つけられず、30日に何があったのかわかりません。
なぜ、ピンポイントでここを見たかというと、9期の石井雄さんが19年1月30日に752空でルオットで戦死されているので、関係があるのではと思って行動調書を見てみた、というわけです。

畔上飛曹長のことはわたしはよくわからないですが、偵察員だし、昭和10年頃に1水だとしたら、16年に1飛曹、19年に飛曹長でも矛盾はないのかなあなど思って。

井上さんが装着している救命胴衣はこの方の救命胴衣なのでは?と想像力をたくましくしながらこれを書いています。

さらにさらに、お二人とも中攻の偵察員なので、もしかしたらどこかの航空隊で邂逅し、
「予科練の体験飛行の時に畔上さんの救命胴衣を借りましたよ!」
「なんと! そうですか!」
なんて会話が交わされたとか・・・・ないかな?(^_^;)

書く前にいちおういろいろとあたりをつけて中攻隊の行動調書を探したのですが、お二人の名前が一緒に並んでいるものはありませんでした。

ちなみに井上さん、18年秋ごろ、ラバウルの702空にいたようで、『予科練外史』の倉町先生がラバウルの卒業生たちを訪ねたとき、雄飛会?宴会を催してくれた話が出ています。そこに乙飛卒業生たちと一緒に撮った集合写真が掲載されているのですが、その中に井上さんも写っています。





救命胴衣の名札なんですけどね、
こんな風に書いてあるのでは?
右上が階級、左上に「31」という数字。中央に姓。
数字は、他のクラスを見る限りは分隊ではないかと思います。31分隊。
でも、もしかしたら偵練の31期という可能性もあるのだろうか?
そこがちょっとわかりません。
名札が読める人は全員「31」と書いてあるような気がするんですよね。



というわけで、よくわからないまま書きました。
結局、池田さんと井上さんの関係もわかりません。なぜ井上さんの写真が池田弟さんのアルバムに貼ってあったのかも。
救命胴衣も本当に偵練訓練中だった畔上さんのものかどうかもわかりません。


写真を見ながらいろいろと想像をたくましくした結果をつらつらと書いただけの記事でスイマセン。





※画像は9期生ご遺族、2期生ご家族ご提供。
井上さんや畔上さんに関する情報を求めています。
無断転載禁止。

熊本県出身者 6~8期2026年01月12日 18時18分33秒

この話、書きましたかね?
数年前に神野正美さんから、
「8期の東富士喜さんの住所知らない?」
って聞かれました。
9期ならまだしも、8期生は知らんです――
みたいな返事をしたような気がするんですが、戦後の同期生会誌を見たら県と市まではわかりました。なので、それをお伝えしたらそこまでは神野さんもご存じでした。

話はいったんそれで終わったんですが、それから少しして(数日後? 数週間後だったような?)、予科練慰霊祭に参列していたYさんから、
「いま8期の東さんのお孫さんと一緒にいるよ~」
とメールか。

「なんですとー!?(;゚Д゚)」

そりゃもうビックリしました。
「神野さんが連絡取りたがっているから東さんのお孫さんとつないでほしい!」
そうお願いして連絡先をお聞きしました。

そのご無事に神野さんと東お孫さんは連絡が取れ(面会もされたらしい)、ひとまずホッ。

こういうのをご縁というのだろうなと思います。
必然というのかな。



わたしもしばらくはメールでのお付き合いだったのですが、今年の予科練慰霊祭で面会を果たし、10月の瑞鶴慰霊祭には東お孫さんが奈良に来られ参列されたりってことがありました。

去年の終わりごろに、富士喜さんの残した写真類をお借りすることができ、せっせとスキャンさせていただいていたのですが、ようやく一段落しました。
撮れる分は撮れたと。



予科練時代や実施部隊時代の写真に興味深いものが何枚もありました。



熊本県出身者6~8期生。







東さんの写真の中にもう1枚熊本県出身者集合写真がありましたが、それは8~11期生のもので、以前に9期生関係でここで紹介しているものと同じものでした。なので割愛。

今日は初めて見た6~8期生分を紹介します。
残念ながら裏書はなかったので、写っている練習生や状況はわたしが調べました(推測込み)。

教員列(椅子列)は省略(スイマセン💦)。


2列目左から
竹下勝典さん(8期)
偵察
19年2月6日 802空 トラック(雄飛会戦没者名簿)



