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阿久根の海 阿久根の空2011年01月19日 20時09分47秒

今日は休みの日だったので、朝から家で預かっている”おうち仕事”を進めていました。

ワイドショーをつけていたら、阿久根のことを取り上げていました。

町が手描きアートで埋め尽くされているとか何とか。
消防署の塔とか。
著作権のことが問題になっていたようです。企業のキャラクターが勝手に使われているとか?

著作権のことは、勝手に搭乗員写真をトレースしているママとしては人のことは言えないので横に置いておくとして。

防波堤にもカラフルな絵が描いてある・・・・というのを見て、
「・・・・(-_-)」
な気分に。

町の方たちがよければいいんですけどね。
阿久根の海って、すごくきれいだったんですよ。

太平洋側に生まれたママは、あっち側(東シナ海側)の海って、”陰”のイメージがあったのですが、全然違っていました。

↓ここは「阿久根市」になるのかどうかわかりませんが、肥薩おれんじ鉄道の車内から撮った東シナ海。


こんなきれいな海がずっと続いています。


↑ここから少し北上したところ(カメラが向いている方向)が林大尉が不時着した折口の海岸(のはず)です。



折口の駅から長島方向。


『丸』2月号、古賀健詔「天誅組隊長「林喜重」の静かなる闘志」によると、
『戦闘詳報の航跡図によれば、林機は北西に飛行して長島上空で左旋回して阿久根方向に向いた矢印になっている』
『折口に住んでいた男性(当時、国民学校三年生)が、午前中、白煙を上げながら海上に向かって墜落していく戦闘機を防空壕付近から目撃。民家を避けるように海の方へ飛んでいく姿に、周りにいた住民も涙しながら見ていた事を憶えていて・・・・<後略>』


ちょうどわたしは折口駅から北西方向を見ている状態です。
この空を向こうに飛んでいって、あちらに見えている山(島)の上空で旋回して戻ってこようとした・・・・ってことでしょうか。

林さんが不時着した折口の海岸はこの写真の左奥です。

右に飛んでいけばすぐに出水の基地があったはずなのですが。
そちらには向かわず海に・・・・ってことは、基地に戻れるほどの余力がなかったのか。




林さんの最期の地・阿久根があまり”騒動”で話題になりませんように・・・・

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