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クリアファイルコレクション 四国編2011年05月01日 22時56分12秒

おみやげにいただいたクリアファイルです。

四国編。

まず高知。

坂本龍馬クリアファイル

龍馬のクリアファイル。
裏には家紋と「世の人はわれをなにともゆはばいへ わがなすことはわれのみぞしる」ということばと龍馬の署名が。
シブいデザインです。


愛媛・愛南町。

紫電改クリアファイル

紫電改展示館のクリアファイル。
以前、酒飲みの上官のクリアファイルを紹介しました。
今回はグッと来るバージョンです。

ホンモノですよ・・・・この紫電改・・・・。(小枠はCG)


ショックな出来事(゜Д゜)2011年05月02日 09時45分31秒

最近よく行っていたイオン◯ールのジョー◯ン(←パパからダメ出し食らうからいちお伏せ字に)。

昨日、
「何か新しいプラモ出てないかな~o(^-^)oワクワク」
と行ってみたら・・・・。

「あれ? ここにあった飛行機プラモ・・・・?(-_-)」

ママ目当ての飛行機だけではなく、同じ陳列棚にあった戦車も艦艇も現用機も見当たらない・・・・。

プラモコーナー、全部ウロウロ探してみたけど、車とかガンプラしかない・・・・。

近くでお掃除をしていた店員さんに聞いてみました。
「飛行機のプラモ、どこに行きました?」

「いや~、申し訳ないんですが・・・・(後略)」

というわけで!
行きつけの店からミリタリー系プラモがすべて撤去されていました!!!!(>_<)


ママが行ったとき、やはりミリタリー系プラモが置いてあった棚のところから、あちこち探し回っているふうの男性客がいました。この人もきっと、ママと同じ目的でお店に来たにちがいありません。

ママの周囲でも意外なところにモデラーがいたりしたし。

需要がないはずないんだけどなー???

柿崎実中尉のこと2011年05月02日 17時40分15秒

今日5月2日は、柿崎実中尉(兵72)が回天で出撃をした日・・・・。
回天ですから、これが最初で最後の回天での出撃ということになります、が、柿崎中尉はここにいたるまで実に3度、”特攻出撃”を繰り返していたのです。

回天の場合、潜水艦に乗りこんで港(基地)を出ていく”出撃”と、いざ会敵して回天に乗り込んで母潜から切り離される”出撃”と2段階の出撃があります。

柿崎中尉の場合、結局、4度、基地から出撃したものの、そのうち3度は機会に恵まれず無念のうちに帰投、4度目の出撃で、20年5月2日に最初で最後の回天での出撃になりました。

現代の感覚で考えても、柿崎中尉の苦悩はとても想像しきれるものではありません。
帰ってくるたびに、苦悩が深まっていった・・・・そんな印象です。



昨日の夜も、ちょっと調べ物をしていて神野正美さんの『空母瑞鶴』を読んでいました。
そこに、瑞鶴の准士官以上で撮った集合写真が載っています。大勢の中に柿崎さんも写っていました。


瑞鶴をおりて回天に移ってからの柿崎さんの残りの人生というのは、いったいどんな人生だったのだろう・・・・。
二十歳ちょっと過ぎの青年・・・・近い将来の自分の死が確定してしまっただけではなく、預かった部下まで一緒につれて死なないといけない・・・・。




去年の12月、呉・江田島に行ったとき、思いがけず柿崎中尉と出会えました。

大和ミュージアムに展示されている回天(右奥。左手前は95式魚雷)。

回天

この回天の前の展示ケースに、柿崎中尉が松政のおしげさんという女性にあてた手紙が展示されていました。
知覧の特攻隊員にとっての鳥浜トメさんのような・・・・回天搭乗員たちのお母さん代わりのような人です。

手紙の内容は・・・・。
どうも、おしげさんのところで酒を飲んで酔態をさらしてしまったようで、そのことを詫びるような内容でした。

読んでみた印象。
あくまで、わたしがそう感じた、というだけの話ですが。
詫びないといけないほどの醜態はなかったのではないかと。
これを口実に、おしげさんに手紙を書きたかったのではないのかな・・・・という印象を受けました。




あと・・・・江田島の教育参考館で見たのか・・・・。
柿崎中尉が”妹”幸子さんに宛てた「幸福とは・・・・」という手紙
わたしはずっと妹さんだと思っていたのですが、幸子さん、”妹”ではなく”親戚”だか”いとこ”だか、そんなふうに説明書きに書いてあったと思うのですが・・・・。

あの手紙は、妹さん宛の手紙と思って読むのと、親戚の女性宛だと思って読むのと、ちょっと印象が変わってきます。
いまだに、”妹さん”なのか、”親戚の女性”なのか、わたしにはわかりませんが・・・・。

※おしげさん宛の手紙も教育参考館も写真撮影禁止だったのでその場で見てきただけです。ママの記憶違いがあるかも知れません





兵学校時代の柿崎中尉。
柿崎実中尉 兵学校時代



いままでに書いた柿崎中尉のこと

柿崎実中尉
潜水艦
柿崎中尉との出会い
おしげさん
多々良隊・天武隊(伊47潜)
多々良隊壮行会
多々良隊出撃
天武隊出撃
『海底新聞』
回天戦用意!
柿崎中尉の最期


