いくつか追記 ― 2023年05月01日 10時34分37秒
知人からの情報提供で、乙1期が飛練教程を始めた日付がわかりました。
昭和7年12月1日。
倉町先生の記述(十一月二日、第一期飛行練習生として霞ヶ浦航空隊に入隊し、適性検査の結果)から、霞ヶ浦航空隊に入隊したのが11月2日としたら、1ヶ月間、「操偵検査など」をして飛練教程に備えていたのではないかと思います。
なので、「十一月二日、霞ヶ浦航空隊に入隊し、適性検査の結果、十二月一日から第一期飛行練習生として」という流れかと。
作り直しました。
乙3と4は相変わらず何の情報もなく、想像で「乙1・2と同じ流れなのかな?」と思っている程度です。
それと、乙13土屋光明さんのところに出した写真に関して。
坂田さんの遺品の中にあったこの写真です。
神武隊時代の松山での撮影らしいですが。
裏書き。
前列左から「坂田上飛曹」「園田中尉」「加藤上飛曹」、
後列左から「松岡二飛曹」「土屋上飛曹」「和才上飛曹」。
坂田清一上飛曹(乙9、彗星偵)、園田勇中尉(海機53、零戦)、加藤孝雄上飛曹()、松岡2飛曹()、土屋光明上飛曹(乙13、彗星操)、和才嘉信(喜作?)上飛曹(甲10、零戦)
加藤孝雄上飛曹→加藤孝男上飛曹(乙11、零戦)
和才嘉信(喜作?)上飛曹(甲10、零戦)→和才嘉信上飛曹(甲10、零戦)
だそうです。こちらも情報提供がありました。
ありがとうございます。
※画像は9期生ご遺族ご提供
Mさん、Tさん、ご教示感謝です。
いくつか追記2 ― 2023年05月02日 13時24分03秒
いつもありがとうございます。
さらに情報提供をいただきまして。
追記です。
予科練から飛練への流れ、ほぼ完成版になりました。
乙3、4期の予科練から飛練への流れに関してご教示いただきました。
飛練の「初練→中練」は何かに書かれていたわけではないですが、9期(飛練10期←新制度)から初練省略になっているので、3、4期も「初練→中練」の流れは変わらないだろうと思って書き込みました。
それと、
坂田さんの遺品の中にあった神武隊、松山時代の集合写真。
裏書き。
前列左から「坂田上飛曹」「園田中尉」「加藤上飛曹」、
後列左から「松岡二飛曹」「土屋上飛曹」「和才上飛曹」。
「松岡二飛曹」は丙15期の松岡清治2飛曹だそうです。
前列左から
乙9期
誘導隊(彗星、偵)
20年7月26日 攻撃102 沖縄方面偵察
園田勇中尉
機関学校53期
神武隊全体の集合写真では黄色いマフラー(直掩隊)を巻いているように見えるのですが、爆戦隊の人では?
この件はちょっと保留。
20年1月6日 戦闘316 第23金剛隊 爆戦 比島
加藤孝男上飛曹
乙11期
神武隊全体集合写真のマフラーの色は黄色(直掩隊)。
20年5月29日 戦闘316 東京湾
後列左から
松岡清治2飛曹
丙15期
神武隊全体の集合写真では紫のマフラーをしているようにあるので戦爆の方でしょうか。
20年4月1日 戦闘317 第1大義隊 戦爆 宮古島南方
乙13期
誘導隊(彗星、操)
20年7月26日 攻撃102 沖縄方面偵察 ※坂田さん戦死状況から
和才嘉信上飛曹
甲10期
神武隊全体の集合写真では黄色マフラー(直掩隊)のようです。
20年4月24日 201空 比島
この日付は比島の地上戦で戦死認定ということでしょうか。
先日、土屋さんのことを書いたときに、上の集合写真は彗星の操偵(誘導隊)1組、戦爆2名、直掩2名の6人組なのかなと書いているのですが、神武隊全体の集合写真のマフラーの色で見ていくと、白マフラー(誘導)の坂田さん&土屋さんが彗星ペア、黄色マフラー(直掩)が園田さん、加藤さん、和才さんの3名、紫マフラー(戦爆)は松岡さんだけ、となってしまい困惑しています。
園田さん、深井良中尉(兵72)の41期飛行学生時代の艦爆操専修生集合写真に写っているようにあるんですよね。他人の空似でなければ。
特攻戦死されたときも爆装の零戦で出撃されているので、神武隊時代も戦爆隊だったのでは?と考えています。
人数的にもしっくりくるということもあるんですが、わたしの想像です。
この件はまだ保留で。
※画像は深井さんご遺族、9期生ご遺族ご提供
Kさんご教示感謝です。
まっすぐな虹 ― 2023年05月03日 23時04分26秒
ゴールデンウィークは橿原神宮で陶器市だ!
