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誰かと思ったら・・・・2010年12月07日 15時52分56秒

ついさっきのできごとです。

3時まで仕事でした。

いつもは出勤簿を書きに庁舎に戻るのですが、昨日間違って見込み出勤簿を提出してしまったので、
「指摘されるまでバックレテやろう」
とたかをくくったワルママは、庁舎に寄らずにそのまま駅に向かいました。

いつも通らない道を通りました。

コンビニの前の信号が赤だったので信号待ちをしていました。
でも、車、来ない。
「渡っちゃおうかな~」
と、今日はなぜか異様にワルママ。
渡ろうと一歩踏み出そうとしたとき、白い軽自動車がこっちにウィンカーを出しながら突っ込んでくるのが見えました(右折)。

「チッ! 車が来た(-_-)」

しかたないので(?)止まったら、その軽自動車、右折ではなく、ママが立っていたコンビニの駐車場入口目かげて入ってきたのでした。

「あっ、こっち来た」
と思って、数歩下がったのに、その軽、スピード落として、ガーッと窓が開いて・・・・。
中から黒いニット帽にちょびひげの若い兄ちゃんが顔を出しました。

「ゲッ! ヤンキーに難癖つけられる!?(゜_゜;)」
と、思いながら、よくよく兄ちゃんの顔を見ると、むかし家庭教師をしていたゆうき兄ちゃんじゃあ、ありませんか。

いまではすっかりヤンキー系になってしまっていましたが、”ちゃんちゃい”のときから知っているんですよ、かれ。
ものすごくかわいかったんです!

当時はまだそこの兄ちゃんの家庭教師だけしていて、ちゃんちゃいのゆうきはまだ幼稚園にも行っておらず、いつもじいちゃん(もと936空整備兵曹)とお絵かきなんかして遊んでいました。

ママも、布製のサッカーボールで、ゴールキーパーさせられたことがありました。

小学1年になってからゆうきとも勉強するようになり、6年まで続きました。
ゆうきが5年の時に春海が生まれたんですよね、たしか。

最後の1年は赤ちゃんの春海を連れて通っていたのですが、いつもゆうきが春海のことを気遣ってくれました。
ベビーカー持ってくれたり、荷物持ってくれたり。

卒業前は、パパママ一家とゆうきとで伊賀上野に遊びに行ったこともありました。ゆうきは春海のベビーカー担当。
車の中も、後席で、ベビーシートの春海とずっと一緒に座っていました。

家庭教師をやめてからは、会うのは年に1度とか、数年に1度になってしまったわけですが・・・・。

最後に会ったのは、たしか、ゆかねえの結婚式の時だから2年半ぐらい前。かれ、高校生だったな。

今日、久しぶりに会ったら、黒いニット帽、ちょびひげ、シルバーの指輪なんかして、ホンマにヤンキーみたいになっていました(^_^;)
でも、とーちゃんがめちゃめちゃ怖い人なので、ホンマのヤンキーにはならんと思います。

車に乗っているのも初めて見たので、思わず、
「仕事?」
と聞いてしまいましたが、かれ、
「学校」

そーだった、かれ、看護系の学校に行っているんだった・・・・(^_^;)
頑張ってな~\(^_^)

春海、着物を作ってもらう2010年08月05日 19時58分07秒

春海、着物を作ってもらいました(^o^)

写真左に写っているお母さんは、以前、ママが家庭教師をしていた家のお母さんです。

そこの一番下の女の子(3人兄妹)が、和裁の学校を出て、春海に着物を作ってくれました。
中の襦袢も、かわいい襟をつけて作ってくれました。

本当は半年ほど前に完成していたのに、
「届けに行きます」
と言われたときに、春海が病気で、
「治ったら、こちらから取りに行きます」
と言って、その後、ママの気管支炎が長期間治らなかったために夏になってしまいました(゜_゜;)


着物

着せてもらったら、袖と裾が、彼女の想定より短くなってしまっていたみたい(゜_゜)
ゴメンよっ!(>_<)

袖と裾の調節のしかたはお母さんにうかがっているので、自分で調節するね!


おかっぱにこの柄の着物。
春海は、ちょっとでかい座敷童みたいでした(^O^)


ちゃんと着たら座敷童なのですが、コレを脱いだら襦袢姿。
ピンク系のかわいい柄の襦袢なんですよ。
春海は、
「それだけでも着たい!(^O^)」
と言って大変。 時代劇に出てくる女郎みたいなんですけど!!(゜_゜;)


思へば・・・・

彼女と一緒に勉強をするようになったのは、彼女が小3か小4ぐらいのときだったのではないでしょうか・・・・。
いまの春海と同じぐらいだったような・・・・。

そもそもは一番上のお兄ちゃん(当時中学生)の家庭教師をしていて、妹さんたち2人も・・・・ってことになって・・・・。

着物を作ってくれたおねえちゃんは一番長くお付き合いしたんですよね。高校受験まで。
生まれた直後の春海を客間の畳の上に寝転がして、横で勉強してもらっていたなあ(^_^;)

意外と泣かなかったんですよ。
ずーっと寝ていた・・・・(-_-)゜zzz…

あとの方になるとうろちょろすることもあったけど(^_^;)

もう、あの頃から7年8年経ったのかー。

当時はビーズ細工に熱中していたおねえちゃんが、いまでは春海に着物を作ってくれるようになったんですよ(T_T)
うれしいっす(T_T)

冬になったら、袖と裾を調節して着せてみます。
ゆいちゃん、ありがとう!!(^O^)

