落下傘降下、その後 ― 2011年06月03日 19時42分26秒
藤本さんが、落下傘降下したのは20年2月25日の千葉県上空での空戦でのこと。
脱出までのことは前に書いたので省略。
無事に落下傘が開いて、そのショックで一時失っていた意識を取り戻したのでした。
降下中、足下を敵の機銃弾がすり抜けて行ったので、ハッと見るとそこに敵機が。
「撃たれる!」
と思ったけれども、それ以上は撃ってきませんでした。
地上に無事に到着。
気がつくと、竹槍を持った近隣住民に取り囲まれていました。
「米兵と間違われている!」
と気づき、慌てて頭に巻いていた日の丸のはちまきを見せたところ、住民たちも日本軍だとわかってひと安心。
菅野さんの場合もそうですが、顔面をやけどした状態で落下傘降下してしまうと、どんなに日本人顔の人でも米兵と間違われやすかったのでしょうか。
脱出までのことは前に書いたので省略。
無事に落下傘が開いて、そのショックで一時失っていた意識を取り戻したのでした。
降下中、足下を敵の機銃弾がすり抜けて行ったので、ハッと見るとそこに敵機が。
「撃たれる!」
と思ったけれども、それ以上は撃ってきませんでした。
地上に無事に到着。
気がつくと、竹槍を持った近隣住民に取り囲まれていました。
「米兵と間違われている!」
と気づき、慌てて頭に巻いていた日の丸のはちまきを見せたところ、住民たちも日本軍だとわかってひと安心。
菅野さんの場合もそうですが、顔面をやけどした状態で落下傘降下してしまうと、どんなに日本人顔の人でも米兵と間違われやすかったのでしょうか。
日本人だとわかってもらったあとは、大事にしてもらったようです。
負傷箇所の手当もしてもらいました。エプロンを裂いて巻いてくれたそうです。
そのときに警察の奥さんが飲ませてくれた甘酒の味は、いまでも忘れらないと言われていました。
負傷箇所の手当もしてもらいました。エプロンを裂いて巻いてくれたそうです。
そのときに警察の奥さんが飲ませてくれた甘酒の味は、いまでも忘れらないと言われていました。
藤本さんが脱出してしまったあとの飛行機は、千葉県多古町の田んぼの中に落ちたそうです。
戦後しばらく経ってそこを訪ねていったところ、田んぼの持ち主はもう越してしまって会えなかったそうですが、近所の人に、
「10年間、米がとれなかった」
と言われたとか。
アルバムには、飛行機落下地点の写真(戦後)も貼られていました。