と張り切って橿原神宮に行ったら、やっていませんでした、陶器市orz
何年も前のネット情報を見ていたみたい(;・∀・)
なので、お参りだけしてきました。
白い藤。
青紅葉。
航空母艦瑞鶴の碑。
碑にお参りに来ていた人が空を見上げて指差していたのでその方角を見たら、水平に虹が出ていました。
ネットで調べたら環水平アークっていうらしいです。
初めて見たので喜んでたくさん撮っちゃった。
乙1~9期 操偵検査、艦務実習の時期 ― 2023年05月04日 15時11分26秒
前回、「ほぼ完成」と出したのですが、知人が期間に空欄があるのに気づいて情報提供してくれました。
期間も埋まりました。
ありがとうございます!(・∀・)
これ、一番簡易版です。
もっと詳細にやろうと思ったら、
・操偵検査の時期、場所
・艦務実習の時期、派遣された艦
・飛練(初練・中練)の航空隊、期間
こういうのを調べられたらいいのですが。
現時点でわたしが把握しているのは9期だけなので、ボチボチやります。
ちなみに9期を詳細に書くとこんな感じ↓
時期は書き込んでいないですが、
予科練入隊・・・・13年6月1日
操偵検査・・・・14年6月ごろ(1学年の終わりごろ)
艦務実習・・・・15年3~4月(2学年の終わりごろ)
予科練卒業・・・・15年11月30日
飛練操中練・・・・15年11月30日~16年5月末、実用機・・・・16年6月~10月末
偵中練・・・・15年11月30日~16年7月末、実用機・・・・16年8月~10月末
※Tさんご教示感謝です
新沢千塚古墳群 ― 2023年05月04日 22時04分29秒
昨日、陶器市をやっていると勘違いして行ってしまった橿原神宮。
行ってみたら全然混雑しておらず「アレ?(;・∀・)」
駐車場に車を入れてしまったので、瑞鶴の碑にお参りをしました。
橿原まで来たついでに新沢千塚古墳公園に行ってみました。
じつはわたし史上初訪問!(ドヤっ!)
4世紀後半~6世紀にかけての群集墳です。
群集墳というのは、小さな古墳が密になっている古墳群のことです。
新沢千塚は教科書にも出てくるような有名な群集墳です。
橿原神宮から意外と近いところにありました(イマサラ感!)。
※以前作った地図の使いまわし。「新沢千塚古墳群」の「群」が抜けています<(_ _)>
橿原神宮前駅から西へ1.5キロほどの丘陵地帯。
レンタサイクルでまわるにはちょうど良い感じ。
アップダウンがあるのでできたら電動レンタサイクル!
古墳公園の駐車場の横にちょっとした休憩施設(地元物産販売所)があり、きつねうどんがあったのでまずは腹ごしらえ。
380円×2です!(・∀・)
味濃い目でおいしかったです。
群集墳、こんな感じです。
目につくところに小さなこんもりがポコポコ。
古墳群地図があったので写真を撮ったのですが、保存できていませんでした。
興味のある方は橿原市のページに公園マップが出ているのでどうぞ。
周遊歩道があり、ぶらぶらしながら古墳見学ができます。
でも、古墳すべてに案内表示があるわけではなく、いま見ている古墳がいったい何号墳か、さっぱりわかりません(^^;)
ほとんどが円墳で、たまに方墳とか前方後円墳もありました。
これ、前方後円墳。
かわいいですね~。
手前が前方部で奥が後円部ですが、後円部はひとが一人埋葬できるぐらいの大きさしかありません。
見てもらったらわかるんですが、墳丘は短い草?に覆われていて、その下は土です。探した限りででは葺石がある墳丘はないように思いました(見落としているかもしれませんが)。
今度ちゃんと報告書で確認しようと思います。
何の調べもないまま、行ってしまったので(^^;)
西方を望むと、北から二上山、葛城、金剛。
目の前は葛城市の本拠地。
明日香から葛城に抜ける途中なんですね、ここ。
解説板があった古墳。
115号墳。
教科書にも出てくる新沢126号墳。
金銀装飾品や、舶来ガラス製の器、銅製熨斗など、首長墳と比べても遜色ないかなり豪華な副葬品が出土しています。
墳丘は意外と小さい。
139号墳。
武人的要素の強い副葬品ですね。
古墳群の一角から畝傍山がきれいに見えました。
あの山の向こうが橿原神宮です。
81号墳。
48号墳。
こんな感じで古墳見学をしながら歩いてきました(橿原神宮と合わせて1万歩弱)。
千塚といっても本当に1000あるわけではなく、実際は600基ほどらしいです(それでもスゴイ!)。
新沢500号って、三角縁神獣鏡が出土した古墳があるはずなんだけど―――と思いながらまわっていたのですがありませんでした。
帰ってきて調べたら、古墳公園の群集墳の中にはないらしく。南西に1キロほど離れた丘陵上にあるそうです。それこそレンタサイクルでいかなきゃ、ってところですね。また今度。