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江田島、初訪問2010年12月13日 21時57分03秒

松山で開かれる泊まりがけの会合に出席するのに合わせて、「坂の上の雲」や戦闘301ゆかりの場所をめぐるツアーをするつもりだったのが・・・・。

ネットのニュースで「キラキラ戦艦大和 今年は赤城も」(ママ「キラキラ紫電改」も忘れないでね!)というイルミネーション記事を見て、急に呉に行きたくなりました。

「よし! 呉に行くなら、江田島と大和ミュージアムも!」

そのニュースを見て数分後には呉のホテル予約。

土曜日の朝早くに自宅を出て、京都から新幹線に乗って広島に向かいました。
1時間半で着いてびっくり!!

そこから呉行きの在来線に乗り換えて・・・・。
呉に着いたのが11時頃だったでしょうか。

まず、観光案内所に行って、
「兵学校に行きたいのですが」  
と相談してみたところ、すぐに船やバスの時刻表を出してくれました。
(「海上自衛隊第一術科学校」が長いので「兵学校」と言ってみたら通じた(^o^)わーい)

「見学できる時間が決まっています。それに最適な船の時間は、これと、これと・・・・」


案内嬢に、
「集合時間に1分でも遅れたら見学ツアーに参加できませんよ」
と脅されましたが、海軍は「5分前」が当たり前なので、「1分遅刻」なんて、とんでもねえぜ!

次の見学最適フェリー時間まで1時間以上あったので、先に、大和ミュージアムの横のレストランでお昼ごはんを食べました。


江田島行きのフェリーはこんな感じ。


20分ぐらいで江田島(小用)に着きます。



小用からはバスで。くねくねと5分ぐらい。

途中に「下宿あります」という看板が立っていたりして、海軍搭乗員下宿研究家(自称)のママとしては思わず注目。

海自の学生さんの下宿なんでしょうね。

「術科学校前」というバス停で降りたのですが、肝心の術科学校がまったく見当たらない・・・・。
全然「前」じゃないところにバス停があるんですよね(^_^;)

「学校はどこだーーー????(゜_゜;)」
そこで降ろされた(?)数人がキョロキョロするも、そこはただの道の狭い集落?

1人が歩き出したので、それについてママが歩き出したら、後ろから若い女性2人が着いてきて、
「こっちかな? とにかく着いていこう」
と無責任なことを言っているではないですか!?

この時「1分でも遅れたら・・・・」という案内嬢の脅し文句が脳裏を・・・・ひいっーーーー(>_<)

ママが選んだおっちゃんが正解でした。その人に着いていったら、無事、たどり着きました。
バスを降りたところから少し行って、ヘアピンカーブを曲がったところに正門がありました。

     ↑ママが着いていったおっちゃん。

受付後、見学者集合場所に行ってみると、20人ほどいたでしょうか。老若男女。
若いのは、男子高校生4人組。
案内係の海自OBの人につばつけられていました。
「帰りに住所書いていって」
と笑いをとっていました。

20代の女性だけのグループも数組いました。






大講堂。




生徒館。



教育参考館。
ここは中に入って自由見学できました。
50分後に入口に集合、ということで、禁止事項の注意後解散したのですが、とても50分ではムリ。
2階からまわったのですが、2階の最後の部屋で45分経過していました。
1階に下りてきて、残り5分だと焦って歩きながら見たのですが、最後の部屋―兵学校の沿革に関する部屋だったのでは?―の手前で、
「そろそろ帰りましょうか」
という案内係の人の声が。
「ええっ!?」
その部屋はぐるっと早足で一周しただけで、何も見れませんでした。
兵学校の期別の写真や78期の分隊写真があったのは見たのですが・・・・



向こうの松並木のさらに向こうが表桟橋だそうです。
案内係の人は、行ってもいいんですが・・・・と言われつつ、
「今日は横(表桟橋の右側)で訓練中なので、あまりうら若き女性が近くに行くと作業に身が入らなくなるから」
という理由で、今回は近づけませんでした。

うら若き女性より熟女(以上)の方が多かったんですけどね(-_-)
熟女でもダメなのか・・・・。


兵学校のみなさん、ここから巣立って、戦場に・・・・海に、空に・・・・。

ママの場合、近づけなくてよかったかも知れません。
大講堂も生徒館も、心を空にしておかないと正視できない感じだったので。






校内、いろんな制服・作業服の人たちがウロウロしていたのですが、撮っちゃいかんだろうな、と我慢していました。

帰り、バス停で、横に制服の自衛官の人が立っていたので、帽子だけならいいだろうと思って、記念にちょっと撮ってきました(^_^)v