海軍さんだったwwwww(゜o゜)2008年08月24日 19時28分29秒

13、4年前から、10年ぐらい家庭教師に通った家はお父さんとお母さんが共働きでした。
で、いつもじいちゃんとばあちゃんが子供たちの世話をしていました。

ママが家庭教師に行くと、いつもおやつを持ってきてくれるのはじいちゃんかばあちゃん。
ばあちゃんの話は今日の本題ではないので、じいちゃんのことをちょっと。

今年83歳らしいので、当時は70代だったのでしょうか。
ゆる~いじいちゃんで、好物はミスドとハンバーグらしい。ママと気が合いそうだ。
そこの長男が小4、次男が3歳のころからママは通っているのですが、そのころはよく次男のお守りをしていて、お絵描きに付き合っているようなじいちゃんでした。

次男が小学生高学年だったと思うのですが、何の拍子か、
「じいちゃん、戦争に行っていたらしい」
と教えてくれました。
わたしの記憶が正しければ、「陸軍」で「大陸」の方におったとか、そんな話でした。

終戦時、二十歳だよなあ。戦争行ってはったんかあ。陸軍で中国かあ。苦労しはってんなあ・・・・。

と、思い込み、そこで終っていた話なのですが。

去年だったか、このじいちゃんが、実は海軍の936空の整備兵曹だったことが判明。

詳しい方に聞いた話では、936空は零式三座水偵の部隊だ、ということでした。
じいちゃんはどうも発動機の担当だったらしい。

海軍に入る前、大阪の陸軍の工場か何かに行っていたらしく、おそらくそこから「陸軍」ということになったのではないかと。
終戦時、936空でセレター基地にいたらしいのですが、それが「大陸」ということになったのか。
終戦後はすぐに復員できず、苦労されたようです。でも、じいちゃん自身はそんなに苦労とは思っていないような?

まあ、とにかく海軍の、航空隊の、二整曹だったとわかり、
「そんなじいちゃんに『先生』『先生』と大事にしてもらい、おやつまで運んでもらっていたのかーーー!!!! おそれおおいこっちゃ!!」
とびっくらしたのでありました。

おい、孫ども、もっとじいちゃんを敬えよっ!

家庭教師とおやつ2008年02月13日 21時15分41秒

パパがもらってきたバレンタインチョコ
タイトルと画像は無関係です。
myukumaさん、よしむらさん、パパに(実際はママと春海に)チョコを下さってありがとうございます♪
お皿は赤膚焼き陶芸教室でママが作ったお皿です。

さて、本題の「家庭教師とおやつ」ですが。
ママは10年ぐらいにわたり、6軒ほどのお宅に家庭教師に通いました。

家庭教師につきものなのは勉強後の「お・や・つ☆」ですね。
軽いものではクッキーとか煎餅、重いものならケーキ、サンドイッチなど、まあ、いろいろ出していただきました。
いま思い出せるものだけでも、ミスド、わらび餅、果物、プリン、ヨーグルト・・・・手作りのお菓子のときもありました。
変わったものでは・・・・その日の晩ご飯の一部ってのもありましたね。
困ったおやつもあって・・・・いや、嫌いじゃないんですよ。早く帰りたかったのに、デラウエアが一房出てきて、食べるのに非常に手間取ったことがありました。

春海が生まれてからは春海にまでおやつを出していただいて本当に悪かったなあ、ありがたかったなあ、と思っています。

時給でお給料をいただいた上におやつまで出してもらって、いつも「悪いなー」と思いつつ、食べながら「家庭教師を辞めたらきっと激やせするだろう」と期待もしていました。

ところがどっこーい。
まったく逆でしたね。家庭教師を辞めた途端にぶくぶくと太ってしまいました。
家にいるときはあまりおやつは食べません。なのに、どうして太ったのか?
家庭教師先がいずれも駅から遠かったんです。15分ぐらいかかるところばかりでした。毎日その距離を歩いていたら、おやつを食べた分ぐらい消費していたんでしょうね。
行かないようになってから、食べてないのに太る一方です。

だれか駅から遠い人、わたしを家庭教師に雇ってください。おやつ抜きで結構ですから(笑)。

若いって、いいねえ~2007年12月28日 19時48分38秒

お兄ちゃん、お姉ちゃんに一緒に遊んでもらいました
プールのコーチの先生が、
「春海、服いらんか?」
と言ってくださったので、先生のご自宅に遊びに行きました。
服は、ねえねが小学校高学年の時に着ていたものらしく、春海の好みにいまいち合致しなかったようで・・・・。袋いっぱいあったのですが、数枚だけ、もらって帰ってきました。

先生のおうちで遊んでいると、隣のゆうき兄ちゃんが、彼女のかずよちゃんを連れてやってきました。
ゆうき兄ちゃんは先生の甥っ子です。3歳の頃から知っていて、小1から6年間、一緒に勉強をしていました。春海を赤ちゃんの頃からかわいがってくれているお兄ちゃんです。
駅まで車で送ってもらったときなど、よくゆうきがドアを開けてくれたり、ベビーカーを車内から出して広げてくれたりしたなあ・・・・。
いま、もう、高校生。

今日はゆうきとかずよちゃん二人が、いっぱい春海と遊んでくれたようで、その間、ママは先生とおしゃべりできました。ありがとう。

今日は、かずよちゃんがゆうきんちの夕食を作るとかで、メニューはオムライスとか。じいちゃん、ばあちゃんと4人で夕飯するんだとよ。いいなあ(^_^)