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国見新太郎さん2015年09月11日 10時34分01秒

※国見さんのことを調べられている方がいたらご連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com



戦後編集された乙10期同期生会誌『とんぼ(2分冊)』の生存者編の冒頭に、予科練の国語の教官・倉町秋次氏の特別寄稿が載っています。

『今日、五月三十一日、十期二三三名が卒業する。』

で始まる寄稿文です。

16年5月31日です。

『十期卒業おめでとう。御機嫌よう。太平洋の波はようやく高からんとする今、飛べよ若鷲。翼なき我らは、君らの若い翼に千万の想いをこめて送る。
駅まで行きたいが、四時間めは教務があるので衛兵所の傍で送る。送る列のはずれに国見新太郎が立っていた。
「残念だなァ。」と言うと、今までこらえていたのだろう、涙は堰を切って泣きだした。一人で衛兵所の裏に行ってしまった。
既に先頭は玄関前を出発した。司令・教官たちは玄関前に並んで送っている。挙手の礼を捧げたまま行進は衛兵所に近づいてくる。
「泣くな、国見。」
俺は肩をかかえて言った。
「教官、残念です。」
「わかる。わかる。」
「・・・・」
「何も言うな。お前が泣くと俺も泣きたくなるじゃないか。」
「・・・・」
「な、国見、元気を出せ。二人でお前の戦友を送ってやろうじゃないか。」
「はい。」
「・・・・」
「教官!」と言って、俺の手をしっかり握りおった。
国見は九期生で入隊した。胸部を患って十期となり、今十期を後れて更に十一期になった。いつの間にやら、これも疾病で次期編入になった村井も来ていた。俺は二人を連れて送る列の端に立った。隊門の前には幾台ものトラックが待機している。彼らはトラックに分乗した。国見はトラックの間を縫って、
「しっかりやれよ! しっかりやれよ!」と赤い目をしたまま叫んでいた。』





10期の予科練卒業。    ※10期卒業アルバムより







倉町先生が書いている「国見新太郎」というのは、もともと9期で予科練に入隊した人です。
のち中攻偵察員になり、20年1月30日、南西諸島方面にて戦死。



ずっとお顔がわからなかったうちのお一人だったのですが、7月下旬に氏名入り班写真を送っていただいて、
「あー、この人が国見さんか・・・・」
と、判明しました。




ほぼ同時期、一日か二日違いだったと思うのですが、坂田清一さんの遺品の写真をご遺族の方に送っていただきました。
その中の一枚に目が留まりました。

坂田さんと一緒に写っているのは国見さんじゃないか?


軍服や階級章などから、おそらく17年夏と想像します。

当時坂田さんは鈴鹿航空隊の偵察教員。

もしかしたら、同じ時期に国見さんが練習生として鈴鹿航空隊にいたのだろうか?

11期と一緒に卒業した国見さんは飛練を16年9月から17年7月までやっています。ただ、どこの航空隊でやったのかがわかりません。

坂田さんの方は左袖に特技章が見えますが、国見さんの方は隠れているのかつけていないか見えません。わたしは「つけていない」んじゃないかと思っているんですが。

つけていない、として。
だとしたらやはり鈴鹿で飛練中の可能性が高いのかな、と思います。

残念ながら写真には写真館の刻印がありません。それだけでもあれば、手掛かりになるのですが・・・・。




9期の他の人たちは、わたしの手元にも飛練や実施部隊の写真があるのですが、次期回しになってしまった竹田さん、武田さん、河合さん、国見さんはその後の写真がありませんでした。

去年、10期の久保さんの写真の中に武田さんや河合さんが写っているのを発見したときと同じぐらいうれしかったです、この写真。




※画像は9期生ご遺族、10期久保さんご提供

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