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”モンスターペアレント”訴えられる2011年01月19日 12時40分50秒

学校の先生が、児童の保護者をモンスターペアレントとして訴えたそうな。

ドキッ!(゜_゜;)

ママは春海の学校生活には最近あまり関わる機会がありませんが、スイミングはあれもこれも気になってしかたがなく、レベル2ぐらいなら何とか我慢、レベル5ぐらいまでの段階ならブログに書いて憂さ晴らし、高じてきてレベル8とか9になっちゃうとフロントやコーチに直接言っちゃっています。

今回、春海が2月20日の県ジュニア記録会にエントリーされた話。
「めでたい話やん、なんで、ママは”釈然としない(-_-)”とブログで憂さ晴らししてんの!?」
と思われるでしょう。

書いたか書いていないか忘れましたが、1月になって、M村コーチに、
「春海は今度の県ジュニア記録会の平泳ぎの標準タイムを切っているのに出してもらえないんじゃないですか?」
と直接聞いたことがありました。
M村コーチに聞いてもどうしようもないんですけどね(^_^;)
でも、そういう資料はお持ちだったようで、すぐに調べて下さいました。
そこで、標準タイムが54.5秒(春海は53.33)だったことを教えてもらい、(゜◇゜)ガーン

頭に来たので(←タイムを切っているのに何の説明もなく外されていたことに関して)、ふだん思っていたことをいろいろ言っちゃいました。

M村コーチ、
「主任コーチに話するように言っておきましょうか・・・・?(^_^;)」
と言ってくださったのですが、
「いまさら言っても何もどうしようもないので、もう言わんとってください」
と頼んでおきました。

「いまさら何もどうしようもない」というのは、言ったところで、春海が8歳で出られる校外の記録会は1月16日の県ジュニアが最後、と主任コーチに聞いていたからです(12月の電話で)。

M村コーチにも、このときにそのことを確認したら、掲示板の予定表を見ながら、
「誕生日はいつですか? あ、それなら2月に県のジュニアが」
と言われたのですが、
「その大会に出るための記録会(校内記録会とか合同記録会)がないでしょう? それでも出られるんですか?」
とわたしが聞いたら、
「ああ、そうですね・・・・」

いまだにエントリーの基準がよくわかっていないのですが、たぶん、みんなちゃんとした記録会(校内記録会や合同記録会)で出したタイムをもとにエントリーしているはずなんですよね。
2月20日のエントリー締め切りまでに、春海にその機会はないはずでした。


2月20日の県ジュニアは急遽決まった大会ではなく、年度の初めから予定されていたものです。
平泳ぎ外された件をM村コーチと話した段階(たぶん1月上旬)では、2月20日の県ジュニアに春海をエントリーする予定はまったくなかった、ということです。


で、突然、2月20日の同意書をもらってきて、しかも、3種目もエントリーされていたので、
「釈然とせん」
とブツブツ言っているのです。

・平泳ぎ、1月16日は外しておいて、同じタイムで2月20日は出られるのか!?
・背泳ぎ、9月に泳いで以来5ヶ月ほどタイムすらとっていないのに、どうして出られるの!?

ここらへんもね↑(^_^;)



誰かに話したら、
「そんなん、言わんとって、って言ったって、(M村コーチが)聞いてしまったからには、主任コーチに言わんわけにはいかんやろう(^o^)」
と笑われたのですが。

ママが県ジュニアのエントリーに関してM村コーチに不平を言う
          ↓
M村コーチが主任コーチにそれを伝える
          ↓
主任コーチが「モンペかなわん(*_*)」と、急遽次回の県ジュニアのエントリーに春海を加える

こんな経緯だったのではと想像してしまい、ますます気分が急降下。素直に喜べないのです。
(M村コーチ、主任コーチ、ママの妄想だったらスイマセン(>_<))


阿久根の海 阿久根の空2011年01月19日 20時09分47秒

今日は休みの日だったので、朝から家で預かっている”おうち仕事”を進めていました。

ワイドショーをつけていたら、阿久根のことを取り上げていました。

町が手描きアートで埋め尽くされているとか何とか。
消防署の塔とか。
著作権のことが問題になっていたようです。企業のキャラクターが勝手に使われているとか?

著作権のことは、勝手に搭乗員写真をトレースしているママとしては人のことは言えないので横に置いておくとして。

防波堤にもカラフルな絵が描いてある・・・・というのを見て、
「・・・・(-_-)」
な気分に。

町の方たちがよければいいんですけどね。
阿久根の海って、すごくきれいだったんですよ。

太平洋側に生まれたママは、あっち側(東シナ海側)の海って、”陰”のイメージがあったのですが、全然違っていました。

↓ここは「阿久根市」になるのかどうかわかりませんが、肥薩おれんじ鉄道の車内から撮った東シナ海。


こんなきれいな海がずっと続いています。


↑ここから少し北上したところ(カメラが向いている方向)が林大尉が不時着した折口の海岸(のはず)です。



折口の駅から長島方向。


『丸』2月号、古賀健詔「天誅組隊長「林喜重」の静かなる闘志」によると、
『戦闘詳報の航跡図によれば、林機は北西に飛行して長島上空で左旋回して阿久根方向に向いた矢印になっている』
『折口に住んでいた男性(当時、国民学校三年生)が、午前中、白煙を上げながら海上に向かって墜落していく戦闘機を防空壕付近から目撃。民家を避けるように海の方へ飛んでいく姿に、周りにいた住民も涙しながら見ていた事を憶えていて・・・・<後略>』


ちょうどわたしは折口駅から北西方向を見ている状態です。
この空を向こうに飛んでいって、あちらに見えている山(島)の上空で旋回して戻ってこようとした・・・・ってことでしょうか。

林さんが不時着した折口の海岸はこの写真の左奥です。

右に飛んでいけばすぐに出水の基地があったはずなのですが。
そちらには向かわず海に・・・・ってことは、基地に戻れるほどの余力がなかったのか。




林さんの最期の地・阿久根があまり”騒動”で話題になりませんように・・・・