乙9期 小林教員 ― 2026年01月30日 20時52分11秒
「知らない人」って言っちゃっているこの写真の前列真ん中の人。


どなたかわかりました、たぶん。
「もしかして甲飛の人か?」
なんて「とんでも説」までのたまってしまいましたが、お恥ずかしい限り。
どうやら13班の教員のようです。
お名前もわかりました。
小林教員です。

前に書いたときは、
「集合写真に写っている、操偵検査についてきた9期の教員の中にはおらんよなあ?」
なんてほざいています。

左端の方

右端の方
集合写真の中で事業服姿の下士官8人が予科練から練習生を引率してきた教員なんですが、
右の塊の中にいる、

この人が13班の集合写真の前列中央の人だろうという結論に達しました。
どうしてお名前がわかったかというと、

長椅子に座って見学中の小山内末吉・筑波空百里分遣隊先任教員(乙2、飛行服姿)と予科練の教員たち。
この写真に写っているんですね。13班の教員。

小山内さんの奥の奥。
そして、なんと!!

名札が読める!!
「小林教員だ!」
『九期生名簿』の鈴木光雄さんへの「おもいで」に、
二学年では鉄砲の小林班長の下で同班だったね
という高坂浪次さんのことばが。
「小林教員、操偵わかれてからは偵察分隊の教員をしていたのか。鉄砲屋(砲術)だったのか」
小林教員、9期の横須賀時代(13年6月~14年2月)の集合写真には見当たりません。
霞ヶ浦に移ってきてから、操偵検査までの間で転勤してこられたのではないかと想像しています。


14年夏の水郷めぐり。香取神宮。
24分隊。

操偵わかれてからの偵察分隊集合写真。


卒アルの小林教員。
9期が卒業するまでおられたんですかね。
飛行服写真では練習生と間違ってしまうという盛大なポカをやってしまったのですが、15年夏時点(かな? 9期生は15年6月に卒アル用個人写真を撮っている→練習生の個人写真は結局ナシ)で善行章3線のベテラン下士官でした。
その後、どうされたのか。
前線に行かれたのだろうか。
9期の教官・教員の中では大友文吉分隊長(少佐)が戦後生存されていてお付き合いがったようなんですが、それ以外の方々の消息はわたしはつかんでいません。
※画像は9期生ご遺族ご提供
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