碩一夫さん(7期)
操縦 艦戦
17年10月26日 瑞鳳 南太平洋海戦


三島輝夫さん(7期)
操縦 艦攻
真珠湾時加賀艦攻隊。
19年6月19日 601空(翔鶴発艦) マリアナ沖


高田満さん(6期)
偵察 偵察機
20年3月19日 343空偵察第4飛行隊 四国上空の空戦



塚本一正さん(6期)
偵察 水上機
戦後生存


高藤幸一さん(6期)
操縦
19年12月7日 病気加療入室中に病死(雄飛会戦没者名簿)


米満孝人さん(6期)
偵察 飛行艇


谷元勝さん(6期)
偵察 中攻


磨田甚造さん(7期)
偵察


牛島静人さん(7期)
真珠湾時瑞鶴艦攻隊(電)。
戦後生存。


米本義人さん(8期)
偵察 飛行艇
17年10月15日 東港空 ソロモン ヒ連送のち行方不明




3列目左から
八幡一喜さん(7期)
偵察 戦死時百式司偵
18年7月1日 151空 ソロモン写真偵察消息不明


高橋幸人さん(7期)
偵察 中攻
17年8月24日 三沢空 ソロモン索敵哨戒
※戦死時のペアの主操は8期根津弘史さん


浦田健治さん(7期)
偵察 中攻
17年9月11日 木更津空 ガダルカナル


中島政時さん(7期)
偵察 艦攻
真珠湾攻撃時飛龍艦攻隊
19年8月2日 761空 テニアン(雄飛会戦没者名簿)
※横手正明さん(甲1)がご遺族に伝えたところによると19年5月20日、テニアン基地より索敵に向かい1010「ワレ敵機ト交戦中」と打電後消息を絶ったとのこと。


雲野武明さん(7期)
偵察 中攻
17年2月2日 705空 ソロモン(敵空母攻撃 雷撃)
※戦死時のペアの主操は9期の島子栄二さん


角田金次郎さん(8期)
操縦
20年6月8日 801空 沖縄(雄飛会戦没者名簿)


西義武さん(7期)
操縦→偵察 中攻
18年2月2日 705空 ソロモン(索敵)
※戦死時、雲野さんとは別の戦闘行動。ペアの主電は9期川原与三郎さん。


東富士喜さん(8期)
操縦 艦攻→戦爆
戦後生存


島田豊さん(7期)
偵察
19年2月17日 11航戦司 トラック(雄飛会戦没者名簿)
※七期雄飛会『予科練のつばさ』では「十一航艦」。


松村美龍さん(7期)
偵察(電) 飛行艇
19年6月4日 東港空 南洋群島哨戒中天候不良により行方不明(雄飛会戦没者名簿)


田中一則さん(8期)
操縦 艦攻
真珠湾攻撃時加賀艦攻隊
19年10月24日 攻撃256飛行隊 比島沖海戦 



調べてみたのですが、消息がわからない人がいます。
雄飛会戦没者名簿や同期生会誌なども見てみたのですが、日付か航空隊が間違っているのでは?という方も。行動調書を探してみたけど見つからず、わからないまま書いています。



並び順はこんな感じです。
白が6期生、青が7期生、黄色が8期生です。
6期生を中列中央に集めた以外はわりとフリーダムな並びです。

以前も書いたかもしれませんが、7期の碩一雄さん。
『予科練外史』では福岡になっていますが、『予科練のつばさ』、『雄飛会戦没者名簿』では熊本になっています。
あと、『予科練のつばさ』『雄飛会戦没者名簿』では戦死時「瑞鶴」になっていて、さらに橿原神宮の瑞鶴の戦没者名録にもお名前が刻まれていますが、Kさんご教示で戦死時「瑞鳳」のようです。アジ歴の行動調書や瑞鳳戦闘機隊写真で確認とれています。


一人熊本出身で探したところ、お名前が入らなかった人がいました、
6期生だろうと思ったので(7期・8期は以前氏名を入れたので)、6期生の近隣県出身者を重点的に探したところ、『予科練外史』で鹿児島出身となっている谷元勝さんが写っているのでは?と思いました。
卒アルの谷元さんはこの方です。


