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ある日のホリブン@群馬中島飛行機2011年06月13日 08時24分07秒

「ホリブン」と書きましたが、19年のお話なので、正確には「堀上飛曹」です。

K上飛曹に、ホリブンのお話をねだりするようになった初期の頃に、
「堀さんと最初に出会ったのは、19年の夏頃やったか・・・・群馬の中島飛行機。零戦の受領に行っていたとき。向こうも台湾から零戦を取りに来ていて偶然会った。そのときは本当に”会った”というだけ」
ということをお聞きしました。

たしかにK上飛曹が言われる19年夏、堀さんが台湾から内地に戻ってきていたことは、渡辺洋二さんの『局地戦闘機「雷電」』でも確認できます。

でも、これによると、高雄空の斎藤順大尉や吉田年宏上飛曹たちと雷電の講習を受けに帰ってきていたということなので・・・・(7月下旬ぐらいの話らしい)
このときはそのまま雷電を高雄に持ち帰っているので、”零戦の受領”というのは別の時の話なのでは・・・・。



その話はそこで終わっていたのですが、先日、吉田さんの手記を読んでいたら、三亜空時代に中島飛行機に零戦の受領に行った話が出ていました。

吉田さん、自分のこととして日付時間入りで詳細に行動を書かれているのですが、三亜空時代、堀さんと行動されることが多かったようで、”吉田さんの行動=堀さんの行動”という部分がかなりあります。

中島飛行機に零戦を取りに戻った件も、堀さんと一緒でした。
19年4月17日から26日まで(この間、受領待ちのため一時的に離れていた期間もある)。

なので、今回、K上飛曹に堀さんの当時の行動表(吉田さん手記を元に作製)を差し出して、
「堀さんと初めて会ったのはこのときってことはないですか?」
と尋ねてみたのです。

K上飛曹、日付をじーっとご覧になられて、
「いや、違う(きっぱり)。19年の7月の終わりか、8月やったと思う」
と。

吉田さんの手記は三亜空時代で終わっていて、高雄空時代のことがわかりません。

ああ、じゃあ、もしかしたら、雷電を台湾に運んで、とんぼ返りでもう一度内地に零戦を取りに戻ったのかもなー。

中島飛行機にも待機所みたいなところがあって、そこで堀さんたち台湾からの面々と顔を合わせられたのだそうです。
「堀さんと、横山・・・・、清水・・・・やったかな?」

おお!! それは!
『汽車が愛媛県波止場駅にとまると、ゴゥオーという飛行機を引き起こすときのエンジンの轟音が耳に入った。私たち三人、即ち私と横山(上)飛曹と清水一飛曹の三人は、前後四日間にわたる長い汽車の旅で全く疲れ果てていたが・・・・』
堀さんの『紫電改空戦記』に書かれた、台湾から松山へ転勤してきたときの記述です。

同行者、横山兵曹と清水兵曹。おそらく横山友一さんと清水俊信さんのことと思われます。

K上飛曹も、
「のちに松山の343空にあのとき中島飛行機で会った3人が転勤してきてびっくりした」
と言われていました。

まあ、とにかく、19年夏頃、横山さんと清水さんを引き連れて中島飛行機に零戦を取りに来ていた堀さんと初めて出会った、と。


わたし的には、今回はこれを確認できただけで大収穫でした。

ところが、K上飛曹、何やら思い出された様子。

「そういえばあのとき、菅野大尉が・・・・」

「あ、菅野さんも一緒に零戦の受領に行かれていたんですか?」

いちお、参考までに菅野さん↓ おにぎり中
菅野直大尉

「飛行機の下で工員がサボっているのを見て、エライ怒ってなー。『棒持ってこいっ!!』」

あ!! その話は聞いたことがある!!

『最後の撃墜王』に『神風特別攻撃隊の記録』の中島さんの記述を引用する形で、”九月末頃”、菅野大尉を(零戦受領目的で)内地に帰した、という話が出ています。
そのときのエピソードとして、中島飛行機で、飛行機の下でサボっていた工員を「できるだけ節のある」棒で殴ったという話が出ていました。

K上飛曹の話のニュアンスでは、菅野さん自身が殴ったということではなく、連れていた部下にやらせたようなニュアンスにとれたのですが・・・・。

まあ、それは今回はどうでもいいんです。
驚いたのは、
「そのとき、菅野大尉はその場にいた堀さんにも『おまえらもやれ!』と言った」

ガーン・・・・(゜Д゜)

直属の部下ではないにしても、大尉が上飛曹に「やれ」と言ったのですから・・・・

ところが!
「『やれ』と言われたのに堀さんは来なかった」

おおっ!!(^O^)                それってアリですか!?

とにかく、その後(343空時代)のことも含めて、堀さんは一貫してそういうことは好かん人やったらしいです。

わたしはこの話を聞いて、(心の中で)感涙にむせびました(T_T)

「K上飛曹! よくぞ思い出してくださった!!」


『紫電改空戦記』には、20年1月、松山に転勤してきてあいさつに出向いたときがさも菅野隊長との初対面のような印象の書き方をされていますが、実はどうもそれ以前にそういうことがあったようです。

ホリブン的には中島飛行機での一件は、手記に書きたくなかった出来事あるいはすでに記憶から抹消してしまった出来事だったのか・・・・(^_^;)




※9月末は高雄空では学生・練習生の教育修了、10月2日には司令から特攻の話、6日には台南基地に移動、12日から15日までは米艦載機と戦闘をやっているので(ホリブン手記や元高雄空教員の方からのご教示)、この時期に教員たちが内地に零戦を取りに戻ったという確証が得られていません。
『最後の撃墜王』のエピソードとK上飛曹の回想と日付のつじつまをどう合わせるか・・・・まだ結論が出ていません。