523空の「三重基地」 ― 2017年09月09日 14時30分22秒
訂正があります。
先日、松沢正二さんの殉職のことを書いたときに、伊丹から「三重基地」に向かっていたと書いたのですが。
その「三重基地」。
わたしはてっきり「三重海軍航空隊」のことだと思っていたのですが、昨日、吉野泰貴さんの『日本海軍艦上爆撃機 彗星 愛機とともに』を読んでいたら、
『なお523空は鈴鹿基地を三重基地と称しているがこれは通称で、三重海軍航空隊(予科練、予備学生などの地上訓練を担当)とは別物である』
という記載がありました。
というわけで、523空の資料に出てくる「三重基地」というのは鈴鹿のことらしいです。

松沢さんが向かっていたのは鈴鹿海軍航空隊。
伊丹―鈴鹿ルートで、東吉野村で遭難したということは、直線ルートの雲が厚く、迂回しようとして南にまわったということなのでしょうかね。
古墳靴下 ― 2017年09月10日 13時25分26秒
今日は春海とサイゼリアにランチに行きました。

とうとう2品頼むようになった・・・・orz
もちろん、ママのパスタもつまみ食い。
今日は靴下を買いに行ってきました。
奈良の小西通にある靴下屋さん。

古墳靴下!!

しかも立体!!(笑)
後円部ははっきり段築、前方部も緩やかに膨らんでおります!
古墳靴下は男用、女用、あります。
刺繍バージョンだけではなく、全面に小さい古墳がプリントされたバージョンもありました。
さすがに「やりすぎやろ」と(笑)
わたしは刺繍バージョンにしました。
他にもシカの靴下とか、メイドイン奈良の靴下とか、おもしろい靴下がたくさんありました。
もともと奈良は靴下産業があるんですよね。
今日のにゃんこ ― 2017年09月11日 20時00分58秒
出勤途中、職場の近くで見かけました。


ドアの前で、お行儀よく座って待っていました。
帰りに同じところを通ったら、ちょうど家の人から中に入れてもらっているところでした。
※ずっと待っていたかどうかはさだかではありません
大雨&雷 ― 2017年09月12日 06時52分53秒
朝起きたら、すごい雨と雷でした。

電車は動いているみたい。
春海、学校行っちゃった。
登校途中の春海が送って来た写真。

遭難を心配するレベル。
警報出してや"(-""-)"
田中武三さんの手紙 ― 2017年09月12日 07時30分38秒
去年の11月に島田清守さんの遺品を見せてもらいに行ったときに、島田さんが乙10期の田中武三さんからもらった手紙の封筒を見つけました。

田中武三さん
島田さんと同郷の埼玉県出身の艦爆操縦員。
17年10月26日 翔鶴 南太平洋海戦で戦死。
この封筒に関して、わたしはここに書いたと思っていたのですが、検索しても出て来ないですね。
書くだけ書いて、管理画面に置いておいて、そのままになっているようです(-_-;)
検閲印が押してあったんです。
その検閲印のことを書いたような気がしていたのですが・・・・。気のせいでした。
K上飛曹にまで聞いたのに、どうやら書いていなさそう。ブログ内検索をしても出てこないorz
この封筒です。

佐世保局気付
軍艦瑞鳳搭乗員室
島田清守兄

大分県
宇佐航空隊第一分隊
一月十九日 田中武三拝
で、検閲印ですよ。

「伊吹」
これって、真珠湾攻撃時、加賀艦爆隊分隊長の兵62期出身の伊吹正一大尉のことだと思うんですよね。
『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢・吉野泰貴)によると17年1月に宇佐空の分隊長兼教官になっているそうです。
ところが。
同期生から瑞鳳の島田さんに来ていた手紙には、検閲印がなかったんですよね・・・・


差出人は別々の同期生ですが、どちらもないです。裏にもないです。
わたしのイメージでは(スイマセン)、軍隊で手紙のやりとりをするときは検閲を受けるのだろう、と思っていました。
たとえば、実家に出すときに、町のポストにこっそり投函すれば検閲は免れられる。