京都へ行ってきた2011年05月03日 17時49分00秒

毎年5月3日は、宮崎からじいじがやってきます。
みやこメッセでやっている刀剣市を見に来るのです。
兵庫の弟一家も一緒に待ち合わせをして、平安神宮横のだる満というおばんざいバイキングのお店でお昼を食べるのが恒例です。

今年は、じいじは4月にゴルフしに来たからもう来ないけど、パパママ一家は京都におばんざいバイキングを食べに行ってきました。

だる満


ミニ揚げ餅そば

ママはミニ揚げ餅そばとおばんざいバイキングのセット。
美味でした(^o^)
(パパはミニえび天そばおばんざいセット、春海は揚げ餅そば単品)


昼食後、刀剣市へ。
今年も海軍士官の短剣が何本か出ていました。
中にはベルト付のものも(これの短剣は拵えのみ)。


刀剣を見たあとは古書市へ。

目的があったのですが、ブツはありませんでした。
吉村昭さんの『総員起し』。これ、絶版?みたいで、書店に注文したけど手に入らなかったので、古書市で・・・・と思ったのですがありませんでした。
あと、豊田穣さんの『江田島教育』。豊田さんの本はたくさん出ていたのに、これはありませんでした。



何も買わないで帰るのもアレなので、中島正さんと猪口力平さんのアレ、とうとう買ってしまいました。

あと、97艦攻のこんなの↓が安く売っていたので。
97艦攻

村田さんの97艦攻と珊瑚海海戦の97艦攻(どちらも1/48 ハセガワ)が待機状態なので、参考にしようかなーと思って(^_^;)

でも、やっぱ、ママは”メカ”より、搭乗員がたくさん写っている写真の方がいいな~



みやこメッセからの帰りは、いつもの和菓子屋さんに寄って、かしわ餅と桜餅を買いました。

かしわ餅


結局、じいじが来ようが来まいが、うちらは5月3日は京都、ってことで!

墓碑銘2011年05月04日 20時44分53秒

今日は本を探しに奈良県立情報図書館に行ってきました。
ずいぶん前、源さんに、ここは戦史関係の本がたくさんある、と聞いて、行ってみたいと思いつつ、一人では億劫な場所なのでいままで行ったことがありませんでした。

今日はパパがいたので、連れてけとせがんで。

奈良県立情報図書館

何を探しに行ったのかというと・・・・。
先日、コメントに入れていただいた『水交』。
ホリブンのことが出てくる吉田年宏さんの手記を探しに行ったのです。

事前にネットで調べたら、1999年の分から所蔵しているととれる記載だったのですが、行ってみたら、1999年の1冊と、2010年の1冊、計2冊しかありませんでした(T_T)
目的の手記はナシ。

せっかく来たので、その周辺にあった戦争関係の本を「どれどれ?」と・・・・。

すごいものを見つけてしまいました!
零戦搭乗員会の会報!
20号分が1冊にまとめられていて、3冊ありました。

まず1冊目から。
ホリブンの手記もありました。『若き日の想い出』と例の菅野さんの最期に関する手記。
これらはすでに読んでいたのですが、『若き日の想い出』の方に、挿絵が入っていて・・・・。
「もしかして、これ、ホリブン直筆?」
18年1月7日(ホリブンの手記では8日)にラエ沖で被弾落下傘降下したときの模様です。
搭乗員が裂け目の入った落下傘にぶら下がって降下中。海ではサメが口を開けて待っている・・・・そんなイラストです。
搭乗員に手描きで「MIKAMI」って矢印が引っ張ってあります。ホリブンが描いたのかな?

会報を見ていると、どうもホリブンは会で会報担当の役をされていたか何かで、何度も名前が・・・・。
「わあ! ホリブンだあーーー(^o^)」
名前を見つけては喜んでいました。


他にないかなーと思いながらページを繰っていると、突然、『墓碑銘』という文字が飛び込んできました。

故三上(旧姓堀)光雄君
   追憶記
    (兵63)志賀淑雄
                                    ※志賀さんは62期ですね
『会報委員の一人として、意欲的な活躍をされていた三上世話人が、七月二一日他界された。飛行時間二万時間突破と言う四人目の輝かしい記録を残して全日空を退職され、第三の人生を今からと自他共に期待した中での訃報は誠に痛惜の極みである』

で始まる追悼文です。

昭和59年7月21日に亡くなられたのです。

まさか、今日、手記を探しに行って、堀さんの追憶記を目にすることになるとは思っておらず・・・・。何というか、覚悟がないまま読んでしまいました。

最後は、
『戦中、S三◯一先任時代も、若い隊長を補佐してよく飛び、部下思いで上下の信頼を集めていた姿は今も記憶に鮮やかである。 合掌』
で締めくくられてしました。



志賀さんの追憶記のあとに、堀さん自身の手記『南溟の空よふたたび』という手記が掲載されていました。これは初めて読む手記でした。
(この手記に関してはまた今度)

また、安食昭夫さんという特乙1期の方が書かれた『追悼の記』もあり、亡くなる少し前の堀さんとの会話や、全日空時代、その退職直後の思い出話なども書かれていました。

これらは堀さんの人柄がわかる貴重な手記でした。

目的の手記は入手できなかったけれど、今日は本当に行ってよかった・・・・。