上の写真で熊本出身者としてお名前が入らなかったのはこの方なんですがいかがでしょうかね?
わたしは谷元さんかなと思って上ではそのように紹介したのですが。
『予科練外史』の出身県と違う県の集合写真に写っているのはたまにあると言えばあるので、鹿児島出身となっている谷元さんが写っていても特別おかしいということもないかな、と。
事情は分かりません。






場所は横須賀の予科練の庁舎前ですが、問題はいつ撮影されたのものかな、という点です。

写真を見ると、6期生の階級章は2空(海軍2等航空兵)。7期生も2空。8期生が3空の階級章をつけています。


6期入隊(昭和10年6月1日)から6期が卒業した昭和13年(1月10日ですが)いっぱいに関して、進級状況を表にしてみました。

6期2空、7期2空、8期3空という状況は、
薄いピンクベタの部分です。
昭和12年9月1日~6期が卒業する13年1月10日まで。
さらに、みんなの軍服が1種なので10月1日?からに限定されるでしょうか(海軍の衣替えの時期を正確に知らないのです💦)

この間に、日の丸を出して写真を撮る機会と言ってすぐに思い浮かぶのは明治節でしょうかね。

卒業式の県別集合写真で日の丸を出してとっているのは見たことがないので、明治節の可能性が高いような気がします。
昭和12年11月3日。





※画像は6期生、8期生ご家族ご提供

【超重要】行軍における海軍兵の携帯食に関して2025年10月08日 15時00分17秒

以前、若き日の太田敏夫さんのところで出した行軍の食パン写真。


「諏訪公園行軍 昭和十年九月八日」

通信学校の遠足、みたいな写真なんですが、食べているのが分厚い食パンなんですよ。



そのときに、
「予科練の行軍で食パンを食べているのって見たことがありません。
通信学校と予科練の違いなのか、あるいは時期差(通信学校は10年頃、9期は13~15年)なのか。」
って書いているんですが。



見つけてしまいました!

予科練の食パン写真!!(;゚Д゚)
しかも添え書きが「諏訪公園ニテ」!!

同じ場所だ!!

しかもこれ、乙6期なんですよ。
乙6期は昭和10年6月入隊です。
階級章が見えないので、いつの行事かまったくわからないですが、わたしの思い切り偏見込みの感想を述べるとすると、みな初々しく見えます。



ほら、かわいい顔してうれしそうに食パンをほおばっているでしょう?
6期はまだ極められていなくて、お顔を見て○○さんと指摘できるところに達していません。申し訳ないです。

見落としていたんですね、この写真。
通信学校だけ行軍で食パンを食べていたわけでもなかったみたいです。

ただ、9期生が屋外でものを食べている写真を複数見ていますが、どれも食パンは食べていなんですよね。
昭和10年頃――というのはちょっと関係あるのかもな、と思っています。



とにかく、
「予科練生も諏訪公園で分厚い食パンを食べていた」
という重要な歴史的事実が発覚したのでご報告でした。



※画像は6期生ご家族ご提供

進級表 改訂版22025年08月26日 10時01分11秒

昨日出した進級表改訂版、丙飛の方の4等兵時代が1ヶ月多くなっていたので、訂正しました。



丙3の予科練・飛練期間も追加してみました。

進級表 改訂版2025年08月25日 20時39分19秒

進級期間の表、改訂しました。

改訂点

・操練・偵練・丙飛の方を加えてみました。時期差あります。

・乙6と乙7で、月のなかばに進級していることがあったのですが、わたしの(Excel&llustratorの)技量未熟の為、「ひと月」単位以外で処理ができずに適当につじつまを合わせてひと月単位で表示していました。
甲飛の進級表を作る際、どうしても3等兵期間と2等兵期間が「半月」であるということを表示する必要に迫られ、研究した結果、半月単位で期間を表示することが可能になったので、乙6と乙7も正確な期間に近づけた表示に直しました。
いままで出した3つのうち、これが一番正確です。

・もし、自分のご先祖様の進級期間も可視化してみたい、という方のために、最下段に空白行を設けました。一枠ひと月ですのでご自由にどうぞ。