差出人は別々の同期生ですが、どちらもないです。裏にもないです。
わたしのイメージでは(スイマセン)、軍隊で手紙のやりとりをするときは検閲を受けるのだろう、と思っていました。
たとえば、実家に出すときに、町のポストにこっそり投函すれば検閲は免れられる。
でも、隊に届く分、隊から出す分は全部検閲を受けるんだろうと思っていました。
ところが、9期の同期生が瑞鳳の島田さんに出した手紙は、下宿から出した手紙も隊から出した手紙も、検閲を受けていないんですよ。
「なんでだー!?」
と、ずっと疑問だったのですが、K上飛曹に聞いてわかりました。
いや、わかったかどうかわからないけど、ひとつヒントをもらいました。
ところが、9期の同期生が瑞鳳の島田さんに出した手紙は、下宿から出した手紙も隊から出した手紙も、検閲を受けていないんですよ。
「なんでだー!?」
と、ずっと疑問だったのですが、K上飛曹に聞いてわかりました。
いや、わかったかどうかわからないけど、ひとつヒントをもらいました。
↓数か月前の管理画面を探したら編集途中の記事がありました。
K上飛曹に聞いたんです。
「海軍時代、手紙の検閲を受けていましたか?」
って。
そしたら、
「練習生時代は班長(と言われたと思う)に手紙を渡していた。その班長が検閲をしていたと思う」
班長がどういう人かまでは聞きませんでした。
田中さんの場合は「分隊長」ですよね、伊吹さん。
「実施部隊に出てからは手紙はふつうに出しとったで」→検閲は受けていなかった
だそうです。
なるほど!
練習生か一人前の搭乗員かの違いなのか!
と。
上の封筒の田中さんはまだ練習生の身分です。宇佐空で飛練16期の艦爆操縦の訓練中。
それに対して、9期の同期生二人の手紙は飛練を修了し、特技章をもらって、実施部隊に着任してから出している手紙でした。
イメージでは、軍人さんは手紙を出したりもらったりするときは必ず検閲を受けるのかと思っていましたが、K上飛曹のお話、あるいは島田さんの遺品の手紙からすると、「練習生は検閲を受ける」「一人前の搭乗員は検閲なし」みたいです。
ただ、ちょっと時期は下りますが、深井良中尉(兵72、20年5月11日戦死)が特攻出撃の前日、実家に宛てて出したハガキ(遺書)には当時の飛行隊長の検閲印が押してありました。
ちゃんと検閲の決まりがあったはずです。
それを調べないと正確なことはわからないですね。
ただ、一律に「軍人さんとの手紙」→「検閲を受ける」ではなかったようです。
上の田中さんの封筒、中身がなかったなあ、と思っていたら、再訪時に便箋を発見!
しかし、書いた日付は2月18日でした。
少なくとも、島田さんは田中さんから2通は受け取っているんですな。
2月の手紙、ほとんどは「戦況に関して」のような感じです。戦の話。
最後にちょこっと二人の共通の知人の近況報告がありました。

鈴木も今は大分空の二分隊に移り猛訓練中です。又河合は一月末木更津の一分隊に行きました。武田期長も元気でやって居ります。
キターーーーー!!!!(・∀・)
武田期長!!

9期の武田清さんです!
病気で卒業が遅れ(進級は遅れていない)、10期と一緒に卒業、飛練は16期に進みました。
よって、飛練16期では「期長」と呼ばれていました。
宇佐の武田さんは元気にやっていた!
この情報だけでうれしいのだ!
島田さんの同期生なので、田中さんが「元気だよ」と近況を伝えたのでしょう。
ちなみに「鈴木」は10期の鈴木善三郎さん。
鈴木善三郎さん
乙10期 埼玉 戦闘機
17年5月4日 赤城 殉職

乙10期 埼玉 戦闘機
17年5月4日 赤城 殉職
問題は「河合」。
最初。9期で次期回しになった河合敏さん(中攻操)のことかと思ったのですが。

よくよく見ると、この「河合」という人、1月末に木更津に行ったと書いてあります。
河合さんが宇佐から木更津にかわったのは辞令上は17年3月末のはず。
「違う河合か? ほかにも宇佐から木更津に行った河合さんがいたのか? 同郷の人か?」
ということは、籍、というか辞令上は3末まで宇佐空だったけど、実際は2月3月は木更津に移って訓練していたということでしょうかね。
17年1月末ぐらいのタイミングで、宇佐から木更津に移動した飛練の期に「河合」という人がいないか探したのですが、見つかりませんでした。
ということはやっぱりこの「河合」は9期の河合敏さんのことか。
それにしても呼び捨てとか!(;´Д`)
9期も、8期から次期回しになった持田竹雄さんのことは「持田さん」、三浦駿一さんのことは「三浦君」と、いちおう呼び捨てにはしていません。先輩やからね(^^;)
※画像は9期生ご遺族ご提供
「河合」て。